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『真紅の日 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&夜見・辰貴(8864)


 血は赤い。常識である。
 体外に迸り出た血液は、しかしやがて黒ずんでくる。
 血は黒い。ヴィルヘルム・ハスロは、そう思っている。
 この青年の瞳は、血の色をしていた。
「あの……ヴィルヘルムさん……何か……?」
 辰貴が、おどおどと俯いて目を伏せる。
 ヴィルは逃さず、彼の両眼を覗き込み、見据えた。
「どうか気になさらず。君がね、あまりにも人の目を見て話さないものですから……私も少し、意地になっているだけですよ」
 じっと見据えながら、ヴィルは微笑んだ。
 辰貴の目は黒い、ように見えるが、よく見ると黒と言うより暗赤色で、それはヴィルにとっては見慣れた血の色だった。
 故郷の村人たちも、自分が首筋を掻き斬った隊長も、こんな黒っぽい血を流しながら死んでいったものだ。血液は、外気に触れると短時間で鮮度を失い、黒みを増す。
 夜見辰貴は、そんな色の瞳をしていた。
「……血の色をしていますね、君の瞳は」
 ヴィルは言った。
「ヘモグロビンを使い果たして、疲れきった血液の色です。心肺に戻って、酸素を補給する必要がありそうですね」
「酸素を……ですか」
「この街が、君にとっての肺と心臓……となり得るかどうかはわかりませんが、一休みするのは無駄な事ではないと思いますよ」
「休んでる暇なんて……僕は一刻も早く、あの子を見つけないと……」
 俯いたまま口調弱く、辰貴は決意を口にした。
 夜見辰貴。彼は、この街でも本名を隠そうとしない。
 本名も、顔も、全国的に晒されてしまった身である。
 こんなふうに白昼堂々、公園で話し込む。それだけで、要らぬトラブルを招きかねない。
(まあ……そうなった時のために、私がいる)
 声には出さず呟きながらヴィルは、数日前に路地裏で死にかけていた青年の、今の姿をちらりと観察した。
 あの時と比べて、身綺麗にはなっている。
 治療を受けるついでに身体を洗い、無精髭を剃って髪を整え、人並みの清潔感をどうにか出せたところで白衣を着せられ、今ではまるで研修中の医大生のようであった。
 格好だけだ。本人が、医学を学んでいるわけではない。
 にもかかわらず、あの診療所で働かされている。研修生、ではなく雑用係としてだ。
 ヴィルは微笑みかけた。
「随分と、こき使われているようですね?」
「先生には、良くしてもらっています。感謝してますよ……ああ、もちろんヴィルヘルムさんにも」
 言いつつ辰貴は、やはりヴィルの目を見ようとはしない。目を合わせようとすると、さりげなく逃げる。
「だけど僕は……1日も早く、あの子を探さないと……助けないと……もちろん頭ではわかってます。そう思って、焦って動いて結局……この街で死にかけてたのは、僕ですから」
「落ち着いて、手がかりを探す必要はあるでしょうね」
 一瞬、ヴィルは迷った。
 手がかりと呼べるもの、ではないにせよ情報が1つある。それを辰貴に、教えてやるべきか否か。
 あの事件に関しては、ヴィルなりに情報を集めているところである。傭兵の仕事を通じて繋がりを持った情報屋が、何人かいる。その1人が、教えてくれたのだ。
 行方不明中の女の子と親しかった人物が1人、亡くなった、と言うより殺されたらしい。今夜あたり、ニュースになるであろう。
 女の子の、クラスの担任だった教師である。
 死体は酷い有様で、切り刻まれながら焼き殺された、としか言いようのない死に方であったようだ。
 現場は、教師の自宅。
 その近辺で、派手な装いをした奇妙な女性の姿が目撃されている。
 赤い髪の女、であるらしい。
 ヴィルの始末した吸血鬼が、死に際に言っていた。赤い髪の女が、吸血鬼をことごとく狩り殺している、と。
 もちろん同一人物であるという保証はないが、同一人物であるとしたら。
 その教師は、吸血鬼だから殺された、のであろうか。吸血鬼狩りをしている、赤い髪の女によって。
