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『風が再び生まれるまで 』
ユリアン・クレティエka1664

 薄らと光射しこむ部屋、ぼうと霞んで滲んだ視界に映る手……に思ったのは……。

(何で俺 生きてるんだろ……)

 助けてくれたであろう、心配してくれたであろう師や妹や仲間のことよりも、ただただどうして生きてるのかそれだけ。
 この命惜しくはなかった。
 彼女に想い届ける事ができるなら。彼女の苦しみに少しでも寄り添う事ができるなら。
 だというのに何もできなかった――……。
 死ぬことすらも……。
 悲しいはずなのに悔しいはずなのに、憤っているはずなのに……心が何も感じない。
 それはベッドから起き上がれるようになっても変わらず、心配する人に大丈夫だと笑みを返しはするがそれすらも心の底からではないような。
 空に手を伸ばす。
 いつも感じていた風がそこにはない。
 心のどこかが欠けたことにその時気付いた。
 だからユリアンは旅立ちを決意したのかもしれない。皆から距離を取るために。

 愛馬アルエットとともに北――かつて仲間たちと救ったアメノハナの村を目指す。
 整備されていない街道を荷を背負ったアルエットと並んで行く。
 重なり倒れる枯草が揺れ、ウサギの親子がアルエットの影に驚き逃げていく。
 地平線、針葉樹林の尖った細い影、行けども行けども遠いまま。
 乾いた風が大地を渡り、埃が巻き上がる。
 帝国辺境を越えた北の地は既に冬支度を始めていた。

(久しぶり、元気にしているかい。北にはもう冬だよ……)

 ユリアンは遠くリゼリオにいるであろう妹に心の中で手紙を綴る。

(空がとても澄んで綺麗なんだ)

 足を止め見上げた空。
 鈍色の雲の合間から覗く透明な青。景色に色が少ないせいか目に染みるように鮮やかだ。
「うん……空が  とても綺麗、だ」
 青が沁みる双眸を細めた。
 そう世界はとても美しい――けど。

 遠い……な。

 硝子一枚隔てているように。絵を見てるように。そこにある温度を感じない。
 ユリアンの握った手綱をアルエットが軽く引っ張る。
「あぁ、行くよ。日が暮れる前に今夜寝る場所を決めないと」
 夜、寝ていると声が聞こえてきた。またか、と思う。

『なんでお前は生きているのか? 永らえた先になすべきことはあるのか?』

 その声に答える言葉を持たない。
 何もなせず生き延びてしまった自分に価値があるのだろうか、問うたところで答えはない。
 体を丸め頭から毛布を被る。

 アメノハナの村は既に白く染まりつつあった。
 甲高く鳴く風は頬を切り裂くほどに鋭く、容赦なく体温を奪っていく。
「うわぁ……」
 真冬と違い水気を多く含んだ雪が作るぬかるみにはまったブーツを見下しユリアンは思わず声を上げた。縄や工具を背負ったアルエットはぬかるみを避けて横を通り過ぎていく。
「少しは手を貸してくれてもいいじゃないか」
 板を担ぎなおして追いかけるユリアンにアルエットは知らん顔だ。
「あれから歪虚の手もここには届いていないみたいだね」
 広場の端、井戸の近くに板を下しユリアンは周囲を見渡す。祭り賑わいの面影はそこにない。
 村の住人は歪虚の襲撃を機に祖霊花であるアメノハナをこの地に残し帝国へ移った。いずれ戻って来るという望みと共に。
 だからユリアンはこうして時折誰もいなくなった村の様子を見るために訪れているのだ。
 今回の目的はやってくる冬への準備。尤も本格的な大工仕事の心得はないから柵の緩みを締めなおしたり、屋根を補強したり――大したことはできないのだが。
 少しでも皆が暮らしていた時の姿を残したくて。
 それに動けば夜はよく眠れる。あの声を聴かずにすむ。

 作業を終えた後、アメノハナの群生地に向かう。
 アメノハナの移植を提言し二回目の冬。未だ持ち帰ったアメノハナは蕾をつけず試行錯誤の日々。
 そういえば出立の挨拶の際、師匠から「よろしく伝えてくれたまえよ」と言付かった。これは「アメノハナ」に向けてだったのだろう。
 師匠にはユリアンが此処を訪れることもお見通しだったようだ。
「リゼリオじゃ気温高すぎるのか?」
 しゃがみこんでアメノハナを覗き込む。蕾がつくのは本格的に雪が積もり始めてから。まだその様子はない。
「本当は丸一年此処で暮らして観察するのが……」
 良いんだけど……そこまで声にして気付く。
「できる……かな?」
 心に風の吹かぬ今なら……。
 この地でひそやかに。永らえてしまった命を引き摺って……。
 どれくらい考えていただろうか。木々を揺らす冷たい風、「くしゅんっ」とくしゃみを一つ。
 気づけば夕暮れだ。
「うぅ……ちょっと冷えた、な……」
 背筋を這い上がる寒気にぶるっと体を震わせ、塒としている遺跡へアルエットと共に戻っていく。

