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『母をたずねて 』
サクラ・エルフリードka2598


 8歳であるという。顔も身体も、どこか丸い。福々しい。
 これからの育ち方次第では肥満児になってしまいかねない、とサクラ・エルフリードは他人事ながら心配になった。
 そんな男の子が、とてとてと歩み寄って来る。そして言う。
「そなたが、私の護衛を務めるハンターか?」
「はい。サクラ・エルフリードと申します、若様」
 サクラは身を屈め、小さな男の子と目の高さを近付けた。
 グラズヘイム王国。地方貴族たちの中でも有数の大領主として知られる人物の、令息である。
 大領主の城の中庭でサクラは今、護衛対象である小さな若君への目通りを許されたところだ。
「若君、この度は御母様に会いに行かれるとか?」
「うむ。父上から、お許しをいただいたのだ」
 若君の母親は大領主の側室で、今は離縁にも等しい状態で遠ざけられているという。
 正妻に嫌われて城に居られなくなり、今はここから少し離れた土地に邸宅を与えられ、捨て扶持のようなものを充てがわれて孤独に暮らしているという、まあ貴族らしい話ではあった。
 寂しく暮らしている母親に、息子が会いに行く。そこに、よこしまなものは何もない、とサクラは思う。
 この若君の思いは、純粋だ。母親に会いたい。ただ、それだけだ。
 いくらか引っかかるものをサクラが感じざるを得ないのは、父君たる大領主に対してである。
(こんな小さなお子様を……護衛もなしに?)
 領主である。兵士の一団を同行させる、程度の事は出来るであろう。
 なのに、自分のようなハンター1人を雇っただけ。
 雇われた護衛を、若君がじっと見上げている。
 全身鎧『ソリッドハート』を勇ましく装着した、しかし小柄で細身の少女である。護衛としては確かに、頼りない事この上なく見えるだろう。
「あの……ど、どうか安心して、このサクラ・エルフリードにお任せ下さい!」
 甲冑の上から、サクラは己の胸に片手を当てた。
 よく言えば可愛らしい左右の膨らみは、こうして胸甲など着けると、完全に存在感を失ってしまう。
「私の命に代えましても! 若様を、お守り申し上げますから」
「そなた……おっぱい、小さいのう」
 心の底から哀れむように、若君は言った。
 己の顔面がピキッ! と引きつる音を、サクラは確かに聞いた。
「母上の半分にも満たぬではないか。そんな鎧など着たら全く男の胸と同じに見えてしまうぞ? かわいそうにのう」
 この若君の小さな身体を、縛り上げて木に吊るす。
 その衝動に、サクラは懸命に耐えなければならなかった。
「そうだ良い物がある。じい、あれを持ってまいれ」
「かしこまりました」
 執事とおぼしき老人が一礼し、召使い数名に何やら指示を下す。
 サクラの眼前に、大型の衣装箱が運ばれて来た。そして開かれた。
 またしても、サクラの顔が引きつった。
「あの……これは……?」
「それを着けると、胸が大きく見えるのだぞ」
 若君の福々しい顔に、満面の笑みが浮かぶ。
 それは、女性戦士用の甲冑一式であった。
 防御効果など欠片もなさそうな、まさに金属製の水着とも言うべき鎧。胸当てが、確かに大型ではある。
「胸が大きく……って言うかサイズ合ってません、ぶかぶかじゃないですか」
 サクラは言う。
 執事の老人が何も言わず、パチッと指を鳴らす。
「こんなの着けて動いたら、ずり落ちて脱げちゃいます……ってちょっと」
 10人近いメイドが、疾影士さながらの身ごなしで出現し、サクラを取り囲んで人壁を作り、全身鎧『ソリッドハート』を脱がせにかかる。
 恐ろしいほどの、手際の良さであった。
 少しばかり「やんちゃ」な若君であるとは聞いている。
 わがままを聞く事も依頼の一部だ、とも。楽な護衛任務ではないと、覚悟はしていたつもりだ。
(う、受けた以上はしょうがないですが、苦労しそうな気がします……)
 メイドたちに着せ替え人形の如く扱われながら、サクラはそんな事を思うしかなかった。


