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『 雪解けの雫 』
大狗 のとうja3056)&花見月 レギja9841

●無言電話

 呼び出し音はいつだって突然だ。
 大狗 のとうはのんびりと寝転がっていた姿勢から、がばっと体を起こす。
 床に放り出していたスマホの画面が点滅していた。
 思い切り手を伸ばしてひっつかむ。
 相手は着信音で分かる。花見月 レギで間違いない。
(なんだろうな? またご飯のお誘いかもな)
 そんなことを考えつつ、明るい声で応じるのとう。
「はいはーい、お待たせだ! どした?」

 ――だが。

『…………』

 ぷつん。

 息遣いのようなかすかな音の直後に、通話が切れてしまったのだ。
「……ふへ?」
 思わず妙な声が出てしまった。
 のとうはあらためて、スマホをまじまじと見つめる。
 画面の表示はやはりレギからの着信であることを示していた。
「やっぱりレオだよなあ。いったいなんだ?」
 新手の悪戯を思いついたのだろうか。
 それともまた風邪を引いて倒れていて、死にそうになりながら電話してきたのか。
 あるいは出動先で、何か緊急事態でも起こったのか。

 のとうは折り返し電話するかを迷った。
 だが、それも一瞬。
「切れた電話を気にしてもしょうがないのな。家にいるかどうか確かめるのが早いぜ!」
 立ちあがったと思うと、のとうはすぐに上着とカバンを掴んで、家を飛び出したのだった。


●聞きたい声

 自分でも不思議だった。
 レギは待ち受け画面をぼんやりと眺めながら、彫像のように立ち尽くしている。

 寒い日だった。
 自室の窓の外には、雪でも降りだしそうな、灰色の雲が見渡す限り広がっていた。
 なんとなくそれを眺めているうちに、誰かの声が聞きたくなったのだ。
 いや、「誰か」ではない。
 こんな気分のときに聞きたい声は――。

 レギは小さく息を吐き、首を振った。
 どうかしている。
 特に用事もないのに誰かの時間を無駄にすることは、レギには考えもつかないことだった。
 なのに、である。
 気がつけばのとうに電話をかけていたのだ。
(……俺は何をしようと思ったんだろう?)
 コールの音でレギは正気に返る。
 それですぐに電話を切った。

 幸い、のとうは気付かなかったようだ。
 後で電話をしてくるかもしれないが、そのときは操作ミスだったと言って謝ろう。

 自分自身に説明をつける。
 その間に、いつの間にか随分と時間が経っていたようだ。
 廊下を元気に駆けてくる足音に、レギは目を見開く。
「えっ……?」
 その足音には確かに聞き覚えがあった。
 懐かしい、好ましい、けれどちょっと困ったことになることが多くて……。
 などと思ううちに、玄関ドアとベルを同時進行で、壮絶な勢いで叩く音が響く。
「まって、ちょっとまって、のと君。ドアとベルが壊れてしまう」
 急いで玄関に向かい、ドアを開くと、眩しい程のお日様色が飛び込んできた。
 のとうが荒く吐きだす息が白い。
 寒い中をどれだけ一生懸命に走ってきたのだろう。
 言葉を失うレギの顔に、のとうがぐっと自分の顔を近づけてきた。
「なんかあったか?」
 キラキラ輝く黒曜石の瞳には、レギの顔が映りこんでいる。


●思わぬ報復措置

 一見、レギの様子はいつも通りだった。
「やあ、のと君」
 内心を読み取れない微笑、落ち着きと同時に躍動感を感じさせる立ち姿。
「ベルを鳴らせば、ドアは叩かなくてもわかる、よ」
 そんな言葉もいつも通り。
 だがのとうには、青い瞳に若干の戸惑いが浮かぶのを見逃さなかった。
 いやもしかしたらそんなものはなかったかもしれないが、のとうがあると思ったから多分あるのだ。
「なんかあったか?」
 重ねて尋ねるのとうに、レギは不思議そうに小首を傾げてみせた。
「いや、何も」
 のとうがぐいっとスマホをつきつけた。
「電話」
「それが?」
「かけてきただろ?」
「かかったの、かな?」
「かかってきた。無言電話は悪戯なんだぞ!」
「ああ、そうなのか。……ごめん」
「ごめんってことは、何か悪いと思ってるんだな」
「いや、ごめん。心当たりはない、かな」
 部屋に入るまでの間、こんな感じの、謎めいたとりとめのない応酬が続いた。

 レギはのとうに椅子をすすめ、キッチンに向かう。
「それで、わざわざ家まで様子を見に来てくれたのか。……びっくりした、よ」
「レオ」
 のとうだけがレギをそう呼ぶ。
 振り向くと、のとうはいやに真面目腐った顔で天井を睨んでいた。
 その横顔があんまり深刻そうだったので、レギはしばらく無言で見つめる。
 すると、のとうは不意に片手をレギに向けてあげ、くいくいと手首から先を曲げて、こっちへ来いと合図した。
「のと君? うちの天井に、何か……」
 思わず近づいたレギの肩に、のとうが手を置く。
「うん、ちょっとここ座れ」
「?」
 言われるがままにぺたりと床に座るレギ。のとうはレギの背後にいた。
「座ったけど。天井が何か」
 と、レギが顔をあげた瞬間だった。

