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『何時か彼方のパラノイア 』
クレア・マクミランaa1631)&ゼノビア オルコットaa0626

「応急処置(First aid)のやり方を教えて欲しい、ですか」

 ゴオオオ、と耳鳴りに似た音が支配する空間。ともすれば他人の声など聞き漏らしてしまいそうな最中、その声はひっそりとした響きを持って発せられた。

 声の主はクレア・マクミラン(aa1631)。厳つい金属の壁に背を預け、身体を弛緩させている彼女は、いたるところにまだじんわりと血の滲む怪我を負っている。時折機体が揺れるため、背中を壁にしたたか打ち付けて顔をしかめていた。

 相対するのはゼノビア オルコット(aa0626)。こちらは特に怪我などは見当たらないが、少々くたびれて煤けているように見える。そんな少女が、薄っすらと疲れの滲む表情で『Please tell me the method of first aid measures(応急処置の方法を教えてください)』と走り書きしたメモパッドをクレアに提示し、コクコクと首を上下に振っている。

 ここは上空一万フィート。
 現在、二人はシベリア某所で行われた愚神戦を終え、輸送機にて拠点(ホーム)へと移動している最中であった。

「構いませんが、私でいいのですか?」

 失血が酷く身体に力が入りづらいのか、クレアの紡ぐ言葉に吐息が多く混じっている。それは、常の彼女では想像のつかないほど浅く、輸送機が空を切り裂いて鳴る轟音にかき消されてしまいそうで。クレア自身も言葉を発したことでそれを自覚したのか、ゼノビアが聞き取りやすいようにと、厚い鉄の壁から背を離して少女に向き直った。顔色は酷く悪いが、その表情は達成感に満ちており、目には力強い光が宿っている。

『マクミランさんの治療、的確で、早くて、すごかったです! 私は、ちゃんとできなくて……』

 クレアの右斜め前にちょこんとおかしこまりして、神妙な顔つきでメモに文字を書き連ねるゼノビア。その文章は1ページにとどまらず、2枚目に移る前にとりあえずとクレアに提示される。年頃の娘らしく少しだけ丸みを帯びたアルファベットが踊る文面は、少女の内面をよく写し取っているようであった。
 見かけによらず力強い文字を書く子だな、とクレアは思った。馴染み深いイングリッシュが目に心地いい。

 クレアが文面を読み取ったことを感じ取ったゼノビアは、続きを書くためにまたメモを手元に引き寄せる。
 が、そう畏まって正面に座られたままだとメモが見辛かったため、クレアはちょっと考えた後、ゼノビアの膝頭を人差し指の先で「トントン」と叩いて己に注意を向けさせると、自分の左隣を指の背で「コンコンコン」とノックを3回。

 きょと、と目を瞬かせるゼノビアに、クレアは思わず、頬を緩めた。

「申し訳ない、私の隣に来てくれますか。そこは、教えるには少し、遠いので」

 言いつつ、ぽん、と隣を軽く叩く。
 そこでやっとこ脳味噌が言葉を咀嚼し終えたゼノビア。そのまま飛びあらんばかりに立ち上がり、「シュバッ」と音がしそうな速度でクレアの隣に移動すると、「ぺしゃっ」と緊張気味に腰を下ろす。

『失礼します』

 おずおずと差し出されたメモ帳には、少しだけ震える線でそんな言葉が綴られていた。
 そんなゼノビアに、小動物を思い出したクレアが思わず笑ってしまったが、誰も責められやしないだろう。



「応急処置、といっても、実はできることはそうないんです」

 ゆっくり、ゆっくり、恐る恐るといった手付きで包帯を剥がしていくゼノビアに、クレアは噛んで含めるように語りかける。

「できることを、できる限り。大切なのはそれだけですよ。ゼノビアさんは、何か医療的な資格などは?」

 包帯を解くたび、じんわりと滲み出す血液に、同じようにじんわりと涙を浮かべ始めたゼノビアに、問う。
 クレアの問いに、ただ首を横に振るゼノビア。

「では、今日は出血を抑える方法をお教えしましょう。ちょうどいい練習台(モデル)がここにいますし」

 ちょっとした自虐を込めてそう言えば、ゼノビアはわかりやすく動揺して首を左右に振っている。クレアは「からかい甲斐のある子だなぁ」と思った。
 
「使えるものはなんでも使うものですよ」

 聞き入れるかどうかは別の話だが。
 ゼノビアは涙目だったが、クレアが譲らないと悟ると諦めたように肩を落とした。

「まず、軽度の傷。縫う必要はないが、出血が多い、あるいは止まらない場合です」

 提示したのは、丁度ゼノビアが包帯を解き終えたばかりの、ふくらはぎあたりにある傷。
 くるぶしからゼノビアの握りこぶし2つ分ほど上に、8cmほどの裂傷がある。肉がめくれるほどではないが、範囲が広く、包帯を剥がす際にかさぶたが取れてしまったのか、戦闘終了からそれなりに時間が経っている今もまだ、じわじわと血が滲んでいる。

「こんな風に、深くはないけれど血が止まらない傷の場合、洗浄後にワセリン等を縫ったあて布をして、布がずれない程度に包帯を巻いておきます」

 言いながら、並べていた医療キットの中から消毒液を取り出して豪快に傷口にぶっかけるクレア。
 本人は眉一つ動かさないが、見ているゼノビアが「ぴゃぁっ」とでもいいたげな顔をして若干身を引いていた。見ているだけで痛いらしい。

