▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『Merry pain 』
ニノマエ・−8848)&ウラ・フレンツヒェン(3427)&奈義・紘一郎(8409)
 ニノマエは疲れていた。
 殺風景な警備員詰め所の壁に貼られたシフト表を見れば、夜勤からの日勤からの夜勤からの日勤からの……なぜだろう、一ヶ月丸々、ニノマエの名前しか書かれていない。
 ホムンクルスにサブロク協定なんざねぇ。
 そもそもホムンクルスは人間様じゃねぇ。
 だから泣かねぇ。吐かねぇ。感じねぇ。労働大好き勤勉最高――って俺! なに考えてんだよ!?
 最近、彼のメンテナンスを担当する研究室長がやたらとぶち込んでくる「栄養剤」は、まさか!?
 思い当たりながらも、それ以上怒り続ける気力がなかった。
 ニノマエはパイプ椅子を少し離してふたつ並べ、頭と尻を乗せて横たわった。使い古された椅子は座面が前に傾いでいて、油断すると転げ落ちてしまうのだがかまわない。寝てしまいさえボベン!! すれば、落ちボビたとこギシろで目をギャリ覚まグヂせるわボゴけがなボハい。
「うるせぇぇえぇええぇぇえ!!」
 バビエキニドアレ――なんとも言い様のない音が超ボリュームで鳴り響き、壁に穴を開けていく。ただの穴ではない。超常の力で開けられた、異空間通路だ。
 あ、俺のシフト表、穴のせいで消えちまってる。今日から連休だーって、そうじゃねぇし、そもそもありえねぇし!
 キレの悪いひとり漫才を脳内でかましたニノマエは、パイプ椅子から這い降りて穴へと向かう。
「なんだってんだおへいっ!?」
 穴の中からにゅっと伸びてきたブーツの踵に顔面を踏みつけられ、さらにぐりぐり踏みにじられ、最後は蹴りのけられて。
「メぇーリィぃーっ! クぅーリぃースぅーマぁースぅーっ!!」
 なにやら聞き覚えのあるハイトーンボイスと共に現われたゴスロリ少女に、あらためて踏んづけられた。
「……なんで俺ぁ踏まれてんだ?」
「踏まれたらうれしいでしょ?」
「なんで俺ぁ踏まれてうれしいんだよ?」
「そういう顔してるでしょ?」
「そういう顔ってどういう顔だよ?」
「ブタヤロウでしょ」
 言い切った前髪ぱっつん黒髪少女の名はウラ・フレンツヒェン。
 ハロウィンの日、ウラは保護者と共にこの山中の研究所へやってきた。そしてあろうことかヒマを持て余し、ニノマエがいる詰め所へと攻め込んできたのだ。
 ちなみに、今日の彼女の衣装は赤と白。ゴシックというよりパンキッシュなロリータファッションだ。クリスマス仕様ということなのだろうが――今日はクリスマスどころかイヴでもイヴイヴでもない、師走のある日でしかない。
「? だってほんとのクリスマスって、大事な人とケーキ食べる日でしょ?」
「はぁ、そっスね」
「おまえってあたしの大事な人?」
「いえ、ちがうっスね」
「そんなおまえにクリスマスをお恵みだよ!」
「いやだからクリスマスじゃねぇし……」
 なんというか、ニノマエが経験したことのないタイプの生き地獄だった。
 そして今、ニュータイプ生き地獄の鬼がわざわざ通路を開けてまで押しかけてきていて、ニノマエを踏んでいる。
「踏まれてうれしいとか、おまえほんとにキモチワルイ」
 ニノマエは疲れていて、憑かれていたのだった。

「で」
 ニノマエは眉間の皺を深め、詰め所の真ん中に引っぱり出した事務机の上に白いクロスをかけているウラをにらみつけた。
「あんた、なにしに来たんだよ」
 返されたのは、ウラが表情筋を総動員して作り上げた「はぁ?」。
「おまえは頭が悪いから耳も悪いんだね」
 思わず物理的ツッコミを入れたくなるのを我慢して、ニノマエは深呼吸。オッケー、クールに行こうぜ。アホなガキにツッコんだってしょうがねぇ。問題は、よ。
「あんただよあんた。なにしに来てんだよオイ」
「……俺か? 俺はそう、サンタさんだよ」
 まったくおもしろくなさげにおもしろくないことを言ってのけたのは、ウラの作業を手伝う白衣の中年男性。
 彼の繊細な作業はニノマエの三倍以上の手際で詰め所をクリスマス仕様に飾り立て、組み立て式ツリーを点灯させてみせた。
「いや、サンタはウラに任せるとしようか。トナカイさんに、俺はなる」
 左手で眼鏡を押さえ、右手で細く尖った鼻先をこするその男、実に残念ながらただの男ではない。生物兵器の世界では名の知れた開発者であり、この研究所においては数少ない「室長」のひとりでもある奈義・紘一郎だ。
「せめて髪を赤く染めてくるべきだったな。発光粒子を散らして――」
「無精ヒゲの眼鏡おやじが不気味に光る赤いおっさんになるね」
 おいウラちょっと待て。そのおっさんはあんたがディスっていいおっさんじゃねぇぞ。偉いうえにヤバイおっさんなんだよ!
