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『デビル 』
―・雛月8575)&情報屋・ハルヴァ(8865)


 不味い酒だ、と雛月は思った。
 もっとも、それは酒の品質に問題があるわけではない。この店のせいでもない。確かに、この吹き溜まり同然の街そのものを体現するような安酒場ではあるのだが。
 今の自分は、どんな酒も美味しくは飲めない。それは、わかっている。
 誰のせいでもない、自分の無様さのせいだ。
「糞が……ッ!」
 罵りながら、雛月は思う。糞は自分だ、と。
 力ではなく、言葉で負けた。
 口が上手いだけの外国人に、言い負かされただけだ。
「そうさっ! 僕が本気で戦いさえすれば、あんな奴……!」
 そんな言い訳が、つい口から走り出してしまう。
 だから自分は、糞なのだ。
 自分は、あの男から逃げて来た。あの男は、自分を逃がしてくれた。
 生殺与奪の権を握られた、という事だ。
 すなわち敗北である。
 自分は、見逃されたのか。女であるからか。
「…………殺す……! 僕を生かしておいた事、絶対……後悔させてやる……ッ!」
 憎悪の炎が、雛月の中で燃え盛る。臓腑が煮えくり返り、脳漿が沸騰しそうなほどに。
「荒れてるね、雛月さん」
 酒場の店主が、声をかけてきた。
「頼むから暴れないでくれよ。あんたに暴れられたら、手がつけられん」
「……八つ当たりはしないよ。それより、もうちょっと強いお酒ちょうだい」
「その飲ん兵衛っぷり、誰かにそっくりだねえ」
 グラスを磨きながら、店主が言った。冗談めいた口調でだ。
「最近、姿を見ないんだよ。まさか雛月さんが……始末、しちまったわけじゃあないだろうね?」
「……あの女かい。ま、利害がカチ合ったら始末してやるつもりだったけどねえ」
 憎悪に歪んだ顔で、雛月は無理矢理、微笑んで見せた。
 少し前、この街に流れ着いた若い女。
 恐れ知らずにも雛月と同じような仕事を。この街で始めた女。
 無知で無力な魔女、と雛月は最初は思っていた。
 その女がしかし請負人として、裏社会にも名を通すようになった。
 だからと言って、しかし雛月が何かしら不利益を被ったわけではない。
 腕利きの同業者とは言え、仕事の横取りといった事をされたわけではない。
 そんな相手に対し、雛月の心の中にあった思いは、ただ1つ。
(馬鹿な女……!)
 それだけだ。
 あの『馬鹿な女』は、何か大切なものをどこかに置き残し、この街へやって来た。
 大切なものが待つどこかへ、いつでも帰る事が出来る。
 自分とは違う、と雛月は思っていた。自分には、大切なものなど何もない。帰る場所もない。
(僕の……帰る場所……)
 雛月は、片手で頭を押さえた。己の赤い髪を、掴んだ。
(僕の……生まれた場所……)
 その感触で、思い出した。
 この赤い髪は、被り物なのだ。時折、それを忘れてしまう。
 この下には、黒髪がある。誰の黒髪か。
 自分の髪に、決まっている。しかし何故、自分はそれを隠しているのか。
 赤いヘアピースに、赤のカラーコンタクト。そんなもので自分は一体、何を隠そうとしているのか。
(僕は……どこから、来た……?)
 自分もあの女と同じく、この街へ流れ着いて、いろいろと禍々しい仕事を請け負っている。
 そのはずだった。今まで、そう思い込んでいた。
(あの女は……どこへ、消えた……?)
