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『繋いだ手を、いつか離す日が来ても 』
陽波透次ja0280)&陽波飛鳥ja3599


 穏やかな、冬の休日。
 窓の外では雪が音もなく降っている。


 フリーランス撃退士だった母が久遠ヶ原に遺した日本家屋で暮らす、陽波 飛鳥・陽波 透次の姉弟は炬燵で静かな時間を過ごしていた。
 なぜ静かなのかと言えば、透次が黙々と勉強をしているからだ。
 眼鏡を着用し、参考書と問題集を傍らにノートへ何やら必死に書きこんでいる。
 久遠ヶ原学園の本旨は『撃退士の養成』であり、いわゆる一般的な学業に関しては緩い。
 透次が励んでいるのも、一般科目ではなく撃退士の専門分野に関する内容であった。
「……ねえ、どうしてそんなに頑張ってるの?」
 沈黙に耐えきれなくなった飛鳥が、何個目になるか数えるのもいやになってきたミカンを剥きながら問う。
「国際撃退士養成機構に入って、トップを目指したいんだ。今のうちから、できることを積み重ねていきたい」
「……国際撃退士」
 それは、飛鳥にしてみれば考えてもいない進路だった。
「『天魔との共存を目指す学園』を、守れる立場が欲しい。その為には国内だけじゃ難しいと思うから」
 ポカンとする姉へ、弟が説明を追加する。
「撃退士や人界に下った天魔の、安定した立場の創出にも尽力したいな。
政府にも影響を及ぼせる立場になれれば、きっと天魔人の共存の為に、出来る事も増えるだろう?」

 共存。

 透次は、そのことについて本当に本気で現実的に考えている。
 それがもたらす良いことも、考えられる悪いことも、その為にどう対応していけばいいのかも。
「そう……なんだ」
 飛鳥は掠れる声で、一言かえすのがやっとだった。
 胸が痛い。
(私は……日常だけで、精一杯なのに)
 苦しい時も、悲しい時も、ずっと二人一緒だったのに……どこで変わったのだろう。
 自分と透次は、見ているものが違う。違いすぎる。
(……追いつけないよ)
 大事な弟なのに。
 一緒に暮らしているのに、遠く感じてしまう。
 すぐそばにいるのに、手が届かない。背中ばかりを見ているようだ。
(その背中も……いつか、見えなくなる?)
 いやだ。
 こわい。
 でも、止めることなんてできない。
 胸がざわつく。体が強張る。下を向いたまま、飛鳥は動けなくなった。




「姉さんは? 将来、どうするの?」
 ポンと飛び出した透次の言葉で、飛鳥は我に返る。
(私は――……)
 久遠ヶ原学園は大学院まである。
 今年で大学部4年となった飛鳥は、卒業しても良いし院へ進んでも良い。
 透次も、4年で卒業するか院で経験を積むか……それはまた、4年生になってから考えるのかもしれない。
 ただ、可能性として飛鳥が透次より先に卒業するというケースもあるのだ。
(卒業? すると、就職よね……。私が院に進んだとしても、透次はどうするのかしら。ううん、今はそういう話じゃなくて)

「眼鏡、似合ってないわよ、それ」

 沈黙ののち、飛鳥は話を逸らした。
「え? 頭良さそうに見えない?」
 ずっと気になっていた。なぜ、透次は伊達眼鏡をしているのか。
「その発想からしてバカに見えるわ」
「そんなバカな……」
 透次は愕然として、ペンを取り落として頭を抱える。
「バカねぇ」
 透次は透次だ。
 どんな未来を思い描き、その為に努力を重ねていても……人間性は変わらない。
 飛鳥の大好きな透次だ。
「ほら、ミカン。剥いてあげたから食べなさいよ。さっきから何も口にしていないでしょ」
「ほんとだ。ありがとう、姉さん。……美味しいね、ミカン」
「冬は炬燵にミカンって決まってるもの。……最高よね」
 緊張していた空気が、一気に緩む。
 穏やかで、暖かで、ささやかな幸福の時間だ。
 愛しくて、大切で、永遠に続けばと飛鳥は願ってしまう。

(でも……この時間も、いつかは失われてしまうの?)




 飛鳥の心の中に、小さな飛鳥と透次が手を繋いで歩いている。

 暗い森。
 険しい谷を繋ぐ頼りない吊り橋。
 大蛇が塞ぐ道。
 どんなに怖くても、手を繋いでいれば無敵だった。
 二人でいれば、どんなことも乗り越えられた。

 ふと気が付くと、飛鳥の手を握る透次の手は、とても大きくなっていた。透次は、大人になったのだ。
「姉さん。僕は、自分の夢を叶えるために進むよ。だから、ここから先は別々の道だ」
 透次は飛鳥の手を離し、そう告げる。
「今までありがとう。元気でね。バイバイ」
 幼子へするように、しゃがみ込んで目線を合わせ、穏やかに笑う。
 バイバイ。
 そう言われて、飛鳥がどう感じるかなんて知りもしないで。

 行ってしまう。
 一人で先に大人になってしまった透次は、飛鳥の手を離して届かない場所へ行ってしまう。
 この先、彼は一人で暗い森を歩き、吊り橋を渡り、大蛇を退治してしまうのだ。
 飛鳥が居なくても――


 それじゃあ、わたしは?