「なぁ、博士とかセンセイとか? そのほうが短ぇしいいんじゃねぇ?」
 紘一郎を気にしつつ、ウラをなだめにかかるニノマエ。
 ウラはきょとんと小首を傾げ。
「きったないヒゲ&イケてない眼鏡のマゾおっさん?」
「なんでさっきより長ぇんだよ――っておっさん! あんたも妙な顔してダブルピース決めてやがんじゃねぇ!! マゾだからか!? マゾだからAHEGAOか!?」
「クリスマスだからな。今日くらい、近所の陽気なマゾおっさんを演じてみるのも悪くない」
「俺の心臓に悪ぃわ!! あと今日クリスマスじゃねぇから!」
 憤るニノマエを置き去り、ガキとおっさんは微笑みを交わして「クリスマスいぇー」とハイタッチ。
 どうしよう、話がまったく通じない。
「おまえもくっさい顔してないで笑いなさいよ! キモヒゲメガネジジイが悲しそうな瞳で見てるじゃない!?」
 キモヒゲメガネジジイ呼ばわりされた紘一郎が、すっかり瞳孔の開いた目を空に向けて「俺はまだ元気なんだ。俺の髪は白髪じゃないんだ」などと唱えていた。呼び名がちょっと短くなったのは幸いだが、マゾおっさんを演じきれるほど彼の心は強くなかった……。
 ――こうなりゃウラを少しでも早く満足させて追い返すしかねぇ。
 ウラを放置しておけばいつまでも居座り、紘一郎を痛めつけ続けるだろう。臨界点を突破した紘一郎が悲しみを打ち消そうと生物兵器を召還したりする可能性も否めない。
 ニノマエは決意し、ウラが持ち込んだ鼻メガネを装着した。
「クリスマスいぇー!」
 かくして。
 薄汚れた詰め所を舞台に、彼の孤独な戦いが今、始まる。

「第一回あたし杯・クリスマスソング大会ーっ!!」
 いぇー!
 鼻メガネと無精ヒゲの喝采を受けて、大きく息を吸い込んだウラがマイク代わりのヒートブレードの柄頭へシャウトした。
「――!!」
 グラインドコア(ハードコア・パンクから派生した重くて過激な音楽)マニアの間では超有名な、一秒で終了する歌だった。
「はい、次おっさんね」
 ブレードを渡された紘一郎はその重みにちょっとよろけつつ、それでも立ち上がって背筋を伸ばし。
「――」
 一九三〇年代にハンガリーで発表されて以来、聞いた者が次々自殺したことで多くの国が放送を禁止したという歌を、薄暗い声でとつとつと歌い上げた。
「んあー、暗い暗い! ニノマエ、盛り上がるやつちょうだい」
 盛り上がる歌? 研究所生まれの修羅場育ちなホムンクルスが、歌なんざ知ってるわけ……いや。一曲だけ、ある。戦闘用ホムンクルスが訓練の際かならず歌わされる、宴会なんかで全員が大合唱して号泣する鉄板の一曲が!
