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『ムーン 』
ヴィルヘルム・ハスロ8555)&―・雛月(8575)


 頭に血が昇っている。
 それを、ヴィルヘルム・ハスロは自覚していた。
 雛月の背後に、あの情報屋がいる。
 そんな事を考え始めてから、ずっとそうだ。
 自分は今、冷静さを欠いている。
 それがわかっているから、ヴィルはここへ来た。かの情報屋を相手にするのであれば、まずは冷静になる必要があるのだ。
 落ち着いて考え事をしたい時に、ヴィルはよくここを訪れる。
 廃墟と化した、教会である。
 手入れする者もなく伸び放題の樹木の枝が、建物の中にまで入り込んでいる。
 ひび割れたマリア像にも、植物が絡み付いていた。
 不思議な事に、イエス・キリストの像は見当たらない。盗難にでも遭ったか、もともと聖母のみを祀る教会であったのか。
 とにかく。ここへ来ると、落ち着いて物を考える事が出来るのだ。
 何故なのか。
 寂れた教会、という場所に、自分は何やら安らぎのようなものを感じてしまうのか。
「教会が……ふふっ、懐かしいとでも?」
 ヴィルは笑った。己に対する嘲笑、に等しかった。
 あの教会で過ごした日々に懐かしさを感じている、のだとしたら愚かとしか言いようがない。
 その懐かしい安らぎの日々を終わらせてしまったのは、自分ヴィルヘルム・ハスロ自身なのだから。
 ヴィルは見上げた。
 天井の一部が崩落し、月明かりが日差しの如く射し込んで来て廃教会の中を照らす。
 満月、にはいくらか足りぬようだが、妙に月の明るい夜であった。
「まるで、あの時のように……」
 呟きながら、ヴィルは足を止めた。
 先客がいた。
 苔むしたベンチに腰を下ろす、優美な人影。
 月光の中で、たおやかなその姿がゆらりと立ち上がる。修道服のベールが、微かに揺れた。
 血と炎の色をした瞳が、じっとヴィルに向けられる。
 年齢の読めない美貌が、穏やかに微笑む。
 ヴィルは思わず、呼びかけていた。
「シスター……」
 あの夜、満月の夜。自分はこのシスターを殺害し、安らぎの日々を終わらせたのだ。
 それに対する恨み言を口にするでもなく、シスターはただ微笑んでいる。
 今、懐に拳銃があれば、自分は間違いなく抜いて構えているだろう。
 そう思いながら、ヴィルは言った。
「貴女は……雛月さん? ですね」
「……嫌だね、プロってのは本当に」
 シスターが舌打ちをした。
 いや、すでにシスターではない。
 身に着けているのは、禁欲的な修道服ではなくビスチェとホットパンツで、すらりと引き締まった脇腹と太股がごまかしなく露わである。
 ヘアピースでしかないはずの赤い髪は、月光を浴びて今、本物の赤毛のように艶やかだ。
 形良い指先で1枚のタロットカードをつまみ掲げて見せながら、雛月は言った。
「お前の、心の闇を暴き立てたつもり……だったけど。プロの戦争屋さんは、そんなんじゃ全然動じないってわけかい」
 カードに描かれているのは、夜空に浮かぶ人面の月、それに向かって吠える野犬と狼。そして月光の中、池から這い上がろうとしている小さなザリガニ。
 そんなカードを、雛月はぴらぴらと揺らめかせている。
「人の心の闇に、光を当てる……そいつが心の奥底に頑張って隠してるものを、暴き立てて見せつける。それが、この『月』のカードさ。澄まし顔の外人野郎が、取り乱してブチ切れたりするとこ見てみたかったんだけど……ヴィルヘルム・ハスロ。お前の心の闇、こんなもので暴けるような薄っぺらいもんじゃないみたいだね」
「まさしく、その通り。今のシスターは、私の心の闇のほんの浅い一部分に過ぎません」
 ヴィルは微笑んで見せた。
「それにしても奇遇ですね。このような場所で、雛月さんにお会いするとは」
「お前に会いに来たわけじゃあない。僕は……この、聖母マリアって女が大っ嫌いなんだ」
 赤いカラーコンタクトの下で、雛月は眼光を燃やした。まるで本物の、赤い瞳のように。
 ヴィルは思う。聖母マリアを、イエス・キリストを、それに神を、憎んでいた時期なら自分にもあると。
 神が本当にいるのなら、あんな事が起こるわけがない。そう思っていた時期が。
