『贈る者たちの挽歌 』

Ebony Knight（aa0026hero001）＆シド　（aa0651hero001）

　彼女が愛に殉じるならそれもいい。
　シドはそう思っていた。彼女が幸せであること、それだけが彼の願いだったから。
　彼女はあの男を愛していた。あの男もまた、彼女を愛していた。彼女の契約英雄であるシドは、それを誰よりも知るからこそ、共鳴した彼を引き剥がしてあの男へと駆けた彼女をそのまま見送りもしたのだ。
　――夫婦とは二世の契りを結ぶものだそうだ。あんたとあいつが次の世で添い遂げるためなら、今世で袖振り合わせた程度のオレなんて置いていけ。
　しかし。
　命すらも賭けた彼女の願いは叶わない。
　あの男は彼女が思う以上に彼女を愛していたから。自分の死を引き替えに、彼女の生を願ってしまった。
　そして。
　あの男が思う以上にあの男を愛していた彼女は、置いて逝かれた哀しみに狂った。
　彼の声は彼女の狂笑にかき消され、彼の体は彼女の憤怒に裂かれ、彼の思いは彼女の絶望に塗り潰されていく。その一方で彼は彼女の絶望を喰らい、憤怒を飲み、狂笑に狂笑を重ね合わせているのだ。
　オレが望むのはあいつの幸せ。狂って堕ちるのがあいつの救いなら……あいつを幸せにしてやれたのはオレじゃないか。あの男じゃない、あいつを幸せにしてやれなどしなかったはずの、オレだオレじゃないオレはあの男は――
　狂気に侵されゆく彼の心に、彼女の声が響いた。
　――私は幸せ。幸せだよ。だってもうなんにも見えない。傷つけられない。悲しくない。
　だから彼は、かけがえのない彼女へ優しい兄のように、強い父のように言葉を返すのだ。
　――そうか。おまえが幸せでいてくれるならオレなんぞどうでもいい。どうでもいいんだよ。

　一方。彼女が愛したライヴスリンカーの契約英雄であるEbony Knightは、契約主の内をどこまでも墜ちていく。
　契約主の命――ライヴスの残滓がかろうじてその自我を保っていたが、だからこそEbonyは途方もない孤独のただ中にあった。
　――愛する者ならぬ我を共連れて逝くのが、それほどに不本意か。
　遙か後方からよく聞き知った……しかし聞き覚えのない笑声が追いかけてくる。あれは貴殿の愛した――いやシド殿の声。堕ちたのか、邪英に。
　死にゆこうとしていたEbonyの胸に意志が灯る。
　――誰ひとり、かような末路をのぞんだわけではあるまいに。どれほどの悪手であれ、伸べられる手が……語られ終えた物語を覆す手が残っているならば。
　Ebonyの機械化された腕が自らを抱きすくめ、そして自らを包む契約主の闇に触れた。
　――いや。綺麗事は言うまいよ。この期に及んで、な。
「我に願うことなどないからな。せめて遊ばせてもらおうか。貴殿の心を共連れて」
　契約主のライヴスを喰らい、未だ命を残す血肉へ己の邪悪を染み渡らせながら、Ebonyはあの夜のことを思い出す。


