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『わかりきったこと 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)
「毎日掃除してるのに、このホコリさんてばどこからやってくるんでしょー?」
 歌うようにつぶやいたファルス・ティレイラは、倉庫の棚に並べられた魔法具にぱたぱたハタキをかけつつ唇を尖らせた。
 ここは彼女の姉的存在であり、魔法の師匠であるシリューナ・リュクティアが営む魔法薬屋。倉庫の掃除は弟子としての義務のひとつ。わかっている。わかってはいるのだが……。
「なんだか果てしない戦いって感じだよねー」
 ほとんど誰も立ち入らないはずの、暗冷に保たれた静やかな空間。先ほどの歌のとおり、それでもホコリはどこからともなくやってきて、万物に降り積もるのだ。
「ハタキはこれでよし。次はから拭き」
 ちょっと(のレベルではないかもしれないが)そそっかしいティレイラは、己を知るからこそ慎重に、そっと魔法具を持ち上げ、下を乾いた布巾でぬぐう。小一時間かけて徹した結果、何事もなく作業は完了した。
「今日は失敗なし! やりましたよお姉様! あとは……荷物の片づけかな」
 卓の上には、運び込まれた未整理の商材が積み上げられている。その中に鑑定依頼の品が混じっているとティレイラの失敗率が激高するわけだが――今日は商材だけなので大丈夫。
「お姉様が帰ってくるまでにすませとかないとね。だって今日はティータイムだもん♪」
 今、シリューナは得意先へ納品に出かけている。
 その納品先の近くにはケーキ好きなら知らぬ者なしと謳われる洋菓子店があり、さらには輸入紅茶葉の量り売りをしている紅茶屋があるのだ。
「プラリネケーキとアールグレイミルクティー! このコンビネーションは強いよね。うん、最強!」
 何度もうなずきながら、ティレイラは商材を仕分けしていく。少しでも早くすませてお湯を沸かさないと。
 茶葉をジャンピング(ティーポットに注いだ湯の内で茶葉が上下運動する現象。乾燥茶葉から味わいを抽出するには必須)させるには、沸騰させてたっぷり空気を含ませたお湯を用意しておかなければならない。シリューナが帰ってきてから沸かすのでは遅すぎる!
 と。
 商材の箱のひとつから転がり出てきた、ふたつの小さな包み。
「試供品」
 読み上げてみて、ティレイラはまじまじと包みを見た。大きさは1×2センチ程度の長方形で、軽い。においを嗅いでみると、強いチェリーが香った。
「チェリーの試供品って……もしかして、食べもの?」
 なまものではない。軽さからしても、常温でしばらく放っておかれる荷物に混ざっていたことからしても。
 幸いなことに包みはふたつあるから、ひとつなら――いや、店に送られてきたものなのだから、店主であるシリューナが帰ってくるまでそのままに――いやいや、気になったまま作業していたら誤って失敗するかもしれないし……。
 気がつけば、ティレイラの小指は包みのひとつを開けてしまっていた。
「やっちゃった……好奇心猫を殺すってお姉様にも言われてるのに。でも私、竜だから死なない――よね?」
 中身はどうやらガムのようだ。
 送り先は魔法薬の素材を扱う問屋だから、扱う者を危険に陥れるようなものを注意書きもせずによこすことはないだろう。
 つまり。
「食べても大丈夫!」
 言葉尻といっしょにガムを噛み締める。
 チェリーの香料がよく効いていて、甘い。
「お姉様にはあとであやまらないと――ん?」
 普通のガムと異なるなめらかで強い張り。思い至ったティレイラは、口の中で広げたガムに息を吹き込んでみた。
 ぷう。見事にふくらむガムの膜。
「フーセンガムかぁ」
 こうなれば、やることはひとつだ。
「どこまでふくらませられるか勝負だよね!」
 口をもごもご、ていねいに膜を作り、割ってしまわないよう慎重に息を吹き込む。吹き込む。吹き込む。
「んん――?」
 まだふくらむ。まだだ。まだまだ、ふくらむ。
「ん――んんん――んー?」
 ガムの風船はすでにティレイラと同じほどの大きさにまでなっていた。なんだろう。ものすごくまずい感じがする。
 ティレイラは風船を割るため、爪先を伸ばしたが――割れるどころか風船にくっついて取れなくなった。
「ええっ!?」
 あわてて口からガムを吐き出し、爪を取り戻そうと手を振るが、今度は振り回された風船が腕にくっつき、それを引き剥がそうとした逆の手もまたくっつき、ついでに胸の先までくっついた。
「なによこれ!?」
 とにかく逃れなければ! 悪戦苦闘するティレイラだったが、無情にもその動作はもれなく風船に自らの体を貼りつけてしまい、いつしかティレイラは風船の内側に取り込まれていたのだった。
「お姉様に叱られちゃう!」
 こうなったら手段を選んでいられない。
 ティレイラは得意の炎魔法を発動し、ガムを焼き切ろうとしたが……燃えないどころかティレイラの髪先が焦げた。
 翼で風を起こし、破れるまで風船の膜を薄く押し広げてみようともしたが、その翼があっさりからめとられ……彼女は哀れ、磔状態に。
 こうなれば最後の手段。尻尾の先で突き破る! ――体同様、尻尾が膜に貼りついて大失敗。
「あーもーっ! どうしたらいいのーっ!?」
 もちろんどうにもならないのだった。

