▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『退魔刃 』
芳乃・綺花8870
「――仮初とはいえその身に宿した、命」
 朱塗りの鞘に収めた三尺五寸(およそ105センチ)の大刀、その鯉口を切り、彼女は静かに声音を紡ぎ出す。
 少女である。
 が、少女離れしている。白のセーラー服に包まれた体も、丈の短い紺のプリーツスカートから伸び出すしなやかな脚も。異性ばかりか同性の目までもを奪い、釘づける艶やかさを備えていた。
 しかし、それ以上に人の目を奪うのは目だ。切れ長二重に飾られた黒瞳から放たれる光……研ぎ澄まされた刃さながらの、美しくて恐ろしい眼光。
 人々は誰しも彼女に惹きつけられるだろう。そして斬り捨てられるのだ。
「あと一秒長らえたければ死力を尽くしなさい」
 下弦の月を思わせる笑みが閃いた。
 朱鞘の内には呪符が張り巡らされ、抜き打たれる刃を超加速する。
 刹那を超えた神速の刃が曇天の夜に突き上げられ。悠然と返されて鞘に収められた後。
 殺、死、死!
 巨大な羆めいた“形”を成した魍魎が、その形ごと仮初の魂を両断されて崩れ落ちた。
 滅、殺殺、殺!
 魍魎はそれでも少女を捕らえようと塵となって消えゆく爪を伸ばしたが。すでに身を翻し、歩き出した少女の背には届かない。
 少女の長く伸ばした黒髪の先が風に踊る。
 魍魎は何度もそれを捕まえようと爪を伸ばし続け、その中で崩れ去り、消え失せた。
「あなたに来世があるのなら、いずれまみえることもあるでしょう。そのときにまた刃を望まれるのであれば……喜んでお相手を」

 人を眼で斬り、人外を刃で斬るこの少女の名は、芳乃・綺花。
 制服が示すとおりの高校生であり、魑魅魍魎の異常発生に脅かされる世界の均衡を保つべく設立された数多の民間退魔組織のひとつ、「弥代」に所属する新進気鋭の退魔士である。


「……で、君がその、退魔士?」
 逢魔が時、神社の鳥居前へ集まっていた警察官のひとりが、おそるおそる訊いた。
「弥代より参りました、芳乃・綺花と申します」
 そう言われても……警察官たちが顔を見合わせた。
 なにせ目の前に立つ退魔士は、表参道あたりを三十分も歩けばスカウトからの名刺が数十枚は集まるだろう美貌と肢体を備えた女性、いや、学校帰りの高校生である。さらに言うなら、引き締まっていながらやわらかな曲線を描く腿は剥き出しで、人外との戦いにのぞむ格好ではありえない。
 警察官たちは互いの顔と綺花の体を見、彼女が袋から抜き出した朱鞘を見て、また互いの顔を見合わせ、困惑する。
「事件の内容を教えていただけますか? 私はまだなにも聞いておりませんので」
 通学用の鞄を先頭の警察官へ投げ渡し、注目を強いておいて、綺花が真っ向から警察官たちを見据えた。
 気圧された警察官が綺花から目を逸らしつつ、あわてて説明を始めた。
 この神社で一時間前、塾への待ち合わせで集まった子どもたちが、鳥居の向こうに踏み込んだ瞬間、姿を消した。ただひとり鳥居の外にいた子どもの訴えを元に警察が退魔課員を派遣、霊的調査を行ったところ、強い“穢れ”が確認された。
「……初動が早かったことは幸いでした。今ならまだ、救えるかもしれません」
 綺花が黄と黒を縒り合わせたロープで出入りを封じられた鳥居を見やった。
 法術を使うまでもなく知れた。神世ならぬ常世への通路と化していることが。

 鳥居の向こうへ踏み入った瞬間、すぐ外にいる警察官の姿が歪み、遠のいた。
「ただの一歩で“連れて行く”とは、なかなかの呪力を持っているようですね」
 綺花は上へ上へ、果てなく続く石段に足をかけながら、スカートのポケットから和紙の切れを取り出した。そこに“鈴虫”と書きつけ、三歩ごとに石段の脇へ投じて進む。
 リー、リー、リー。鈴虫の役を与えられた紙が発する鳴き声は標だ。まやかしを貫き、正確な位置取りを綺花に知らせてくれる。
 このように形代(かたしろ)をよく使うのは、神道を修めた陰陽師と思われがちだが……仏法を修めた綺花は法力により、同じことを成してみせる。つまりは力の使いようということだ。
