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『『愚者』を探せ ―『魔術師』の悪戯― 』
アリストラ=XXka4264)&ヴィス=XVka2326)&クリスティーナ=VIka2328)&ギョクヤ=XIVka2357)&静刃=IIka2921)&クレア=Ika3020)&ハクロウ=Vka4880)&ギュンター=IXka5765

 『愚者』の刻印――組織内でその意味を知らぬ者はいない。
 静刃は丁寧にペーパーナイフで封書を開くと中から出てきた一通の招待状を手に取った。
「ふむ……」
 一通り読み終え内容を吟味するように顎に指を充てる。
 『愚者』が主催するゲームの招待状であった。内容はいたってシンプル。敷地内に隠された『愚者』のカードを探せというもの。カードを探す探索班とそれを妨害する妨害班に分かれて遊ぶ。
 『愚者』の招待ともなれば断る理由は何もない。
「私の任務は妨害……。探索班の皆さんを戦闘不能にすれば良いのですね?」
 再度招待状を読み直し内容を確認する。どうやら自分の理解に問題はなさそうだ。
「……相手は同じ結社の方とあれば手加減は無用」
 寧ろ失礼にあたるだろう。本気でいかせてもらいます、と此処にいない面々の顔を脳裏に描く。
「まずは……」
 戦闘にも耐えうる包丁を探さなくては。当日驚いて貰うために大切な相手にも内緒に。
 静刃は準備に余念はない。

 深い緑の奥、打ち捨てられた風情の洋館の周囲を半月の目に三日月の笑みを貼り付け舞う白い影――それに混じって一匹の小さな蝙蝠が飛んでいる。
 注意すれば、蝙蝠だけが規則的な動きを繰り返さずに自由に動いているのがわかるだろう。
 小さな蝙蝠はギュンターの目であった。屋敷内にあって、本日のゲームの相手となる者達の動向を探っているのだ。
 ギュンターが所属するのは妨害班。敷地内のどこかに隠してある『愚者』のカードを発見される前に探索班を行動不可能にするのが目的。
 彼を知り己を知れば百戦殆うからず――というわけでまずは式符による情報収集中であった。
 ギィギィ……軋んだ音を立て錆びかけた鉄門が開いた。蝙蝠が近づいていく。
 入って来るのは片手にランタンを下げ、不気味な笑顔を彫り込んだカボチャを被った男。何故か和装、ジャック・オー・ランタンなのに和装。しかも背中に頭陀袋。
 大きめのカボチャのおかげで頭身がおかしなことになっているうえ、いくら中身をくり抜いたとはいえ、重みで前にふらふら後ろにふらふらバランスが取れてない動きはとてもコミカルだった。

(なんですかその仮装は……)

 カボチャ頭の下の人物――ハクロウに思い当たったギュンターは心の中でツッコミを入れる。良い年齢して……などと呆れているが、そのギュンターにしても黒装束の忍者スタイルだ。
 爺様二人、ノリノリである。
 「遅刻じゃ、遅刻じゃ」言葉ほど焦った様子もないカボチャの後ろを蝙蝠はついていく。

 ガッシャーン、激しい音を立ててクリスティーナの前に盥が転がって来た。
「ごめんなさい、それ取ってもらえるかしら?」
 両手に箱を抱えたクレアが盥を視線で示す。
「お安い御用だ」
 盥を拾い彼女の元まで行けば「手を貸そう」と相手の返事の前に盥をのっけた箱を空いての手から奪う。
「あら、ありがとう。流石『恋人達』ね」
 身軽になった両手をゆっくりと伸ばしてクレアが冗談めかして彼の役職名を呼ぶ。
「恋人のために俺の両手はあるのさ」
 ウィンクを送るクリスティーナ。『恋人達』それはクリスティーナの組織内での役職名でありそれ以上に彼の生き様であった。
「ところでこれは?」
 ちらりと覗いた箱の中にあるのは盥に白い粉に紐など。
「折角なら楽しい方がいいわよね」
 具体的な用途は口にせず茶目っ気たっぷりにクレアは笑う。
「まずは裏口に行きましょう。手伝ってくれると助かるわ」
「もちろん、言われずとも恋人と共に――」
 クリスティーナは恋人の頼みを断ることはない。

 裏口に待機中のアリストラ、ヴィス、ギョクヤの探索班。
「そろそろ時間か?」
 時計を確認するギョクヤはこの中で最年少にみえるが実は三十路を軽やかに超えている。そろそろゲーム開始の時間だというのにあと一人ハクロウが来ないと周囲を見渡していた。
「年寄りの朝は早いっていうけどな」
 欠伸交じりのヴィスが「だろ」とアリストラに同意を求める。
「朝寝は悪かねぇがな……」
 言外に一緒にするなと含めてアリストラが紫煙を一筋吐いた。
「待たせたのぉ〜」
 そこに呑気な声が響く。三人三様に声の方へと視線を投げ、そして一瞬無言となった。
 お面ではなく生のカボチャを被ったハクロウがえっちらおっちら駆けてくるところ。
「法皇の! 無理すんな!! 足元ふらついてるぞ」
 すぐに我に返ったヴィスがふらつく足元に声をかけた。尤もハクロウは未だ肉体は衰えておらず、それしきで転んだりするとは思えないのだが何せ年が年だ。ついいらぬ心配もしたくなる。
「ヴィス嬢はやさしぃ……ぅおおっと、と、と……」
 ぐらりと大きく後ろに大きく傾くハクロウ。腹筋を利用し無理やり前に体を倒すと、
「とりっくおあとりーと、じゃ!」
 そのまま片足でトントンと進み歌舞伎の見得のようなものを切る。
「……爺さん、言う相手が違っているぜ」
 軽く肩を竦めるアリストラは「クリス坊と大して変わらんじゃろ」と言われ微妙な表情。
「まあ、これは予行演習じゃよ。本番はこれからじゃ」
 そう言いつつ飴玉を取り出しギョクヤとヴィスに渡した。孫にお菓子をやる爺さんだな、とかアリストラは頭の片隅で思う。
「さてと……」
 どこからともなく一枚の見取り図を取り出すヴィス。
「この屋敷の見取り図だ」
 手に入れるのにちょっとばかり骨が折れたぜ、なんてヴィスがこともなげに言う。
 ちょっとどころじゃないだろう、と屋敷内部の説明を聞きながらギョクヤが思う。仮にも組織の幹部の屋敷――そう何故か主催である『愚者』ではなくとある幹部の個人的な屋敷なのだ――の見取り図など。
 ギョクヤとしても『愚者』の誘いだ。積極的に乗り気かと言われると首肯しがたいが手を抜くつもりもない。
 故にヴィスの存在は頼もしく、反面敵に回さずに良かったと思う――と視線に気づき見取り図から顔を上げる。
 ヴィスが此方をみていた。
「……俺の仮装におかしなとこでも? 見てわからんか、フランケンシュタインの怪物だが」
 言いつつ、解らないかもしれないな、とも。何せいつもの白衣に火傷の痕に沿って顔に縫い目を描いただけという雑な仮装だ。それに武器代わりのモップ。
「頭に貫通したネジでもつけたらもっとそれっぽかったかもな」
 自身の蟀谷あたりを指さすヴィスがそのちょっと拙いところも可愛らしい、頭撫でたいと思っているのを懸命に我慢していることをギョクヤは気付いていなかった。
「それはユグディラ……だな?」
 ヴィスはユグディラの着ぐるみ――ユグディラだよな、と改めて見直す。全身を覆うモフモフした暖かそうなファーに頭の上揺れる三角の耳。長いしっぽは先端がくるんと丸まり愛らしいユグディラなのだが、臍が見えたり、胸の谷間が露わだったり所々肌が覗いているせいで語尾が疑問形になってしまう。
「似合っているだろ?」
 悩殺されろ、とばかりにニャアと右手を猫のように丸めてポーズをつけるヴィス。
「あぁ、似合っている。とても愛らしいと思うぞ」
 ギョクヤの目線はあくまで年長者としてのもの。ハクロウにいたっては
「腹を冷やさんかのぅ?」
 腹巻はどうじゃ、とか言い出す始末。
「…………」
 今一つな反応を前にジト目になっている横でアリストラが笑いを堪えているのが見えた。