                   *

「あら」
 プラリネケーキを収めた箱とアールグレイの包みを手に帰ってきたシリューナは楽しげに小首を傾げ、目の前に転がるベタついた風船の中身と目線を合わせた。
「おねえさまー」
 ティレイラの泣き顔がシリューナに訴える。助けてください。
「どうしようかしらね」
 いつものようにティレイラのお出迎えがなかったことから、なにかトラブルがあったことは察していたが……まさかこれほどおもしろいことになっていたとは。
 一旦ティレイラから目を離して倉庫を見回せば、卓の上に解かれた小さな包みが見つかった。
「試供品って、この前問屋さんが話していた子どものおしおき用ガムだったのね」
 残っていたもうひとつのガムを鑑定し終え、シリューナは薄く笑んだ。
 ようするにティレイラは効能も知れないガムを考えなしに食べ、この有様に陥ったわけだ。それもシリューナの許可なく、勝手に。
「ちょうどいいわね」
「ふぇ?」
 ティレイラの泣き顔が恐怖で引きつった。まさかお姉様、そんな酷いこと、しないですよね!?
「おしおきしましょう」
 いーやーっ!! ティレイラの絶叫が倉庫を揺るがした。

 五分ほど沸騰させておいた湯を、あらかじめあたためておいたガラス製のティーポットへたっぷり注ぐ。
 良質なベルガモットオイルで着香されたアールグレイ茶葉が、湯の中でせわしなく上下運動を開始した。
「いいジャンピング。一杯めはストレートで確かめたいわね。ミルクティーにするのはその後で」
「ああああああ……」
 風船の内に磔られ、閉じ込められたティレイラは身をよじるが。床に貼りついた風船はぽよんぽよんと揺れるばかり。卓の上に置いたポットをながめるシリューナの下へ這い寄ることはかなわない。
「さあ、ケーキにナイフを入れるわ。せっかくだから厚切りで。ああ、困ったわね。こんなに食べてしまったら、夕食が入らないかも」
 長方形のケーキに細身のナイフがさくりと食い込んだ。すばらしい切れ味。
 この店のプラリネケーキは、しっとりしたパウンドケーキの上面がキャラメリゼしたナッツの板――プラリネで固められている。さらにはケーキの間にキャラメライズしたナッツペースト――これもまたプラリネを仕込んでいる。
 つまり、やわらかい土台に固い板が乗っているわけで、綺麗に切るのはとても難しいのだ。それなのに……あんなに……さっくりと……。
「おねえさまーおねえさまー」
 シリューナは聞こえないふりで、しかし美しいプラリネの断面をティレイラへ見せつけた。
 角、立ってます――!
 刺身もケーキも断面が命。切れ味の悪い刃物で潰してしまえば、見た目だけでなく味をも壊してしまう。
「せめてひと口っ! ひと口だけでもぉぉぉぉ」
「いいわよ」
「え!?」
 ぱぁっと輝くティレイラの顔。
 シリューナはもうひと切れ分切り分けたプラリネケーキを、あーんと開いたティレイラの口へ……
「ああっ!」
 プラリネはガムの膜に阻まれ、表面に貼りついて止まった。
「残念ね。ガムが邪魔で食べさせてあげられなかったわ」
 普段は冷静沈着で、表情を大きく変えるようなことのないシリューナが、楽しそうに笑んでいた。
「お姉様は邪竜ですーっ!!」
「ああ、そのまま放置しておくとケーキの断面が乾いてどんどん味が劣化していくわね。そもそも乾燥を防ぐためにケーキのまわりがチョコレートでコーティングされているんだもの」
「ううっ」
 うめくティレイラを完全無視。シリューナはさらに言葉を継いで。
「それにしてもすばらしいわね。キャラメリゼされたざく切りのアーモンド。この香ばしさはキャラメリゼする前に炒ってあるのかしら。サンドされているペーストはヘーゼルナッツね。ヌガーにするならアーモンドが定番だけれど、このコクはヘーゼルナッツでなければ出せないものだわ」
 言ってみれば「説明責め」である。
 語る合間に、シリューナはひと口ずつケーキを口の中へ。そこそこの厚切りとはいえ、ひと切れの大きさなどたかが知れている。ケーキはどんどん減っていって、シリューナは次のひと切れを切り出して……。
「ああん! 私にもプーラーリーネーっ!!」
「ごめんなさいねティレ。一介の邪竜でしかない私にはどうすることもできないの。はぁ、この身の無力を呪わずにいられない」
「そう思うんなら目の前でぱくぱく食べるのやめてくださいっ!」
 ティレイラがキーっとわめくのを見やりながら、追い打ちとばかりにアールグレイをひと口味わうシリューナ。
「これはストレートにしておいて正解だったわね。上下で歯触りも味わいもちがう濃厚なプラリネを程よくリセットしてくれる。――で、今私がなにを考えているか、ティレにわかる?」
 これはチャンスなのではないだろうか。当てられればティレイラを風船から解放してくれて、ティータイムをやりなおしてくれるつもり?
 ティレイラは必死で考えぬいた答を口にした。
「その……ティレも充分反省しただろうから、おしおきはそろそろおしまいにしようかしらね。って、感じかなって、思ったり」
 探るようなティレイラの言葉に、シリューナは大げさにかぶりを振ってみせて。
「不正解ね。夕食のことは忘れてしまって全部食べてしまおうかしら。よ。だってミルクティーとの相性も試していないもの。それにアイスティーともね」

