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『 刹那の永遠 』
千冬aa3796hero001)&ゼノビア オルコットaa0626


 暮れてゆく空に、黒々とした山の稜線が溶けていく。
 鴨川に面した宿の部屋には、さらさらと涼やかな音が絶え間なく届いていた。
 千冬は欄干に身体を預け、窓の外に顔を突き出す。

 切欠がどんな本だったかはもう覚えていない。
 とにかくあの日、ゼノビア オルコットは随分と真剣なまなざしで、見開きの写真を見つめていた。
「なにか面白いものがありましたか?」
 千冬がほんの少しだけ、口角を上げて尋ねた。
 それでも彼にしては随分と珍しい表情だ。
 成り行きとはいえ、かつてゼノビアに対して一瞬の『恋心』を抱いたのだから当然とも言えるかもしれない。
 だがその後も千冬の中には、それまで感じたことのない奇妙なざわめきが残っていた。
 それは契約した能力者に初めて会ったときの感覚にも似ていたかもしれない。
 灰色の空の一隅に、うっすらと見える青空のような。
 暗い夜道の先に、不意に現れる人家の明かりのような。
 自分の持ち合わせる語彙では表現できないものを知る度に、千冬はゆっくりとそれを味わうようにしばし考え込むのだ。

 千冬の声に、ゼノビアは夢見るように見開かれた青い瞳を向けてきた。
 物言いたげな唇が僅かに震え、それから言葉よりも雄弁に心を語る白い指が、踊るようにひらめく。
「京都……の景色、だそうなんです。とっても、綺麗……ですっ」
 夜の闇に無数の赤い灯りが続き、その下を華やかな浴衣姿の人々が行き交っている。
 千冬は写真を覗きこんで尋ねた。
「行ってみたいのですか?」
 その言葉に、ゼノビアは驚いたように目を見張る。
 だが少し後には、こくこくと頷いていた。


 そうして互いの相方に了承を得ての、京都への小旅行となったのだ。
 そのとき襖の向こうから華やかな声があがり、千冬は思わずそちらを見た。
「ほんま、かいらしこと。ほら、よう映ってはりますわあ」
 中居の女性がそう言いながら襖を開ける。
 そこには浴衣姿のゼノビアが、少し困ったような表情で立ちつくしていた。
「おかしくは、ない……ですか?」
 白い指が戸惑っている。
「……ええ、とても似合っていますよ」
 千冬の声は包み込むように穏やかだった。


 宿でもらった観光案内図を懐に、ふたりは連れ立って歩きだす。
 千冬が示した「黒いカード」の効果は絶大だった。千冬の条件通り、ゼノビアの浴衣は、すれ違う娘たちのものより素人目にも明らかに上質に思える。

 ゼノビアはそんなことは知らないまま、通りに面した古びたガラスにそっと自分の姿を映してみた。
 濃紺のすっきりとした生地に、白で抜いた柳の枝が揺れ、燕が遊ぶ。臙脂の帯は裏面の萌黄がアクセントになるよう結び、瑞々しい印象だ。編み込んだ白銀の髪はゆるくまとめ、青い飾り玉のついた簪を挿している。
(おかしく、ない、よね……?)
 異邦人である点を差し引いても、慣れない浴衣にはやはり少し緊張する。
 可愛いと思って選んだデザインだったが、着付け終わってから悪戯っぽく宿の女性が教えてくれたいわれに、ゼノビアは耳まで真っ赤になってしまった。
 燕は「恋を運ぶ」と言われていることなど、全く知らなかったのだ。
(千冬さんに、変に思われないかな?)
 ふと顔を上げると、角帯をキリリと結んだ千冬の白い浴衣の背中があった。
 ゼノビアは不意に胸を衝かれる。
 均整のとれたすらりとした背中が、軒の低い黒い屋根の下、どこか遠い物のように見えたのだ。
 その距離は実際には、ほんの半歩である。
 だがゼノビアは無我夢中で指を伸ばし、千冬の袖に触れた。
 さらりとした浴衣地の感触に、ハッと我に返る。けれどその時にはすでに、指は遠慮がちながらしっかりと袖を掴んでいたのだ。
「どうしました?」
 振り向いた千冬の顔を見上げ、ゼノビアは首を振った。
「……なんでも、ない、です」
 うつむいたまま、指で語るのが精いっぱいだった。


 宿の前の細い路地から少し広い道に出ると、足元に行燈風の照明が並んでいた。
 人波に流されるままについていく先に、暗い山を背景に寺院の建物が灯りに照らされ、まるで夢の中の光景のように浮かび上がる。
 普段は夕刻で門を閉ざす寺院が、この時期だけ特別に夜間拝観を受け付けているらしい。
「行ってみますか」
 千冬に促されるまま、ゼノビアは後をついていく。
 なぜか今日は並んで歩くことができないのだ。
 初めて経験する二人きりの旅に、ゼノビアの心は混乱していた。
 それでも、目を上げれば千冬の背中は頼もしかった。
 だから袖を遠慮がちにつまんだままで、からころ下駄を鳴らしてついていく。

 そうしていくつかの寺院を拝観し、珍しい焼き物や古文書等を眺めているうちに、気がつけばゼノビアは千冬の隣にぴったり並んで歩いていた。
 千冬がそれを特に何とも思っていないらしいことに、ゼノビアはほっとする。
 けれど同時に、なんとも言えないざわざわしたものが胸の中に広がり、喉元までこみあげるようにも思えた。
(これは……どうしたらいいのかな?)
 突然、鼻の付け根がきゅんとなる。
 ゼノビアは小さく首を振って、ざわざわを振り払った。