『ようこそ「愚者」のカードが眠る屋敷へ……』

 聞き覚えのある声が敷地内に響く。どうやらゲームが開始されたらしい。
「ではわしは庭から行くとするか」
 とりっくおあとりーとじゃ、敢えて場所を相手に知らしめるよう一声あげてからハクロウは庭へと回る。
 残された三人は屋敷内の探索から。
 ヴィスが裏口のドアノブに手をかける――が開ける前にドアの枠を確認する。枠にある擦れたあととドアの位置が一致しない。
 ドアノブを捩じった状態で固定し、離れて縄で引っ張った。ドアが開くと同時に上から降って来る盥と大量の水。
 流石に完全回避は難しかった、ヴィスの足元のファーが濡れている。だが被害は軽微。
「じゃあ、行くぜ」
 一行は屋敷の中、まずは台所へと足を踏み入れた。

(どうやら別れて進むようですね)
 一部始終を蝙蝠の目を通してみていたギュンターは式をクレアの元へと向かわせる。屋敷内の各地に罠をしかけて回る彼女に敵の動向を知らせるために。

 どうやら最初の罠は交わされたらしい。台所前の廊下、壁に背を預けながらクリスティーナは聞こえる音で判断する。室内に回ったのはヴィスとギョクヤ……あとアリストラだろうか。
「俺は悲しい……」
 悲劇の主人公さながら悲哀に満ちた独白。
 クリスティーナにとって組織に所属する者皆恋人なのだ。守るべき愛すべき対象。
 何だって愛する恋人達の邪魔をしなくちゃならないんだ……、苦悩で皺の寄る眉間を押えて深い溜息。
「俺は別の場所を探してくる……」
 擦りガラスのはめ込まれた台所の扉に背の高い影が映り込んだ。アリストラだろう。
「あぁ、『愚者』よ、貴方はなんと残酷な……」
 頭を軽く振りクリスティーナは身を壁から身を起こした。
「トリックオアトリート、どうか一時俺と甘い時を――」
「さぁて……真面目に探すのも馬鹿らしいというか……」
 赤毛を軽く掻き回して姿を現したアリストラを両手を広げ迎える。流れる赤毛の隙間からアリストラがちらりとその隻眼をクリスティーナに向けた。
「大人のお遊びの時間にはちぃとばかし早ぇな?」
 煙草を咥えた口の端が歪む。アリストラも戦闘を挑まれれば応じただろうがクリスティーナに恋人を攻撃するつもりはない。要は見逃せということだ。
「仕方ないな。恋人の願いを聞かないわけにはいくまい」
 俺は見なかったことにするよ、軽く手で顔を覆うクリスティーナにアリストラは「愛してるぜ」と軽口一つ片手を振って廊下を奥へと歩いていく。

 部屋の四隅に垂れ下がった蜘蛛の巣、色褪せた破れたカーテン。食器棚に並ぶ銀食器はご丁寧にも曇っている。
「さ、てと……怪しい所はどこかなっと」
 歌うような弾んだ口調、だがヴィスの目は抜かりなく周囲を見渡す。
 床の一部、わざとらしく積もらせた埃のなかに年を経てしつこくこびり付いているものを見つける。これだけ脂でこびりついているということは長年掃除されなかった証拠。
 ということはこの上には何か置かれていて掃除がし難かった可能性が高い。それを動かしているとなると……。
「俺はパントリーをみてくるぞ」
 ちらちらと積もった埃を気にしながらギョクヤが奥へと入っていく。
 これだけの規模の屋敷ともなればパントリーも広い上に台所と同じように勝手口もついていた。多分ここから荷を運び込むのだろう。
「保存瓶の中なんぞにあった日には探す時間が足りないな」
 口を動かすより手を動かせ、自身に言い聞かせギョクヤは棚から保存用の瓶やバスケットなどを取り出して一つ一つ確かめていく。
 だが……。
「届かん……」
 悲し気哉。背伸びしてもジャンプしても棚の最上段に届かない。
「仕方ない、ヴィスに頼むか……」
 身長的にそう差はないのだが彼女は確か壁歩きなどができたはずだ、と台所に向かおうとした背後で物音がした。
「なん、だ?」

 ズル、ズル……。

 何かを引き摺る音が外から聞こえてくる。庭に行ったハクロウだろうか。だが勝手口のモザイク硝子の向こうに映った影はカボチャ頭ではない。
 モザイクの合間から瞳孔が開ききった緑の目が覗く。
 本能が告げる。逃げねば、と。たが一歩遅かった。ばっちりがっちり重なる視線。人影は一度少しだけドアから体を離すと――……。

