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『寫眞撮生が寫眞撮生となった日の話 』
寫眞 撮生aa4007

 親方、空から鉄骨が――

 そんなパロディ・ジョークで済むような話だったら良かったのだが。







 一月十八日。

 それはまだ、寫眞 撮生(aa4007)が寫眞撮生という名前ではなかった日の話。まだ撮生ではなかった撮生はうきうきと冬空の下を歩いていた。一月十八日はまだ撮生ではなかった撮生の二七歳の誕生日であるからだ。まだ撮生ではなかった撮生にとって特別な日であるからだ。
 今日はいい日だ、まだ撮生ではなかった撮生の足取りは軽やかだ。仕事も順調に進んでタスクもテキパキこなしていって、早上がりをすることができた。いつもより少しだけ早い時間帯の夕焼け空、真冬の高い雲、丸裸の街路樹、吹き抜ける風は記録的な寒波を乗せていて、まだ撮生ではなかった撮生の生身の耳をキンと冷やした。
「おお、寒い寒い」
 いい年をして独り言を大きめに呟いてみたりして。とかく、浮かれていたのだ。カサ、その手に揺れるのは紙袋。デザインからしてオシャレな奴だ。ここいらのスイーツに詳しい者ならば、「あっ、あそこのケーキ屋の……」と思わず食いつくに違いない。なにせ事前に調べたのだ、この辺で一番美味しいケーキ! 混雑して買いそびれないように予約までした!

(今日はなんて完璧な日なんだろう!)

 全てが順調、全てが快適、沈みゆく真っ赤な夕日すらも万々歳して平伏してゆくかのようだ。キラキラと美しい、赤い太陽に世界がこんなにも美しい。まだ撮生ではなかった撮生は美しい世界に二つある瞳を緩やかに細めた。
 さあ早く帰ろう。家には最愛の恋人が待っている。愛する人と、己の誕生日を祝うのだ。ケーキもある。さあ早く帰ろう――。

 ――危ないっ!!――

 どこかでそんな声が聞こえたような気がした。切羽詰ったような声だった。なんだろう、と声のした方へ振り返ったことを、まだ撮生ではなかった撮生は覚えている。そこには目を見開いた通行人が上の方を指差していた。上? まだ撮生ではなかった撮生は次いで指差されている方へと目を向けた、ことを覚えている。

 そこ、

 には、

 大きな、視界一杯に、

(あ、ドラマで見たことあるやつ――)

 工事現場から鉄骨が落ちてくるなんてそんなまさかハハハh



『ぐしゃっ』



 ――……、


 悲鳴が聞こえる。
 暗い。
 冷たくて生温い。
 ボンヤリと開けた、視界、良く見えない。
 色だけが辛うじて分かった――赤い――赤い――イチゴかな。イチゴのタルト。赤いツブツブ、赤いカケラ、赤いソース……イチゴかな。ラズベリーかな。ブルーベリーかな。あ、あ、しまった、ケーキがない、手元にケーキの袋がない。どこだ? 地面を引っ掻く。がりがりがり。一ミリも動かない、動けない、現実に直視しなくちゃいけない時間、上から降ってきたのが鉄骨で、地面とその間にいるのが、自分。

「あ、ァ、あれ、ぇ……?」

 一月十八日。今日はなんて完璧な日なんだろう。全てが順調、全てが快適、仕事も順調に進んでタスクもテキパキこなしていって、早上がりをすることができた。いつもより少しだけ早い時間帯の夕焼け空、沈みゆく真っ赤な夕日すらも万々歳して平伏してゆくかのようだ。キラキラと美しい、赤い太陽に世界がこんなにも美しい。赤い赤い赤い赤い。そうだ赤い、ケーキが、さあ早く帰ろう。家には最愛の恋人が待っている。愛する人と、己の二七歳の誕生日を祝うのだ。ケーキもある。さあ早く帰ろう――。

 がり、がり、がり、がり、

 爪がなくなるほど赤い地面を引っ掻いても動けない。帰れない。

 がり、がり、がり、がり、がり、がり、がり、がり、

 嘘だ、違う、こんなはずじゃ。
 こんな、こんな、違う、嫌だ。
 怖い、痛い、痛い、死ぬのか?