「ゼノビアさん、お疲れではないですか」
 不意に尋ねられ、ゼノビアはきょとんとして首を傾げた。
「この案内図によると、近くの公園には屋台も出ているようです。まだ時間も早いですし、行ってみますか」
 ゼノビアの表情が、ぱっと華やぐ。

 どこか澄ましたような寺院と異なり、屋台は活気にあふれていた。
 ゼノビアはしっかりと千冬の袖に掴まりながら、物珍しげに辺りを見回す。
 ふと、宝石のように輝く赤色が目に入った。
 息を飲むほどの鮮やかさ。
 棒に挿したリンゴ飴は、異世界から持ち込まれた装飾品のようにも見えた。
「リンゴ飴ですか。買って来ましょうか」
 驚いて見上げると、千冬がゼノビアをじっと見つめている。
「あの……っ!」
 ゼノビアは慌てて小さな縮緬の手提げを探り、小銭を探す。
 だが千冬はあっというまに屋台に近付き、真っ赤な飴を手に戻って来た。
「どうぞ」

 ――ちがうんです。
 お小遣いはあるんです。
 自分の欲しいものを買うぐらいは――。

 ゼノビアは一生懸命そう伝えようとしたが、閃く指はついにリンゴ飴を握らされてしまった。
「ありがとー、ございます……」
「どういたしまして」
 リンゴ飴は灯りを映して、食べるのが勿体ないほどにキラキラ輝いているのだった。


 結局、リンゴ飴の他にもガラス細工の花や、和紙のお人形を抱えて、ゼノビアは宿に戻って来た。
(いいのかな……)
 申し訳ないと思いながらも、思わず笑みが漏れる。
 ひとつひとつが今回の旅の大事な思い出に繋がっていくだろうから。

 玄関先で下駄を揃えていると、宿の人に何か尋ねていた千冬がもう一度外へと促す。
「もう少しだけお付き合いいただけますか」
 手に持っているのは、屋台で買った花火セットだった。
「どうするん、です、か……?」
「庭先で少し遊ぶぐらいなら構わないそうです。お疲れでなければどうですか」
 本音をいえば浴衣も下駄も少し窮屈になっていたが、それでも脱ぐのは勿体ないと思っていたので、ゼノビアは千冬の提案に大きく頷く。

 水を入れたバケツを脇に置いて、屈みこんだ千冬はなにかとても大事なもののように掌の中でろうそくを灯す。
 オレンジ色の光がゆらゆら揺れて、どこか人形めいたように思える千冬の整った顔立ちを照らしていた。
「これはかなり飛びます。気をつけて」
 しゅわしゅわしゅわ。
 千冬の手元から流星が飛びだす。
 手持ち花火を見たことがないゼノビアは、色とりどりの火花を艶やかにまき散らす花火に夢中になった。
 次々と取り出しては夢中になって星をまき散らす。

 やがて残り少なくなった花火セットの中に、細い植物の茎としか思えない束を見つけ、ゼノビアは不思議そうにそれをつまみ上げた。それぞれの先に、黒い火薬がひとかたまりくっついている。
「これは線香花火というものです」
 千冬はその1本を束から引き出して、ゼノビアの手に握らせた。
「全国的には和紙で作った物が多いのですが。こちらでは古いタイプのほうも見られるようですね」
 ゼノビアの手に、千冬が手を添える。
 どくん。
 ゼノビアは喉から心臓が飛び出すのではないかと思った。
「すぐに落ちてしまいますから、そうっと揺らさないように持っていてくださいね」
 千冬が、ゼノビアのつまんだ線香花火をろうそくに近づける。
 じじっ。
 そんなかすかな物音と共に、小さな光の花が暗闇に咲いた。
「えっ……」
 じじじっ。じじじっ。
 息を飲むゼノビアの目の前で、小さな火花が踊り、星が流れ、やがてじくじくと不思議な音をたてる光の玉が棒の先にねっとりと固まる。
 一体何事が起きるのかと思わず顔を近づけた瞬間、まるで飴細工のように光の玉が伸び、ポトリと落ちて消えた。
「!?」
 ゼノビアはびっくりして、燃えかすになってしまった線香花火と千冬の顔を見比べる。
「これだけ!?」
「これをどれだけ長くもたせられるかも、線香花火の楽しみなのですよ」
 千冬はそう言って、次の花火を渡してくれる。

 それから花火が尽きるまで、ふたりは膝を突き合わせて線香花火を楽しんだ。
「私、は……センコウハナビが、大好きに、なりましたっ」
 ゼノビアが精一杯の想いを伝えようとする。
 今日一日で沢山の想い出ができた。
 千冬がくれたのは飴やガラス細工だけではなくて、ドキドキやワクワク、それからこの言葉にできないような喜び。
 線香花火の光はすぐに消えてしまっても、目にはその光が焼き付いている。
 刹那の光はゼノビアの心の中で、永遠の光になるだろう。
 そしてその光が灯るとき、浮かび上がる横顔はきっと――。

「……また、次も貴女と……」
 空耳のような囁き声だった。
 ゼノビアは小首を傾げ、聞き逃した言葉をもう一度言ってと頼む。
「いえ、何でも。なんでもないのです」
 千冬はそう言って小さく笑った。

 その笑顔は、どんな細工物よりも儚くて。
 けれど、どんな宝物よりもいとおしくて。
 ゼノビアの心の中、その一瞬の笑顔は、花火の残像のように鮮やかに残り続けるだろう。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa3796hero001 / 千冬 / 男性 / 25 / シャドウルーカー】
【aa0626 / ゼノビア オルコット / 女性 / 16 / 人間・命中適性】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました。夏の小旅行をお届けします。
少し遠慮がちに互いに近付いていこうとするおふたり。
そんな微妙な距離感が、上手く描写できていましたら幸いです。
このたびのご依頼、誠に有難うございました。
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2016年08月31日

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