 ガッシャン……ッッ

 高らかな音を立て色とりどりの硝子が飛び散る。硝子がはめ込まれていた小さな窓からのぞく血に濡れた包丁。
「……」
 真顔になるギョクヤ。正直静刃やクレア、ギュンターが何を仕掛けてくるか少しばかり怖かった。ただそれを表に出す気はさらさらなかったのだが……。
 しかしこれは……。これは……。
 櫛を長い事入れてないようなもつれた紫の髪。煤と血に汚れた顔に表情はなく、ただ爛々とその緑の双眸だけが輝いている。
「いっ……」
 思わず握りしめるモップ。窓から突っ込まれた手がバンバンとドアを叩く。それが鍵を開けるためドアノブを探しているのだと、気付き慌ててドアを死守しようとしたが一歩遅かった。
 ガタン――空しい音を立て扉は開き、そこには血で錆びついた包丁を手にし、血で汚れ所々破れた白いドレス姿で仁王立ちする静刃の姿。
 ニタァリ……唇の両端が引き攣れた。
 それは獲物をみつけた化物の笑みにみえる。そもギョクヤは咄嗟にそれがシスター服の静刃だと結びついていない。
 左右に揺れながら静刃は距離をつめてくる。開いた扉から差し込む光で、影が不気味にギョクヤに被った。
 迫る影、迫る刃――。
「逃走!!」
 足元にモップを突きだし相手が怯んだすきにギョクヤは台所へと逃げ出した。
「おう、どうし……」
「出たぞ……!!」
 何が、と問う前に「何やらすごい音がしたが。恋人のピンチか」と観音開きのドアを開いてクリスティーナの参上。
「あぁ、ヴィス、なんて艶めかしいユグディラの衣装だ。さては俺を悩殺する気か。安心しろ、俺の心はずっと前からお前の――へぶしっ!!」
 全部言い終える前にヴィスの全力で投げたバスケットがクリスティーナを直撃。
 誰か悩殺されればいいと思って選んだ衣装だが、お前じゃないとでも言いたげだ。
 いつもの光景に慌てていたのが嘘のようにギョクヤは冷静さを取り戻す。
「ギョクヤ、行くぜ」
 沈んだクリスティーナを無視してヴィスはすたすたと大股で台所を出ていく。
「つれないね。だがそこが可愛らしい。 ギョクヤどうした? 顔色が優れないが」
 すぐさま復活したクリスティーナはギョクヤの腰に手を回す。懲りないやつだな、振り払いはしないが呆れるギョクヤの視線は表向きには、食卓を這いずりまわる虫へ向けるのと同じもの。そういえば無駄にタフなところも似てなくはないと共通項に思い当たり微妙に眉間に皺を寄せた。
 まあでも付き合いも長いと慣れてくる、というか好きにやらせておけという心境にもなる。クリスティーナの愛の言葉を右から左へ聞き流すギョクヤの耳に届く、ズゥリズリとパントリーから聞こえてくる足音。
「そうだ、ちょうど良い所に」
 少し躊躇ってからその手を取って見上げる。「どうした?」と問うクリスティーナは無駄に良い声。
「俺を助けてくれないか?」
 お前だけが頼りなんだ――囁くように甘く。大サービスだ。こんなサービス滅多にしないからな、と言ってもいいほどの。
「勿論、断るものか」
 内容を聞く前に安請け合いするクリスティーナ。
 パントリーから血濡れの静刃がのそりと姿を見せた。
「普段の修道服も良いが白いドレスもとても魅力的だ。折角のおめかし、どうだい一緒にデートでも……」
 それをすぐさま静刃と見抜くあたり『恋人たち』な伊達じゃない。だが今の静刃に言葉は通じない。
 邪魔する者は排除すると言わんばかりにクリスティーナに包丁が向く。
「俺は君に向ける刃を持って――待った、待った!!」
「じゃあ後は頼んだぞ」
 クリスティーナの腕をぐいっとモップで押しのけ、ギョクヤは台所から戦略的撤退を試みた。

 組織のメンバーが暴れても十分な広さの屋敷は庭も広かった。
 屋敷を囲む樹木、均等に植えられた低木、裏には道具小屋に温室など探すところは盛りだくさん。
「探した場所も忘れてしまいそうじゃ。何せわしぁ爺だしのぅ」
 ハクロウは庭を見渡し呵呵と笑う。しかし笑っているだけでは始まらない。
 とりあえず地道ではあるが茂みなどを一つ一つ探していくしかない。樹木の高いところなどは後で若人たちに任せればいいだろう、と専ら自身の視線よりも下の位置を探していく。
 茂みにカボチャ頭を無理やりツッコミ、花壇の花をそっと掻き分ける。
 カボチャ頭の重みのおかげで一度、ぐるんとでんぐり返し。
「回っても一人……」
 時折屋敷から聞こえてくる楽しそうな喧騒。銃声までも混じり、盛り上がってそうだ。
「よきかな、よきかな」
 若人たちが元気なのは良い事だ――と屈めていた腰を伸ばす。

 グギィッ……

 とても嫌な音がした。
「ぐぬぬぬぉ……!!」
 ギギギ、油の切れたゼンマイ人形のような動きで腰を時計回りに捻り。次は逆に捻る。それを幾度か繰り返すうちにかなり楽になった。
「ううむ、屈んでおると腰に来るのぅ……」
 トントンと腰を叩く。
 屋敷で遊んでいる若人に混じって少し体を動かしてこようか、などと屋敷を振り返った時、背負っていた頭陀袋が茂みを揺らした。
 ひらり、落ちる一枚のカード。
「おぉ?」
 拾い上げる指先が触れた点字が示すのは『愚者』。そう、探しているカードに早々辿り着いてしまったのだ。
「…………ぅうむ」
 顎に手をやり唸る。今此処でハクロウがカードを見つけたことを宣言すれば探索班の勝利でゲームは終了だ。
 しかしゲームは始まってまだそこまで経ってはいない。
 『愚者』の提案という事もあり探索班、妨害班双方それなりに本気だ。ハクロウ自身楽しむ気満々だからこそのこの出で立ちである。
 楽しそうな喧騒――とハクロウには聞こえる――がする屋敷、そして手元のカード交互に顔を向けて……
「早々に爺がみつけるなぞ興醒めじゃな」
 もう一度隠すことに決めた。