 遺跡の小部屋をユリアンは仮の住処としていた。長老は村を訪れることがあれば自分たちの家を使ってくれて構わないと言ってくれたが、村人のいない村に誰かがいた痕を残したくはない。
 ズっと鼻を啜って羽織った毛布を手繰り寄せる。温かいスープを飲んでも体が温まらない。
 少しばかり怠いな、とその日は早々に床に着いた。
 夜中、酷い寒気に覚めた目。節々が軋んで痛い。
 これはまずい、と薬師の助手として思う。
 鞄から引っ張り出すありったけの防寒具。一緒に一つ瓶が転がったがユリアンはそれに気付かない。
 雪だるまのように着膨れしても一向に寒気は収まらず、歯をガチガチと鳴らす。
 足先が氷のように冷たいのに頬や頭は焼けるように熱い。頭の中銅鑼が鳴り響き吐き気もしてきた。
 背を丸め酷く咳き込む。口の中胃液の苦さが広がった。
(そ……いえば……)
 中身を散乱させている鞄に視線を向けた。師匠が持たせてくれた薬があるはずだ。
 飲めば幾分楽になるだろう。手を伸ばし――だが途中でその手を何も掴まないまま床に落とす。

『なすべき事もなくただ永らえるのか?』

 轟々と暴風の如く響く耳鳴りに混じる声。
「は……ハハ……」
 気付いたら笑っていた。命を賭けたというのに、のうのうと生き延びてしまった自分が薬を探そうとする姿が滑稽で……。
「な  にを……」
 求めることが、何を選び取ることができるのだろうか。死ぬことすらできなかった中途半端な自分が……。
 永らえた先に何があるのか……。果たすべきことなどあるのか……。

「俺の  いの、ちに    なんの  」

 意味があるのか……。

「今……此処で   」
 一人死ぬ……。
「あの……とき  」
 死ねなかったのに……。
「だけど    そ、れも  ことわ、り   か、な?」
 命を賭けた時に死ねず、旅路で死ぬ――そのようなものか。それが運命というなら皮肉なものだ。唇の端歪むのが分かった。

 虚ろな視線が投げ出されたままの腕をみやる。投げ出した腕一本、毛布の中に戻すことすら面倒くさい。

 賭けて……みようか。

 このまま流れに委ねてしまおう――そう思った。
 生も死も――流れるままに。抗ったところで自分の命は……なにもできなかったのだから……。
「そ…… れ、が…… 俺、の……」
 掠れた声を最後にユリアンは漸く意識を手放すことができた。

 意識がたゆたう。うつら、と。
 ユリアンは小舟に乗っていた。川も空も真っ暗で灯り一つない。
 小舟は激しい流れの翻弄され今にも転覆しそうだ。

 暗がりに浮かぶ林檎の赤。人差し指を唇の前に立て双眸三日月のように細める人。


 ヒューヒューと喉から漏れる苦し気な吐息。胸に雑音が混じる。


 薬草の匂い。大地の匂い。雨の匂いを纏った人が此方を向く。全く、と少し呆れたように。でも双眸には慈しみの光を浮かべて。


 関節が腫れ上がりそうだ。喉は呼吸をするだけでも焼けるほどで。痛い、苦しい……無意識のうち爪を立毛布を引っ掻く。


 赤く紅潮した頬にへの字口。口が達者な妹が本当に怒ると黙り込む。


 胃の中、何もないのに吐き気だけが酷くて無理やり吐こうとして体が痙攣を起こす


 扉の前に置かれたアップルパイ。皆を惹きつける笑顔の華やかな人は自由なようでいて常に気遣ってくれる。


 意識が白濁する。自分は今どこにいるのかもわからぬほどに。


 まっすぐな紫の目が潤んで今にも泣き出しそうになりながらも懸命に言葉を紡いでくれた少女。


 浮かんで沈む意識の中、暗闇に旅立つ前に会った人たちの顔が声が浮かぶ。
 何もかも自分に勿体ないほど眩くて……。
 だからこそ心からそれに応えることのできない自身が寂しくもあった。