 そしてそれは、女の子が行方不明になった事と、何かしら関係があるのか。
 その女の子は、吸血鬼たちの悪しき行いに、巻き込まれてしまったのか。
 ヴィルは軽く、頭を横に振った。
 やはり、まだわかっていない事が多過ぎる。軽々しく辰貴に話せる事など、何もない。
 もう1つ、情報がある。
 都内某所で、とある金融業者のビルが何者かに襲われ、皆殺しが行われたらしい。
 殺された金融業者たちは実は全員、吸血鬼であったという。
 そのビルの近辺で、やはり1人の若い女が目撃されている。
 こちらはしかし黒髪で、情報屋から彼女の外見特徴を聞けば聞くほど、ヴィルの捜している1人の女性と重なってくる。
 彼女なのか、とヴィルは思う。
 赤い髪の女と同じく彼女もまた、吸血鬼を殺戮する道を歩んでいるのか。親友を殺された、その復讐として。
 吸血鬼狩り。
 それが、2人の女性の共通点である。今のところは。
「ヴィルヘルムさんは……」
 辰貴が言った。
「僕を……疑って、いない……んですか?」
「戦場ではね、根拠のない勘が生死を決する事もあります。その勘が、私に告げているのですよ……辰貴君は犯人ではない、とね」
 ヴィルは空を見上げた。
「私の故郷……ルーマニアの片田舎でもね、かつて同じような事が起こりました。小さな女の子が惨たらしく殺されて、私の父が疑われたのです」
「ヴィルヘルムさんの……」
「ヴィル、で行きましょう。とにかく他人に罪を着せようとする輩はどこにでもいる、という事ですよ」
 結果、ヴィルは家族を失い、大勢の村人が死に、村そのものが地図から消え失せた。
 あれと同じ事が今、この夜見辰貴という青年の身に起ころうとしている。
 特に根拠もなく、ヴィルはそう感じたのだ。
 気になる事が1つ、ヴィルの胸中に生じた。
 あの事件で、自分は家族を失った。この青年は、どうなのか。
「辰貴君の……ご家族の事を、聞いてもいいですか?」
「両親は、ずっと昔に亡くなりました。今は、だから僕のせいで嫌な思いをする家族が1人もいません。せめてもの救いです」
 辰貴は少しだけ、微笑んだようである。
「……ヴィルさんは、それを気にしてくれたんですか?」
「それも、なくはありませんが……」
 辰貴の両親に関しては、訊いておくべき事がもう1つある。
 その問いを口に出す事を、ヴィルは躊躇った。
「何を躊躇うのです……勇猛なる串刺し公の、末裔たる御方が」
 声を、かけられた。
「直接、問い質してご覧なさい。お前の両親は吸血鬼なのか、とね」
 不快な気配を、ヴィルは先程から感じてはいた。
 陽の光を遮る魔力のようなものを宿しているのであろう、赤いフードとマント。そんなものに身を包んだ、男か女か判然としない何者かが3人、いつの間にかヴィルと辰貴を取り囲んでいる。
 吸血鬼、という言葉を聞いて、辰貴はまたしても俯いてしまった。
 背後に庇う格好で立ちながらヴィルは、とりあえず会話を試みた。
「すでに滅びた者の血統にすがらなければ、己の存在を確かめる事すら出来ない……貴方たちも、ですか」
「誤解なきように。我らは、串刺し公とは系統を別とする者」
 赤い衣をまとった、まるで全身に血を浴びたようでもある吸血鬼3体が、口々に言う。
「世の吸血鬼が全て、串刺し公の系統に属するなどと……少し、自惚れておられる御様子」
「我らが跪く相手はヴィルヘルム・ハスロ、貴方ではない」
「忌まわしき串刺し公の勢力によって、欧州から、このような極東の島国にまで追いやられた……我らが、主」
 吸血鬼たちが、赤いフードの下で禍々しく両眼を輝かせる。
 その視線が、ヴィルを迂回し、俯き加減の青年に集中している。
「僕の……」
 ヴィルの背中にすがりつくようにしながら、辰貴は言った。精一杯の声を発した。
「両親が、言っていた……貴方たちを、相手にするなと……貴方たちと、会話をしてはいけないと……」
 声が震えている。身体が、震えている。
 それでも、辰貴は言った。
「貴方たちとは交わらず……人として、生きろと……」
「この世は、もはや貴方を人として受け入れはしませんよ。本当は、わかっておられるはずだ」