 原野か森林か、判然としない場所である。
 そこに、野犬のような輩が群れ集まっていた。
 武装した男たちの一団。10、いや20人はいるだろうか。
 野犬よりもタチの悪い輩である事は、一目瞭然であった。
「情報通りだぜぇ。領主のお坊っちゃまが、ここを通りなさるんだってなあ」
「どうぞぉ、通れるモンなら通って下せぇやし。通行料さえ払っていただけりゃあ俺らも文句はねえ」
「通行料ってぇか身代金だけどなぁ。あンの業突く張りのクソ領主がよぉ、いろんな女に種まいてクソひるみてぇに産ませまくったガキの1匹によォ、金なんぞ出すかどうか怪しいけどまぁ一応……拉致っとくわ」
「金引っ張れなかったら売り飛ばしゃいいだけの話さあ」
「い〜いオマケが付いてんじゃねえのよ。そっちは売り飛ばさねえ、俺らでいただいちまうしかねーよなァア」
 男たちが、包囲の輪を狭めつつある。合計3名の、騎馬の旅人に向かってだ。
 馬は2頭。うち1頭が、2人を騎乗させている。年頃の少女と、幼い少年。
 手綱を握り馬を操っているのは、少女の方だ。
 まだいくらかは発達の余地がありそうな身体に、金属製の水着としか表現し得ない甲冑をまとっている。
 スリムでしなやかな、だがもう少し太みがあっても良いのでは、と思える生のボディラインが露わである。
「こんな所に、賊……!?」
 同乗している若君の小さな身体を、サクラは思わず抱き締めた。
 獣のような男たちの視線が、全て自分に向けられている。
 それを感じながら、サクラは励ました。若君を、そして自分を。
「で、ですが……この程度の数ならっ」
 この程度の数、と言っても20人は超えている。
 一方こちらは3人。ハンター、それに子供と老人が各1名。
 若君が「じい」と呼んでいる老執事が、サクラと馬を並べている。
 手綱さばきはなかなかのものだが、老人である。戦力になるとは思えない。
(なんて……私みたいな半人前の小娘が、言える事ではないですけどぉ)
「震えておるのう、サクラよ」
 若君が、サクラの大きすぎる胸当てに柔らかな頬を寄せながら、暢気な声を発した。
「恐いのか? そなた歴戦のハンターであると聞いておるぞ」
「恐い……って言うか恥ずかしいんです! こんなもの着せられてっ!」
 サクラは叫んだ。
「いくら依頼人の方の御指示とは言えですね、こんな格好は」
「お嬢ちゃんよォ、俺らがもっとイイ格好にさせてやんよ!」
 総勢20名を超える賊が、野犬の群れの如く襲いかかって来る。
 相手はヴォイドの類ではなく人間、とは言えこの人数で、しかもこちらは子供と老人を守りながら戦わなければならない。
「覚醒……するしか、なさそうですね」
 サクラは覚悟を決めた。戦う覚悟、そして人を傷付ける覚悟を。
 少女の細い肉体にマテリアルが満ち、燃え上がる。
 光が、2頭の馬を騎乗者もろとも包み込んだ。
「ほう、これは……」
 老執事が、何やら感心している。
「聖導士のもたらす……エクラ教の、聖なる護りの光ですな」
「その光が、貴方たちを守ってくれます。賊の刃くらいなら弾き返してくれますから!」
 言いつつサクラは、護りの光の中に若君を残し、馬を降りた。飛び降りると同時に地を蹴り、駆け出した。
 ミニスカート状の腰鎧に吊られた、細身の剣を抜き放ちながら。
「若様、そこを動かないで下さい!」
 抜き放たれた刃が、サクラの叫びに合わせて一閃する。
 賊が2人、少女の左右で鮮血の霧をしぶかせ、倒れ伏す。
「てめえ……!」
 3人目の賊が、それきり言葉を封じられた。
 喉を、声帯を、サクラの剣が貫き通していた。
「へ……やるじゃねえか、嬢ちゃんよぉ」
 4人目以降の賊たちが剣を抜き、槍や戦斧を構え、サクラを取り囲む。
「可愛らしく頑張るじゃねえの、その可愛らしいモノ晒しながらよォー」
「揺れねえ、揺れねえなあ。たまんねーなァぐへへへへへ」
 覚醒すると、いつもこうである。小さな胸が、さらに小さくなってしまうのだ。
 実際には、そんな事は起こっていないのかも知れない。だがサクラ自身は、小さくなったと感じてしまう。
 それが事実なのか錯覚なのかはともかく、胸当てが外れていた。
 ただでさえサイズの合っていなかった胸当てが、滑り落ちていた。
「あのね……覚醒する時、自分の身体にどういう変化が起こるのか……それ自分で選ぶ事って出来ないんですよぉ……」
 サクラの顔が、かぁーっと初々しい赤みを帯びた。恥ずかしさで、そして怒りで。
「他の人はね、目が光ったり髪の色が変わったりとか格好いいのばっかりなのに私……私だけは、どうしてこんな……! 何で! 私だけこんなぁああああああああッッ!」
 小柄でしなやかな身体が、怒りの躍動を見せた。野犬のような男たちによる包囲の中、まるで死に物狂いの反撃に出た小動物の如く。
 細身の剣が縦横無尽に閃き、男たちをスパスパと切り刻む。
「こぉのメスガキ……大人しくしてりゃ命だけは助けてやったのによォオ!」
 まだ何人も生き残っている賊たちが、怒り狂いながら武器を構える。剣でも、槍でも戦斧でもない。棒状の、禍々しい物体。
 小銃だった。
 それらが一斉に轟音を発し、火を噴いた。
「くっ……!」
