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『 古都の通り雨 』
大炊御門 菫ja0436


 バスを降りると、目前に山が迫る。
 大炊御門 菫はその光景に、拍子抜けに近いような安堵を覚える。

 市内中心部の様子は、数年前の菫の記憶とは随分違っていた。
 そこには天使たちが蹂躙した爪痕も生々しく残っていたが、人の手による変化――新しい建物ができていたり、綺麗に均された広場ができていたり――もあった。
 つまり、人はしぶとい。

 菫はひとつ大きく息を吸う。
 空気に僅かな焦げ臭さが混じるのは、おそらく送り火の名残だろう。
 きっと今年も沢山の魂が、あの山を見送りながらどこかへ帰って行ったはずだ。
 思わず拳を握る。
 助けられなかった人々がその中に混じっているかと思うと、菫の身中に押さえきれないほどの力が籠った。
 それでも、人はしぶとい。

(私もこうして生きているのだからな)

 天魔との戦いは、日々激しさと複雑さを増していた。
 現に今、この京都にも強大な天使の作ったゲートが存在して、人類とにらみ合いを続けている。
 だがそこからほんの少し離れた場所では、人々は買い物し、食事を楽しみ、夢を語りあっていた。
 それが現実逃避なのか、あるいはいつ失われるかわからない物を大切に思うからこその行動なのか、きっと当人たちにもよくわからないのだろう。

 菫自身がそうなのかもしれない。
 ふと思いついて、依頼の帰りに生まれ故郷に立ち寄った。
 ついでに足を延ばして、「鴨川」が「賀茂川」と名前が変わる、そのまだ上流にまでやってきた。
 そして山を見上げる。
 大昔から変わらない山がそこにあった。
 こんもりと繁った深い緑の山に、白い雲の塊が引っかかっているように見える。
 穏やかで優しい自然の姿だった。

 菫は川岸にまで降りて行き、熱いコンクリートに腰を下ろした。
「こうしてみると、何もかもが嘘のようだな」
 思わず呟く。
 せせらぎは陽光に煌めき、中州では子供たちがはしゃいでいる。
 近くの大木ではツクツクボウシがやかましく鳴き、河原では白黒の塗り分けが鮮やかなセキレイが、尾を振りながらちょんちょんと移動して行く。
 静かに閉じた瞼を、夏の太陽がじりじりと照らしつけてくる。
 晩夏の、平和な光景。


 始まりはこの京都だった。
 冗談のように強大な敵が街を踏み荒らし、撃退士達は必死で戦った。
 それから四国、群馬、静岡、山梨……次々と強敵は現れ、そして消えて行った。

 南の空に目を向ける。
 そこにはまだ、消えない強敵がいるはずだ。
「もしも連中に我々が負けたら」
 あるいは人類だけがこの世界から消え失せるのかもしれない。
 それでも山は緑に包まれ、川は流れ、鳥は歌い続けるのかもしれない。
「だが我々は、簡単に負けてやるものではないぞ」
 かの地にいる存在に宣言するように。
 菫は敢えて声に出して、己の中にたぎる炎を尚も燃え上がらせる。

 一つ確かなことは。弱気が菫をここに立ち寄らせた訳ではない、ということだ。
 変わらぬもの、雄大なもの、人の営みを凌駕するもの。
 それらを前にしても打ちひしがれることなく、甘えることなく、生きていく人間という存在を確かめるための小旅行。