 ヴィスの見取り図を脳内に再現し、アリストラはリビングを目指す。そこで一服しようという魂胆だ。
 大きな家具を運び込めるようにだろうか、十分に広く作られている廊下には中庭から長閑な陽射しが差し込んでくる。
 なにもこんな日にバカ騒ぎしなくとも良いだろう――噛み殺す欠伸。
 と、中庭に黒いマントを羽織ったクレアの姿。
 クレアもアリストラに気付いたのかにこやかに会釈を送って来る。それに応え軽く肩をあげてみせるアリストラの靴裏、細いワイヤーが弾ける感触。
「……っ?!」
 唸りをあげて天井から飛んでくる何か。咄嗟に部屋側へ飛んで避ける。
 床にぶつかり潰れたそれは真っ白いクリームのパイだ。それを確認する間もなく、頬を掠める風。横目で確認すれば磨かれた木製の扉から突き出す血濡れの包丁。
 一歩二歩、下がり距離を空ける。ゆっくりと扉が開いて静刃が現れた。
「トリックオアトリート……」
 告げる声は彼女のものとは思えないほどに不気味な響きを得てる。
「トリート?」
 ハッと笑いながら手にするワイヤー。
「……甘い菓子より、刺激の方がお好みだろ?」
 言うが否や、天井の照明にワイヤーを絡め静刃の頭上へと落とす。
 だが硝子製のそれは彼女に激突する前に包丁で弾かれた。陽光を反射し煌めきながら落ちる硝子破片のカーテンを突破し静刃が迫る。
 交叉し火花を散らすワイヤーと包丁。力比べでは埒が明かぬと判断したのか、一度静刃が後ろに引く。だが姿勢を低くしすぐさま飛び込んできた。
 狙いは足元――照明をつりさげていた金具にワイヤーを絡ませ彼女の頭上を越えその一撃を避ける。
 キュッ、音を立て静刃の足が床を踏みしめ無理やり勢いを殺すと反転。
「狙いは悪かねぇな……。でもまだ――」
 攻撃が素直過ぎる、と壁に飾ってある壁画を目くらまし代わりに投げる。
 それは包丁で真っ二つに。だがその一瞬でアリストラには十分だった。
 二枚に割れた絵画が落ちた廊下には既にその姿はなくなっていた。

 静刃とクリスティーナの喧騒を背に台所より撤退したギョクヤが次に開けたのは家具が何もない部屋だった。ただ色褪せ毛羽だった絨毯の上にカードが並んでいる。
 屋敷に隠されている「愚者」のカードと裏面が同じデザインのものだ。
「此処に隠されているのか?」
 部屋の中に足を踏み入れた途端、勝手に扉が閉まり「カチャリ」と鍵の掛かった音がする。
 扉に「SNAP」と一言だけ書かれたメモ。どうやら此処のカードで神経衰弱をやれ、ということらしい。
「誰の罠か――」
 なんとなくわかるような気がして口元が笑みを刻んだ。
「任せろ。こういうのは得意分野だ」
 まずは一枚、カードを捲る。
 そして最終的に余った一枚、そこに描かれているのはトランプの絵札ではなくタロットカードの『?V<女帝>』。想像通りの相手に「楽しいゲームだった」と兄の顔。
「……ゲームは良かったが――」
 ちらりと部屋の四隅に這わす視線。部屋の角、渦高く溜まった埃がとても気になる。
 掃除したい、うずっとモップを握る手に力がこもる。とても掃除をしたい――これが『愚者』提案のゲームではなかったらまず屋敷の大掃除に取り掛かりたいところだ。
 ちょっとだけ。隅に溜まる埃をモップで退治し、ギョクヤは開いた扉から次の部屋を目指した。

 ガチャ……回しかけたドアノブが途中で止まる。鍵を掛けているのだろう、それは良い。部屋の鍵くらい針金一本あればどうにでもなる。
 だが――。
「……っ」
 針金を鍵穴に突っ込んだヴィスは舌を鳴らした。やはり鍵穴に何かが流し込まれている。今までいくつか部屋をみてきたが鍵のかかっている部屋は全部そうだ。
 具体的な被害はない。地味な罠。だが余計な時間も取られイラっとする罠だ。
 最初からドアを蹴破ればいいのかもしれないが妨害班に自分の居場所を知らせながら動くのも、と思い一つ一つ除去してきたが……。
「イイ加減……頭に……」
 そのままドアを蹴破ろうと右足を軽く引いた時だ。
「おや、また会うとは……。これはもううんめ――がっぁ!!」
 角から姿を現したクリスティーナはそのまま残像となってドアに体当たり。
 ドア諸共と部屋の中に吹っ飛んで――
「ぬぉおおお〜〜……」
 何やら暑苦しい声がする。のぞいてみれば床一面に針の山。
 そしてその奥、窓際に置かれた一枚のカード。
 クリスティーナは指立て伏せの要領でなんとか直撃を免れていた。ふるふる腕を震わせながらも「ヴィスに怪我がなくて良かった」と言えるのは中々なものだと少しだけ感心する。
「……背中借りるぜ」
 だが甘い言葉をかけるのは彼を財布として利用するときのみ。徹底しているヴィスは容赦なくクリスティーナの背を足場に窓辺まで飛んだ。
 そして捲ったカードは……
「運命の輪……ハズレか――お?」
 窓の外、走り抜ける黒い影をみつける。影が手にしていたのは確かにカードだ。絵は不明だが。
 上にスライドさせ窓を開くと窓枠に片足駆けて身を乗り出した。
「遊べにゃぁ〜?」
「おやおや、これは可愛らしいユグディラさんが……」
 黒装束のギュンターが柔らかい笑顔で振り返りかえりながら手にしたカードを投げる。カードはヴィスと入れ替わりに部屋へ。
「クリスティーナ、これを持ってお行きなさい」
「なっ……!!」
 慌てて部屋を覗くが「デートのお誘いならいつでも歓迎だ」カードを手にしたクリスティーナが投げキスとともに姿を消すところだった。
 思わず体を反らして避ける。
「そんな嫌がらなくともよいではありませんか。クリスティーナが可哀想ですよ」
「……よくもやりやがったな」
 クリスティーナを追いかけるとか想像だけでゾっとしない。
「私は妨害班ですよ。その場で一番ふさわしい行動をとるに決まっているでしょう?」
 容赦なく嫌がらせをさせてもらった、とにらみつけるヴィスの視線もどこ吹く風。
「後で後悔しても知らないぜ」
 壁を一気に走り抜けギュンターの背後に回りこむ。「もらった!」繰り出されたヴィスの拳の狙いは顎。
 直撃は避けられても掠りでもすれば相手の動きをある程度止めることができる。
 だが相手は海千山千。その指に挟まれた符が翻ったかと思えば桜吹雪が巻き起こった。
 しかととらえていたはずの黒装束の姿が桜の花弁に紛れ幾重にもぶれ――……。ヴィスの拳が空を切る。
「……とっとと」
 勢い殺しきれぬままつんのめるが足を大きく踏み出し転倒を防ぐ――だけではない。その足を軸にもう一方の足を円を描くように旋回させた。
 幻ひっくるめてすべて攻撃すれば当たる、というなんとも乱暴な発想だが手応えがあった。
 よろけたギュンターが一歩引く。
「無理するな……爺さん?」
 挑発的な笑みとともに再び符を構えるギュンターに向け地を蹴り飛んだ。
 符を遣わせる余裕を与えぬよう小刻みに拳や蹴りを繰り出し、そしてついに壁際に追い詰める。
「にゃあ〜っ!!」
 ユグディラよろしく噛みつこうととびかかった頭上で炸裂する破裂音。バフっと白い粉が落ちてきて煙幕のように立ち込める。
「まっしろい毛皮も似合いますよ」
 笑みを含んだギュンターの声が遠くなり。煙幕が落ち着いたころには当然姿は消えていた。
「くっそ……。…………アイツが持って行ったカードは……」
 最後でいいよな、と勝手に決定しヴィスは探索へと戻っていく。

