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『とある蛇にまつわる昔話 』
巳勾aa1516hero001


 むかしむかし……
 どれほど昔だったのか。もう誰も覚えていないほどの、昔のお話。
 そして『この世界』ではない『何処かの世界』の、物語。


 その男の名前は巳勾(aa1516hero001)といった。
 彼の世界は平和とは遠いところにあった。
 いつも何処かで誰かが大人数で殺し合い、荒れた土地には骸が転がる。
 戦乱渦巻くその世界は当然ながら豊かではなく――そも、豊かでないから戦が起きるのだ――土地は痩せ、飢饉に疫病が大地に蔓延っていた。

 巳勾の家族も、友人も、そういったモノの犠牲となった。
 家族は、戦乱で。
 友人は、病で。
 次々と――ひとりまたひとり――いなくなっていった。

 墓標を前に。生き残ったのは、巳勾。
 慟哭と絶望と悲哀と憤怒。
 なぜ。なぜ。
 なぜ彼らが死ななければならなかったのだ。
 彼らに罪などなかったはずだ。
 ただただ、彼らは生きていただけなのに。

 理不尽なる現実への憤り。
 されど、巳勾はその心を憎悪に染め上げることはしなかった。

 大切な人を、尊い命を、幾つも喪ったからこそ――
 まだ救える命を、救われるべき多くの命を、護りたい。
 そう、心に強く願った。
 彼らの死を無駄にしないためにも。
 彼らの死が無駄だったのではないと決着をつけるためにも。

 さらば。男は並ぶ墓標に別れを告げる。
 ここにはもう二度と戻るまい。
 次に見えるとしたならば、それはあの世でのことだろう……。

 そして巳勾は旅に出た。
 故郷を離れ、西へ東へ。様々な村へ、町へ、国へ。
 巳勾には医術の心得があった。
 その技術で、巳勾は救える者を救い続けた。
 彼が手を差し伸べるのは、医者にもかかれぬ貧しい者達へ。
 心ばかりの報酬で――金銭ではなく宿や食料として受け取ることもあった――医師として救える限りを救い、次の場所へと流浪の旅を。

 そうやって、巳勾は世界中を歩き続けた。
 平野を。荒野を。海を。山を。湿地を。沼地を。砂漠を。森を。

 そうやって、何日も、何年も……。

 ――その旅の中で。
 やがて、巳勾には愛する人ができた。
 愛し合う二人は婚約し、家族となった。
 一つの年が過ぎたころには、新しい命すら授かっていた。
 一度は家族を喪った男に、新しい家族ができたのだ。

 居場所ができた。
 大切な人ができた。

 それでも、……巳勾は献身的な旅を止めることはなかった。
 何処かで誰かが苦しんでいる瞬間を、自分だけが、平和な居場所にて幸せと安寧を享受することを、巳勾は耐えられなかったのだ。
 それを承知の上で、妻は巳勾の献身を尊重してくれた。立派なことだ、そういうところを愛しているのだ、どうか自らの決意を貫いて欲しい、と――誇りに思ってさえいてくれた。
 その想いは、その愛は、巳勾の決意をより強く堅く。妻が彼を誇りに思うように、彼もまた、妻を誇りに想った。愛していた。心の底から。

 時折妻子のもとへ顔を見せたり、積極的に便りを送ったりもしつつ。
 巳勾は己の信念を、決意を、貫き続けた。
 たとえ偽善と罵られようと、この手で救える者を救い続ける。
 傲慢であろうと構わない。この手の届く限りは。
 そしてこの手が届く範囲がもっと広くなればいい。
 貪欲に、傲慢に。男はひたすらに救い続けた。時に力及ばぬ結末に、密かに涙と謝罪をしつつ。
 それでも――巳勾の心は、決して折れることはなかった。

 ――だが。

 英雄、神、救世主、聖人――どれだけそう讃えられようと。
 巳勾は、『そんな存在』ではなかった。
 巳勾は、『ただのちっぽけな人間』だった。

「げほ、……ッげほ、」

 進行はいつの間にか。
 症状は取り返しがつかず。
 咳き込んだ肺。掌に広がった赤。
 旅の空の下、乾いた風が吹きぬけた。目を見開き、立ち尽くす男の背中に。

 ――流行り病。
 ――まだ治療法が見つかっていない。
 ――これは末期症状だ。

 ――こうなってしまったら、もう、……。

 脳裏に過ぎるのは病で死した友人。
 病魔に冒され、日に日に衰弱していった姿。

 口をすすごうと覗き込んだ川の水面の映っていたのは――まさに、あの日の友と同じ姿。やせこけた頬。土気色の顔。


 ……死。


 黒く根ざした不可避の運命。
 医師だからこそ、分かりすぎてしまう。

 ……冷たい雨。

 分厚く垂れ下がった灰色の雲。裂くような風に追い立てられ、巳勾が身を寄せたのは無人の社。
 今や手入れする者も、奉る者もいない。
 皮肉なものだ。
 まるで自分のようだ。
 医者の自分を手入れすることなどしなかった。
 医者の自分を診る医者はいなかった。
 ……いや、畏れ多くも神の座を、まるで自分のようなどと形容するなどおこがましいか。傲慢――偽善――……。


 ――死にたくない。


「死にたくない、未だ」
 脳と口とで繰り返す。生への渇望。死への拒絶。道半ばで倒れることへの未練。残してきた家族への愛。自らに課した誓いへの葛藤。まだ、まだ救える者が待っているのに。まだ、子供も大きくなっていないのに。まだ、まだなのに、こんなところで。どうして。どうして。

 どうして――神様。

 げほ。げほ。咳が止まらない。寒い。冷たい。雨が降っている。ごうごうと風が吹いている。体温が奪われる。寒い。冷たい。死にたくない。黒い空。死神の襤褸のよう。死にたくない。とても寒い。咳が止まらない。生温い血が口から零れる。激しく咳き込む。虫けらのように蹲る。無力だった。無念だった。

 神様……神様。

 医療従事者として。医者という生死に向き合う職業として。理不尽な現実を突きつけられ続けた者として。
 神という存在など、彼は信じてはいなかった。
 それでも、祈った。心で叫んだ。
 霞んでいく視界。悲鳴のように吹き荒ぶ風の中。

 巳勾は見た。
 御神体であるという、蛇神の卵。

「―― か ……みさ ま 、…………  」

 震える手を、
 伸ばし、――……。



 ――そして。



 目が、覚めた。
 青い空。雨は止み。飛び起きる。病が、完全に治っていた。

 そう。
 巳勾は人ではなくなった。
 彼は現人神となったのだ。

 だがその代償に。巳勾は社の聖域に呪縛され、妻子のもとへ帰ることはもう二度とできなくなった。
 ならば。会えないからこそ。妻が愛してくれた信念を、貫き続けよう。
 神となった男は、人であった頃と同じように救い続けた。生前の知識と神通力とで多くを救った。救い続けた。その手の届く限りを、貪欲なる蛇の如く。


 ――やがて、巳勾は傷病を癒す神として奉られるようになった。

 ――いくつもの時が、流れていった。

 ――膨大なる時は、いずれその神を人の世から忘却へと押し流していった。

 ――神となった人間は、静かに目を伏せ。


 ……目を見開く。時は今。



『了』




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巳勾(aa1516hero001)/男/43歳/バトルメディック
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2016年08月29日

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