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『 夢は人の心と記憶を映し出す鏡でもある。 』
華宵jc2265
 それは願望であったり、自分でも気がつかない深層心理であったり、時には実際の記憶であったりする。

 彼が見た夢は、遠い昔の過去の記憶だった。
 実際に思いだそうとすると、その映像が朧気になってしまうほどに遠い昔。けれど夢の中では、いやに鮮明だ。
 心の奥底にしまい込まれていた映像記録を再生したような鮮やかさで、それらは華宵(jc2256)の記憶を揺り起こす。

 それは、まだ名前すらなかった頃の物語。

 彼は、物心ついたときより独りだった。
 父を知らず母を知らず、気がつけば山と森に包まれた人里のさらに山奥で暮らしていたのだ。
 移り変わる四季の景色と同じ早さで老いていく里の人々と、いくら時が過ぎれど変わらない自分。人に限りなく近い姿であるはずなのに老いることなき自分の姿と、その背に背負う、空を舞う為のオオルリアゲハによく似た翅。
 自分の異質さと、人々の自分対する恐れと嫌悪の視線は??自分が人でない何か?≠セと自覚するに十分すぎた。

 恐れは人を凶行へと駆り立てる。排除されようとしたことも一度や二度ではない。傷つきながらも、幼いながらにそれは仕方のないことだと悟りもあった彼は、己を護るため、人との関わりを持たぬようひっそりと生きることに勤める。
 何度か人の子を追い払い、山奥で暮らしてずいぶんたった頃、彼はなぜか??山神?≠ニして崇め称えられるようになった。
 そうして恐れは、畏れとなり、畏怖となる。
 自分たちで排除できない彼は、自らつつかない限りは無害であることに気付いた。そして、人ならざる力が自分たちの繁栄の助けになり得るかもしれないという打算を持って彼を神格として奉ったのだろう。
 守り神なのか祟り神なのかは時代と人の移り変わりによりけりではあったが、だからと云って人に対する興味や何かしらの情が芽生える訳でもない。ただ貢ぎ物によって少し生活が楽になったという程度の認識だ。
 時と共に移り変わる歴代の里長たちは、時に山神を頼る。それは害獣だったり飢饉や、干魃に長雨などの自然災害や疫病などと様々だ。
 自分苦いが及ばない限りは特別力を貸すわけではなかったが、長き時を得て培った知識や経験が里の人間たちを救うこともあった。それでも大多数の人間には変わらず恐れられていたのは変わらない。

 時が流れ移り、里の人間たちもまた顔ぶれが変わった頃。
 一つの節目というものが山神に訪れた。

 その日の森は、やたら獣が騒がしかったように思う。
 特に何かするでもない山神は、自分を奉るために立てられた社で眠りについていた。夢も見ない眠りから現実へと引き戻したのは人の悲鳴だ。
 鳥たちが飛び立つ羽ばたきと木々のざわめきに、獣のうなり声に人。おちおち寝ても居られぬと外に出た。

 背の高い木々に鬱蒼と茂る暗緑の葉は陽光を遮って森を薄暗くさせ、好き放題に延びる植物や山道は歩みを遮る。
 社に時折やってくる者のために道は造られていたが、悲鳴はその道の方角ではない。
 遠くから狼の遠吠えが響き、森の動物が怯えているようだった。狼たちの声は、なにかを追いつめようと連携を取るためのものだと、今までの経験から判断できた。

 動物同士のいざこざならば自分が動く必要はない。彼らも生きるために狩りをしているのだ。自然の摂理を壊すような真似は山神も好まない。
 けれど襲われようとしているのが人間であればまた話は変わる。
 人の味を覚えてしまった猛獣は、自然と人間の均衡を崩しかねないものだと山神は知っていた。人に愛着があるかと云われればどうとも言えないが、獣害を自分の祟りだと誤解されても面倒だ。
 
「……様子を見に行くか」

 ぼやいて、自身の翅を羽ばたかせる。木々の合間を縫って森の上へと飛べば、柔らかい日光が寝起きだった山神を完全に目覚めさせた。
 再度の人の悲鳴。飛んでいれば見つけるのはたやすい。
 見渡せば西の方角の崖にその姿はあった。崖の縁。男が狼の群れに追われて追いつめられている。見たことのない顔だ。
 狩りの獲物を横取りでもしたのだろうか、それとも誤って群の仲間を傷つけでもしたか。男はじりじりと後退し、程なくして落ちた。
 落ちていくその手を、山神を躊躇いなくつかんで引き留めた。