「(自主規制)」
「ぎゃー!! あたしのこと見るな変態紳士ーっ!!」
 ぼこぼこウラに殴られながら、そしてそれをもれなくガードしながらニノマエは眉をひそめた。この歌のなにが変態紳士だよ?
「海兵隊も真っ青なエロソングだったな……」
 紘一郎がげんなりと言った。
 ニノマエの歌は、ベトナム戦争に海兵隊員として駆り出された若者たちの姿をリアルに描いた映画で有名になったランニング用合唱歌をもっと露骨に、過激にしたようなものだった。
「あーもー! 優勝はもちろんあたしだけど、ビリはニノマエ決定ね!」
「最下位はそれでいいが優勝には意義ありだ。歌唱力と表現力では俺が最高位にあった」
「戦闘用ホムンクルス全員のメンツ潰す気かよ!? あの歌のよさ、あんたらも歌ってみりゃわかるって! なんだったら俺といっしょに」
「ギャーっ! 変態紳士が来るヘンタイヘンタイっ!!」

「第一回あたし杯・隠し芸大会ーっ!!」
 いぇー。
 鼻メガネと無精ヒゲがぱちぱち拍手。
「さっきはあたしが最初だったから、今度はむっつり社畜バカね」
「否定できねぇ――! まあ、それは置いといて、隠し芸なぁ。あ、じゃあ回復系の能力持ってる戦闘用ホムンクルスが先輩から仕込まれる鉄板ネタの」
 ロッカーから取り出してきた刀で自分の肉を削ぎ落とそうとするニノマエの顎を、ウラのジャンピングソバットが綺麗に打ち抜いた。
「なにすんだよ! こいつぁ“俺ステーキ”って」
「回復不可になるまで鉄板の上でこんがり焼けてこい成形肉」
 ウラに低い声音で遮られ、ニノマエはまた眉をひそめる。味も含めてアニキ絶賛のガチネタだってのに、なんで完全否定だよ?
 その脇では紘一郎が白衣を脱ぎ捨て、その下の服に手をかけていた。
「おまえはなにしてんの、キモヒゲウザメガネヤバジジイ?」
 またもや伸び始めた罵倒表現を物ともせず、紘一郎は口の端に笑みを閃かせる。
「ニノマエのくだらんホムンクルス芸で興が冷めた。しかし俺が誇るネタのほとんどが部外秘で見せてやることができん。よって笑いをとるにはもう、脱ぐしかない」
「ギャー!!」
「待て待て早まんな! どこの層に生まれたまんまのおっさん需要があんだよ!?」
 白ブリーフと白ランニングにまで衣服をパージした紘一郎は少し考えて。
「誰ひとり笑顔にできた記憶はない」
「じゃあやめとけよ!」
「それでも俺にはこれしかないのだよ」
「なにカッコよさげなこと語っちゃってんだよ!? それ――ちょ――げぇ、おっさんムダにいい体してんな!」
 この世界には、宴会開始から二分で脱衣を始める輩がいる。彼らには常人が思いつかないような発想があり、常人には理解しがたい鉄の信念があるのだ(残念なことに実話である)。
「あたしの隠し芸でおっさん抹殺するー!」
「それもやめろ! 今このおっさんが死んだら生物兵器業界の発展が五〇年止まるとか言われてんだぞ!?」
「賢明な判断だ。おまえらはそこで指をくわえて見ていろ。この俺の生き様を」
「あんたが晒したがってんのは生き様じゃなくて生き恥だぁっ!!」

「第一回あたし杯・女王様ゲーム大会ーっ!!」
 いぇー……。
 鼻メガネと無精ヒゲがちぱちぱ拍手。
 前者は激務の無理が祟って頭も体もよく動かなかった。後者はすでに疲れ果てておねむだった。
 その中で、よく寝てきた若い娘さんだけが元気に声を張り上げる。
「クジ引いてクジ! 女王様になった子が1番か2番に命令できるんだからね! はいっ、女王様だーれだっ!?」
 果たして。女王様は紘一郎、1番はウラ、2番がニノマエに。
「王様――」
「女王様だし!」
「――女王様はそろそろ研究室に帰ろ」
「却下! 女王様が認めてもこのあたしが認めないんだから!」
 続いては、王様がニノマエで1番が紘一郎、2番ウラ。
「女王様は部屋の隅っこで仮眠す」
「却下以下略ーっ!」
 そしてニノマエと紘一郎による幾度かの攻防とかけひきが繰り広げられたわけだが……すべてウラに踏み潰された。
「やっとあたし女王様! 1番も2番も今日は寝ちゃダメ決定!」
 満面の笑顔で宣告されたワーカーホリックと初老男子は、死ぬことすら禁じられ、踊らされ続けるのだった。

「8時間……いや6時間でいいから殺してくれ」
「俺ぁもう3時間でいい……死にてぇ」
 事務机の左右になかよく突っ伏し、紘一郎とニノマエは低い弱音をでろでろ垂れ流す。
 むぅとつるつるの頬を膨らませたウラは男ふたりの手を恋人繋ぎさせ、高めておいた魔力を雷に変えて通電!
