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『【死合】犬の掟 』
都呂々 鴇aa4954hero001
 そこかしこの塹壕の縁に並べられた機関砲が、咳き込むような砲撃音を鳴らし。
 硝煙の霞を割って飛び出した戦車の群れが、空を殴り飛ばすがごとくの轟音をあげ、獲物に襲いかかっていく。
 ディーゼルエンジンの登場は、これまでの戦場の常識をことごとくひっくり返してくれたものだが……人と人が殺し合うからこそ、戦うことに意味があり、勝利することに意義があるのではないのか?
 凍土の国のただ中、戦車とそれを守る歩兵との狭間にて歩を進めながら、都呂々 鴇は胸の内で吐き捨てた。
 と。鴇の傍らをいく歩兵が流れ弾に目を貫かれ、倒れ伏した。
 目深にヘルメットをかぶっていなかったのは、きっと自分の命よりも自由な視界に価値を感じていたからなのだろう。そう思えば、彼の犬死にもそれなりの価値がある。
 ――虎の子の戦車大隊を投入できたことで、自軍の勝利は確定した。あとはそう、自分が任務を遂行するだけだ。
『出発予定地点の制圧を完了した。仕事の時間だぞ、ホウ』
 質の悪い通信機がザリザリと尖った通信をがなりたてる。
 ホウとは、階級も所属もない特務機関員の鴇に与えられたコードネーム。名前を極東風に音読みしただけの安直な代物だったが、呼ばれて返事ができればいいだけのものなのだから、それでかまわない。
 鴇に守るべき名誉はなく、託すべき言葉もない。
 戦場の陰を走り、狙う獲物をかすめとってまた陰へ逃げる。それができなければ――
「ホウより大隊指揮車へ。ここまでの護衛、感謝する。自分のためになにひとつ残していく必要はない。鹵獲品と勝利の栄誉を抱えて撤収してくれ」
 ――誰のものとも知れぬ骸を凍土に晒すのみだ。


 鴇が目指す先は、最前線の一角に建つ敵の砦だ。
 進入路は先に忍び込んだ内偵が作ってくれている。もっとも、ここ1週間ほど音沙汰がないから仕末されたのだろうが。
 砦の隅に穿たれた抜け穴をくぐり、潜伏移動。一応は鹵獲した敵軍の制服を着用しているし、顔つきも敵国の成人男子を模して化粧はしている。が、演技はしょせん演技であり、その不自然に気づく目を持つ者がどこにいないとも限らない。
 敵軍が反撃の準備を進める中、鴇は自然を装うため、人の流れに紛れ、乗り移り、やり過ごす。潜伏とは身を隠すだけのものではない。姿を晒しながら誰の目にも止まらないこともまた潜伏だ。
 かくして1時間を費やし、200メートルを移動した鴇は胸の奥でため息をついた。
 できうることなら、今見てきた情報を自軍に送りたいところではあった。戦車こそないものの、対戦車兵器がそろえられ、充分な数の補充人員に行き渡っていることを。
 が、今はそれどころではない。
 ここまでは、砦の内部地図を残してくれた先達も到達できていた。
 しかしここからは、その地図がほぼ白紙。わかっているのは目の前の倉庫区域の奥に、鹵獲兵器を収める特別な倉庫があること。そして――鴇が奪回しなければならない自軍の新兵器“天球の玻璃”があることだけだ。
 倉庫までの距離は50メートル。先達は、その100歩に満たない先へたどりつけないまま消えた。
 ――行かなくていい理由をつけられるなら、行かずにすませたかったところだが。
 考えてはみたが、すぐに頭からその誘惑を追い出した。階級すら与えられていないとはいえ彼は兵士だ。行けと言われた以上、行くよりない。
 表情だけは平らかに保ちながら、彼は身を隠す陰のない、倉庫と倉庫の間の通り路へ軍靴のつま先を踏み出した。
 1歩、2歩、3歩……路にトラップがしかけられている気配はない。敵兵が潜んでいる様子もない。喧噪から遠ざかるにつれ、鴇自身の押し殺した呼吸音と足音とが高く鳴り響く。もちろん気のせいだ。先達の失踪が、必要以上のプレッシャーとなっているのか。
 とはいえ、先達が死ぬなどめずらしいことではないのだ。彼らが死ぬからこそ後続が送り込まれるのだし、今まで生き延びてきた鴇は幾度となくその後続を務めてもきた。
 それなのに。
 どうしても、次の1歩が踏み出せなかった。なにもしかけられていないはずの路の一点に靴底が貼りついて、持ち上がらない。
 ――あと1歩踏み込めば死ぬ。自分はそう確信している。
 なぜかを問うために、鴇はその場から視線を巡らせた。
 死の予感を訴えてくるのは、彼の本性の奥に在る本能だ。だとすれば、ある。戦場の裏で生き残るべく鍛えあげられ、研ぎ澄まされた彼を殺すなにかが……。

