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『賢者の贈り物 』
加賀谷 亮馬aa0026)&加賀谷 ゆらaa0651
 チィ、イ。キュ、ギ。
 機械化された眼が途切れ途切れの悲鳴をあげた。
 ――調子が悪いな。
 加賀谷亮馬は奥歯を噛み締め、呼気に先導させるようにアスカロンをまっすぐ従魔へ突き込んだ。
 視界に処理落ちのノイズがちらつき、従魔の断末魔が黒く欠け落ちる。
 彼の内から英雄が告げた。もう限界だ、下がれと。
 とはいえ右も左も前も、敵。
 亮馬が一歩下がればその一歩分、人類の生存域が削られるのだ。そして。
 この戦場のどこかに、一歩分の生存域を取り戻すべく死力を尽くす仲間がいる。だから。
「俺だけ退けるかよ」
 従魔の胸を蹴りつけて刃を引き抜き、亮馬はその勢いを乗せてななめ上へと斬り上げ、新たな従魔の顎を叩き割った。
 パギン! 両の義手がショートし、握力が二一パーセント下降。
「だからどうした!」
 すっぽ抜けそうになった大剣の柄頭を指先で挟みつけて留めながら、亮馬が鋭く体を翻す。回転力を吸い込んだ刃が従魔を斬り伏せたが……そこまでだった。
 両手とも何本かの指がちぎれ、盛大に火花を噴いている。剣をつかむどころか、握り拳すらも作れない有様だ。
 しかし亮馬は無造作に残った右手の指を左掌で押し曲げ、剣の柄を握らせた。そして柄頭を噛んで無理矢理に固定する。
 ――俺は折れない。俺は屈さない。俺は、俺であることを貫く。
「最後まで!」
「……最後? そんなセリフを口にされては困る」
 亮馬を押し包むように燃え立った炎が、迫り来る従魔を焼き払った。
「私を置いて逝かせはしない。そのことを正しく理解させてやらなければならないようだ」
 冷めた面を激情に踊る黒髪で飾り、自らが屠った従魔の骸のただ中に立つ女――北条ゆら。亮馬の同僚であり、命ある限り共に生きることを誓った恋人である。
「が、亮馬を責めるのは後だ。今は」
 彼女のまとうゴシックロリータの黒衣がひらめいた。開いたラジエルの書から白刃が舞い上がり、亮馬へ襲いかかろうとしていた従魔を文字どおりに斬り刻む。
「生き延びる――だな」
 ゆらの魔法を追い、亮馬が従魔群へ跳び込んだ。


「……ああいうこと言うの、ほんとにやだからね。絶対絶対、もう言っちゃだめなんだからね」
 先ほどまでの凜々しさはどこへやら。野営地の隅、小さなランプの光にかわいらしいふくれっ面を映すゆらが言った。
 もう、何度同じ言葉を聞いただろう。
 でも、それだけ繰り返してしまうほど、ゆらは亮馬を心配しているのだ。
 わかってるんだ。どうしようもないくらい。
 だから。夜空を遮る黒い曇天の下でゆらと並んで座る亮馬は、精いっぱいの気持ちを込めて「ごめん」と返し続けるのだ。

 ……異世界との接触、すなわち『世界蝕』によって来訪者である“英雄”、そして侵略者である“愚神”がこの世界へ現われて二十年。人類は英雄と共鳴し、超常の力を得るライヴスリンカーの尽力で愚神の侵略に抗してきた。
 が、一年前。急激に力を増した愚神勢力の多方面同時進撃により、均衡の薄氷は突き崩された。
 五大大陸であるユーラシア、アフリカ、南北アメリカはすでに壊滅し、オーストラリアもまた苛烈な包囲攻撃の中で連絡を途絶えさせた。
 そして日本もまた、先の京都決戦に敗れたことで京都以西を失い、人々は北へ北へと落ち延び続けている。
 今。亮馬やゆらを含むライヴスリンカーが所属する、愚神の脅威から人類を護るために結成された組織『HOPE』。その東京海上支部のエージェントたちが殿を務め、琵琶湖を背負って愚神勢力の北上を食い止めてはいるが……正直なところ、時間の問題だろう。