　互いの契約主の語り合う声がかすかに聞こえる場所で、Ebonyとシドは星空を隠す黒雲を見上げていた。
「暗いな」
　シドがぽつり。
「うむ」
　Ebonyもまた、ぽつり。
　契約主たちが寄り添うようになり、英雄ふたりで過ごす時間が増えた。おかげで無理に話題を探り合うこともなくなり、これはこれで穏やかな関係を築けている。
　唯一の問題は、こちらが静かなだけに、向こうから契約主たちの言葉が聞こえてしまうことくらいなのだが。
「――東京だったらチャペルとか残ってるかな？」
　シドの契約主の、言葉。
　気まずげにシドがその声を遮った。
「ああ、その、チャペルというのは、婚儀を執り行う場でだな」
　契約主たちの話を聞かせたくないのだろうと察したEbonyは言葉を継いで。
「婚儀とは、男女が互いを妻とし、夫とするための誓約の儀だったな」
「それはそうだが、なんというか、そうだな。儀式的なものではなく、友や血族に見守られ、夫婦となることを祝福される場……とでもいうか。誰もが幸せになれる場なんだ」
　シドの説明はとても八つの子どもに聞かせるやさしいものではなかったが、Ebonyになんとか伝えようと言葉を尽くしていることが知れる。
　――あいかわらず優しい殿御だ。笑んでおれば嫁御のひとりやふたり、たやすく見つかるであろうに。
「しかし、あいつの血族は愚神の手にかかってすでに亡い。友も……オレは見送ることしかできなかった」
　本当に優しい殿御なのだ、シド殿は。
　Ebonyはうつむいたシドの、握り締められた右拳に左右の義手を伸べ、包んだ。
「それは我とて同じ。眼前の敵に目を奪われるばかりで、返り見ることができなかった。この背に負ったはずの友を」
【狼】の旗を掲げて共に戦場を駆けた者たちは、誰かを一秒生かすために戦った。そして戦陣の最前を担ったEbonyと最後を支えたシドが今を生き長らえているのは、ふたりの間を隔てる一秒を繋いでくれた彼らがいてこそだ。
「だからこそ簡単には死ねない。わかっているんだが、な」
　シドが口の端に冷めた笑みを刻む。
　彼は知っているから。契約主が、夫とともに生きることを願いながら、それよりも同じときに死ぬことを願っているのだと。
　平和な世であれば、夫婦が同じときに死ぬことはほぼありえまい。どちらかが逝き、どちらかが残される。しかし地平の果てまで死線が続くこの世界であれば……。
　残されたものは互いだけ。だから、互いを失うよりも共に。そう願ってしまうのも、実に当然ではある。
「ふたりで死なせてやりたい気持ちはある。が、思ってしまうんだ。……あいつを見送った後、オレはどうすればいいのかと」
　契約主を失った英雄は、ほどなく消滅する。
　しかしシドがそのようなことを恐れているのではないとEbonyは知っていた。
　なぜなら自分も同じことを思っているから。
　シドが契約主に寄せる情は父性であり、けして邪なものではない。Ebonyもまた、契約主に愛情を寄せはしても恋情など感じてはいない。
　が、英雄と契約主は、情を超えたなにかで結ばれている。共鳴する魂に換えがあるものか。それが消え失せる様を笑って見送れるはずが、ない。
「記憶を失くしてこの世界に来て、得たはずのものをすべてまた失くした。それこそ忘れてしまえれば楽なんだろうにな」
　Ebonyの手の下にあるシドの右拳が、込められた力に血の気を失い、冷えていく。
「オレにはもう、あいつしかいない。だからオレは、あいつの幸せのためならなんでもしてやりたいんだよ。なのに――あいつにとってのオレがなんなのかを知りたがる」
　シドはなにかを追い出したいかのように大きく、かぶりを振った。
「すまない、忘れてくれ。オレの弱さと身勝手は、オレがいちばんわかっている」
　Ebonyは両手の出力を高めた。
「シド殿」
　造りものの小さな手ひとつでは、シドの片手すらも包めない。だから両手で包む。言葉にならないシドの思いを守るために。そして。
　語ってしまえば関係の形を壊してしまうだろう自らの思いを包み隠すために。

　この世界へ呼び寄せられたEbonyは、元の世界で備えていたはずのほとんどを失くしていた。唯一残された魔道式駆動鎧殻は形ばかりの、文字どおりの殻。
　しかし。途方に暮れたEbonyに再び歩き出す脚を、誰かに伸べる腕を、敵を前に奮い立つ心を――装甲騎士としての生をくれた契約主がいた。
　シドに彼女しかいなかったことと同様、自分にはあの男しかいない。でもその思いを契約主へ押しつけられるはずがない。これまでに自分は、抱えきれないほど多くのものをもらったから。これ以上は、もう、欲しがってはいけないのだ。
　だから。Ebonyはあの男になにかを与えたいと、そう願った。願ってあがいて、それでもなにもくれてやれず、ここまで流れ来たのだ。

「我には我が願いを叶える力がない。それを恥じたところでどうにもならず、我は恥じていないような顔で生き抜くよりなかった。――貴殿が妬ましいよ。貴殿の思いはまっすぐに美しい。醜いばかりの我とはちがう」
　ふと。シドの左手がEbonyの両手に重ねられた。
　あたたかい――人工神経を伝う36度に、Ebonyは思わず息をついた。


　あの夜、ぬくもりで満たされたはずの心が冷たく餓えて叫ぶ。
　喰らう。すべてを、喰らい尽くす。
　人工皮膚を破って露われた白銀の腕が、従魔を捕らえてその頭を握り潰し、かすかに混入していたライヴスを吸い上げた。
　黒き装甲はやわらかに解けてゴシックドレスと化し、返り血を吸い込んで漆黒に輝く。
「……ああ。あんたか」
　その面を仮面で隠した邪英が、燃え尽きた千の従魔のただ中でぎちりと笑んだ。
「我と貴殿、交わすは言の葉にあるまいよ。語ろうぞ。存分に、互いの倖いと身勝手を」
　黒き衣に白銀の四肢を持つ邪英が、その先から伸び出した“切っ先”で仮面を指し、笑みを返した。
　戦場にもう、餌となるライヴスリンカーはいない。ゆえにふたりの邪英はその魔法と切っ先とで数万もの従魔を狩り、すすった。
　指揮を執っていた愚神は、従魔に北進を命じて姿を消した。放っておけばいずれ邪英は愚神と成り果てる。どうするにせよ、それから考えればいいことだ。今は北の島で震えている人間どもを狩り尽くすが先であろう。
　骸のただ中に取り残された邪英――シドとEbonyは、愚神の思考も従魔の無関心も返り見ることなく、互いだけを見て、交錯した。

