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『伝えたかったこと 』
虎噛 千颯aa0123

 それは本当になんでもない、日常のとある日のことだった。

 虎噛千颯はエージェントとしてその日に必要な仕事を終え、それからほんの少しの野暮用でH.O.P.E支部に居残ってから、一人で帰宅の途につこうとしていた。
 支部を出ると、夕焼けだ。この頃は日が落ちるのが早い。油断しているとあっという間に夜になってしまう。
 愛する妻と息子の元へ一刻も早く帰りたい──それがいつもの彼の思考であり、今日もそうだったはずだ。
 帰り道からは遠回りで、何の用もないはずの、寂れた公園を通っていこうなどと何故その日に限って考えたのか──後から思い返しても、千颯には理由が判然としない。
 ただ、気がついたら足を運んでいたのだ。

「おー‥‥なんか、子供の頃こんな場所、来たことあったかな‥‥」
 住宅地の狭間にぽつんとあるような、その小さな公園を、千颯はどこか遠い記憶、あるいは夢の中で、見た覚えがあった。
 遊具といったら小さなブランコと滑り台くらいしかない。子供の声も聞こえない。人気のない公園が夕焼けの光にぼんやり照らされている様は、何とももの悲しい。
「‥‥帰るか」
 何故ここへきたのか理由を見つけられないままに、本来の帰路へ戻ろうとする。
 その前にもう一度ぐるりと公園のなかへ視線を巡らせた。
 すると──。

 彼は、二つあるブランコのひとつに腰掛けていた。
 十代後半だろうか。大柄ではないが、肉体はよく引き締まっている。
 ブランコを漕ぐことはせず、フードを目深にかぶり、ただうつむいてそこに座っていた。

 そのとき既にもう、千颯の心臓は早鐘のように鳴り響いていた。彼が何者なのか、知っているはずはないのに。
 誰かの手が伸ばされるかのように風が吹いて、彼のフードを跳ね上げた。
 千颯と同じ、明るい緑の髪が零れて、彼の顔が明らかになった。

「──千代」

 それは千颯の口から零れた言葉。千颯自身が、呆然とその言葉を聞いていた。

   *

「‥‥千代?」

 思わず口にしてしまった言葉を、千颯は驚きのままにもう一度つぶやいた。
 それは彼の息子の名。今は妻とともに自宅で自分の帰りを待っているはずの、無垢で幼い愛する我が子。
 目の前の少年のことではない。──そのはずだ。

 だが千颯は、彼から目を逸らすことが出来ない。
 そして少年もまた、千颯を見ていた。

 しばしの時間、二人は見つめ合う。

「‥‥あんた、誰だ」
 やがて、少年が千颯に問うた。こちらを警戒している。
(いや、少し違うかな)
 とがった針のような気配が千颯の表面を刺したが、伝わってきたのは痛みだけではない。
 一歩、前に踏み出した。少年はブランコに腰掛けたままだ。
「千颯だ。お前の──父さん、だ」
 少年は睨めつけるような鋭い視線で千颯のことを見ている。
「お前、千代だろ? ‥‥多分、十五年後とか、そんくらい後の」
 千颯は半分は笑いながら言った。我ながら突拍子もないことを口走っているなあ、と思う一方で、発言が間違っていないという、奇妙な確信も胸にあった。
 少年──未来の、あるいは別世界の千代は、何も答えない。ただ千颯のことを、じっと見上げ続けている。
「やっぱり」
 千颯の笑顔が、ゆっくりと全体に広がっていく。
「否定しないって事は、そうなんだよな!」
 そして満面を破顔させると、表情だけでは飽き足らないのか、両腕を大きく横に広げ、肩をゆさゆさと上下に揺すってみせた。
「そうかあ、お前、千代か! いやあでっかいなあ、今いくつなんだ?」
 どうして、はこの際どうでもいい。目の前に成長した愛息がいる──千颯にはそれだけで十分だった。
 千颯は家族へ向けるものと変わらない親愛を向けたまま、千代へと近づいた。
「おっ、オレちゃんに似てイケメンなんだぜ! なあなあもちょっと顔を上げてよく──」
 無遠慮に右手を伸ばす。
 しかしその手は唐突に、そして痛烈に払いのけられた。
「千代──」
「触るな」
 針のような気配は、さらに鋭く。殺気と言い換えても良いほどの剣呑さが千颯を押しとどめようとする。
「なんでなんだぜ? ‥‥あっ、もしかして千代からすると父さん若すぎるからとか? そっかー確かに父さんがいきなり若返って目の前に現れたらビックリするもんな‥‥」
 千代は何も答えないが、千颯は勝手に理由を見つけてうんうんと頷いた。
「大丈夫だぜ! 若くてカッコ良くても父さんは父さんだからな! ところで実際、父さんって十五年後はどんな感じ? ちゃんとナイスミドルっぽく進化してるのか?」
「‥‥いない」
「ん?」
「俺には、父さんなんていない!」
 千代は叫び、ブランコから勢いよく立ち上がった。そしてもう一度千颯のことを睨みつけると、踵を返す。
「あっ、おい千代!」
 赤錆のついた手すりを乗り越え、その先の草むらへ走り出した。
「待てって──うわ、足はやっ!」
 当然千颯は追いかけたが、千代は常人離れしたスピードであっという間に彼を引きはがし、草むらの中へ飛び込んでしまった。
 十数秒の間があいて、千颯が同じ場所へ駆け込んでも、すでに千代の姿はない。
「すごいんだぜ、さすが俺の息子」
 周囲を見回してもその姿は影も形も見あたらない。
 だが、千颯は彼がここから逃げ出してしまったとは考えなかった。
「よし、じゃあ父さんとかくれんぼだな!」
 どこかにいる千代に聞こえるように、大きな声で言った。
 その後で。
「‥‥父さんなんていない、か」
 そう小さく呟いた。