「――東京だったらチャペルとか残ってるかな?」
 ふと、微笑みを浮かべるゆらが亮馬の苦い顔をのぞき込んだ。
 ツインテールの根元を結わえた薔薇のコサージュ、その中央に収められたエメラルドが、ランプの光を照り返して碧(あお)く輝く。
 天使みたいだ。そんなことを思いながら、亮馬はゆらに別の言葉を返した。
「残ってるだろうけど、避難してる人がいるんじゃないか?」
「そっか」
 ゆらは少し考え込んで、また微笑んだ。
「あ、でも。そしたらいろんな人にお祝いしてもらえるね」
 愚神に故郷と家族を奪われた人見知りで引っ込み思案の少女はエージェントとなり、ずっと自分を変えようと努力を重ねてきた。結果、穏やかな日常に語らう友を得、同じ戦場を駆ける仲間を得、人生を共に行く亮馬と出逢った。
 これからもずっと、友と肩を並べ、仲間と背を合わせ、互いに心を添わせて生きていける。そう思い込んでいた。
 それがどれほどの夢であったのかを、友と仲間を失いながら思い知った。
 ここに残っているのは亮馬とゆらだけ。もうふたりきり――ふたりぼっちだった。
「……俺、タキシード持ってないぜ?」
 薄暗い思考を追い出したくて、亮馬は無理矢理に明るい声を絞り出した。
「私だってウェディングドレスなんて持ってないけど、結婚式はちゃんとしたいもん」
 ゆらは胸の前で両手の指を組み合わせてうきうきと語り、ふと目線を落として声をひそめ。
「私が北条ゆらじゃなくて加賀谷ゆらになりましたよーって、憶えててくれる人がいたらいいなって思うんだ」
 本当に祝福してほしい人はもういないから。
 本当に憶えていてほしい人ももういないから。
 それでもせめて誰かに認めてほしい。
 自分たちは遠くない未来、戦いの中で死ぬだろうから。
 亮馬は交換したばかりの義手の出力を絞り、ゆらの切ない覚悟ごと彼女を抱き寄せた。
 彼女は共鳴中、契約英雄に半ば主導権を委ねることで氷のごとき冷徹さを発揮する。しかし共鳴を解いてしまえば、後に残るのは細くて軽くて、ひとつ歳上だなんて信じられないくらいかわいい、ゆら。
「亮馬。夜襲、あるかもだから……」
 そう言いながらも亮馬の腕を拒むことなく、ゆらは戦いの中でもつれ、土埃と血とで固まってしまった彼の髪を指先でやさしく解く。
「亮馬はいつも他の人とか私のこと守ってくれるけど、もっと自分のこと大事にしないとだめだよ。ずっといっしょにいるんだからね。生きてる間も、死んでからも」
 ――俺はいつだってゆらのやさしさに甘えてる。わかってる。わかってるんだ。でも。俺はゆらを守りたい。だから俺は、俺のことなんか大事にしてられないんだよ。
 亮馬はゆらを抱きしめる。
 自分の顔を見られないように、強く。
 この身勝手な願いを悟られないように、強く。