 お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅっ!!

 ティレイラの慟哭が風船を揺るがし。
 シリューナの微笑みをさらに輝かせた。

                   *

「うう、ひどい目に合いました」
 おしおき用ガムの魔力は三時間ほどで消え、ティレイラは無事解放された。
 その瞬間、ガムに貼りついていたケーキが下に落ちたのだが、ティレイラはすさまじい機動でこれをキャッチ。ようやくありついたのだった。
「本当に速かったわね。例の未来予知かと思ったわ」
 ティレイラにミルクティーを淹れてやりながら、からかうように言葉を投げるシリューナ。
「う! だ、だって、しょうがないじゃないですかっ。プラリネケーキ、すごく楽しみだったし……なのにお姉様が全部食べちゃうし……」
 恨みがましい上目づかいで言うティレイラに、シリューナは顔をしかめて息をついた。
「ティレへのおしおきのためとはいえ食べ過ぎたわ。本当に夕食が入る隙間はなさそう」
「えー!? じゃあ今夜のお食事、どうしたらいいんですかぁ!」
「ティレだけで食べてちょうだい。私は書斎で仕事にかかるから、適当な時間にアールグレイを淹れて持ってきてくれればいいわ」
 ティレイラの指がシリューナの服の袖をつまむ。
「……じゃあ、お茶だけでいいですから、いっしょに」
 うつむいたまま言い募るティレイラの真意がつかめず、シリューナは首を傾げた。
「どうして? 今日はけっこう遊んでしまったから時間もないし……。ああ、もしひとりで食べるのが嫌なら街に食べに行ってくれていいわよ。お金なら――」
「そうじゃないです!」
 大きく開かれたティレイラの瞳が訴えかけてきた。
 ――そういうことだったのね。そんな目力を込められたら、もう、はぐらかせないじゃないの。
「いつもの時間に、今日は私の書斎で食べましょうか。ふたり分の食器くらいなら、鑑定依頼品を片づけなくても広げられるでしょう」
「はいっ! 器ひとつで済んで、お腹にやさしくてするっと食べられるもの、用意しますね」
 顔いっぱいに笑みの花を咲かせるティレイラ。
 この竜娘はひとりで夕食をとるのが嫌なのではない。シリューナとふたりでないのが嫌なのだ。
 シリューナだって、ひとりならケーキを買ってきたりはしない。ティレイラがケーキを見てくるくると表情を変える、それが見たいからこそ手間をかけられるし、こんなふうにおしおきしてからかったりもできる。
 ティレイラにはシリューナが必要で、シリューナにはティレイラが必要。
 それを悟ってしまうと、もうだめだ。たとえ腹の皮が張り裂けても、いっしょに夕食をとってやらなければ収まらない。ティレイラの気持ちではなく、シリューナ自身の気持ちが。
「うどん、あまり辛くしちゃだめよ」
「え!? どうして私がうどん作ろうとしてるの、わかっちゃったんですか!?」
「そうね。強いて言えば」
 愛かしら。
 もちろん、言ってあげたりしないけれどね。
「え? え? 強いて言えば? なんですかお姉様?」
 悩むティレイラの顔から視線を外し、シリューナは倉庫に収められた素材について考える。
 ――この中のなにをどう組み合わせればいい胃薬ができるのかしら?
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2016年09月07日

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