 お餅も焼こうか。たしか、まだ残っていたはず――
 参考書の類を閉じて、炬燵から抜け出そうとした透次は姉の異変に気づいてぎょっとした。
「姉さん? ……どうしたの、姉さん」
 下を向いたまま、飛鳥はポロポロと大粒の涙を落としている。
 黙りこくっていたと思ったら、いつの間に……。
「姉さん…… な、泣くほど将来が不安だったのか……」
 少なくとも撃退士としての能力を一通り身に着けていれば、世間へ出ても食いっぱぐれることは無いだろうけれど。
 母のようにフリーランスで活動する手もあるし、企業などへの就職……就職は確かに不安かもしれない。
 そこまで考えて、透次の胸に波のような不安がザァッと押し寄せる。

「だ、大丈夫。例え姉さんがだらしなさを極めた結果食いっぱぐれたとしても、僕が姉さんを養うから、み、見捨てないから……!」

 姉の細い肩を掴んで揺さぶる。
 そうだ。姉の自活能力の無さと言ったら。料理を始めとする家事全般は、透次が担ってきたのだ。
(わかってたはずなのに)
 落ち込んだ時も、嬉しい時も、傍らに姉が居てくれた。だから、透次は前を向くことができた。
 隣に居てくれることが当たり前だった。
 透次が国際撃退士を目指すということは、いつか姉と離れて暮らすことを意味する。
 それは理屈で理解していたけれど、実感していなかったのだと今この時に気づいた。
(姉さんと、離れる? ひとりにして……大丈夫なのか?)
 姉は。そして自分は。
 大丈夫、にならないといけないのかもしれない。
 大人になるとはそういうことだ、自立するとはそういうことだ。
 だけど……彼女に限って、それができるわけがない。と、思う。
 支え合って生きてきた。この先も、そうありたい。
 思い描く、透次が恋した優しい人達が泣かない世界には、もちろん姉の涙だって含まれている。
 大切な姉だ、全力を以って守りたい。
「だから、泣かないで……。お餅何枚食べる? お汁粉にしようか」

「絶対、追いつく……」

 幼子へするような宥め方の透次に対し、飛鳥は低い声で呟きを返した。
「え?」
 堪忍袋の緒が切れる音を、透次は聞いたような気がした。
 でも、なんで。どこが地雷だった?
「絶対、隣に並んでやる……」
「姉さん、本当にどうしたの? あっ、今日は一緒に料理しようか。並んで立つにはちょっと狭いけど」
「ちがぁあああう!!」
 飛鳥の涙は止まらない。本人も必死に拭っているけれど止まらない。




 いつか、繋いだ手を離す日が来るのだろうか。
 離れ離れに暮らす日が来るのだろうか。
 おそらく、そうなのだろう。
 一緒にいる時間が長すぎた。
 全速力で前へ進んでゆく透次。彼を誇りに思う一方で、置いて行かれている自覚は飛鳥にもあった。
 それでも手が繋がれたままだったのは姉弟だから。かけがえのない家族だから。
 そのことに、無意識に甘えていた。

 だから。

(これからは私が強くならなくちゃ。自分の力で、透次の隣へ立てるように)
 透次を、その夢を、支えられるくらい強くなる。
 『将来の夢』と語るには曖昧なビジョンかもしれないけれど、飛鳥にとっては大きな決意。
 変化することを怖がっていられない。それは、これまでの出会いが教えてくれている。
 変わる。
 全力を尽くす。
 成長していく。
 恐れずに、進む――!
「料理も頑張る」
「い、いや、それは今すぐに頑張らなくていいよ……えーと、とりあえず一緒にお汁粉つくる?」
「つくる」
 姉の変化に戸惑いながら、単独料理だけはさせまいと透次がしどろもどろに誘導し、飛鳥はコクリと頷いた。


 二人は揃って、ぬくぬくとした炬燵から出る。
 寒い廊下を通って台所へ。
 難しい勉強も将来への悩みも横へ置き、交わすのは他愛もない会話。
 流れるのは穏やかな時間。
 やがて、餡を煮る甘く幸せな香りが漂い始める。

 本当に、離れ離れになるしかないのかどうか、今はまだわからない。
 実感はなく、漠然とした不安だけが浮いている。
 それを打ち消すように、今という時間を丁寧に、大切に過ごすよう。


 ささやかな幸福の時間は、雪のように音を立てず降り積もる。

 


【繋いだ手を、いつか離す日が来ても 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0280 /陽波 透次/ 男 / 18歳 / 弟 】
【ja3599 /陽波 飛鳥/ 女 / 16歳 / 姉 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
穏やかな冬の日、優しい姉弟と決意のお話をお届けいたします。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2017年02月06日

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