 そうして三十ほどの虫を投じた後、果てなきはずの石段が途切れた。
 眼前に拡がる光景は、ごくごく普通の小さな神域の様だ。とはいえ、人外の力が及んだ空間はねじ曲げられ、押し広げられ、折りたたまれているため、目に映るとおりの形ではありえないのだが。
 この域のどこかに捕らわれた子どもたちがいて、神隠しの起こし主がいる……。
 ふと。綺花は神社へ続く石畳の左右を護る狛犬を見た。
 通常であれば外からの侵入に備えるべき犬どもが、蔦で地に繋がれ、社をにらみつけていた。
 犬と蔦。
 綺花はふたつのキーワードから、ひとつの答を導き出した。
 ――ここは金屋子(かなやご)神を奉る神社。
 金屋子神はたたら場を守護する存在であり、犬に追われて蔦を伝い逃げる途中、その蔦が切れ、犬に噛み殺されたという逸話を持つ女神だ。蔦で繋がれ、何者かに制された狛犬は、彼女の力を封じるための呪いなのだろう。
 ならば。
 綺花は“油”と書きつけた和紙を細かにちぎって空に放ち、唱えた。
「オン・アギャナウェイ・ソワカ」
 仏法を守護する十二天がひとり、火天の真言。
 綺花の法力が“油”を燃やし、種火を成す。種火はさらに、封じられた金屋子神の“たたら火”の神気に引火、清浄なる焔を熾して空間の歪みを焼き祓っていく。
 果たして露われたものは、蔦で縛りあげられた子どもたちと、鉈を研ぐ黒き肌の鬼。
「かくれんぼはもうおしまいですよ」
 子どもたちを捕らえた蔦を焼き、鬼を焔の壁で阻んだ綺花が言う。
「振り向かずに虫の鳴くほうへ走りなさい」
 子どもたちは動けない。体も心もすくんでしまって、どうにもできない。
「あなたがたを待つ人がいます。その人たちのことだけを考えて」
 綺花の眼が子どもたちを促した。なによりも厳しく、なによりも恐ろしく、そうありながらなによりも優しい光を湛えた眼が。
 言いつけられたとおり、振り向かずに走っていく子どもたちを背で見送って、綺花が焔の壁を越えてきた鬼へささやく。
「次は私と鬼ごっこをして遊びましょうか」
 綺花の体が鬼を誘って宙へ舞った。
 鬼はその場から動かず鉈を振るった。十メートルは開いているはずの距離を無視し、その重い一閃が綺花を打つ。
 縮地……知恵がまわるだけではないようですね。
 朱鞘で鉈を打ち返した綺花は、自らの体からほんのわずか、命が削り落とされたことを感じた。
 あの鉈は“儀式”だ。
 魑魅魍魎は好んで人を喰らうが、それは肉を食むためばかりではない。魂が蓄えた生命力を最良の形で喰らい、自らを増力するため。
 鬼が鉈を研いでいたのは、子どもたちを「自分は喰らわれるのだ」と思い知らせ、その恐怖と絶望を自らの力に練り込むための儀式だったのだ。
 怒怒怒怒――鬼が鉈を振る。鉈に象徴された「重い刃で叩き斬る」が、綺花の朱鞘を幾度となく打ち据え、彼女の命をかすめ取っていく。
「距離に意味がないのなら」
 鬼のまわりを跳びまわっていた綺花が、ざん。踏みとどまって大刀を引き抜いた。
 護摩の炎で鍛えあげ、千の魑魅魍魎の血で冷やした刃がほの紅く輝き、鬼の禍々しい怒気を押し退ける。
 怒殺! ひるむことなく鬼が鉈を振り回した。その軌道が数十に分かれ、綺花へ殺到したが。
 一閃。ただそれだけで、綺花はそのすべてを斬り落としてのけた。
「あなたのいるその場から私を斬るとなれば、当然一方向からの攻撃になるでしょう。その理がある以上、数を増やしたところで無意味です」
 鬼の鉈が変じて金棒となった。鬼が鬼であることを象徴する、もっともたる暴力の形に。
 殺、殺、殺。
 縦に鉄棘を植え込んだ金棒が轟と唸り、大上段から綺花へ降り込まれた。受けた者自身に「この一撃は必殺」と思わせることで叩き潰す、理の攻め。
「そのわかりやすさは確かに脅威ですけれど」
 綺花が手首を返して刃を舞わせた。金棒に切っ先がまとわりつき、鉄棘を一本一本削ぎ落としていく。
 謎、謎、謎!
 すさまじい速度で振り下ろしたはずの金棒はいつまでも綺花には届かず、それどころか“暴力の形”が損なわれていく。なぜだ! なぜだ! なぜだ!