「出血している傷にそのまま布を当ててはいけません。血が固まって布に張り付き、剥がすとき大変なことになりますから」
『? でも、今は傷にそのまま包帯を巻いてましたよ?』

 きょと、とした表情でさらさらと手を動かすゼノビア。傷の手当にビクついてはいるが、クレアに対する緊張はだいぶほぐれたようだ。

「これは例外です。先に重篤患者の処置をしていましたからね、私の血が患者に付いてはいけないでしょう? なので私は必要最低限だけです」

 彼女にとっては当たり前のことを、さも当然のように口にすれば、ゼノビアの「ほわぁ!」とした様子の眼差しが突き刺さる。キラキラしていて大変結構なのだが、クレアにとっては少々こそばゆい。

「では実際にやってみましょう」

 感じるこそばゆさをごまかすようにゼノビアに道具を手渡せば、それはそれは真剣な表情で、うやうやしくクレアの手をとるのだった。



「さて、次は大きな血管が傷ついている場合の対処法です」

 自分で雑ではないが適当に巻かれていた包帯を取り替えて、クレアは改めてゼノビアへと向き直った。

「圧迫止血を知っていますか?」

 問われ、少しだけためらった後に頷くゼノビア。もし言葉を発していたならば「……いちおう、は」とでも言っていただろう様子に、この短時間でゼノビアの性格がわかってきたクレアは「それはよかった」と頷く。

「幸いにして、私が今回受けた傷は凍傷と浅い裂傷程度。大事な動脈は傷ついていませんので、実地訓練はできませんが、やり方はお教えしましょう」

 言いながら、足をまっすぐ投げ出すクレア。釣られるように足を投げ出そうとしたゼノビアを片手で制して、すっと己の腿に手を伸ばす。

「血が勢い良く吹き出している場合や、出血量が多い場合は、できる限り患部を直接圧迫することが望ましい。圧を1点に集中して圧迫します。それが難しい場合、ここと、ここ、それから……ここですね」

 言いながら、腿の内側、脇、こめかみ辺りにすぅっと指を添わせるクレア。
 その指の動きを、ゼノビアは真剣な表情で見つめている。

「ここに太い動脈が通っていますので、心拍を感じられる部分を指でグッと抑えて圧迫してください。腿は手のひらを当てて、全体重をかけて押さえ込むように……実際にやってみましょうか」

 ちょいちょいとゼノビアを手招きして手を出させると、自分の左腿へとその手を誘う。真剣な表情で手元を見つめているゼノビアに、できるだけわかりやすい説明を心がけながら圧迫箇所と圧迫方法を教えていく。

「――はい、いいですよ。今回は練習なのですぐ離しましたが、実際は救急隊が到着するか、出血が止まるまで圧迫を続けてください。あとは……」

 そこで、つかの間言葉を切るクレア。ゼノビアの様子を半呼吸分だけ眺めて、口を開いて。

「手や足が切断状態にある場合によく使われる止血法、止血帯法、です」

 手足の切断。そう聞いて、ゼノビアの表情がわかりやすく強張る。

 今回の戦場では、愚神によって手や足をくだかれてしまった負傷兵が何人もいた。凍った後砕かれたその断面は、治療のために溶かすと、慣れている者でも直視するのをためらう様相と成る。溶かしたところで、完全に凍結してしまった細胞は壊死していることがほとんどなため、かなりの部分を切断しなければならないだろう。

 ゼノビアは、思わず、その戦場から目を背けてしまった。
 クレアがテキパキとそれらの負傷兵を処置しているのを遠く見ながら、軽度の負傷者の手当だけで精一杯で。

 誰も責められないその行為を、ゼノビアはずっと、後悔している。

「……人には、向き不向きというものがあります」

 眉間にしわを寄せて俯いてしまったゼノビアに、クレアが出来る限りやわらかい声音で言葉をかける。

「ゼノビアさんは、私にはない射撃の腕前をお持ちです。経験も少なく、声を出せないというハンデがありながらも、負傷者の治療を手伝うやさしさをも持っている。もっとできることを増やしたいという、向上心だって。それらは、多くの人が持ち得ない、才能の一つですよ」

 ぎゅっと握り込まれた小さな拳。16歳の少女が、己の無力さを噛み締めて震わせているそれに、クレアはそっと手を重ねた。

「全てを救おうとするのは、悪魔だって身震いするほど傲慢な考えです。できることを、できる限り。哀れな子羊たる我々にできることは、それだけです」
「……っ」

 でも、と、微かに吐き出された吐息を、クレアの耳は正確に拾い上げた。
 震えるまつげに、けぶる眼球。泣くまいと身を固くするゼノビアが、昔の自分に重なる気がして。

「……では、再開します」

 クレアはそれ以上なにも言えず、ゼノビアの細い肩を軽く叩く。
 今は何を言っても仕方がないことを、クレア自信がよぅく知っているのだから。

 輸送機がホームに到着するまでの間、ゼノビアはずっと、クレアに処置の仕方を習うのだった。
 いつか、あこがれの人の隣に並べる日を、夢見ながら。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa0626/ゼノビア オルコット/女性/16/命中適正】
【aa1631/クレア・マクミラン/女性/27/生命適正】
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2017年01月16日

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