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『 愛憎と恋慕と、帰路と月 』
ヴィルマ・レーヴェシュタインka2549


 ひとの心には、思いの総量は決まっている、と。
 そう思っていた。



 かつて、ヴィルマ・ネーベル(ka2549)は、愛を喪った。
 霧の魔女になる以前のこと。彼女がまだ、たたかう術を持たない少女であったころ。

 家族や従者につつまれて過ごす日々には、たしかに愛があった。
 だからこそ、彼女はそれを失くしたとき――同じだけの憎しみを、その胸に抱いた。

 喪失の痛みは、彼女が失ったモノの大きさを突きつけ続けた。
 もう戻らない日々は涙となる。
 滂沱の涙を拭い、嗚咽を押し殺しながらも魔術の研究に身をやつすことが出来たのは、心に灯る蒼い炎のおかげだった。
 その感情は、彼女を生かし、前を向かせ、歩を進ませるにたる導べだった。

 ――憎悪に身を焦がすのは、心地良かった。

 なのに、いつからだろう。
 ただ、生きること。ただそれだけのことが幸せに感じるようになったのは。



「いらっしゃい!」
 頑丈さだけが取り柄の木製の分厚い扉を押し開くと、威勢の良い声がヴィルマを出迎えた。想像しい店内を貫いた張りのある声は、顔なじみの看板娘のものだ。
 長い赤毛を後ろでまとめた少女はヴィルマの後ろをちらりと眺めると、「ひとり?」と、目線だけで問うてきた。そのことを少し怪訝に思いながら、頷きを返した。この店にはたまに足を運んでいるのだが、どういうことだろう?
 店内は、人の熱気もあってか本格的に冬が深まってきた外気とは比べ物にならないくらい、暖かい。にわかに額が汗ばんできたので、帽子をはずして歩を進める。広い店内だが、ひしめく客で少し窮屈なくらいだ。開いているカウンターに座った。
 黒板に走り書きされたメニュー表を眺める。ここの店主の字は悪筆過ぎて、最初のころは全く読めなかったが、最近ようやく目が慣れてきた。
「らっしゃい」
 すると、声と共に、硬質な音が振ってきた。振り返ると、木製のジョッキが置かれていた。弾ける音と共に柑橘の香りが届く。ジョッキの縁に刺さったライムは、肉系の食事が多いこの店特有のサービスだ。
「何にする?」「今日は仔羊のグリルがオススメだよ! クリームソースとキノコ!」
 筋肉質、かつ強面の店主の低い声に、看板娘の声が追従する。屈託のない声に、思わず苦笑がこぼれた。
「おお、美味そうじゃのう。じゃあ、それにするのじゃ。あとは……」
 と、何品か、アテになりそうなものを注文した。乾いた喉を潤すべく、酒に手を伸ばす。口元に広がる爽やかな風味と、喉を刺激する冷えた感触に、「くぅぅ……っ」と、思わず声が漏れた。
 そのまま、食事が届くまで、酒を味わう。目をつぶれば、周囲を満たすざわめきが、耳朶を震わせる。

 喧騒は騒がしいが、それだけに穏やかなひとときだった。
 日常のこと。仕事のこと。耳を疑うような、猥雑なはなし。それらが渾然とした店内で――静かに、酒を味わう。



 この店にくるようになって、長い。
 きっかけは、孤独な研究に倦んできて、至らない自分を突きつけられつづけると、不意に寂寞が湧き上がってきたことだったと思う。
 独りではどうしようもなくて、逃れるように家を出て、外食をするようになった。それを厭うて籠もりきりだったことを後悔するくらいに、誰かの声が聞こえること、誰かの熱を感じることは――不思議と、ヴィルマの胸中を落ち着かせた。
 そのなかでもこの店は、店主と看板娘がそれぞれに気がきくので、酔客から絡まれることもなく、安心して足を運べるので、気に入っている。
 料理がすこし、男臭いのが玉に瑕だが、通っているうちに細々した品が増えてきた。
「…………」
 出された鮮魚のカルパッチョを口元に運びながら、ヴィルマは時間の流れに、思いを馳せた。
 昔の自分は、閉塞していた。息苦しさにあえぎながら、復讐にかじりついて生きていた。
 あのころとくらべたら、此処にいる自分自身の心境は、大きく異なっている。縋るように、暖かさを求めていたあの頃は――凍えきって、消耗したヴィルマの心を、補填することに躍起になっていたと思う。
 すこしずつ、変わってきている。店主たちとの距離も。この店も――自分自身も。

 ――変わらないのは、客の騒がしさくらいかの。

 酒と肴に舌鼓を打ちながら、ヴィルマはそんなことを思い、くふふ、と含み笑いを浮かべる。
 こういう時間を、今は楽しめるようになっているのだ。自分は。
 そのことが、それがわかることが――嬉しい。



