『未来へ捧げる譚詩曲 』

矢野　胡桃（ja2617）

●
　春の終わり。夏の始まり。
　物語は進む、望むと望まざるとにかかわらず。



●
　風の居所は知っている。『彼』が何をしているのかも知っている。
　しかし状況は複雑で、風の行方を完全に捉えることはできない。
　膠着状態が続き、具体的な動きをとれないままに季節はひとつ、変わろうとしている。

　生い茂る緑が優しい影を落とす。木漏れ日を見上げて、矢野　胡桃は小さく息を吐きだした。
　ストロベリー・バニラ・キャラメルのトルプルアイスを食べ終えて、幸せが心を満たしている。
　賑やかな公園の、広場から離れた散策ルート。
　昨年の春、意外な出会いのあった場所。
（……あの頃、は）
　たぶん、気づいていなかった。この『気持ち』の、ほんとうの意味。
　一緒に歩いた道を、なぞるように胡桃は歩く。
　一年が過ぎて季節も変わり、咲く花も種類を変えている。
　止めることのできない時の流れを感じると共に、これまで重ねてきた思い出を振り返る。

　どこかで野鳥のさえずりが響く。あの鳥の名は、なんといっただろう。
（鳥……）
　無意識に白い影を探していることに気づき、胡桃は一人で苦笑する。
「こんなところに、いるわけがないのに、ね」
　ワッフルコーンを包んでいた髪をクシャリと握る、それを白い小鳥が奪って行った。

「え？」

　見覚えのある――間違えはしない、あれはサーバントだ。名は、スノウホワイト。
「おや」
　振り返ると、グレーのシャツに黒いベストを合わせた見覚えのある姿が小首をかしげていた。
「ヴェズルフェルニル……」
　そう呼ばれた天使は、カラスは、
「今日も休日かい？」
　などと、何事もなかったかのように言ってのけるのだった。
「……時間があれば、少し話に付き合ってもらえると嬉しい、のだけど」
　跳ね上がる心音の意味が、今ならわかる。
　胸を押さえながら、震えそうな声を押さえながら、胡桃は尋ねた。



●
　戦いは、どうして終わらないのだろう。
　いつから始まり、どこへ向かうのだろう？

　胡桃とヴェズルフェルニルが出会ったのも、戦場だった。
　ネフィリム鋼製のバリケードを盾に遠距離射撃をしていた彼女を、天使はサイクロンでバリケードごと吹き飛ばした。
　上空に居た天使からは射手の姿ははっきりと目視できたし、狙撃手が腕利きであることを認め、自由にさせてはおけないという判断の、容赦ないにもほどがある一撃。
「『吊り橋効果』って知ってる、かしら。もしくは『ストックホルム症候群』ね」
　いつかのように並び歩きながら、胡桃がポツリポツリと語り始める。
　――予想外の怪我が悔しくて追いかけた。
　はじまりはあの戦場で。
　そこから追いかけ続けていたら、妙な高揚感を抱くようになった。
（それを勘違い、したのね……。『それ』であると、信じようとしてた）
「……強いな、胡桃は」
　ヴェズルフェルニルは口元に手を当てて肩を揺らす。
「年頃の乙女を相手に取るような対応ではなかったと、自覚はあったんだが」
　戦場における彼は、まったくもって容赦がない。会話へ応じる姿を見せつつ、それを相手の隙として付け込むことすらある。
「助けたい少女がいたんだ。正確には使徒で、やはり君たちの敵なんだけどね。だから、あの時はとにかく急いでいたし――」
　どんな相手かも確認することなく、天使はひたすらに武器を振るい攻撃を繰り出し続けた。
　自身を囮としてサーバントの突進を誘導し、周囲は血の海と化した。
　そうまでしても願いは届かず使徒は落命し、血路の果てに彼は富士山へ撤退し――
「そうか……。あの頃から、か」
　記憶を辿り、天使は目を伏せる。
　――ほどほどに、要領よく生きていければいい。面倒事は御免だ。
　そう考えて永くを生きてきた。
　上司の命令によるゲート展開失敗も、自身の力を分け与えた使徒が撃破された時も、理性で押しとどめられていたのに……
　願うこと、信じることを、覚えてしまった。
　かといって、撃退士を強く憎むかといえばそれもない。
　大切なものを奪われ、或いは奪われないために戦う。それは自分も同じだからだ。
「……そうだね。わたしにとっても、得難い経験を多くさせてもらっているよ」
　彼が撃退士へ容赦しないのと同様に、撃退士もまた100％で立ち向かってくる。
「『勘違い』をしそうになった？」
「いや、それはない」
　いたずらっぽく胡桃が青年天使の顔を覗きこむ。されどザクリとした切り返しが彼らしくて、胡桃の心にどこかすっきりとしたような、涼やかな風が吹きこんだ。
　胸の高鳴りはそのままだけれど、苦しいものではない。