 あばばばばば。見かけだけは楽しげに跳ね回るふたりの顔を、ウラはばっちんばっちんビンタして。
「死にたいとか殺されたいとか! そんなの生きてるみんなに失礼でしょ!」
 それはそうなんだろうが、さっき殺す殺すわめいていた奴に説教されても説得力がないし、一方は過労で、一方は年波でグロッキーな男たちにはいろいろと余裕がなさすぎた。
「なんかあばばばするばっかりでつまんない。――ちょっと4時間くらい早いけど、アレ出しちゃおう!」
 どーん! 擬音とともに異空間通路から取り出され、事務机を占領したのは、三段重ねのクリスマスケーキ!
「疲れたときは甘いのでしょ! ほら食べて! このあたしが心を込めておっさんのアレとか振りかけた特別製クリスマスケーキ!!」
 物はイチゴの乗った生クリームのホールケーキなのだが、「おっさんのアレ」のせいで恐ろしくやばい代物に見えてしょうがなかった。
「なぁ、おっさんのアレってなんだよ?」
「え? アレって言ったらアレだけど?」
「うむ。部外秘だからはっきりとは言えんが、アレだな」
「そんなもん気前よく振りかけてんじゃねぇ」
 とりあえずおっさん由来のものじゃなかったことに安堵しつつ。おそるおそる、ニノマエはナイフ代わりの剣をケーキに近づけた。とりあえずは襲いかかってきたり、しゃべりだしたりはしないようだが……。
「よぉ、博士も食うんだよな?」
「残念だが俺は今激しく胸焼けしているところだ。どうやら昼に食ったチキンカツがもたれたようでな」
 ふふふ。寂しげに笑う紘一郎。人間、あるときから脂物がやけに胃を痛めつけるようになるものなのだ。老化。そう、押し寄せる老いのせいで。
「ウラは」
「あたしが真心いっぱい込めて造ったケーキだよ? 全部食べてほしいな☆」
「造ったって……ちゃんと食いもんなんだよなコレ」
 観念して、ニノマエがケーキに刃を入れた。しっとりやわらかな抵抗が刃ごしに伝わってくる。あれ、これちゃんとケーキじゃね?
「い、ただき、ます」
 獲物を見据える鷹さながらのウラを前に、ニノマエは切り取ったケーキを口に入れた。
 溶けた――口の粘膜や胃壁なんかじゃない。クリームがだ。
 なめらかなスポンジを薄くスライスし、その間にイチゴと生クリームをたっぷり挟んだ上から、これまたたっぷりの生クリームを塗りつけ、丸ごとのイチゴを豪勢にトッピング。ちゃんとしているどころか、正真正銘極上のケーキだった。
「やべぇ。うめぇ」
「まだまだあるからね。食べて食べて」
 ニノマエは食らった。食らって食らって、食らい続けた。
 こんなうまいもんたっぷり食えるなんて、クリスマス(じゃねぇけど)も悪くねぇな。
 ただひとつ問題があるとすれば。
「なんで食っても食ってもなくなんねぇんだよ?」
 切り取る端からケーキは傷口を癒やすように蠢き、切り口同士をすり合わせて元のホール状に復元する。
 強烈に見覚えのあるこの光景。おっさんのアレってまさか。
「……博士、あんた」
「ウラの希望でな。みんなで好きなだけ食えるケーキを実現するためにアレを使った」
 胸焼けに激しく突き上げられ、ゲップゲップしながら紘一郎が答えた。
 おっさん、ホムンクルスの自己再生細胞、ケーキに仕込みやがったな!