 だが、見据える菫の瞳の鋭さとは裏腹に、突如腹の虫が情けない声を上げた。
「……とはいえ、こればかりはどうしようもないか」
 ひとりひそかに赤面しつつ、そういえば朝食以降何も食べていないと気付いた。
 どこかに立ち寄ろうかと思ったちょうどそのとき、川で遊んでいた子供たちがそれまでと全く違う声を上げる。
「うわああああん!!」
 菫は状況を確認するより先に駆け出した。
「何をやっている!」
 川は少し前とは様相を変えていた。水量は多く、流れも速い。
 子供のひとりがそれに気づくのが遅れ、中州に取り残されていたのだ。
「落ちついて。ほら、私に掴まるんだ」
 菫は川の中で足を踏ん張り、子供に手を伸ばす。子供は必死に菫の手を握りしめた。
「うわああんおねえちゃん、こわいぃいい!!!」
「大丈夫だ。ほら、こっちへ」
 菫は子供の手を引っ張って脇の下に腕をまわし、背後からしっかり支えてやる。
 しゃくりあげながらもどうにか落ちついた子供と一緒に、なんとか川岸まで戻って来られた。
 ごめんなさいだとか、ありがとうだとかいう声に、菫が少し表情を緩める。
「ほらあの雲。あれが見えたら川に入るんじゃないぞ。山の上で雨が降ってて、すぐに川の水嵩が増えるんだからな」
 指さす先ではさっきまで白く小さな塊にすぎなかった雲が、大きく、薄灰色へと変わっていた。


 それはあっという間だった。
 子供たちと別れ、帰りのバスに乗ろうとバス停まで辿りついた頃には、ゴロゴロと不気味な音が響き渡っていたのだ。
「さすがに落雷は馬鹿に出来んな」
 いくら撃退士とはいえ、落雷の直撃は命にかかわる。
 撃退士の中でもひと際頑丈な菫とて例外ではない。
 幸いバス停には屋根があって、大粒の雨がいくらか当たったぐらいでその下に飛びこむことができた。

 すぐに猛烈な雨が路面を叩きはじめる。
 跳ね返りが屋根の下にいる菫にもかかるほどだが、さっき川に入ってしまったので足元は濡れても同じことだ。
 紫の稲光が、幾本も天から突き刺さるのが見えた。
「神の槍……」
 さながら人は今、神も悪魔もごちゃまぜの嵐の中にいるようだ。
 抗いようのない力に晒され、身を寄せ合って震えるのみ。
 いつ力の濁流が自分達をさらっていってしまうともしれない日々。
「それでも、抗ってみせる」
 菫は雷光を睨みつけた。
 どれほど激しい雨であろうと、いつかはやむ。
 そして雨雲を退かせる力を持たない人類であっても、天魔に対しては撃退士という存在がある。
「私は――私は、決して諦めないぞ!」
 豪雨は菫の声をかき消すように降り続いた。


 突然の通り雨は、収まるときも突然だ。
 腰のあたりまで濡れそぼる菫に笑いかけるかのように、雲の切れ間から太陽が顔を出す。
 ほどなくして待っていたバスがやってきた。
 絞れるほどの服の裾に、冷房の風が冷たく吹きつける。
 座席に座ることを諦めて、菫は手すりに掴まりながら前方へと移動する。

 そのとき、目の端になにかを捉え、思わずそちら側へ身を乗り出した。
 バスはすでに降りた客を置いて走りだしている。
「すみません、ちょっと失礼します」
 いぶかしがる乗客の隙間から身を乗り出し、菫はバスの外を見た。
 遠ざかって行くのは、どこかで見たようなシスターの後ろ姿。
「あれは……」
 見間違いかもしれない。
 だが菫の目は、バスの外を歩く女の唇が、僅かに微笑んでいるのを認めたのだ。

「……失礼しました」
 菫は圧し掛かるように近寄っていた乗客に丁寧に頭をさげ、少し離れた場所で手すりを握る。
 まだ何も終わってはいない。
 いや、ある意味では始まってもいないのかもしれない。
 だから川の中州でおびえる子供のように、立ち止まっているわけにはいかないのだ。

(私は――決して諦めないぞ)

 菫の瞳はバスの前方、南の空をひたすらに見つめ続けていた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0436 / 大炊御門 菫 / 女性 / 22 / ディバインナイト】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度はご依頼いただきまして、有難うございます。
恐らく大規模ではお目にかかったと思うのですが、口調などが間違っていないようにと祈りつつ。
私自身の思い入れも籠めて、このような内容になりました。
ご期待に添えていましたら幸いです。
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エリュシオン
2016年08月31日

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