『ありがとう、大丈夫よ』
 愛しい人の遺髪を抱いた彼女が闇に溶けていく。

 行くな、と叫びたくとも声にでない。

 彼女の静かな生を願った。亡き恋人を思う日々でも、新しく歩き出しても良い。彼女が生きていけるなら……。

 だというのに彼女は……。そしてそこに追いやったのは……。
 あの時その可能性に思い至っていれば、また村を訪れていれば……いくつもの「もしも」が浮かぶ。でも時間は戻せない。
 自分は無力だ――ということだけ突きつけられる。そう思う事すら思い上がりかもしれない。

 それでも俺は彼女に……彼女に……


 生きてもらいたかったんだ――……


 友人たちや師匠が自分に願ったように。彼女が恋人に、恋人が彼女に願ったように……。

 ただ……それだけ……の、  ……。

 そこで目が覚めた。

「ぁ……」
 小窓から射しこむ陽射し。
 寒気も頭痛も嘘のように引いている。
 大量の汗で肌着も髪もべっとりと肌に張り付き、喉も唇も枯れてまともに声すら出ない。
(また……生き延びて、 しまった  のか)
 重たい腕を持ち上げるだけで筋肉が悲鳴を上げた。
(俺に 何が できる?)
 天井に向かって伸ばした手。何かを掴む様にゆっくりと閉じていく。
(手をすり抜けてく多くの……)
 何も掴めなかった。何もできなかった。
 落ちる手の先が触れる何か。冷たく滑らかな――林檎ジャムの瓶。
 小隊長が見舞にとくれた林檎で作ったものだ。
 転がり落ちている蓋、半分以上無くなった中身。
「っふ……は、ははっ」
 乾いた唇から自然と笑みが零れた。投げやりな笑いとは違う。
 死んでも良いと思っていたはずなのに体は無意識に命を繋ごうとしていた――。
 瓶をのろのろとした動作で拾い上げる。指ですくってそれを舐めた。

 甘さが、酸味が体に染み込む。

 優しく広がっていく滋味。
 一人、北の大地、だが自分はこんなにも誰かに生かされている。
 知っていた、初めから……知っていたのだ。
 病で苦しくなるたびに皆の事が浮かんだ……。

 ただただ生きていてくれるだけで良い……。

 なんと単純なことだろう。

「そ  っだ  生きて、いて   ほしっ……か   った 」

 体の中溶けていく林檎の甘み。気づいたらユリアンは涙を流していた。
 次から次へと溢れる涙を止めることができない。

 自分たちはただ生きていく。
 生きてほしいと願ってくれる人の手で、想いで。
 自分たちは紡がれていく。

 寝床から這い出て水瓶へと向かう。
 覗き込んだ水面に映る顔。ぼさぼさの髪に真っ黒な隈、頬はこけて、肌は荒れ放題。
 妹がいたら「兄様……」と渋い顔で鼻を摘まれること必至。
 ちゃんと手紙を書こうか、ふと思う。
 今はまだ何もわからないけど。風はまだ感じないけど。
 それでも……。
 自分へと繋がれた想いがあるのだから……。
 辺境にて出会った人の言葉が耳に蘇った。
 『約束』――そうだ俺もアメノハナを守ると……。
 花も村もいずれ朽ちるかもしれない。またすべて徒労に終わるかもしれない。
 でも「生きていて欲しい」のだ。
「ま、もり……たぃ。  この花だけは……」
 たとえそれが一時のことであっても。

『永らえた先になすべきことはあるのか?』

 それはまだ見えない。
 それでも自分は今生きている。多くの人の想いを受けて。
 だから……。
 ユリアンは決めた。春を告げる花をこの地にて迎えよう。
 優しい橙色に揺れる花をもう一度……。
 せめても受けた想いを次へ繋ぐために……。
 遺跡を出てアメノハナの群生地へと向かう。

 風はまだ凪いでいる ―― でも……


 見上げた空の青は眩しく、久しぶりに浴びる陽光は暖かい……と感じた。


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ユリアン(ka1664)

ご依頼頂きありがとうございます。
ユリアンさんが再び風を感じるきっかけになれば、と思い執筆させていただきました。
少しやさぐれ度が高くないかテーマよりプラス方面にもマイナス方面にもふり幅激しくないか、
と心配ではございますがいかがでしょうか?
気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
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2016年12月27日

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