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『檻を穿つための檻 』
賢木 守凪aa2548


 雨が降っている。学校の玄関から外に出て、賢木 守凪(aa2548)がまずはじめに思った事はそれだった。空は気の滅入るような灰色で、しとしとと音を立てる水滴は独特のべたついた湿り気を守凪の肌に押し付けてくる。とは言っても送迎の車が用意されている守凪には雨など障害には成り得ないし、例え目の覚めるような青空が広がっていたとして、守凪の心はこの曇天よりも重苦しく晴れないのだが。
 一体自分は、いつまでこんな『檻』の中に囚われ続けているのだろう。もちろん動物園の猛獣のように、錆の浮いた金属の檻に放り込まれている訳ではない。12歳の守凪は、傍目には黒いランドセルを背負った、黒いランドセルがなければ少女と見紛うような容姿の少年でしかない。
 しかしどこにも逃げ場がないという意味では、守凪は正に檻に閉じ込められた哀れな獣に他ならなかった。例えば今このランドセルを捨て、何処かに走り去ろうとした所で、自分を迎えに来た車が捕獲者へと転じるだけだ。仮に逃げおおせた所で、いずれどこかで捕まってしまう。檻に連れ戻される。罰を受ける。粗相をした獣を躾けるためと言わんばかりに。一体、いつまで。もう少し幼い頃には水の膜が張った瞳も今はすっかり乾いている。虚ろに開かれた瞳は美しい青を湛えながら、この曇天よりもさらに重苦しい泥をずっと奥に抱えている。守凪は操られるだけの人形のように後部座席に乗り込むと、人形の静けさでじっとそこに収まっていた。車が出る。自分を閉じ込めるだけの忌まわしく頑丈な檻へと向かって。守凪に出来る事は物言わぬ人形のように座っている事だけだ。
「もう少しで着きます。少々お待ちを」
 聞こえてきた運転手の声に守凪はわずかに顔を上げた。恐らく雨で遅れている事に咎めの電話が入ったのだろう。守凪は顔を伏せようとして、「うわっ」という悲鳴を聞いた。急ブレーキの音がし、守凪の目の前に黒い何かが迫ってきた。対向車線をはみ出した車、と守凪が意識する間さえなく、そこで守凪の意識は糸が切れたようにふつりと途切れた。


 痛みを感じた。痛かった。身体全てが痛みの塊になってしまったようだった。苦しいと思った。苦しかった。身体全てを苦しみで埋め尽くされたようだった。死にたくないかと言われた。死にたくないと願った。何故かなんて理由はない。けれど願った。死にたくない。死にたくない。「これは『約束』って読むんだよ」。そんな声が聞こえた気がした。まだ約束を果たしていないと思った。約束って、なに? 誰と交わした約束なのかそれさえも思い出せないまま、何もかもが真っ黒な闇の中へと溶けていく。

 目を覚ますと、それ以外の色を忘れたと言わんばかりの白が守凪の眼前に迫っていた。前にもこんな事があった気がする。全てを塗り潰すような暴力的なまでの白を、自分は一体どこで見たと言うのだろう。
 そんな考えが頭を過ぎったのも束の間で、守凪は身体を起こそう、とした所でふと違和感に気が付いた。何がとは言えない。けれど、何か。おかしい。守凪は知らず呼吸が荒くなるのを感じながら、包帯の巻かれた腕でかけられていた毛布をまくった。愕然とした。膝から下に、あしが、ない。膝から下のパジャマの部分にあるはずの膨らみがない。頭蓋を割るように映像が突然脳に雪崩れ込み、守凪は酷い頭痛に襲われながら頭を両手で抱え込んだ。脳をかすめるのは急ブレーキ音と、車とおぼしき黒い塊。暗転した視界。詳しくは分からないが恐らく何かの事故に遭い、結果がこの白い部屋と失われた足なのだろう。不安、心細さ、怒り、哀しみ、言い様のない感情に襲われる守凪の視界にふと、今まで見た覚えのない妙なものが映り込んだ。一瞬あの男の手駒かと思ったが、あの男の手駒なら黒のスーツを着ているはずだ。こんな、この世の全てを嘲笑するような笑みを浮かべているヤツを、あの傲慢の塊のような男が好むとは思えない。
「起きたぁ?」
 『それ』は妙な口調でそう言ってくふくふと笑みを零した。何が楽しいのか分からない。少なくとも足を失った子供の前で取るに相応しい態度じゃない。能面のような表情で見つめているだろう自分に対し、『それ』はくふふと耳慣れぬ笑みを零し続けるだけだった。楽しくて仕方ないと言わんばかりに。同時に楽しさとはかけ離れた何かを叩きつけでもするかのように。
「なんだ、お前は」
「なんだろうねぇ。ボクにもよく分からないよぉ。ただ言える事はキミと誓約を結んだって事だねぇ」
「誓約?」
「『約束を果たすこと』」
「約束?」
「内容なんて知らないよぉ。でもキミがそう言ったんだ。気になるんならキミ自身に聞くより他はないよねぇ」
 『それ』は言った。守凪は呆然とした。約束? 約束ってなんだ? そんなものに覚えはない。けれど何故だか嘘を言われているとも思えない。胸の何処かがずくりと痛んだ気がしたが、しかし一瞬後には守凪はその痛みを忘れた。誓約。誓約。それを結んだとこいつは言う。その意味を、守凪は言葉にして尋ねずにはいられない。
「お前は、俺にとって一体何だ」
「協力者って所かなぁ」
「俺に力を貸してくれるのか」
「キミがそれを望むなら」
「俺の武器になるか」
「キミがそれを望むなら」
 その言葉に、守凪は知らず口を歪めた。歪なそれは、歪だが確かな自信から浮かんできた笑みだった。檻を壊す武器を手に入れたことへの自信。事故に遇ったばかりの恐怖も、足を失った事への驚愕も、不安も、心細さも、確かにあるのに、それをなお上回る自信という名の滾る感情。守凪は笑みを浮かべながら、すでに乾いてしまったと思っていた目から涙を落としていた。俺の武器。俺の駒。檻を壊すための武器。心の何処かで欲しながらも夢想さえ出来なかったそれが、今失くした足の先に肉を持って存在している。
 守凪はベッドから降りようとして、しかし両膝から先が無くなっている事を思い出した。だが武器を手に入れた事への感情が掻き消される事はない。無力で無様で、泣く事さえ奪われたちっぽけな子供でしかない自分が、もしかしたら檻を破り自由になる日が来るかもしれない。そう思えば、元から白い手がさらに色を失くす程、守凪の指先にさらなる力が込められる。
「俺に、力を貸してくれ」
 守凪は『それ』に声を飛ばし、知らず青を嵌め込んだ己の瞳に力を込めた。もしかしたら自分は檻を壊すための武器を手に入れたつもりで、実は別の檻に囚われるだけなのかもしれない。この自分を笑みながら見つめる駒は、自分を閉じ込める新たな檻にとって替わるだけかもしれない。
 それでも。守凪は思った。これが新たな檻だとしても、今囚われている檻よりはよほどいいに違いない。声を上げる事も奪われるような檻の中で生きるより、泥のような心を曝け出す生き様の方がずっといいに違いない。
 守凪に嵌め込まれた青の瞳はもはやくすんでいなかった。くすんだ膜の代わりにその瞳に宿ったのは、自分さえも滅ぼしかねない諸刃のような光だった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【賢木 守凪(aa2548)/ 男性 / 18 / 能力者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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2016年08月26日

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