「あなたに思い知っていただくまでもない。そういうことです」
 宙に躍る髪の黒が、彼女の口の端に刻まれた紅い笑みを縁取った。――凄絶に美しく、壮絶に恐ろしい笑みを。
 鬼は綺花の美しさに惹き寄せられるように踏み出し、恐ろしさに突き上げられるまま金棒を振るった。
 綺花はその場にかるく両脚を開いたまま立ち、退魔の大刀でそれをいなし、流し、弾き続けた。
 どのように打ち込んでも、鬼の攻めは鎧どころか甲すらつけてはおらぬ少女の体に届かない。こんな鬼ごっこを、鬼は認められなかった。人というものはすぐに鬼の手に落ち、喰らわれるばかりのものであるはずなのに――
「耳をすませてごらんなさい」
 唐突に綺花が鬼へ言った。
 あまりにも平らかな声音の響きに、殺し合いの最中であることも忘れて鬼は耳をすませてしまい、そして。
 リー。リーリーリーリーリーリー。
 どこからともなく響く鈴虫の声を聞いた。
「子どもたちを外へ送り出した“鈴虫”が戻ってきていたこと、気づきませんでしたか?」
 綺花は投じた“鈴虫”を髪でつないでいた。子どもたちを外へ逃がし終えた虫たちはその髪をたどり、この場へ来た。そして綺花の法力が込められた髪を互いにくわえ合い、足を止めたまま戦っていた彼女と鬼とを取り囲んだのだ。
 鬼はあわてて虫の包囲の外へ逃れようとしたが、遅い。
「私の髪は今、金屋子神を救った藤と化しています。法力と神気を縒り合わせた結界の縁を、あなたごときが越えられるはずがないでしょう」
 鬼はようやく悟った。
 この女は……喰らわれるばかりの肉ではない。
「今度は私が鬼です」
 綺花の体が鋭く翻り、横薙ぎの刃閃が鬼を襲った。
 守! 鬼が金棒を立ててこれを弾く。
 その反動を利して、綺花が逆回転。刃を横薙いだ。
 反応しきれず、鬼が腕をえぐられた。
 綺花はそのままもう一回転。鬼の腹をえぐってさらに回転。
 痛! 怖! 止!
 鬼が鳴き、泣いた。弾けば逆から、弾かなければそのまま斬り払われる。綺花の舞いを止められない。このままでは魂まで刻まれ、滅する。
 意を決した鬼が、斬られることにかまわず金棒を振り上げた。守れない以上は攻めるよりない。この業苦から逃れるには、これしか。
 と。
 綺花の回転が止まった。
「おいでなさい。鬼ごっこを終わらせましょう」
 刃を朱鞘に修め、右脚を大きく踏み出した綺花が笑みを傾げた。
 誘われているのはわかっていた。しかし、ここで行かなければ機はもうない。
 鬼が渾身の力をもって金棒を振り下ろし。
 綺花は右膝を折って自らの上体を前へと投げ落とした。
 彼女の背を追う金棒。
 その影で、綺花が刃を抜き打った。
 前へ進む前進力、下へ落ちる落下力、自らを引き落とす重力。それらを右脚で踏み止め、蹴り返すことで生じる上昇力を刃に乗せ、鞘内の呪符による加速をいや増した。
 三尺五寸の切っ先が、上へ。金棒を降り込む腕の奥に在る、鬼の芯へ。
「捕まえましたよ」
 脂を切るがごとくに鬼の胸へ食い込んだ切っ先が半回転。貫いた鬼の魂をひねり壊し、まっすぐに引き抜かれた。
「あなたの来世に再びまみえ、刃を交わすことあれば。そのときまた、鬼ごっこの続きに興じましょう」


 鳥居をくぐって外へ出た綺花は、子どもたちを保護する警察官や親たちの間を抜けてある人物を探し当てる。
「私の鞄を返していただけますか? それがないと明日、困りますので」
 ずっと抱えていたらしい鞄を呆然と差し出す警察官。
「あの神社は放置されて長いようですね」
 綺花の言葉で我に返り。
「あ、ああ。神主がいなくなって何十年か経つ。町内会がときどき掃除するくらいで――」
「人に奉られなくなった神は力を失うもの。そうなればたやすく手玉に取られ、このように人外を呼び込むことともなります。ご注意を」
 一礼とともに言葉を残し、綺花は歩き出した。
 警察官は、傷ひとつない綺花のすべらかな脚をただ見送るばかりであった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2016年12月28日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.