　Ebonyが斬り込むたび、シドが裂ける。
「もっとだ！　もっと！」
　無造作に距離を詰めながら、Ebonyはシドの顔面へ左右からのフックと右ストレートを打ち込んだ直後、レバーブロウ、ストマックブロウ、スマッシュを打ち放つ。上、下、上と繋ぐ疾風怒濤のコンビネーション。
　シドが唱えるたび、Ebonyが爆ぜる。
「少しは落ち着いてもらおうか」
　拒絶の風で回避を高めたシドがEbonyの切っ先をくぐって後ろへ抜け、リーサルダークを含ませたブルームフレアでEbonyを行き先ごと焼いた。炎が機械部を壊し、呪いの闇が精神を侵す。
「足りんよシド殿。この程度ではまるで足りん」
「オレもだ。オレはまだ動き、呪句を語るぞ」
　喜悦の笑みを交わし、ふたりは子どものように夢中で互いを壊し合い、壊され合った。
「オレの中にあいつがいる――あいつがオレの中でささやく――幸せ、幸せ、幸せ――オレもだよ。おまえが幸せだから、オレも幸せだ」
　シドの掲げた右手、その五指の先から雷が飛んだ。
「我が内に逆巻く貴殿の心……礼を言うぞ！　それが我が切っ先を研ぎ上げる――これほどまでに、愉しませてくれる！」
　雷に肉をえぐられ、骨を焦がされながら、まっすぐシドへ踏み込んだEbonyがその胸に両手の切っ先を突き込み、右へ、左へ、こじ開けた。
「内にいる嫁御にごあいさつせねば――ごきげんはいかがかな？　我が契約主殿は貴殿の倖いだけを願っておったよ。なんとも泣かせる話ではないか」
　シドはこじ開けられた胸の傷口から禍々しいライヴスの冷気を垂れ流し、Ebonyを凍りつかせながら語る。
「こいつの幸せを砕いたのはほかならぬその男の願いだ。皮肉なものだな、賢者の贈り物というやつは」
　炎をまとうシドの足が、Ebonyの左右の脚を蹴った。凍結した白銀が灼熱にあてられて砕け散った。
　残る両腕でシドにしがみつき、胸の裂け目へさらに深く切っ先をこじ入れながらEbonyは笑み。
「いや、嫁御は倖いだ。我は契約主殿の願いを叶えるためここに来た。貴殿と嫁御の願い――そして我自身の願いをもだ」
　切っ先がシドの命を探り当てた。彼の契約主の命と溶け合った核を。
「あんたは届けに……それが、あんたの願いか」
　シドの冷気がEbonyの腕を伝って骨肉にしみ通り、核へとまとわりつく。
　……ふたつの笑みが、消えた。
「叶えようか」
　シドが短く語り。
「うむ」
　Ebonyが短く応えた。
　そして。
　――あんたがいてくれてよかった。オレは幸せなままあいつを逝かせてやれる。
　シドの冷気がEbonyの魂を砕いた。
　――貴殿がいてくれてよかった。我は最期に契約主殿の願いを叶えて逝くことができる。
　Ebonyの切っ先がシドの魂を貫いた。

　願わくば――

　その思いはふたりの英雄のものだったのか、それともふたりの契約主のものだったのか。
　確かめる術もないままふたりの邪英は折り重なり、荒野に落ちた。

　男は妻のため、そして自身のために妻の幸せを求めた。
　女はどこまでも夫と共に生き、共に死にたいと祈った。
　男の契約英雄は、契約主の願いを叶えることを誓った。
　女の契約英雄は、契約主の幸せを遂げさせると決めた。

　四者は求め、祈り、誓い、決めた果てに、同じ時、同じ場所から逝く。
　彼らが彼の岸で再び巡り逢えたものかは知れない……それを見届ける目はすべて潰えたから。
　ゆえに、彼らの死が幸せないし倖いだったのかどうかを知る術はないのだ。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【Ebony Knight（aa0026hero001）　／　？　／　８歳　／　守護の決意】
【シド　（aa0651hero001）　／　男性　／　25歳　／　手に取るは現世】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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　此は悲劇。しかしながら――願い叶えし演者には悲劇であろうや否や知れぬ小話。

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2017年01月05日