 同じような事を、今の雛月は感じているのだろう。
「こんな教会、だから燃やしてやろうかって思ってたとこさ。そうしたら偶然、お前が来た。不意打ちで殺してやろうかとも思ったけど」
「それをせずにいて下さって、どうもありがとう」
 ヴィルは一礼した。
 それが、雛月の神経を逆撫でしたようである。
「正々堂々、正面からブチ殺すだけだ! さあ、拳銃とかナイフとか持ってんなら抜けよ! お前、戦争屋なんだろ!?」
「ほう。誰から、そのような事を?」
 ヴィルはまず、探りを入れてみた。
「私の事を知るどなたかが、雛月さんの傍に?」
「何でも知ってる情報屋さ。そいつから、お前の事は聞いてるよヴィルヘルム・ハスロ。あっちこっちの国で、随分と人を殺してるそうじゃないか」
「愚者……と呼ばれる情報屋?」
「有名人なんだよね、あいつ」
 雛月の顔が、にやりと歪んだ。
「お前とは、あいつ少しばかり因縁があるみたいだね」
「私が、心の闇の奥底に頑張って隠していた事をね……彼は、物の見事に暴き立ててくれましたよ」
 あの情報屋との交渉を行ったのは、ヴィル自身である。
 交渉の中で、会話の中で、彼はヴィルヘルム・ハスロという一個人に関する、ほぼ全てを言い当てて見せた。
 ヴィルの、誰にも語った事のないあの過去を、『愚者』と呼ばれる情報屋は全て知っていた。
 過去を、視られたのか。ヴィルは最初、そう思った。
 あの女性のように、人の見えざる一面を『視る』能力を持った情報屋なのかと。
 彼と会話を重ねてゆくうちに、ヴィルは確信した。違う、と。
 情報屋は、あくまで情報屋である。魔法使いや超能力者の類ではない。
 情報屋らしく彼は、ヴィルの全てを調べ上げたのだ。恐らくはルーマニア軍にすら繋がるような伝手を、持っているのだろう。
「彼は私に関して、ほぼ全ての事を掴んでいます。雛月さん、貴女はそれを」
「訊けば、教えてくれるかもね。だけど訊いてはいない。お前に関しては、腕利きの戦争屋って事くらいしか僕は知らないよ」
 シスターと同じ色の瞳が、ヴィルを睨み据える。
「それ以外の事は、僕がこの『月』のカードで暴き立ててやるつもりだったけどね……まあいい。その澄ました顔の下に、どんだけ薄汚い正体を隠し持ってやがるのか。今から力ずくで暴いてやるよ。その面の皮ぁ引っぺがしてねえ!」
「今のシスターが、いかなる人物であるのかも、雛月さんはご存じない?」
「お前の心の闇の中に、あの女の姿がちらりとだけ見えたから引きずり出してやっただけさ。どんな奴かなんて、知らないしどうでもいい! そんな事より、お前の薄汚い正体を引きずり出してやるよ。命乞いの言葉と一緒にさあ!」
「どうでも良い、などと言ってはいけませんよ。私の正体を知りたいのであればね」
 血と炎の色をした瞳を、ヴィルは正面から見つめ返した。
「私の正体……心の闇の中に、私が懸命に押し隠しているもの。あのシスターはね、それに深い関わりのある女性なのですから」
「何だよ……ふん。お前の、おふくろさん? とか言うんじゃなかろうね」
「当たらずとも遠からず、なのでしょうか」
 ヴィルは、満月にはいくらか足りない月を見上げた。
「大切なものを奪われ、それを取り戻すために吸血鬼の力が必要……なのでしたね、貴女は確か」
「それも一山いくらの雑魚じゃない。『血の伯爵夫人』あるいは『串刺し公』御本人クラスのレア物じゃないと駄目なのさ」
 カラーコンタクトの貼り付いた眼球が、ギラギラと血走っている。
「そのレア物がねえ、やっと手に入るって時に、澄まし顔のくそったれ外人野郎に邪魔された僕の気持ち! 少しはわかってくれるかなぁあ」
「もう彼を付け狙う必要はありませんよ雛月さん。少し、昔話をしましょうか」
 ヴィルは、苔むしたベンチに腰を下ろした。当然、雛月が激昂する。
「おい、ふざけてんのか!」
「今日は私、拳銃もナイフも持って来てはいませんよ。貴女がその気になれば、私を殺すのは容易い事」
 ヴィルは言った。
「勝ち負けで言えば、私の負けです。負け犬の遠吠えに耳を傾けてみるのも一興、とは思いませんか?」
「思わないね」
 言いつつも雛月が、少し離れたベンチに腰を下ろした。