 ギュンターから送られてきた情報であらかた屋敷内に罠を張り終えたクレアは庭へと繰り出している。
「……とはいえ、罠を散らばせては時間の無駄よね」
 庭は広い。これはいかにも人が探しそうな場所に仕掛けたほうが効果的だろうと裏手に回ったところで温室を発見。
 まあるいドーム型の温室は今は使われているのだろうか、暗幕が垂れ込め外から窺えないようになっている。
 とても好奇心をくすぐる様子だ。
「ん……悪くないわ」
 そっと温室を開くと目のふわりと舞う一枚の白い羽。
「あら……」
 天井を仰ぎクレアは楽しそうに目を細める。
 暗幕に描かれるのは無数の星々。そこを飛び交う沢山のフクロウ。
 うち一羽のフクロウがクレアに気付き羽音と共に近づいてきた。
「いらっしゃいな」
 クレアの伸ばした手に降りるフクロウ。
「……可愛らしい瞳の色ね。お名前は?」
 珍しい桃色の双眸。その桃色に脳裏に浮かぶ誰か――。
 クレアは柔らかく目を細め、指先でフクロウに額をそっと撫でた。
「貴方達を騒がせたくはないわ」
 温室で大騒ぎされればフクロウたちが迷惑だろうと、此処に罠を仕掛けるのをクレアは止める。
 名残惜しそうに温室から出る際に、出入り口の脇一輪薔薇の咲く鉢植えがあった。
 そこに刺さっているのは『?]<運命>』のカード。そのカードが意味することを悟りクレアは笑う。
「私が罠にかけられたということね」
 でも悪くなかった。こういう罠なら大歓迎である。
「とりっくおあとりーと、じゃ!」
 温室を出たクレアを迎える大音声。
 目の前にランタンを持ったカボチャ頭がいた。
「ハクロウ?」
「わしはハクロウではないぞ。じゃっくおーらんたん、じゃ」
 そうしてもう一度「とりっくおあとりーと、じゃ」と繰り返す。
「ごめんなさい、生憎今日はお菓子の持ち合わせがないの」
「致し方なし……。なれば、とりっくじゃあ!」
 背負った頭陀袋から取り出すおそろいのカボチャ頭。
 さあ今から君もわしらの仲間じゃ、とばかりに両手に持ったそれを振りかぶってクレアに被せようと飛んだ。
「……残念」
 瞬発力即決勝負――ひらりと交わしたクレアの勝利。
「私も悪戯する側なのよ」
 黒猫耳を指さした。
 何故かハクロウに飴玉を貰い別れたクレアは罠を仕掛けるポイントを探し庭を歩く。
 この時期寒いが噴水なども悪くない、などと思いながら茂みの前を通りかかった。
 茂みの影、隠れるように置かれた一枚のカードを発見する。裏返してみれば『愚者』のカード。
「先に見つけ出すのも妨害よね?」
 拾い上げるとそっと深く入ったスカートのスリットの奥へと隠す。

 ギュンターを取り逃がしたヴィスは庭にクレアの姿をみつけた。
 茂みで何かしているようだ。罠を設置しているのだろうか。室内からでは距離があり詳しくはわからないが……。
「それにしても……」
 ギュンターがカードを投げた相手がクレアだったらよかったのに、とつくづく思う。
 艶やかな生地の黒いマントに体のラインがわかるロングドレス。その大きく入ったスリットから時折覗く白い太腿がとても魅力的だ。
 まさしく目の保養。
「そーいや……」
 静刃はどんな仮装をしてるんだろう、とヴィスは大切な相手の事を思う。当日まで内緒です、と言っていたが。

 食堂にて。
「うぉあ?!」
 ギョクヤの声と同時にガシャンと食器の割れる音が轟く。
 ワゴンにアンバランスな状態で積み上げられた食器が危なっかしくそちらに気を取られていたギョクヤが床に仕掛けられたビー玉に足を取られ思いっきりスッ転げ、持っていたモップの柄がワゴンにぶつかり食器が雪崩を起こしたのだ。
 なんというドミノ倒し……割れて飛び散る食器のを前にギョクヤはしばし呆然とする。
「……このまま無視するのは」
 流石に忍びない。何せ原因は自分だ。それに割れた食器を放置しておくなど精神衛生上とてもよろしくない。いやもう屋敷の中が大変なことになっているのは知っているのだが……。
「ヤツも大変だな……」
 屋敷の持ち主の顔を思い浮かべながらモップを動かし始めた。
 そんな風に持ち主の事を考えていたからか――
「本当にいい加減に……!」
 怒声と共に食堂の扉がバァアンと開く。やって来たのは件の持ち主。神経質そうなその男が銃を手に髪を振り乱し、何故かあちこちに埃や蜘蛛の巣をまといながら仁王立ちしている様子に苦労がしのばれ……。
「その……なんというかすまん」
 頭を下げた。皆を代表してというわけではないが、荒れ放題暴れ放題の状態に本当に申し訳なく思ったのだ。
「いや……此方こそ煩わせてすまないな」
 はっと我に返った男の語調も落ち着く。
 互いの間で流れる微妙な空気を破る重低音。
 ぱらぱらと埃が天井から落ちてくる。
「くそっ、今度は誰だ?!」
 男が踵を返し男のしたほうへと走っていく。
「……お疲れ様」
 ギョクヤはその背をそっと見送った。血管切れないといいな、とか少し心配しながら。