 琵琶湖の底から水棲型の従魔群が攻め上がってきたことで、防衛線はあっけなく瓦解した。
 とっくの昔に焼け野原と化していた戦場へ、どろりとした体液でその身を鎧った魚人の群れがなだれ込み、エージェントたちを三叉槍で貫き、吐き出した酸で溶かしていく。
「京都と滋賀は水路で繋がっている。この事態は予測しておくべきだった」
 ゆらが厳しい顔を亮馬へ振り向けた。
「どこかに指揮官がいるはずだ。そいつを斬る。ひっくり返すにはそれしかない」
 彼女をかばって前へ出ようとした亮馬を、ゆらの腕が押しとどめ。
「三歩後ろをついて来い」
 亮馬に言い返す隙を与えないまま、ゆらがサンダーランスを敵陣へ撃ち込み、道を拓いた。
「三歩先を行くのは夫の務めだぜ」
「古臭い因習だな。そのような不条理に私は甘んじない」
 目まぐるしく立ち位置を変え、互いにフォローしながらふたりは敵陣へ斬り込んだ。
 すぐに道は塞がれ、八方より従魔が詰め寄せる。
 亮馬は怒濤乱舞、ゆらはブルームフレアでそれを押し返すが……そもそもの数がちがいずぎる。
 亮馬がゆらを軸にして回転し、アスカロンを大きく薙いだ。
 斬り払われる従魔たち。が、その血煙に隠れた1体の従魔が、至近距離からゆらへ槍を突き込んだ――
「やらせねぇよ……!」
 槍の穂先に貫かれた亮馬の左手が火を噴いた。
 動かなくなった左腕を右手で支え、亮馬はゆらにかぶさる。
 その肩口に、背に、次々と突き立つ三叉槍。
「亮馬!」
 ゆらの悲鳴がやけに遠い。これはいよいよまずそうだ。
 亮馬はそっとゆらを離し、槍を突き立てられたまま踏み出して剣を振るう。
 斬り込む道を拓いたのはゆらだ。今度は俺が活路を拓く!
「亮馬。ずっといっしょだって、言ったよ?」
 ぞくり。亮馬が引きずり寄せられるように振り向いた。
 彼の後ろにいたのは、ゆら。共鳴を解除し、瞳に狂おしい光を湛えてすがりつく、最愛の人。
 後方では、ゆらの契約英雄が皮肉な笑みを浮かべて肩をすくめてみせた。「それがゆらの幸せだそうだ」、唇の動きでそう告げて。
「私ね、もう亮馬しかいないの。亮馬にも私しかいないよね? そうだよね?」
 ゆらは自身の英雄も迫り来る従魔も見ようともせず、ただ亮馬に笑みを向ける。
 同じときに死ぬ。ただそれだけのために、彼女は魂の相方であるはずの英雄をたやすくもぎ離した。
 ゆらに生きてほしい。それだけを考えてゆらを置き去り、命を捨てようとしていた亮馬を追って、死地へ駆け込んできた。
「なんだよ――なんで――俺はおまえを――」
 しがみつくゆらを突き放したかった。でも、何本もの槍で穴を開けられた義腕は一ミリも動いてはくれない。それなのに。
 亮馬は笑んでいた。
 なんだよ、これ。なんで俺、笑ってんだよ!? ふざけんなよ俺!!
 心の中で声を荒げ、そんな自分を嘲笑う。
 だって俺は。
 ゆらがいっしょに死んでくれて、うれしいんだよ。
 ゆらを置いて逝かずにすんで、うれしいんだ。
 胸の底から突き上げる喜びが、絶望と血を共連れて意識を押し流していく。
 ブラックアウトする視界が、ゆらの笑顔でいっぱいになる。
「押し返せ! まだだ! まだ人間は終わらんよ!」
 HOPEの設立者であり、伝説のリンカーである老雄の声が戦場に轟いた。
 五百を越えるエージェントが従魔群の横っ腹を叩き、一気に掃滅していく。
 死ねなかったのかよ。でも――
 ゆらの腕の中で亮馬はつぶやき、残されていた意識を手放した。

 援軍を得て愚神勢力の強襲をしのいだHOPE東京海上支部は、この日をもって琵琶湖防衛線を放棄。老雄の指揮の下、世界各地から転戦してきたエージェント五六二組と共に人々を北海道へと退避させ、青森最北端に新たな防衛線を形成した。
 元・東京海上支部所属エージェントの三八組は思い知る。
 この六〇〇組が、人類に残された最後の盾なのだと。
 守るべきものを守りきれなかった結果、自分たちはここにいる。
 ――誰かが歌を口ずさんだ。
 それはHOPEの誰かが戯れに作った組織歌。
 老雄が続き、さらにエージェントたちが続いた。
 もうじき到着する愚神群の主力を討つ。
 ひとかけらの希望を守り抜いて、逝く。
 無念と悔恨と覚悟を込めて、一二〇〇の声音が重ねられ、ひとつの意志を成した。
 そのただ中。
 他の一一九八の声音と声音を合わせながら、亮馬とゆらは前を見据えていた。
 誰と心を合わせることなく、互いの顔を見ることもなく、互いの心の熱だけを感じながらまっすぐに。