 千代は植え込みの陰で膝を抱えていた。
 少し走っただけなのに、鼓動が激しく脈打って収まらない。心臓がひとつ鳴る度に脳みそを丸ごと揺さぶられているようだった。
(あれは‥‥)
 千颯と名乗った男。自分のことを息子だと言った男。
 ──父さん。
(そんな‥‥はずは‥‥)
 千代からすれば、身内とは『ばあちゃん』ただ一人を指していた。彼にとって、父と呼べる存在といったら──。
(いない。そんなヤツ、どこにもいない)
 千颯との邂逅は、きっと自分自身を混乱させるだけの、嵐のようなものだ。隠れて耐えていれば、いずれ過ぎ去る。
 そう、我慢していれば──。

「見つけたぜ」

 声が暖かい雨のように降りかかってきた。
 逆光に照らされた黒い影が、千代を包み込むように視界を覆っていた。
「なっ、なんで‥‥!」
 千代はあわててそこを飛び出した。気配を消していたはずなのに、どうして?
「何だよ、二回戦か?」
 父さんの勝ちじゃないのかよー、とぶーたれる声が聞こえて来たが、構わず逃げた。公園の反対側まで一息に走ってから、ひときわ大きな木の背に飛び込むと、改めて気配を隠す。
「ホントに足早いなあ。短距離選手かなんかなのか?」
 千颯の声が遠くから聞こえてくる。千代は耳を塞いだ。
 あの声を聞いてはいけない。聞いていたら、何かが壊れてしまいそうだ。本能的にそう感じている。
 一方で、あの声をもっと聞きたいという感情も、彼の中に確かにあった。
 二つの相反する感情が千代の中で勝手にせめぎ合い、翻弄される。千代は耳ばかりか目も閉じて、嵐が過ぎ去るのを待った。
 だけれどそれは、的確に。
「ほい、今度も見つけたぜ」
 彼の居場所を探し当てた。

   *

 千代は目を見開いた。千颯と同じ、銀色の瞳がはっきり見て取れる。
「っく‥‥!」
「おっと」
 再び逃げだそうとするその腕を、千颯は掴んだ。
「はっ、離せ!」
「もうかくれんぼはいいだろ? ちょっと落ち付けって」
 千代は逃れようともがく。千颯は腕を離してしまわないように全力で掴み続けなければいけなかった。だが父親として、必死になっていることを悟られてはいけない。幸いだったのは、千代がこっちを見ないようにめいっぱい顔を背けていることだった。
「俺に構うな! あっちへ行け!」
「いやだ。せっかく会えたんだ。全力で構うんだぜ」
「なんで‥‥なんでだ!?」
 千颯に腕を掴まれたまま、千代はいやいやするように首を振った。逃れようとする力が、ほんの少し小さくなった。
「俺、なんで、振り払えないんだ‥‥? なんで、逃げられないんだ‥‥?」
「決まってるだろ」
 迷い無くまっすぐにそう言うと、千代の動きが止まった。
「家族だからだよ」