 天井からにょきりと伸びた二本の足。
「絶景とも言っている暇はなさそうだな……」
 その二本の足を狙い、屋敷の主たる男が銃を乱射していた。気が立っているせいだろう、今一つ狙いは正確ではない。
 しかしそのうちの一発が太腿、動脈辺りへと――クリスティーナは近くに転がっていた銀盆を投げた。
 銀盆が銃弾を受けひしゃげて転がる。
「毛を逆立て爪を立てる子猫ちゃんも愛らしい……そして……」
 新しい乱入者に主が視線を向ける。その視線を受け止めながらクリスティーナは悠々と天井から生える足へと向かう。
「小鹿の様に震える子猫ちゃんも愛らしい。此処は俺の顔を立てて二人とも俺に愛でられるというのはどうだい?」
 天井から生える足はどう見ても小鹿じゃない。何やら震えているのはわかるが。
 愛しい人の足に触れる機会を逃す意味があるだろうか。クリスティーナは手を伸ばす。
 その足の脹脛から踝にかけてツ、と人差し指でなぞりながら銃を構える男に送る流し目。
「うぉぁあ〜……!!!? 何が起きたの?!」
 轟く男の悲鳴とともに足が引っこ抜かれた。
「……おや、残念」
 その足にキスの一つでも贈れるかと思ったのに……肩を竦ませるクリスティーナに向く銃口。
「熱い口付けはその唇でお願いしたいところだな」
 角を踏みつけひっくり返した重厚な造りのテーブルを盾に銃弾より逃れた。

 リビングの家具もスプリングの切れたソファや動かない柱時計など、雰囲気を造るために入れ替えられている。
 だが午後の心地よい陽射しが降り注ぐそこはそれなりに悪くない。
「……若い連中は元気だねぇ……」
 ソファに長い足を投げ出し寝転ぶアリストラがふぅ、と煙草を吹かす。
 ゲームは盛り上がっているようであちこちから騒ぎが聞こえてくる。このリビングの静けさがいっそのこと別世界のようだ。
 若い連中が楽しんでいるのは悪くない。自分は自分で勝手に楽しむさ、と言わんばかりに欠伸を一つ零したところでリビングの扉が開く。
「サボタージュですか?」
「有意義に時間を使っているとこだ」
 良く知る兄貴分――ギュンターだった。いつもは紳士然とした格好なのに今日はハクロウと似た黒装束に身を包んでいる。
「よろしければお茶に付き合ってはいただけませんか?」
 にこやかに笑うギュンターの視線には有無を言わさぬ力が込められている。何よりすでに茶と茶菓子の準備をしているところをみると此処にアリストラがいると分かって来たのだろう。
 色々と見抜かれている気がして聊か悔しくもあるが、
「まったく――」
 敵わねぇな、とだるそうにぼやきながらもソファに座りなおした。
「良い茶葉とお菓子が手に入ったのですよ。お菓子はハロウィンにちなんだパンプキンを使ったもので……」
 説明しつつテーブルの上、ティーセットを並べていく。
「少し甘めなので、はたしてアリスの口に合うかどうか……」
「兄者が持ってきたもので俺の口に合わなかったものを探す方が難しい」
「そう言って貰えると私も嬉しいですよ」
 喧騒をBGMに優雅なお茶の時間だ。
「そういえばアリス……」
「なんだ、兄者」
 カボチャの焼き菓子に齧りついたままアリストラが視線を向ける。あまり人に見せないそういう無防備なところを見ることができるのは兄貴分の特権だとギュンターは思う。
 そして兄者たる自分にアリストラは弱いのを知っているから
「……仮装はしないのですか?」
 そっと差し出す猫耳。彼の髪の色に合わせた赤。クレアとヴィスを見たあとでは尻尾も用意しておけば良かった、と思うのだが。流石に尻尾までは可哀そうというものだろう。
「……それを俺につけろと?」
 戸惑う声に「えぇ」と笑顔。つけてくれると信じてます、信じて疑っていません、というような。
「……っ」
 押し切られそうなアリストラが紅茶へと手を伸ばす。カップの縁、つけた唇が不意に凶悪な笑みを浮かべた。
「気付きましたか?」
「気付かねぇほうがどうかしてるな」
 二階から向けられた殺気。隠すどころか、自分は此処にいると主張するかの如く激しい。
「若いってのはいいねぇ」
 薄らと笑うアリストラ。
 だが彼の期待を裏切って殺気は別へと――。
「こっちに来たら歓迎してやったのに」
 聊か残念そうな様子でアリストラは煙草に火を着けた。
「ところでアリス……」
 なんだ、と視線を向ける可愛い弟分にギュンターは柔らかい笑顔で猫耳を差し出した。
 あれで話を誤魔化せると思ったら大間違いだ。

 血に濡れた白いドレス姿で静刃は屋敷内をうろつく。
 ズゥリ、ズゥリと足を引き摺るように。
 やるからには本気だ。戦闘も仮装も。仲間に礼を欠いてはならない。
 流れる髪の合間から覗く双眸が周囲の気配を探る。
 この部屋は未だ誰か訪れた様子がないということは探索班が訪れる可能性が高いということだろう。
 部屋の前の廊下に気配がする。
「サーチ……アンド……」
 包丁を逆手に持って
「デストロォオオイっ!!」
 躊躇わずに壁を貫いた。例えそこにいるのが組織内で心を許した友だとしても。手を抜くなんてとんでもない。

