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『解せぬ、解さぬ、糸 』
ka3319

――糸。
 それは複雑に絡まり、解れる事のないもの。
 それはまるで自らに集う運命のようだと、後に誰かが言った。

   ***

「っしょ、とォー……」
 薄暗い部屋に響く声。
 若くもなく年老いてもいない。けれど何処かくたびれた印象の声はただ静かに流されている音だ。
 彼以外に存在しないこの部屋は、彼だけが入出を許可された場所。彼の主と彼だけが知るただ唯一の――

 否、違う。

 そんな声が頭の片隅を過る。
 その刹那に覚えた激痛に一瞬手が止まるが、次の瞬間には男の手は作業を再開していた。
「――今日のはいちだんとご愁傷様……いや、お疲れちゃん……か?」
 少しだけ上がった口角は今の痛みを忘れる為の演出かもしれない。けれど男はそれこそが自分であると我を張って手を進めた。
 室内に充満する臭いは異質の物で、精肉店で働いた事がある者ならば嗅いだ事はあるかもしれない部類の物。
 そう、ここにあるのは異臭だ。それも生半可なものではない異臭。
 悪臭とも狂臭とも取れる臭いはこの男の主が成した実験の成果故。そして異臭の元を処理するのがこの男、『鵤』の仕事だった。
「……そろそろ吸っても大丈夫かね」
 取り出したのはシガーレットケースだ。
 片手で器用に箱の入り口を叩いて、口に咥える一本を導き出す。そうして白煙を吸い出すと、彼は億劫そうな目を作業台に向けた。
 室内に灯されているのは魔導ランプの灯り1つ。とても明るさが足りているようには見えない室内には、実験に使用されたと思われる器具や薬品の瓶が転がっている。
「あっちも片付けないといけないねぇ……」
 溜息と紫煙、その双方を吐き出して無意識に頭を叩く。
 そこは先程痛んだ箇所。彼にとって触れるべきではない、触れてはいけない箇所――記憶だ。

 気に入ったものからは離れろ。

 脳に警笛が鳴る。
 過去、自らと同等に道具として攫われ生き残った仲間、そして己の片割れとも言える大事な相棒。彼らの存在はある事件を切っ掛けに失われていた。
 そして記憶にある彼らは未だに記憶がないと思っている。
 けれど真実は「否」だ。
 彼は自力で己の記憶を取り戻した――否、取り戻してしまった。
 触れてはいけない過去だったのかも知れない。思い出してはいけない過去だったのかも知れない。
 けれど思い出した。
 それこそ賛否も成否も自分の中にある。そして思い出す事が悪であったにせよ、その事で為せる事があるとわかった。
「……おっさんらしくもないがな」
 クッと笑って煙草のフィルターを噛み締める。
 強くなったニコチンの臭いに眉間の皺を解き、鵤は残りの作業へ意識を向けた。
 失った記憶が良いものである可能性は少なかった。そして案の定の結果となり、自らに関わるが故に不幸を得た存在を思い出した。
 だからだろう、記憶が戻った事を大事だと思う彼らに伝えるつもりはない。
 そうする事が彼らを守る事に繋がると、そう思うからだ。そしてこの想いはこの世界で出会った者たちにも言えるのだが、
(そう言やぁ、あいつらと飯食いに行く約束してたっけか……何、食いに行くか……)
「肉、は流石に遠慮したいねぇ」
 鼻についた臭いは今夜一晩は抜けないだろう。そうなると肉以外の食品を所望したいが――ここまで考えて苦笑が零れた。
「何だ、今のは……」
 愛着? そんなモノがまた出たのか?
 確かに主の要請でハンターとして金は稼いでいる。その関係で知り合った者も多くいる。その中には己のような屑を兄とか言ってくる馬鹿な次男坊と、相棒と似たような事ばかり言いながら深追いしてくる大馬鹿な三男坊がいる。
 食事はその彼らとの約束だ。
 過去に消した二人の記憶。その記憶の面影と瓜二つな弟達は素直に大事と言える。それこそ昔の二人と同等に扱う程には。
 けれど慣れ合い過ぎるのは危険だ。大事に思うからこそ、気に入っているからこそ、距離を取らなければいけない。

 気に入ったものからは離れろ。

 再び脳に警笛が鳴る。その音に「わかってるさ」と零して輩出したゴミを袋にしまう。今の感情も、流されそうになる心も、全てを塞ぐように、キツクきつく結び目を何度も縛り付ける。
 こうしなけれれば己が取り組む機導師としての実験も、薬師としての実験も、暗殺者としての仕事も――
「――ダメにしちゃマズいっしょ」
 決意の刻印を残すように袋の結び目に煙草を押し付ける。そうして残りの炎を消すのと己の感情を擦り付けるのとを同時にこなすと、彼の口に飄々とした笑みが浮かんだ。
 これは彼が被る仮面。飄々としただめんずを演じ、冷酷な自分を隠す手段。そして誰かを守る為の手段。
「さぁて、戻るとするかねぇ」
 荷物を持ち上げて日常へ戻る一歩を踏み出す。
 部屋の灯りを消し、今あった事を記憶の彼方に押し込む。そうして扉に手を伸ばすと、不意に小さな笑みが口を突いた。
「……ああ、これでいい。俺や旦那の片鱗に触れたら、次は確実に、壊すしかない」
 今も、過去も、全て。
 自らが気に入ったものからは離れるべきだ。それが物理的であるか否かの差はあれど、離れるべきであるという考えに違いはない。
 彼は浮かんだ笑みを普段の表情に隠して扉を開けると、自らには眩しすぎる外の世界へ足を踏み出した。

―――END...


登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 ka3319 / 鵤 / 男 / 44 / 人間(リアルブルー) / 機導師(アルケミスト) 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ファナティックブラッド
2016年10月07日

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