 千代は千颯に背中を向けたまま、ぽつりと言った。
「俺に、父さんはいない」
「‥‥ああ」
 千颯自身のことではなく、『彼の世界での』彼の父親‥‥千颯のことだ。
「ずっと、いなかった。俺が寂しくても、寒くても、つらくても。父さんはどこにもいなかった」
「‥‥ああ」
「一緒に遊びたいと思っても。一緒に眠りたいと思っても。何を望んでも、叶わなかった。‥‥叶わなかったんだ」
 なぜ彼の世界に千颯はいないのか──それを聞いても仕方ない。
 今の千颯に出来ることは、話を聞いてやることだけだった。
「どうして」
 千代は、振り返った。銀色の瞳が揺れている。千颯はその瞳を、せめてまっすぐに見つめた。
「どうして、いてくれなかったんだ!」
 涙が粒のように落ちたのは、最初の一瞬だけだった。それまで溜め込んでいたもの、すべてが零れるように、すぐに止まらない筋のようになって、千代の頬を濡らしていく。
「一緒に、いてほしかった。一緒に遊びたかった! 頭を撫でてほしかった、背中を流してほしかった、一緒にご飯が食べたかった! 一緒に、一緒にしたかったことが、いくつも、いくつも、あったのに‥‥!」
「千代‥‥」
「一緒にいてくれたら、こんなに苦しい思いはしなかった!」
 涙は頬から顎に伝い、ぽたぽたと地面に落ちた。父を責めるだけの一方的な訴えは、やがて激しい慟哭へと変わっていく。
 千颯は、その声をただ受け止めていた。逸らすことなど出来ない。これは彼が十数年にわたって溜め込んできた、父への渇望、愛そのものなのだから。
「千代‥‥ごめんな」
「うぁ、うあああ‥‥!」
 謝罪の言葉とともに腕を伸ばすと、千代は縋りついてきた。たくましく成長した胴をかいなに抱き、涙に濡れた顔を己の胸へと押し当てる。
「辛かったんだな。なにも出来ない父さんですまなかった」
 胸の中で、千代はただ泣くばかりだった。千颯はそんな息子の頭を優しく、いとおしく撫でてやる。
「でもな、それでも──父さんは、千代を愛してるぜ」
 それは紛れもない本心だ。彼の世界の千颯も、きっとそうだったはずだ。
 流れる涙で胸が熱い。
「‥‥父さん」
 千代が、胸に顔を埋めたまま、そっと呟いた。

 気がつけば夕焼けの時間は終わろうとしている。
 太陽光が届く範囲がゆっくりと狭まるにつれて──千代の姿は、ぼんやりと輪郭を失っていくようだった。
 千颯は、千代を力の限り、目一杯に抱きしめた。
「これからも、父さんはお前になにも出来ない‥‥けど、忘れるな。父さんは千代のこと、心から愛しているって」
 この思いが、息子の心に深く、長く、はっきりと残るように。
「父さん、俺‥‥」
 体を離すと、千代が何か言おうとするが、もう時間は残されていないようだった。その姿はすでに霞のようにおぼろげで、声も小さく掠れていく。
 千颯は消えゆく我が子へ向け、叫んだ。

「千代、忘れるな! 父さんは、お前を愛しているんだぜ!」

 やがて太陽は宵闇に落ち、千代の姿は幻のように掻き消えた。
 千颯は闇の先を見つめる。

「‥‥どうか、元気で。幸せに暮らすんだぜ」
 きっとこの声が、思いが届いてくれると、願いを込めて伝えるのだった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa0123 / 虎噛 千颯 / 男 / 24 / 生命適性】
【jb0742 / 彪姫 千代 / 男 / 16 / ナイトウォーカー】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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春に続いてのご依頼、誠にありがとうございました。
イメージに沿うものに仕上がっていましたら幸いです。
■イベントシチュエーションノベル■ -
嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
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2016年12月19日

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