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『月わずらい 』
レミア・ヴォルクシュタインaa3678hero001

 赤くて紅くて緋い月。
 真円なのにおぼろげで、そのくせはっきり照らす影。
 ヒトの営みも控えめで、血の色ばかりが際立つよう。
 深まる秋に凍える風は、ドレスとコートを翻す。
 この身を照らして欲しいのに、わたしを巷にとかすよう。

 こんな夜には散歩が似合う。

 時空も世界も遥かな彼方、いつかどこかの故郷にて。
 レミア・ヴォルクシュタインが、たったの独り、気づいた真理。
 寒さも呼気も漆黒も彼方と通ずる幽寂は、胸に物憂い事さえも、今だけ不思議と心地好く。
 屋根を伝って闇を切り、舞っては駆けても当て所なく、駆けては舞えど意志はなく。
 家から家へ、影から影へ、緋く鮮やかなる方へ。

 わたしはそれが欲しいだけ。


『ここは……』
 鼻腔をくすぐるのは、長い長い年月で堆積した白檀の灰の香り。
 どこか居心地が悪いような、けれど落ち着くような、不可解な感慨に捉われ、レミアは我に返った。
 この屋根だけは周囲の家屋と比べて堆く、山の天辺を切り落として平らに均したような形。
 眼下には広い敷地に背の低い鐘楼と使途の窺えぬ大小の棟が散見され、樹木と併せ不思議な均衡が保たれている。
『……この国の寺院ね』
 神――否、ホトケと言ったか。
 衆生救済の観念を祀る信仰の拠点となれば、とりわけレミアのようなヒトならざる者にとり居心地の悪い場所。
 この陰気を祓う香りも、この一種清らかな静寂も、この生きながら死せる身を穢れと厭うての事だろうから。
 だが、裏を返せば絶えず死と隣り合う、縁の深い場所でもある。
 たとえばこんな物憂い夜なら、いっそ心地好くすら。
『…………』
 気のせいか、息が火照っているようだ。
 幼さを抜け切れぬまま永久に鎖された胸の奥、失われたのか、最初から無いのか。
 いずれ冷え切っていたそこに熱いものが込み上げるようになったのは、いつからか。
 決まっている。
 あの青年と出会ってからだ。
 彼を助けてやったつもりだったのに、救われたのは自分の方だった。
 純情で、生真面目で、直情的なのに優しいから移り気で、どうしようもないマゾヒスト。
 酷くいびつなその性にぴったり合ったいびつなレミアは、悠久の孤独から解き放たれた。
 そして、その性ゆえ、レミアの伴侶にして下僕たる青年は、あの雪娘を名乗る愚神をも気に懸けている。
 ひと目見た日から、今でもずっと。
 かつては、他の女に懸想する下僕に憤り、彼の視界外に追い遣られる事を恐れもした。
 ――けど、お陰で気づいたわ。
 己の本懐に。
 始めはただの所有欲だったのかも知れないそれは、いつしか独占欲へ移ろい――そして。
 ――苦しい。
 このわずらいは吸血衝動など問題にならぬほど抑え難く、狂おしい。
 やり場に困る想いを宿す頼りない胸に手を当て、せめてぎゅっと握り締めた。
 いっそう冷え込む風が、髪と外套をぞんざいに弄んで、しかし残念ながらレミアの心を冷ます事は叶わぬまま、通り過ぎた。
 あの青年を置いて他に、この火を鎮められる者はいない。
 一方で、彼という存在があればこそ、また際限なく燃え盛りもするのだ。
『馬鹿みたい』
 身を固めたのだから、少しは落ち着いたらどう?
 自分を宥めすかす口実にしてはいかにも力不足なのだが、そうでもしないと何も考えられなくなりそうで。
 婚姻を結んでからというもの、共鳴の折に流れ込んでくる彼の心の最も多くを占めるのは、レミアへの情に他ならない。
 誰より、何より、大切に想ってくれている。
 共鳴こそが至福のひととき――あるいは、そう言えるのかも知れない。
 同時に、やはり心を知ればこそ、絶えず辛苦をも伴う。
 あろう事か、彼はレミアを生涯のつがいと決めてなお、雪娘こと愚神ヴァルヴァラとの共存を望み、その道を探そうとしているのである。
 ――分かってるわよ。
 慕う気持ちを簡単に消せない事も、それが彼の優しさによるものだという事も。
 痛いほど。
 だが、愚神はこの世界を蝕む、謂わば天敵。
 あの狼藉者どもがライヴスを糧とし、奪う事を是とする限り、手を取り合う事などできよう筈もなく、然るに。
 ――いつか。
 きっといつか、彼が深く傷つき、悲嘆に暮れる時が訪れる――のだろう。
 ならば、せめてあの愛しくも馬鹿な下僕に、好きなだけ足掻かせてやりたい。
 決して悔いの残らぬよう、存分に。
 もっとも――「近づくな」――たった一言命ずれば、彼は従ってくれるのだろうけれど。
 ――このわたしが?
 冗談ではない。
 まるで彼の心が誰かに奪われる、あの女に負ける可能性を認めるようなもの。
 ――そんなの。
 知らず、胸元の左手――薬指で赤黒く光る誓いの指輪に、目が行った。
 ひと撫ですると、不思議と安らぐ。
 棺桶でまどろむよりも、ずっと。
『……大丈夫』
 伏し目がちに、長いまつ毛越しに。
 照り返す指輪をつう、となぞり。
 その指をあま噛みして、やがて静かに解き放つ。
 代わりに冷たい夜空を、彼と出会ったあの日と同じ、満月を見上げ。
 理想のつがいを得てなおも、孤独の姫は想いを秘めて、いつまでも聖域に佇んでいた。


 赤くて紅くて緋い月。
 真円なのにおぼろげで、そのくせはっきり照らす影。
 恋わずらえば狂おしく、優しい悪夢を観ているよう。
 闇に紛れていたいのに、彼はわたしを見逃さない。
 だから、わたしも見ているわ。
 あなたがそこにある限り。

 こんな夜には散歩が似合う。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa3678hero001 / レミア・ヴォルクシュタイン / 女性 / 13歳 / 血華の吸血姫】
【NPC / ヴァルヴァラ / 女性 / 10歳 / 雪娘】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 いつもお世話になっております。藤たくみです。
 ご発注を通じて綴られた想いは規則正しい旋律のように感じられ、そのように筆を執らせていただきました。
 大切な人の好きにさせる大らかさというのは、ご自身のプライド以上にお相手の事を信じられればこそ持てるものなのだと思います。
 いつか、レミア様に安息が訪れますように。
 ご指名まことにありがとうございました。
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2016年12月02日

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