　――目的を重ねて、共に戦う道は無いのだろうか？

　彼女の提案を、彼はやはり、あっさりと断ったのだ。

　――奪ったことをナシにして、協力してくれとは言わないし思わない

　たぶん、それは彼なりの『誠意』ではないのだろうか。天使という立場を自覚した上での譲れない『線引き』なのだろう。
　堕天して学園へ協力する天使も今となっては珍しくないし、何がしかの条件下で手を取り合ったり、完全中立を保つ地域も現れ始めている。
　『昔』と『今』では、天界も人界も事情は変わっている。彼だって、それを知らないわけではないはずなのに。
「気持ちは、正しく受け取っていたつもりだよ」
「だ、だから『勘違い』って……」
「それも含めて」
「…………」
「勘違いがあってもどうであっても、胡桃の言葉に『嘘』はない。わたしは、そう感じていたんだけれど。違うかな？」
「…………ちがわ、ない、わ」
「だろう？」
　少女の真っ直ぐなアウルの軌跡は、会うたびに修正されてゆく。過去の敗北から学び、次のステップへと精度を上げていく。
　そうまでして追い詰めて、それでも共闘を持ちかけたのは……彼女のアウルそのもので、真っ直ぐで純粋な思いからなのだろう。
　だから、天使は安易に応じることはしなかった。
「君は、強くて優しい。だから……この先も傷つくことはあるだろうけれど、心配はしないよ」
「あら、それはどういう意味かしら」
「まだまだ成長途中だからね。色んなことを受け入れて、学んで……」
　そこで天使は、言葉を切る。何事か、考え込む。
「苦しみも、悲しみも、逃げることも、誰かと分かち合うことも、全てが糧になる」
「お年寄りみたいなこと、言うの、ね？」
「ただの経験談さ。わたしは多くの存在を傷付けた。力が及ばないこともあった。それでも、報いたい気持ちは変わらないんだ」
　君たちの申し出は嬉しかったけれどね。
　最後まで戦うのだと、遠回しに天使は告げた。
　胡桃の胸の奥がキュッとなるのは、これもやはり『勘違い』なのだろうか。
　少女は、ピンクプラチナの髪を振るう。髪は『あの時』から伸びて、今は肩の下で揺れる。
（多分、これが最後）
　こうして穏やかに言葉を交わせるのは、きっと最後。

　物語は進む、望むと望まざるとにかかわらず。

　天使カラスを取り巻く状況は、刻々と変化している。
　カラスだけではない、天界・人界、双方を巻き込み、世界は変化しようとしている。
　選ばなくてはいけない。
　心を定めなくてはいけない。
　生半可な感情は、悔いしか残さない。
　だから。

「次は戦場、で。……私、貴方を気に入っている、わ。『難攻不落の好敵手』として」
「ありがとう。そういって貰えるのは素直に嬉しいね」

　天使は、左手を差し出した。
　少女は驚き、それからぎこちない動きで自身も左手を出す。
　交わした握手は互いにうまく力が入らなくて、顔を見合わせて笑った。
　それぞれが、それぞれに、戦ってきた証。それが互いの『左腕』。
　胡桃は彼の前でそぶりを見せたことは無いから、偶然に過ぎないのだろうけれど……不思議な繋がりを嬉しいと感じるのも『勘違い』ならば、それはそれで、きっと楽しい。



●
　アイとかコイとか、そういうアマイものではない。
　でも、暖かな気持ちになる。苦しい気持ちにはなる。
　戦場という特殊なフィールドで本音をぶつけ合う、ちょっと不思議な友人。
（どうか、死なないで）
　覚悟を知ってもなお、胡桃は祈る。
　
　
　戦いは、どうして終わらないのだろう。
　いつから始まり、どこへ向かうのだろう？
　物語の風向きが変わるのは、それからもう少し先のこと。



「……約束、よ。濡羽の君。いつか、また」
　夏の終わり。褪せ始めた空の青を見上げ、少しだけ大人びた表情へ変化した少女は呟いた。

　


【未来へ捧げる譚詩曲　了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja2617　／　矢野　胡桃　　／　女　／　１６歳　／　ダアト】
【jz0288　／カラス（ヴェズルフェルニル）／男／２８歳／天使】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございました。お待たせいたしました。
春の終わり、夏の始まり。『最後』の、一つ手前の休日をお届けいたします。
楽しんでいただけましたら幸いです。

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佐嶋　ちよみ

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2016年09月02日