 そこで、雛月は思い出した。またしても忘れていたのだ。
 あの女は、もういない。戻っては来ない。何故ならば自分が、彼女の代わりに存在しているからだ。
(そう……そうだよ。僕は、あの女の中から来た)
 時折、それを忘れてしまう事がある。
 忘れてしまうべきなのだろう、とは思う。今ここに存在しているのは、あの女ではなく自分なのだから。
 忘れそうになってしまうと、しかしこんなふうに不安になる。
「くっ……!」
 ほとんど無意識に雛月は右手を掲げ、指を鳴らしていた。フィンガースナップが高らかに鳴り響き、店主がいくらか驚いて目を見張る。
 キラキラと、光が散った。
 雛月の右手に、1枚のタロットカードが出現していた。
 その絵の中では、一組の男女が鎖で繋がれている。
 2人とも、角を生やし、尻尾を伸ばし、人間ではなくなりかけている。
 その様を楽しげに見つめているのは、カードの中央に鎮座する巨大な悪魔だ。
(これが……今の、僕の心……?)
「1つの心が、2つに引き裂かれて……苦しんでいる。わけのわからないものに、変わりながらね」
 声がした。若い男の声。
 すぐ近くの席に、いつの間にか1人の男性客が座っている。こちらを見ずに、喋っている。
「それはそれで、はたから見ている分には楽しいものだけど。貴女はさぞかし、苦しい思いをしているだろうねえ」
「それをニヤニヤ笑いながら見物してる、この悪魔が……あんた、って事だね。情報屋さん」
 その男に向かってピラピラとカードを掲げて見せながら、しかし目は向けずに雛月は言った。
「こんな所まで出て来るような人だったんだ……引きこもりかと思ってたよ」
「引きこもってちゃ、情報は手に入らないからね」
「情報集めなんて全部ネットで済ませちゃう人かと」
「ネットの神通力を過信してるよ、それは」
 こちらに背を向けたまま、情報屋が笑う。
「……想定外の邪魔が、入ったみたいだね?」
「言い訳はしない。僕は失敗したよ」
 憎悪と屈辱を押し殺し、雛月は言った。隠し事が通用する相手ではない。
「あんたなら、もう知ってるだろ。僕は無様に失敗して、手ぶらで戻って来た……使えない奴、なぁんて思われてもしょうがない」
「一朝一夕にいくとは思っていないよ、僕もね」
 言いつつ情報屋がグラスを持ち、その中身をストローで啜っている。
 ちらり、と雛月は横目を向けた。緑色の液体だった。
 酒場に来て、しかし酒を飲まず、メロンソーダなど注文している男。実は未成年なのか。雛月の席からは、パーカーを着た後ろ姿しか見えない。
 目深に被ったフードから、銀色の髪が少しだけ溢れ出しているようだ。
 雛月は、声を投げた。
「あんたの事だ……あのクソったれな外人が何者なのか、調べはついてるんじゃない?」
「雛月さんは、運が良かったと思う。こんな事を言ったら気を悪くするかも知れないけど、殺されなくて本当に良かったね」
 情報屋が、気前良く情報をくれるようだ。
「彼はね、プロだよ」
「へえ、何の? 口の上手さで相手を丸め込む……本職の、ネゴシエーターか何か? それとも弁護士さん?」
「そんなんじゃない。本職の、戦争屋さんだよ。ヨーロッパでも、中東やアフリカでもね、まるで雛月さんが吸血鬼を狩るみたいに人を殺しまくっている」
「あいつが? まさか……」
 人殺しとは縁の無さそうな、甘いマスクの欧米人青年。屈辱と憎悪を抑えて、雛月は思い返してみた。
 戦争屋と言うより、ハリウッド俳優である。
 だが確かに、おかしな鋭さのようなものを持つ男ではあった。
 貴女の瞳は、本当は何色なのですか。
 カラーコンタクトもヘアピースも、出来れば外してはくれませんか。貴女は、もしかしたら……
 あの男の、そんな言葉が、雛月の脳裏に蘇る。
(あいつ……知ってる? 初対面の、赤の他人のくせに……)
 いや、初対面ではない。
 あの男とは、かつて会った事がある。ちょっとした会話を、した事がある。
 占いの売上金が盗まれ、その疑いを彼にかけてしまったのだ。
 真犯人は別にいたが、それはそれとして、あの男はその時から気に入らなかった。
 本性を隠し、善人の顔をしている。雛月は、そのようにしか思えなかった。
(違う……あの時、あいつと話したのは僕じゃない……あの女だ)
 あの時、雛月はまだ存在していなかった。
 存在を開始した雛月に、あの男は言った。
 死んだ人間を生き返らせる事など、出来ないのですよ……と。
(綺麗事を……ッッ!)