「俺のケーキでみんなが笑顔になった。それだけで今日俺が生きていた意味があるというものだ」
「ウラしか笑ってねぇし、あんたケーキのにおいにやられてゲップ止まんねぇし」
「せめてそれが甘さ控えめのゼリーか葛切りだったら」
「思いつきでやらかす前に後先考えろよ。あと、さっきあんた“俺ステーキ”にケチつけてたけどよ、やってることいっしょだからな」
 男ふたりが微妙な感じになったところへ、ウラがわーっと割り込んだ。
「あたし、グログロむっつり最底辺社畜バカ犬がケーキ食べ終わるまで見てるからね!」
 いやもう本気で帰ってくれ。
 思いつつも、ウラを帰したければケーキを完食するしかないことはわかっていた。追い出したところで、彼女はつまみ出された猫さながらぬるりと戻ってくるだけだろうし。
 ニノマエは覚悟を決めた。
 幸い、腹に入れてしまえば再生は止まる。
 だとすれば、ケーキの再生能力を上回る速度で喰らい尽くす。たとえ再生能力者同士の共食いになるんだとしても、負けない。

「第一回あたし杯・プレゼント交換大会ーっ!! キモイキモイキモイ、もうどうしようもない感じでキモキモなおっさんにはあたしのサンタ帽子あげる! 顔隠せよー?」
 それがプレゼントって言い張るの、人の心なさすぎだろ。
「俺からはウラには、頼まれていた例のブツだ。世に出すといろいろと問題になるからな。けして見つからんよう、取り扱いに注意しろ」
 箱! 思いっきり部外秘ってハンコ押してあるし、なんか中から音してるし!
「むっつりにはケーキあるからいいよね? あたしの欲しーの、あとで請求書送っとくから」
 箱もそうだけど、なんでプレゼント指定してんだよ。しかも勝手に買って金だけ払わせんなよ。つーか値段いくらだよわざわざ請求書送ってくるようなもんのよ。
「俺からニノマエには……まあ、ケーキがあるからいいだろう」
 いや俺ちっともうれしくねぇんだけど。新しい刀くれよ室長権限で。
 実際にツッコミを入れている余裕はなかった。
 少しでも食べる速度が落ちればケーキが増える。やっと半分まで減らしたってのに、その努力をムダにしてたまるか。
 ――とはいえニノマエの腹はすでに限界を超えていた。
 もう腹どころか胸までぱんぱんだ。胃が膨らみすぎて、圧迫された背骨が痛い。
 ケーキを口に運ぶ手が拒否反応を起こして震える。顔中から妙にべたつく汗が垂れる。この汗、舐めたら甘い。まちがいない。
 ともあれ。コントロールできない無意識が、全力でニノマエの意志を拒絶しだしていた。
 このまんまじゃ押し負けちまう……!
 焦れば焦るほど、ニノマエの速度は落ちていく。ケーキがじわじわと増えていく。
 実を言えば策はある。が、それをしたらウラはめちゃくちゃ怒るだろう。そう思って、必死に耐えてきた。
 しかし。
 主に体がもう限界だ。
「俺はなぁ、二度と負けねぇって誓ったんだよぉ!!」
 吠えたニノマエがケーキを切っていた剣を腹に突き立てて一気に――あとはもう、お察しの通りってやつだった。

「じゃーあたし帰るし。うん」
 やけに急いでウラが通路へ飛び込み、ベキョボコペキヴギ、入り口を閉じた。
「俺も帰って寝るが……まあ、あれだな。あれだった」
 ニノマエの顔すら見ず、紘一郎はつま先立ちのまま詰め所から出て行った。
「……勝ったぜ。俺ぁ、勝った」
 ニノマエはやった。ケーキを食い切り、ウラを追い返したのだ。
 その代償が、この惨状。
 ぞうきんを絞りながら彼は、ちょっとだけ泣いた。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年12月08日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.