「た、」

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
 死にたくない。
 誰か。

「たすけて」


 ――よろしくてよ――


 そんな声が聞こえた。と思う。







 撮生はうきうきと冬空の下を歩いていた。一月十八日は撮生の二七歳の誕生日であるからだ。特別な日であるからだ。今日はいい日だ、撮生の足取りは軽やかだ。仕事も順調に進んでタスクもテキパキこなしていって、早上がりをすることができた。もうすっかり日が沈んだ暗い空、オリオン座、白い吐息、吹き抜ける風は記録的な寒波を乗せていて、撮生の耳をキンと冷やした。
「おお、寒い寒い」
 いい年をして独り言を大きめに呟いてみたりして。とかく、浮かれていたのだ。カサ、その手に揺れるのは紙袋。デザインからしてオシャレな奴だ。ここいらのスイーツに詳しい者ならば、「あっ、あそこのケーキ屋の……」と思わず食いつくに違いない。なにせ事前に調べたのだ、この辺で一番美味しいケーキ! ついさっき『不慮の事故』で運悪く落として潰してしまったのでちゃんと買い直した! 同じやつが売り切れてなくって本当に良かった! なんたる幸運! ケーキ屋の店員に悲鳴をあげられたけれど、それがなんだ。大事なのはケーキなのだ。

(今日はなんて完璧な日なんだろう!)

 全てが順調、全てが快適、輝く星空もあんなに微笑みかけてくれている。キラキラと美しい、銀色の月に世界がこんなにも美しい。撮生は美しい世界に瞳を緩やかに細めた。
 さあ早く帰ろう。家には最愛の恋人が待っている。愛する人と、己の誕生日を祝うのだ。ケーキもある。さあ早く帰ろう、落ちてきた鉄骨にぶつかったなんて些細な出来事じゃあないか、愛する人と過ごす誕生日に比べたら――。

「ただいま!」

 ドアを開けた。居間からパタパタと足音が聞こえてきた。「おかりなさい!」と出迎えたのは恋人だ。彼女は満面の笑顔で――次の瞬間、その顔が真っ青になって――

「ぎゃああああああ! バケモノぉおおおおおおお!!!」

 叫んで叫んで、撮生を突き飛ばすようにしながら家の外へ走り去って行ってしまった。
「? おーい……? ケーキ……」
 ハテ? なんだか分からないけれど、とりあえず帰ってきたんだから手洗いうがいだ。洗面所へ。電気を点ける。蛍光灯、鏡。そこに映っていたのは……、

「ワァオ」

 左目は真っ赤、右目は消滅。ついでに全身ズブズブ血塗れ。これは確かに悲鳴ものだね!
 鏡に手をつき、彼は笑い声だかなんだかよく分からないものを零した。ベッタリ、触ったそこに赤色がついた。爪はなくなっていた。また生えてくるさ。

 それから何時間も暖房の効いたリビングで待っていたけれど、ついにケーキが腐って蛆が湧く頃になっても彼女は帰ってこなかった。

 ああ、しかたない、これは百年の恋も冷めるってものさ。スプーンに映る自分の歪んだ姿に、男は溜息を吐いた。自分を納得させた。
 仕方ないからケーキは捨てた。



 ……それからまもなく、撮生は自分より何センチも低い英雄の姿にようやっと気が付いて。
 ああリンカーになったから死なずに済んだのか、とようやっと真相を知って。
 H.O.P.E.に電話をかけたのは、それからまもなくのお話。


「まあ、致し方ないよねェ! それもまた運命! 命があるだけでも素晴らしいことだよ!」



『了』


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2017年02月08日

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