 雛月は唇を歪め、ぎりぎりと噛み合わさった白い歯を剥き出しにした。
 あの言葉は、単なる綺麗事であったのか。そうではない何かが込められていた、という気もする。
 だが、そんな事は関係ない。
 自分は、吸血鬼を捕えなければならないのだ。その牙で魔女の秘術を穿ち破れる、強大な吸血鬼を。
 そして、彼女を生き返らせる。
 妨げとなる者は、たとえ本職の戦争屋であろうと始末する。今度は、容赦をしない。
 雛月は『悪魔』のカードを睨んだ。
 巨大な悪魔の眼前で鎖に繋がれた、一組の男女。共に角を生やし、尻尾を生やし、人間ではないものへと変わりかけている。
 いや、男女ではない。それは2人とも女性で、しかも片方は雛月自身である。
 そして片方は、あの女だ。
「異形のものへと変わりつつある、2人の魔女……」
 情報屋が席を立ち、言葉を残した。
「分かたれたままでは、いずれ2人とも悪しきものへと変わってゆく運命は避けられない……それはそれで、見ている分には興味深いけれどね」
「何に変わるんでもいいよ。あの子が、生き返ってくれるんならね」
 去り行く情報屋を、雛月はちらりと見送った。
 魔女。そんな単語を今、情報屋は確かに口にした。
 自分があの男に抱いている、憎悪と屈辱。それに近いものが、情報屋の口調に一瞬だけ宿った。魔女、という単語を発した際に。
 雛月はそう感じたが、呼び止めて確かめる事でもなかった。


 嘘をついた事は、1度もない。
 それが情報屋としての矜恃である。人を騙す事は、絶対にしない。
 ただ、決して嘘ではない言葉を小出しにするだけだ。
 そうすれば、大抵の人間は踊ってくれる。
「踊るがいいさ……愚かな魔女」
 裏通りを歩きながら、情報屋ハルヴァは呟き微笑んだ。
 吸血鬼の牙で、魔女の秘術を穿ち破る。
 そうすれば、彼女は生前と全く同じ状態で生き返る……などとは、自分は一言も口にしていない。
 眠れる魔女が、吸血鬼の牙を受けて、一体いかなるものとして覚醒するのか。
 その時、あの雛月という愚かな魔女が、どれほど無様な絶望の踊りを見せてくれるのか。
「…………何が……魔女だ……ッ!」
 フードによる陰翳の中で、ハルヴァは牙を剥くように呻いた。
 魔女としての運命。それが自分から、最も愛するものを奪い去ったのだ。
 今生における彼女は、生まれながらにして魔女としての運命を与えられていた。
 だから、ハルヴァの事など思い出してもくれなかった。
 思い出してくれないまま彼女は、吸血鬼に殺された。
 ならば、吸血鬼の力で生き返らせるまでだ。
 強大な吸血鬼の牙で、魔女の秘術を穿ち破る。
 そうすれば彼女は、少なくとも魔女ではないものとして目覚めてくれる。
 魔女の運命から、彼女は解放されるのだ。
「僕の事も、思い出してくれるよね……姉さん」
 この場にいない者に語りかけながら、ハルヴァは思い返していた。酒場で雛月がかざしていた、カードの絵柄を。
 悪魔の眼前で鎖に繋がれ、異形のものへと変化しつつある男女。
 男はハルヴァで、女は彼女だった。
「1つの心が、2つに引き裂かれて……まともで、いられるわけはないんだよ。そうだろう? 姉さん……」
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2016年10月13日

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