「おまち!」
 口寂しくなってきたころに、看板娘が湯気あがる皿を眼前に置いた。
「……良い香りじゃ」
 素材が仔羊だからか、香辛料は控えめだ。その分、肉とクリームの香りが立つ。実に、食欲をくすぐる。
 行儀が悪くならない程度に、切り分けた肉にクリームソースを付けて口元に運ぶと、柔らかな歯ごたえと、そこに絡む肉の塩味に、濃厚なソースのとろりとした甘みが加わった。好みの味に、頬がほころぶ。
 追加の酒を頼みながら堪能しているときのことだった。
「ね、ね」
「む?」
 隣の席に、娘が座った。赤毛が跳ね、人好きのする笑みを撫でる。この娘は客の相手が落ち着くと、こうやってヴィルマに話しかけてくる。気を使ってくれているのかもしれないが、不快ではない。
「聞きたいこと、あるんだけど」
「おお、なんじゃ?」
 問い返すと、娘はくふふ、と、ヴィルマに似た笑い方を浮かべて――。

「最近、コレ、出来た?」
 つい、と。親指を突き上げた。
「…………………………ほ?」
 しばらく、意味が解らなかったが、理解が追いついてくると、みぞおちの当たりの暖かさが一息に顔に吹き出してきた。
「は、はぁっ!?」
 顔を赤らめながら、言葉を探した。否定するつもりはない。ないのだが、不意打ちに、混乱が先に立った。普段であれば、または、ハンターたちが相手であればこうはならない。今回は場所が場所なだけに、参った。
「しっしっし、なんか、最近、雰囲気が違うからさー」
「………………」
「食べ終わってから、帰るのも早くなったしさー」
「……………………」
「笑うように、なったしさー」
「あんまり客をからかうなよ」
「からかってませんー。まじめな話ですぅー。ね、当たりでしょ? 私、こういうの外さないんだ!」
「む、ぅぅ……」
 店主の諌める声をあっさりといなした看板娘の食いつきの激しさに、ヴィルマはうめくしかない。

 それは、つい先ほど、確認したばかりのことだったから。
 自分自身が変わった理由。今ここにいる事が、違う意味を持っている理由。寂しさを埋めてくれる、たしかな、理由。

 そんな要所を直截に刺し貫かれ、混乱してしまった。

「くぅ、かわいい……彼氏さんは、しあわせものだなぁ……っ」
 喝采をあげる娘の視線を遮るように、ジョッキを口元に運んでいると、「おい。その辺にしろ」という、店主の救いの声が降ってきた。
「はーい、わかりましたぁ……ごめんね?」
「べっ、べつに構わぬ、ぞ?」
 追求が止んだ事に安堵しつつ、味が解らなくなった料理を口に含む。力強く脈打つ心臓がやかましかった。



『今度は彼氏も連れてきてねー!』
『おぬしが居なくなったらのぅ……』
 見送られるころには、そう返せるくらいには落ち着いていた。
 帰り道は、少しばかり寒いが人通りはまだ多い。雑踏のざわめきに紛れるように、家路につく。
 先程の娘の話ではないが、昔は帰る頃にはこの道も静かなものだった、と思い至り、そんな変化がまた、心地よく感じられる。
 酒のせいか、そういった気持ちの動きに、素直になっている。

「……さて、帰ろうかの」
 言葉と同時に生まれた、白む吐息の行く先を追いかけると、灰色の深い陰影を刻む雲と、三日月が目に入った。
 歩む先に、彼が居る。待っている人が、居る。
 この胸に湧く温かい感情を、愛と呼ぶべきかどうかは――ヴィルマにはまだ、解らない。
 憎しみは、彼女の心に深く、分かちがたく絡みついているから。だから、言葉にできない不安は、どこかにある。

 それでも、これだけは言える。

 この日々が。この、今が――幸せ、なのだと。







登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 ka2549 / ヴィルマ・ネーベル / 女性 / 22 / それは、『魔法』のように、甘く響いて】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 お世話になっております。ムジカ・トラスです。
 ヴィルマさんの初めて書かせていただきますが、シナリオではいつもお世話になっております。
 納品が遅くなってしまい、申し訳ありません。おまたせした分、お喜びいただけたら幸いです。

 ヴィルマさんはお酒を飲むとき――泥酔しないかぎり――静かに耳を傾け、周囲の様子を味わい、楽しむような印象があります。中心にはいかないけれど、それを楽しんでいるというような。
 だから、今回のノベルでは、それよりも以前には、今とは違う飲み方があったのだなあと思いながら、執筆させていただきました。その分、幸せな今の心情に追いつけたら良いのですが……(笑)

 それでは、またのご機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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ファナティックブラッド
2017年01月16日

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