 サクラは地面に転がり込んだ。細く柔らかな上半身が、防具を失った状態で地面に打ち付けられ、痛々しく血を滲ませる。
 そんな懸命な回避を追うように着弾が起こり、土や小石が弾け砕ける。
 自由都市同盟やゾンネンシュトラール帝国と比べ、銃器類の普及が進んでいないグラズヘイム王国ではあるが、全く存在しないわけではない。
「ああ畜生もったいねえ、こんな可愛い嬢ちゃんを蜂の巣にしなきゃなんねーたァなあああ!」
 男たちの怒声と共に、銃撃が嵐の如く吹き荒れる。
 それとは別の銃声が轟いた。
 小銃を持った男たちが、ことごとく倒れてゆく。
「蜂の巣にする必要はない……弾の1発で、人は容易く死ぬ」
 老執事だった。
 枯れ枝のような、その右手に、拳銃が握られている。
 サクラは息を飲んだ。
「執事さん……」
「私も、かつては貴女の同業者……猟撃士の資格を持っておりましてな」
 言いつつ老執事が、淡々と引き金を引き続ける。
 小銃をぶっ放そうとしていた男たちが、片っ端から吹っ飛び倒れる。その人数と、引き金の引かれる回数とが、ぴたりと一致している。
「……今でも、現役で通用するんじゃないですか」
「今の私では、人は撃ち殺せても……ヴォイドを倒す事は、出来ませんよ」
「どうだサクラ。じいは強いだろう」
 若君が、己の事のように威張りくさっている。
 サクラの、外れた胸当てをいつの間にか回収し、小さな両手で掲げながら。
「私の護衛など、本当はじい1人で充分なのだ。が、そなたも頑張ったぞサクラ。褒めてつかわす」
「……褒めて下さらなくて結構ですから、あの……それ、返して下さい」
「嫌なのだー」
 若君が、走り出した。サクラは追った。
「ちょっ……あの、お待ち下さい! それを返して……って……」
 その足が、止まった。
 銃声が轟いたからだ。
 若君の小さな身体が、転倒して起き上がらない。
 つまずいて転んだ、わけではなかった。
 サクラは見回した。生き残っている賊は、もはや1人もいない。
 彼らを射殺し尽くした拳銃が、硝煙を発しながら若君に向けられている。
「執事さん……あ、貴方は……」
「おいたわしくも若君は、賊の凶弾によって命を落とされた」
 その拳銃をサクラに向けながら、元ハンターであった老執事が告げる。
「今の私には、ヴォイドを倒す事は出来ずとも……人を撃ち殺す事は出来る。もはや、それしか出来ぬ」
「領主様の……正妻の人の、差し金ですか……?」
 サクラは、辛うじて冷静さを保ちながら問いかけた。
 老執事は、ある人名を口にした。サクラでも知っている、大貴族の名前だった。
「領主様の……正妻さんの御父上、ですよね確か」
「次の円卓会議で、軍務大臣に就任なされる」
 極秘事項にして決定事項、という事であろう。
「我が主家と、軍務大臣家との繋がりを……より親密・緊密なものにしなければならぬ」
「だから、側室の一族は生かしておけないと……」
 生まれてから15年、これほどおぞましい言葉を口にした事はない、とサクラは思った。
「まさか、とは思いますけど……若様の、お母上も……」
「すでに、この世にはおられぬ」
「……執事さん、貴方が……?」
「数日前に、な」
 若君の母親を射殺したのであろう拳銃が、サクラに向けられている。
「そなたもまた、賊の凶弾で死ぬ……若様を頼むぞ。母君のもとへ、導いて差し上げて欲しい」
「……お断りします」
 腰鎧の内側に隠し持っていたものを、サクラは抜き構えながら引き金を引いた。
 リアルブルー製のオートマチック拳銃「アレニスカ」。その銃口が、火を放つ。
「お喋りに熱中し過ぎましたね、執事さん……まともに撃ち合ったら、聖導士の私が猟撃士の貴方に勝てるわけありませんから」
「銃を……」
 崩れ落ちるように倒れながら、老執事が呻く。
「聖導士が、銃……とは、な……私の頃と比べ……時代は変わった……という事か……」
「ヴォイドよりもタチの悪い、貴方みたいな人を相手にね、手段は選んでいられませんから」
「褒め言葉……と思っておこう……」
 老執事が微笑んだ、ように見えた。


 サクラの膝枕の上で、若君はうっすらと目を開いた。
 エクラ教の癒しの魔法で、助ける事が出来た。銃弾は、若君の脇腹をかすめただけだったのだ。
 あの老執事が、わざと外したのではないかとサクラは思うが、もはや確かめる術はない。
「……母上も、じいも……死んだのだな……」
「若様……まさか、最初から知って……!?」
「貴族の命など、こんなものだぞ」
 福々しい顔に、笑みが浮かぶ。
「2番目の兄上も、3番目の兄上も死んだ……そろそろ私の番かな、と思っていたところさ」
「そんな話、聞きたくありません……っ」
 サクラは若君を抱き締め、黙らせた。
「むぎゅ……や、やはり小さいぞ。そなたの、おっぱい」
 小さな胸を思いきり押し付けて、サクラは若君を黙らせた。



登場人物一覧
 ka2598 サクラ・エルフリード(人間、女性、15歳 聖導士)
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2016年09月16日

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