 吸血鬼たちが、語調を強める。
「世の人間どもが、貴方にいかなる仕打ちを行ったか……思い起こすまでもなき事でありましょう」
「人間どもは、貴方を狩り殺さんとしている……狩られる側に、甘んずるおつもりですか」
「否、貴方は狩る者……人間どもを狩り、その血を御身に浴びて若さを保つ者」
 血を浴びて、若さを保つ。
 その言葉がヴィルに、ある邪悪な伝説を思い起こさせた。
 禍々しさにおいて、かの串刺し公に匹敵しうる……あるいは、串刺し公を上回る存在。
「僕は……小さい頃に1度だけ、衝動に負けて……血を、吸ってしまった事がある……」
 暗い血の色をした瞳を伏せたまま、辰貴は言った。
「僕の、母さんの血だ……母さんは……母は、言った……血の味を、忘れるなと。この不味さを、おぞましさを、決して忘れるなと……」
 かちかち……と歯のぶつかり合う音が、その言葉に混ざる。
 歯、と言うよりも牙を食いしばりながら、辰貴は続けた。
「あんな思いは、2度と御免だ……」
「辰貴君……」
 ヴィルは息を呑んだ。
「君の、母上は……御両親は……」
「……父も母も、元から吸血鬼でした」
 言いつつ、辰貴は顔を上げた。
 震える口を引き結んで牙を閉じ込め、酸素不足の血の色をした瞳で吸血鬼たちを見据える。
 いや。その暗い赤色が、いくらか鮮明さを増している、ようにも見える。
「辰貴君が、人の目を見て話さないのは……」
 ヴィルは言った。
「事件のせい、でもあるでしょうが……その赤い瞳を、他人に見られたくなかったから?」
「人として生きろ、と父も母も言いました。それは……とても、難しい事ですから」
 まだ若干、俯き加減ではあるにせよ、辰貴はヴィルの瞳を見つめながら言葉を発している。
「ヴィルさんも……僕と……同じ……?」
「吸血鬼か、人間か、私はまだ少し中途半端な所にいますけどね」
 緑色の瞳で、ヴィルは吸血鬼たちを見据えた。
「少なくとも、お前たちの味方をする気はない……立ち去りなさい。彼の決意は今、聞いた通りです」
「串刺し公の末裔が……出来損なって人間の味方をしている、という噂は聞いていた」
 3体の吸血鬼が、攻撃の気配を膨張させる。
「見るに耐えぬ。我々は、こんな出来損ないを擁立する者どもを相手に……かくも苦戦を強いられ、欧州を追われ」
「それも今日で終わりよ。串刺し公の時代は終わりを告げた、という事だ」
「世の全ての吸血鬼を統べる存在……それは時代遅れの串刺し公ではなく、我らが主! この世で最も美しく邪悪なる」
 雷鳴が、吸血鬼たちの言葉を粉砕した。
 赤い衣が突然、日光を防ぐ魔力を失ったかの如く。3体の吸血鬼は、灼けちぎれて砕け散り、灰に変わってサラサラと舞った。
 日光、ではなく電光によってだ。ヴィルの眼前で、落雷が起こっていた。
「得意げに語ってる奴をさ、横合いからぶっ飛ばす……いいストレス解消になるよねえ」
 若い、女の声だった。
 その女は、赤かった。
 優美な肢体を包むワンピースドレスも、髪も、瞳も、全てが赤い。
 真紅の長手袋をまとう繊手が、1枚のタロットカードをつまみ掲げている。
「得意の絶頂から叩き落とす。それが『塔』のカードさ」
「貴女は……」
 ヴィルは言葉をかけた。
「吸血鬼狩りをしているという、赤い髪の女性……貴女が?」
「僕が狩らなきゃいけない吸血鬼は、今のところ1匹だけさ」
 彼女は言った。
「もっとも、殺すわけじゃあない。ちょっと役に立ってもらうだけ……どきなよ、外人さん」
 その赤い瞳は、ヴィルヘルム・ハスロなど居ないかの如く、辰貴だけを睨み据えている。
「串刺し公の末裔って奴がいるらしいんだけど、見つかんないからしょうがない。串刺し公と同レベルの吸血鬼……『血の伯爵夫人』の末裔、あんたに期待させてもらうよ夜見辰貴。その牙で、魔女の秘術を穿ち破ってもらおうか」
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年09月20日

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