「や、山神、様……?」

 男は宙ぶらりんになりながらも、飛ぶ山神を見てこれでもかと目を見開く。声は震えていた。まさか山神に助けられるとは思っていなかったのだろう。
 山神はその反応を意に介することなく男を崖に戻すと取り囲む狼たちに向き直った。

「――去れ」

 追い払うのは言葉だけで十分だった。狼たちは一声唸ってから薄暗い森の奥へと消えていった。
 長くこの森に住む山神は動物たちも存在を認識し慕う動物もいれば、本能的に恐れる種族も存在する。狼は山神を恐れていた。こういうときだけはありがたいものだ。去りゆく狼たちを見送りながらそんなことを思う。
 山神は安全を確認して、そうしてやっと足下で頭をたれる男に向き直った。
 顔を上げろと云ったところで男は山神止めを合わせようとしない。必死に礼を述べ、貢ぎ物を持ってくると怯えながら宣言した。「いらぬ。必要ない」と繰り返すが、男は頑なに譲らない。
 怯えているくせにと内心ため息をついて、その日は人里に送り返した。

――その翌日。

「――ふつつか者ではありますが、よろしくお願いいたします」

 山神の社には、花嫁姿の女が頭をたれてそこにいた。
 先日に助けた男は里長の跡取り息子だったようだ。里長とともに先日の礼と称して貢ぎ物を置いていったのだが、その中に女がいた。
 挨拶の言葉は凛としていても震えは抑えられず、その差が酷く滑稽だ。自身を生け贄だと思っているのだろう。おそらく差し出したほうも……。
 食料や召し物などを差し出されることはあっても、女を差し出されたのは初めてのことだった。正直どうすればいいのかわからない。
 とって食えとでも言われても山神にそんな趣味はなく、人間に倣って嫁にしようにもそんな気は起きない。はっきりと言って、とても困った。

「人の娘を娶る気はない。里に帰るといい」
「――私には、もう帰るべき場所はございません……っ!」

 娘は顔を上げた。山神はあまり女を目にすることはなかったが、生け贄に選ばれるだけあってたしかに目を惹く美しさをしている。
 その目は涙で潤んでいた。黒い瞳にうかべるそれは、山神への怯えというよりも??帰る場所がない?≠ニいう自身の言葉によって浮かべた悲しみの涙だったのだろう。
 生け贄になること、即ち死んだも同然。村に戻っても山神の機嫌を害したとして殺されるかもしれない。もう彼女は独りとなってしまったのか、自分のように。
 そして哀れみを抱いた。
 おもむろに手を伸ばして、指先で娘の涙を拭おうとする。頬にふれた瞬間、娘は「ひっ!?」と短く悲鳴を上げて後ずさってしまう。その瞳は悲しみから自身の恐れになっていた。
 ずきりと胸が痛む。

「……やはり、俺は化け物なんだな」

 自嘲して、行き場のない手を下げた。娘が驚いた顔をしているのを見ずに、山神は背を向ける。これ以上怯えさせぬようにという配慮だ。
 久しく忘れていた??寂しい?≠ニいう感情を、悟られたくなかったのもある。

「好きにするといい」

 娘には、それだけを投げかけた。此処に居るも、村でも社でもないどこかに去るでもいい。
 しかし、彼女は山神の側を離れようとしなかった。それは山神が傷ついたような様子を見せたことが切っ掛けだったのかもしれない。
 山神といえど、人と同じ心や感情があることに、娘は気付いたのだ。
 ゆっくりとではあったが山神に向けられる瞳に、怯えは徐々に消えていった。


「山神様のお名前はなんと言うのですか?」

 共に暮らすようになってしばらくしたある日、娘はそんなことを聞いてきた。
 名というのであれば山神なのだろう。しかし娘は「それは称号の類かと思います」と別の名前を聞きたがった。
 しかし、山神に名前はなかった。最初から独りだったのだから、名付けてくれる親はいない。それ所か、親という存在が自分にいたのかすら不明だ。
「無い」と、山神はそう答える他ない。娘は一瞬だけ悲しそうな顔をした後、すぐに何かを思いついたように顔を輝かせる。