「……でもまあ、聞いてやるよ。どんな昔話をしようってのさ。桃太郎? 赤ずきん? それともシンデレラ? あれはいいよね。最後シンデレラが継母どもをぶち殺す辺りがさ」
「シンデレラでも白雪姫でもありません。実在した人のお話ですよ。その人は『串刺し公』と呼ばれていました」
「何だって……」
 雛月が息を呑む。
 月を見つめたまま、ヴィルは話を続けた。
 自分の口で、この話を他人に語って聞かせるのは、初めてのような気がした。


 語ってしまえば、別にどうという事もない話であった。
 心の闇の奥に、後生大事に隠しておくような話でもない。
 だが雛月は、真面目に聞いてくれた。
「1つ、確認したいんだけど……その村長のくそったれな息子は、きっちり死んでくれたわけ?」
「私の父が、始末をつけてくれましたよ。皆殺しの一環として……特に、念入りにね」
「そりゃ良かった。胸糞悪い事した奴は、最後にはやっぱ豪快にブチ殺されてくれないとね。エンターテインメントってのは、そうでなきゃいけない」
 雛月が、楽しそうに笑っている。
「お前にとって、どんだけ悲惨な話でも、僕にとっちゃエンターテインメントさ……楽しかったよ、ヴィルヘルム・ハスロ」
「ありがとうございます」
 ヴィルは立ち上がり、胸に片手を当てて一礼した。
 雛月が、フンと鼻を鳴らす。
「それにしても……お前が、串刺し公の末裔? つまり僕に力を貸してくれると、そういう解釈でいいのかな」
「彼を付け狙うのを、やめて下さるのであれば」
 ヴィルは言った。
「貴女が吸血鬼の力をもって何を為そうとしているのか、もちろん私は知りません。何であれ、私はそれに力をお貸ししましょう。その結果、どれほど禍々しい事が起ころうとも」
 雛月の表情が、強張り痙攣した。ヴィルは言葉を続けた。
「どれほど……おぞましいものが、この世に現れようと、私が責任を持って始末をつけます。ですが貴女はどうなるのでしょうね?」
「おぞましい、もの……お前、そう言ったのか今! 始末するだと!? そう言ったのかぁああああああああ!」
 雛月の怒号が、夜の廃教会に響き渡る。
 痛ましいほど怒りで歪みきった美貌を、ヴィルはじっと見据えた。
「質問に答えて下さい雛月さん。おぞましいものを私が始末した後、貴女はどうなってしまうのですか」
「お前…………ッッ!」
「その『月』のカード」
 雛月が握り締めているカードに、ヴィルは人差し指を向けた。
「そこに描かれているザリガニは、月の光に導かれて池から這い上がろうとしていますね。ですが野犬と狼を怖がって、また池の中に戻ってしまいそうでもある。心地良い、水底の闇の中へと」
 偉そうな事を言おうとしている。ヴィルはそれを、自覚はしていた。
「大切なものが失われてしまった。それを取り戻すための行動に打ち込んでいる間は、確かに悲しみを忘れていられるでしょう。ですが、その行動の結果……禍々しい何かが起こる。おぞましい何かが、この世に現れる。貴女は心のどこかで、本当はそれに気付いているのではありませんか?」
 雛月の表情が、歪んだまま硬直している。何か衝撃を与えれば、砕け散ってしまいそうなほどに。
 砕け散った顔の下に、彼女がいるのか。ヴィルが捜し出し連れ戻さなければならない、あの女性が。
 雛月に、あるいは彼女に、ヴィルはなおも語りかけた。
「そのカードを出したのなら……一筋の月光を頼りに、闇の中から這い上がってはみませんか。大切なものが永遠に失われて二度と戻らない、過酷な世界へと」
「…………ッッ!」
 何か叫ぼうとしながら雛月は口ごもり、何も言えぬままベンチから立ち上がった。
 そして身を翻し、駆け去って行く。
「雛月さん!」
 ヴィルは叫んだが、それは呼び止めるためではない。
「あの話を聞いて下さって……本当に、ありがとうございます!」
 無論、雛月は立ち止まらない。声が届いたのかどうかも、わからなかった。
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2016年12月28日

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