 突如突風が鼻先を掠めたかと思えば、包丁と思しき刃が目の前に突き出ていた。
 もう一歩踏み込んでいれば鼻を削ぎ落されていたところだろう。ズズズと包丁がそのまま壁を切り裂いていく。
 窓際へ距離を取ったヴィスを追いかけるよう壁を蹴り破り飛び出す静刃。
 血に濡れた白いドレスを翻し、手には厚口の長い包丁。まるで大きな肉の塊を解体するかのような。
 普段シスター服に身を包んでいる静刃の白いドレス姿は新鮮だ。
 突っ込んでくる静刃を半身を開いてかわす。
「なぁ、銀色のドレス覚えてるか?」
 以前二人――正確には組織の仲間たちもいたが――で見た銀色に白の刺繍の入ったドレス。絶対似合うと思ったのに背中が大きく開いたデザインだからと断られたのを思い出した。
「覚えてます」
 心を許した大切な友人との思い出を忘れるはずもない、と生真面目に答える静刃はそれでも包丁を振るう手を休めない。
「あたしが静刃の包丁落とせたら、それを着て一緒に遊びに行こうぜ」
 決まりな、とか一方的に宣言するヴィス。そうはいっても無理強いするつもりはない。ゲームをより楽しむためのちょっとしたスパイス。
「私たちの役目は探索班の皆さまを行動不能にすることです」
 負けません、言外にそう含んで静刃が包丁を構えなおした。

 無事屋敷の主の銃弾から逃れ、恋人の姿を求め屋敷を歩いているクリスティーナに向けて横合いからいきなり影が飛び出してきた。
「とりっくおあとりーと、じゃ!」
 ランタン掲げるカボチャ頭。勿論ハクロウだ。出会う人、全部に「トリックオアトリート」を仕掛けている。
 妨害班である自身にわざわざ声をかけてくれた恋人の気遣いが嬉しい、とクリスティーナは懐を探るが忍ばせておいたはずの飴がない。どこかで落としてきたらしい。
「申し訳ない。どうやら甘いお菓子はどこかに置いてきてしまったらしい。代わりにその背に乗った重みを俺に分けては……え?」
「菓子はないのか。ならば仕方ないのぅ」
 その背に負った頭陀袋からハクロウが取り出したのは自身が被っているものとそっくりなカボチャ頭。
「おぬしも我らの仲間じゃ!」
 勢いよく頭に降ろされるカボチャ頭に身の危険を感じて咄嗟に避けてしまう。もう少し優しく差し出してくれれば被ったかもしれない。それが恋人の頼みなら。
 だがかち割れろとばかりの勢いでは流石のクリスティーナも恋人からの愛を受け止め切れない。恋人を置いて一人死ぬわけにはいかないのだ。
「……クリス坊。子供の時はあんなにも嬉しそうに被ってくれたというのにのぅ」
 時の流れとは残酷じゃ……、寂しそうなハクロウの声に心が痛む。
「あ……いや、勢いに驚いただけでそのカボチャ頭が嫌だとかそういうわけじゃあないんだ」
 幼い頃を知っているハクロウ相手だとクリスティーナも聊か勝手が異なる。
「あれは何歳のハロウィンの時だったじゃろうなあ。お化けに仮装したわしに驚いて泣きじゃくる――」
「そこまで、そこまでだ!!」
 このまま滔々と幼き日のクリスティーナを語り出そうとしたハクロウを慌てて止めに入る。
 誰かに聞かれていたら後々まで揶揄われたことだろう。

 無事目的を果たしたギュンターはダイニングへと足を運ぶ――この屋敷食堂の他に大勢の来客を迎えるためのダイニングまであるのだ。
 その途中、クリスティーナとギョクヤを見つけた。
 濡れたり、体半分白くなっていたり、クリスティーナは中々歴戦の見た目になっている。様々な罠の盾にされていたのがありありと伝わってきた。
 今もちょうどギョクヤに言われて高い所にある照明を覗き込んで噴水の如く湧き上がる水の直撃を受けたところだ。直撃を受けつつも「水も滴るいい男だな」」と懲りた様子はない。
「折角クレア嬢が皆で楽しめるように罠を用意してくれたというのに……」
 一人で楽しむとは何事ですか、と思いを込めて近くにあった小さな花瓶を彼に向かって投げた。

「……うがっ」
 ゴン……素晴らしい音がしてギョクヤの横でクリスティーナの長身が揺らぐ。
「おい……っ?!」
「俺は、大丈夫だ。それよりもお前は……?」
 床に倒れながらもまずは恋人を心配するところは流石というべきだろうか。
「良かった。怪我はないようだな。    ……俺のことはいい……」
「そんな……(こんな使い勝手の良い盾を)置いていくことなど……」
 ギョクヤの心の声は届かない。だから彼の言葉を良いように解釈したクリスティーナは更に言葉を続ける。
「いいから……俺に構わず先に行け……愛して……」
「そうだな、先を急ぐか」
 言葉途中であっさりとギョクヤは歩き出す。クリスティーナを襲撃した何者かがまだ近くにいるかもしれないのだ。妨害班を狙ったという事は味方の可能性もあるが、どちらかといえば探索班に手を貸している裏切者に対する粛清な予感がする。
 ならば長居は無用。

 ギュンターがダイニングへ来たのは目的がある。
「とりっくおあとりーと、じゃ!」
 棚を物色していたカボチャ頭が振り返った。
「何ですか、その仮装は?」
 蝙蝠の目を通してみた時と同じ感想が口から漏れる。
「おぬしこそ、なんじゃそれは」
「忍者ですよ」
「良い歳してようやるわい」
「それは私の台詞です」
 二人同時に床を蹴った。
 頭陀袋から取り出したカボチャを構えるハクロウ。
「じゃっくおーらんたんがとらでぃっしょなるというものじゃろう?!」
 季節の風流を弁えない爺め、振り下ろされるカボチャ。それをステップで交わし、カボチャを持っている手に手刀を一閃。
 カボチャと一緒にランタンが転がり落ちた。
「そんな重たいものを持って、腰に来ませんか?」
 そうはいっても実際ハクロウの体に関しては心配していない。殺しても死なない程度に思っている。
 寧ろ――……。
 カボチャを落としたハクロウが鞘事振るった刀が棚を割った――だけでは留まらず勢い余って床に開く大穴。
 屋敷の劇的ビフォーアフターをしないか心配……ではなく目の前でそれが起きた。飛び散った破片がギュンターの頬を切り裂く。
「では私も遠慮なく」
 頬を伝う血を拭い、構えた符を足を狙って撃つ。縁を鋭利に尖らせた符はそのまま投擲武器となる。
 符は直撃しなかったが草履の鼻緒を切り裂いた。
「相手にとって不足なしじゃ……な」
 不敵に笑う――とはいえカボチャ頭で実際は見えないのだが――ハクロウが草履を脱ぎ裸足になる。
「全力でお相手いたしましょう」
 距離を取りギュンターも再び符を指に挟む。