「!!」
 背中に妙な感触を覚えて、レギは咄嗟に身をよじる。
 逸らしたままの顎が床にぶつかった。その口元から妙な笑い声が漏れる。
「のと君!? や、ちょ、やめ……!!」
 のとうは無言のままレギの背中に指を這わせ、くすぐり攻撃を仕掛けてきたのだ。
「まって、やめてくれ」
 逃げ出そうと四つん這いになるレギ。
 だがのとうは、レギの足の関節を強く踏みつけた。
 それほど痛くないのだが、力が入らず身動きできない。
 その間もくすぐり攻撃はますます激しく、執拗にレギを襲う。
「まいった、降参、だ。のと君……!」
 苦しい。
 息が切れる。
 レギは息苦しさのあまり、ぎゅっと目をつむっていた。
 その目尻には涙まで浮かべている。
「いい加減に、してくれ!」
 レギの声には珍しく怒気がまじっていた。
 だがのとうの指は止まらない。止まらないどころか、ますます激しくなっていく。
 ついにレギの目尻の涙が、ぽろりと零れ落ちた。
(あれ?)
 不思議な感覚だった。
 自らが分泌した水分が、頬を伝い落ちて行くその温かさ。

 ぽろり。
 ぽろり。

 気がつけばくすぐりは止まっていた。
 代わりに背中に感じられたのは、温かく柔らかなのとうの手のひら。

 そのぬくもりが背中から胸を伝わって、喉元にまでとどく。
 温められた喉が、枷を外されたように震えだした。

 部屋にはただ、抑えた嗚咽の声だけが満ちて行く。


●雪解けの予感

 のとうは黙って、レギの背中に手を置いていた。
 レギが泣いている。
 いつもは穏やかな微笑みの下に、感情を封じ込めたようなレギが。
(やっぱりあの笑顔の下には、ちゃーんといろんなものがつまってたんだな)
 レギの過去に何があったのかはわからない。 
 けれどそれを封じ込めなければならない程の、深い理由があるのだろう。
 レギ自身がそのことを忘れてしまうほどに深く、重く。
 まるで川の流れを凍りつかせてしまう程に厚く降り積もる雪のように。
 レギは滑らかな皮膚の下に、いろんなものを封じ込めていた。

 けれど知っているだろうか。
 泣いて、笑って、怒って、驚いて。
 君の声、君の表情、君のあたたかさ。
 それは確かに君の中にあって、どれもがキラキラと眩くて美しい。
 全てがレギ自身の世界を彩る素敵なエッセンスなのだ。

 でもそれを改めて手に取れば、目も眩むほどの色彩を放っていたのだろう。
 一面モノクロの世界に突然溢れ出した色は、君を驚かせ、戸惑わせる。
 君はどうしていいのか分からずにもがいていた。
 もがきながら誰かにそれを訴えようとしていた。
 封じ切れない想いにもがき、苦しみの涙を流していた。
 でもそれでいい。
 持て余してしまうほどの気持ちなら、そのまま涙に溶かしてしまうといい。

「……なんだ、君ってば、まるで迷子みたいじゃあないか」
 未知の世界を前に、ひとりぼっちで震える迷子。
 見知らぬものは怖い。
 けれど怖さを越えた先に、君の広い世界が広がっている。

「ごめん。自分でも驚いたよ」
 レギがようやく顔をあげた。
 涙の跡は、氷の下の清らかな流れが、春になって現れたように。
「君に、会いたいと思ったんだ」
 何を一緒にするでもなく、どこへ一緒に行くでもなく、ただただ会いたい。
 こんな気持ちになるなんて、少し疲れていたのかもしれない。
「ふふ。吃驚だな。俺の思考(こと)とは思えないよ」
 だがのとうは、レギ自身がよくわからなかった自分の心を、着信の記録だけで拾い上げてまっすぐに駆けつけてくれた。

 闇夜を照らす蝋燭の明かりのように。
 雪原をオレンジに染める日の出のように。
 いつだってレギの心を照らしてくれる。

「……のと君は、凄いな」
「そうか?」
 何でもないというように、のとうは笑う。
「俺は前から知ってたぜ。君が俺のことを、大好きだって」
 レギはまじまじとのとうを見つめる。
 のとうは悪戯っぽく肩をすくめ、レギを手招きした。
「ははぁ、大きなおこちゃまめ。しょうがないなあ。ほれ、こっちへおいでよ」
 レギは忠犬のように素直に、膝でにじり寄る。
「一息ついたら、一緒にご飯をたべようか。知ってるか? ご飯はひとりで食べるよりも、一緒に食べる方がおいしいんだぜ?」
「うん。それはたぶん、知っているよ」

 レギが穏やかに微笑む。
 一見いつも通りの笑顔に、確かな雪解けの予感が煌めいていた。

 春はもう、すぐそこに。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja3056 / 大狗 のとう / 女 / 21 / 優しいともし火のように】
【ja9841 / 花見月 レギ / 男 / 29 / 春待つおさな児のように】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました、またひとつ、刻む思い出をお届けします。
今回はツインノベルでのご依頼でしたが、季節柄ちょうどぴったりのように思いましたので、冬ノベル風になりました。
ご発注内容がとても素敵でしたので、一部ほぼそのまま採用いたしました。
ご容赦いただけましたら幸いです。
この度もご依頼いただき、どうも有難うございました!
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エリュシオン
2017年02月10日

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