 地を覆い尽くす従魔を前に、エージェントたちに固めるべき陣はなく、取るべき策もなかった。
 ゆえに彼らは力を尽くした。六〇〇組のアクティブスキルは最初の三分で尽きた。あとは次の一秒を戦い抜くため、命を捨てるだけだ。
「では諸君、ごきげんよう」
 老雄が血にまみれた笑顔を振り向け、手の内に握り込んだ結晶を割り砕く――リンクバースト。
 エージェントたちがそれに続き、次々とリンクバーストへ突入する。
「ゆら」
「亮馬」
 互いの名を呼び、亮馬とゆらもまた結晶を握り砕いた。
 仮初の命を取り戻したエージェントたちが、雄叫びをあげて従魔の先陣へ突っ込んだ。
 咆哮はいつしか歌となり、互いの歌は標となった。
 目を潰された者は歌声をたぐって従魔を殺し、耳を破られた者は歌声の波動を頼りに仲間と攻撃を合わせる。
 しかし従魔群は果てなく詰め寄せ、歌声をひとつ、またひとつ消していく。
「ゆら、聞こえるか?」
 半ばから刃を失くしたアスカロンを左手に構えた亮馬が、背中ごしにゆらへ問うた。
「ああ。目は持って行かれたが――亮馬の目をひとつもらうからいい」
 従魔の猛攻で焼かれた目を、誰かが残していったメギンギョルズで塞いだゆらが応えた。
「じゃあ俺の左目やるよ」
 亮馬は言いながら、折れた大剣を振るって怒濤乱舞を放つ。
 できることなら右目もゆらに渡してやりたいところだが、右目は先ほどの愚神の攻撃で右半身と共にけし飛ばされた。
 バーストリンクしていなければとうに死んでいる。つまりはバーストクラッシュした瞬間死ぬ。どちらにせよ、亮馬に生きる道は残されていないのだ。
 ああ。
 ゆらが今の俺を見れなくてよかった。
 俺がなにをしようとしているのか知らずにすんで、よかった。
「……憶えててくれる人がいればいいって、言ってたよな」
「亮馬?」
「俺はゆらが憶えててくれたらいい。ゆらに憶えててほしいんだよ。……ちがうな。俺がいたことなんて忘れてくれ。お願いだからさ」
 アスカロンを捨てた亮馬の左腕がゆらを抱え、投げ飛ばした。
「な――!?」
「なんでもいいからまっすぐ走れ!」
 俺がいなくなれば、ゆらは俺を追っかけなくてすむ。
 ゆらが生きててくれれば、俺はゆらといっしょに死にたがらなくてすむ。
 だから、生きてくれよ。
 この世界がダメなら他の世界で、新しい友だちと新しい仲間と、新しい誰かといっしょに……!
 攻めも守りも捨てた亮馬の体に無数の刃が、穂先が、魔法が突き立ち。
 倒れることすらできぬまま、亮馬は絶命した。
 その頬に、消えぬ笑みを刻んで。
 ――最期に共連れて逝くは愛する者ならず、か。皮肉なものだな。
 亮馬の内でつぶやいた英雄が最後の力をもって亮馬の目を閉ざし、自らも契約主を追って底のない闇へと落ちていった。

 地に落ちた衝撃と遠ざかった音とで、自分が戦場の後方へ投げられたことが知れた。
 でも。
 亮馬がなぜそんなことをしたのかが、ゆらにはどうしてもわからない。いや、わかっている。ただ、認められないだけ。
 英雄が先ほどから亮馬の思いを無駄にするなと叫んでいるが……ちがう。ちがうちがう。
「ムダになんて、してないよ。だっていっしょに死ぬって約束した。約束――約束、したのに――亮馬」
 涙が、彼女の目を塞いでいた血を洗い流す。
 傷つけられた目が、わずかに光を取り戻す。
 そしてゆらは見た。見てしまった。
 従魔の得物で縫い止められたまま立ち尽くす亮馬を。
「あ」
 英雄の声はもう聞こえなかった。
 ゆらは手を伸べて亮馬へ向かう。
 無防備な彼女の体に降りそそぐ攻撃がその命を損ない、バーストクラッシュさせるが、その度にゆらはリンクバーストへ再突入し、バーストクラッシュし、再突入……ついに亮馬へとたどり着いた。
「亮馬」
 亮馬は応えない。
「亮馬」
 静かに笑んだまま、動かない。
「亮馬……私のこと守ってくれたんだね。私、愛されてるね。でも」
 愚神の放った一条の炎がゆらの胸を穿ち、心臓を貫いた。
 幾度めかのバーストクラッシュ。が、再突入はない。
 死にゆきながら、なお揺らがず。ゆらは亮馬へ語りかける。
「亮馬はわかってない。私がどれくらい亮馬のこと愛してるか」
 ゆらが笑んでいた。
 笑みはやがて音となり、戦場に高く響き渡った。
 ゆらは笑った。
 笑う中で、その目が仮面に塞がれた。――見たくないものを見なくていいように。
 笑う中で、その体が漆黒のライヴスで鎧われた。――もう何者にも傷つけられないように。
 笑う中で、その心が狂気に穢された。――亮馬に置いていかれた悲しみを思い出さないように。
 私は幸せ。幸せだよ。だってもうなんにも見えない。傷つけられない。悲しくない。
 ゆらの内で彼女を留めようと死力を振り絞っていた英雄は、彼女の狂気に引き裂かれて消えた。

 すべてを失い、すべてを得たゆら――邪英は笑む。
 それはまさしく、破滅の誕生であった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【加賀谷 亮馬(aa0026) / 男性 / 22歳 / きみのとなり】
【加賀谷 ゆら(aa0651) / 女性 / 23歳 / あなたのとなり】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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“あなた”は“きみ”の生を願い、“きみ”は“あなた”に生を捧げた。
 掛け違えたふたつの思いはさながら賢者の贈り物。
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2016年12月19日

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