 白熱する爺対爺。原形を失いつつあるダイニング。
「これ、止めるべ……っ?!」
 入り口付近で見守っていたギョクヤが後からきたアリストラに声をかけようとして言葉を飲む。
 その頭に燦然と輝く猫耳。
「こいつに触れてくれるな」
 なんとなく状況を把握したギョクヤは「これ、止めるべきだろうか」と律儀に言い直した。
「楽しく遊んでるだけだ。放っておけ……」
 今まで通り抜けてきた部屋の中でダイニングが一番、悲惨な状態になっている。
 まあ、何かあったら「放っておけ」と言ったアリストラに任せてしまおうと内心決めた。
「おぉ、二人とも丁度良い所に……」
 入り口付近で見学している二人に気付いたハクロウが声をかける。
「カードなら庭でみつけたぞい」
「え?! 拾ってこなかったのか?!」
「爺がみつけるなぞ、興醒めも良い所じゃろう」
 こやつはわしが抑えておる、とかギュンターに向き直るハクロウ。抑えるもなにも二人楽しく遊んでいるだろう、というツッコミは飲み込んでギョクヤはアリストラを促す。
「此処からならリビングのテラスから出るのが一番近い」

 だがリビングもダイニングとさして変わらない状況だった。
 此方ではヴィスと静刃がやはり楽しそうに遊んでいる。
 アリストラとギュンターが長閑にお茶をしていた面影はなく。ソファは中身をまき散らし、テーブルはひっくり返っている。
「二人はそっとしておいて俺たちは庭に行くぞ」
 できれば人のいない場所でのんびり過ごしたいところだが最終局面ともなればそうもいくまい、とアリストラも続く。
 戦闘の脇を抜けてテラスに出ようとする二人の前にクリスティーナが立ち塞がる。
「お探しのカードはこれかな?」
 指で挟んだカードをひらりと舞わせてウィンク。
「クリスティーナ、それを俺に渡してくれないか」
 手を差し伸べるギョクヤに向けて困ったように眉尻を下げる。
「俺はお前の大切な恋人だろう?」
 普段クリスティーナがさんざん言っている事をギョクヤが逆手に取る。
「このゲームは『愚者』たる人の発案だからな」
 だからこそギョクヤも乗ったんだろう、と肩を竦めるクリスティーナにギョクヤが押し黙る。
「あ〜……それ寄こせ」
 面倒くさそうに言うアリストラに「俺から奪って御覧、可愛い子猫ちゃん」と口元に笑みを浮かべた。
「良く言った……」
 ワイヤーを手にするアリストラが突如としてつんのめる。
 静刃の一撃を避けるために背後に飛んだヴィスが激突したのだ。
「わりぃ……」
 しかもそこに突っ込んでくる静刃。流石に飛んできた二人を受け止め切れずアリストラも前に飛ぶ――。
「俺の胸に飛び込んでくるなんて情熱的なこいび――っ!!!」
 手を広げ待ち構えていたクリスティーナごと四人が窓ガラスを割って外に飛び出した。
「え……?」
 瞬くギョクヤの目の前で更に信じられないことが起きる。
 団子状になった四人がツルツル〜〜っとアイススケートよろしくテラスを滑り庭へ落ちた。
 ドスンと、地響き。
「何事じゃ」
 ダイニングから飛び込んできたハクロウが落ちた四人の様子を見にテラスに走りそしてまた――。
 ツルルン〜……綺麗に滑っていく。
 テラスの床に油が塗ってあるのだろう。これは聊か面倒でも遠回りしたほうが、と思った矢先、テラスの先にクレアが姿を見せた。
 鮮やかに微笑んで、スリットから白い太腿を覗かせる。そこにリボンで括りつけられたカードを一枚抜き取って。
「愚者か……!!」
 その絵柄を見て取ったギョクヤが声を上げる。遠回りしていたら逃げられるかもしれない。
 ならばテラスは飛び越えて――……。ギョクヤが助走をつけて飛ぶ。
 テラスを飛び越えそして……。
 ドシャッ!!!
 何やら芝生ではないぬかるみのようなものに着地した。
 足元を見れば、どろどろに溶けた石膏を練り上げて作ったセメントが……。
 先に滑っていた五人もそれぞれにセメントに囚われている。
「探索班、全員行動不能ってことで良いかしら?」
 そしたら助けてあげるわ、と微笑むクレア。
「鮮やかなお手並みです、クレア嬢」
 遅れて現れたギュンターが拍手を送る。
「どういたしまして」
 マントの端を摘んで優雅に礼を返すクレア。
 勝負はそのまま終わるかに思われた――しかし。
「おい、あれ!」
 セメントから助け出されたヴィスが屋敷の方を指さした。
 ダイニングの窓からもくもくと上がる黒い煙。
「おお、そういえばいつの間にかランタンを落としておったのぅ」
 呑気なハクロウの声。
「落ち着いている場合か!」
 この中では比較的常識のあるギョクヤが井戸はどこだと走り出す。
「火事だぞ!!」
 まだ屋敷内で楽しく遊んでいる恋人たちに向かってクリスティーナが声をかけた。
 結局火事はボヤで終わった。
 しかしダイニングは天井まで黒く煤けて床から壁から天井まで張り替えが必要だろう。
 そもそも今回無事な部屋のほうが少ない。
 変わり果てた屋敷を前に顔を覆った主を慰めようと背後からクリスティーナ手を広げて近づく。
 喧騒はまだ終わらない。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
アリストラ=XX(ka4264)
ヴィス=XV(ka2326)
クリスティーナ=VI(ka2328)
ギョクヤ=XIV(ka2357)
静刃=II(ka2921)
クレア=I(ka3020)
ハクロウ=V(ka4880)
ギュンター=IX(ka5765)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
この度はご依頼ありがとうございます。桐崎です。

『愚者』探しの大騒動いかがだったでしょうか?
部屋の配置など細かな点は勢いで読み切っていただければ幸いです。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
VIG・パーティノベル -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2016年12月15日

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