「では『かしょう』様はいかがでしょう?」

 それははじめて与えられた??心ある者として?≠フ名前だった。
 当時の山神はその名前の意味を知らなかったが、後に「華胥」の事だと知るのはだいぶ後の話。しかし、意味は分からずとも名を与えられたことが嬉しい気持ちがあり、好きに呼ばせることにした。

「……そういえば、お前の名は?」

 名を与えられて気付く。娘の名を聞いていなかったことに。
 問われた娘は、『かしょう』が見たこともない??笑顔?≠?浮かべて、自分の名を名乗ったのだった。

 それからの日々は、穏やかなようであっという間だった。
 名を切っ掛けに互いを理解し歩み寄り、恋仲から夫婦へ愛を築くまでそれほど時間は無かったように思う。
 娘から妻へ、さらに時を重ねて母に。自身は夫として、やがて父に。愛を知り、家族を得てぬくもりを得た。
 いままでただ無為に過ごすだけだった時は彩る。しかし、あれほどゆっくりと感じていたときはあっという間で、妻はあっという間に老いて、子は一瞬のように大きくなる。
 そうして何十回かの季節が巡った後、妻は天に召された。
 老いた妻を看取り、自分と時の流れの違う子へは人里へと降りるよう促した。自分と生きるには時の流れが違いすぎると、妻を得て人のもろさを改めて知ったからだ。
 子には人として生きてほしい。その想いを汲んでくれた子は、人里に下りていった。
 そしてまた独りで暮らすようになり、孤独を思い出す。

 その後、子は『かしょう』と人里との橋渡しになり、昔より恐れられることは少なくなった。

 そしてまたしばらくして妻を娶る。
 最初の妻が死んでから二人の妻を得た。三人目の妻を娶った頃は時代もずいぶん変わっていた。
 三人目にして最後の妻は、今までの妻より賢かったと思い返す。

「『かしょう』様のお名前の字はどう書くのですか?」

 彼女は文字を学んでいた。だからこそ気になった疑問だったのだろう。けれど『かしょう』は呼ばれるだけで文字を考えたこともなかった。

「考えたこともなかった」
「では、私が字をあててもよろしいですか?」

 字を当てる意味があるのだろうかと考えたが、好きにさせることにした。
 妻は筆をもち紙の前で少し悩んだ。そうして『華宵』と字をあてる。

「意味は?」
「首元の牡丹の花です。白い肌に鮮やかな華が宵闇に映えておりましたので、華やかさと宵で『かしょう』と音をあてはめました」
「化け物には些か華やかすぎないか?」
「いいえ。貴方様は自分でお気づきになっていらっしゃらないかもしれませんが、とても美しい顔立ちをされているのですよ」

 遠回しに前の妻たちにも同じようなことを言われた記憶があるが、面と向かって言われたのは初めてだった。
 そうして『かしょう』は『華宵』と名を改める。

 人の女と夫婦として過ごす時間は楽しいことばかりではなかったものの、色々なものを得たのだと今になっては感謝しかない。
 最後の妻を看取って、華宵は生まれ育った山を出た。
 そのころに天魔と呼ばれる存在と、人間と対立していることを知ったのだ。そして自分がその天魔とのハーフであることも――。
 学園の扉を叩いたのは、里を出て程なくしてからだった。


 その日の陽光は穏やかだった。
 風が吹き、木漏れ日が揺れてそのまぶしさに瞼を開いた。微睡みの中にあった、一見冷たさを感じさせるアイスブルーの双眸が開かれた。

「……あらやだ。居眠りしちゃったのね」

 華宵はあくびをかみ殺すため、口元に開いた扇子を当てて、肩にかかっていた髪を払う。
 長く伸ばした濡羽玉の艶やかな黒髪が、風に靡いた。

「ずいぶん懐かしい夢だったわ……。センチメンタルな気分になっちゃいそう」

 自分の原点のような夢。
 過去を惜しむことはしないけれど、今の世界で生きている自分の血を継ぐ者たちが幸せであるように。幸せで居きられる世界であるように、自分に出来ることを今も探している。
 それが、華宵が生き続け、戦い続ける理由の一つ。


宵闇に咲く花の名は――。
(これからも紡ぎ続けるだろう、宵闇に咲く華の物語)


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jc2265 / 華宵 / 男 / 22 / 末期高齢者】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃

 華やかで美しき蝶に、包み込む宵闇の優しさを。

水無瀬紫織
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エリュシオン
2016年10月03日

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