「形はよく作ってきたみてぇだけどよ。てめぇ、犬臭ぇぜ?」

 振り向くよりも先に、鴇は跳んでいた。
 声がしたほうへ転がり込み、気配を頼りに懐に短刀を下から上へと抜き打つ。
「っと、危ねぇな」
 虚をついたはずの刃が、左手で握り止められていた。灰色の獣毛に鎧われた、ただの人間ではありえない手で。
「ま、尻尾巻いて逃げ出さなかったのはほめてやんよ」
 軍服をだらしなく着崩した細身の男が口の端を吊り上げた。その唇の奥に、長く伸びた牙が垣間見える。
 鴇の首筋を冷たい戦慄が駆け上がった。
 変装を見破られたのではなく、嗅ぎとられた。鴇の渾身の一閃を片手で掴み止めた獣人――人狼に。
 逃げ出さなかったのは正しかった。背中から一方的に殺されるだけだったろうから。しかし、逃げ出さなかったのは誤りでもあった。技や力はもちろんだが、なによりも“獣”としての格がちがいすぎる……!
「この国だけかと思ってたぜ。獣人が兵隊やらされてんのはよ」
 垂れた目尻に同情めいた光をひらめかせ、男は吐き捨てた。
 好きでなったわけじゃない。ならされたのだ。しかし、そうだとしても。
 ――押しつけられた命運を哀れまない。嘆くのは、道半ばで倒れて「自分」で死ぬか、死線を踏み越えて「ぼく」に戻るか、命運が決まってからのことだ。
 鴇の犬歯が、爪が、ぎちぎちと伸び出した。
 顔の脇にあった耳が迫り上がり、鋭く尖る。
 瞳が彩を変えていく。そして現れたのはタペータム――人ならぬ狼の眼であった。
 肉体変化の中で割れた化粧を剥ぎ落とせば、幼さをかすかに残す半獣人の美貌が露われる。
「肚ぁ決めたかよ。じゃ、四の五の言わねぇ。オレとてめぇの群れのメンツかけてよぉ、思いっきり殺り合おうぜぇ!」
 鴇になぜここにいるのかを問わず、男が前蹴りを放った。
 鴇は避けられない。体の中心線をまっすぐ攻撃されたからだ。左右のいずれかに、わずかでも蹴りがずれていればかわしようもあるのだが――粗野な見た目に反して堅実な攻めだ。
「っ」
 両腕を十字に組み、胃へねじ込まれようとしたつま先をブロックする。半獣化によって力を押し上げられているはずの腕がみしりと呻いた。威力の乗らない前蹴りが、これほどまでに重いとは……!
 しかし。鴇は押しつけられたつま先を支点に体を半回転。男の蹴り足の外から側面に回り込み、短刀を振り込んだ。男の体毛は硬い。狙うのは毛皮の守りがもっとも薄い急所、頸動脈だ。
「甘ぇよ」
 刃を肩で止めた男が嘲う。
 鴇と男の身長差はおよそ20センチ。跳ばなければ確実に首を薙ぐことはかなわない。
 ――命を惜しんで届く相手ではない、か。
 刃を軸にもう半回転、男から間合を離した鴇は細く息を吹いた。
 跳んでしまえばその一撃に命を預けることになる。いかな獣人とはいえ、足場のない宙で自在に体勢を変えることなどできはしないからだ。
 今や完全なる人狼形態へと変じた男が、唇をすぼめて「ひゅ」、呼気を吹いた。
 来る。
 鴇は頭を挟むようにして両腕の奥に隠した。
 果たして、左のジャブの連打が来たる。
 こちらの腕を突いた反動を利し、肘を返してまた打つ。3発で腕が痺れ、4発めからは痛みすら感じられなくなった。
 男のジャブが叩いているのは、鴇の筋肉に含まれる水分だ。水に深く拳を突き込むよりも、その表面を弾くほうが大きな波紋を作り出せる。男はあえて鴇の体表を弾くことで内の水分に大きな波紋を起こし、衝撃を与えているのだ。
 揺すられた肉が炎症を起こしている。このまま揺すられ続ければ遠からず裂ける。
 ――重さに対するには、軽さ。
 鴇は男のジャブの外へ、小刻みな足捌きで逃れていく。その間、細かに間合を縮めては離し、男の反応を探る。
 対して男は悠然と鴇の正面に向きなおるばかり。慣れているのだろう。こうして格下の相手から探られることに。
 ――先の蹴りもそうだったが、堅実だ。この手合いは無意味に攻め込んできたりしない。こちらの攻撃に合わせて反撃を叩きこんでくる。だとすれば。
 先手は常にこちらが取れるということだ。
 鴇が大きく踏み込み、男の喉を横薙ぎに斬り上げた。
 男は顔を反らしてかわし、鴇の鳩尾へと左膝を突き上げる。
 ――貴様は格上だ。だから格下の攻めを警戒しない。最小の回避なり防御なりでしのいで殺しに来る。
 鴇が誘ったのは男の反撃。
 獲物を持たぬ男の攻めは四肢と牙に限られる。その牙を封じるべく、上を狙った。それも直接顔面ではなく、ごく自然に映るだろう急所を。
 さらにこの下からの角度なら、防御するにしても腕を固める必要がある。鴇が踏み込むことで詰まりゆく間合を考えれば、至近距離でも対応できる拳は残しておきたいと考えるだろう。
 結果、残る反撃手段は蹴り。この間合なら膝蹴りが来る可能性がもっとも高い。
 男が、空振りに終わった膝の向こうで苦い笑みを漏らす。ここまで来て、ようようと鴇のしかけに気づいたわけだ。
 ――それも驕りだ、強者。
 鴇は笑み返さず、男の軸脚へ、気を込めて固めた獣毛の針を撃ち込んだ。
「子犬のくせして騙ってくれんじゃねぇか」
 毛針に縫い止められた脚を見やり、男がまた苦笑した。
「犬だからだよ、灰色狼」
 鴇は軍隊の裏側に落とされて以来、自らのぞんで地獄に身を置き続けてきた。
 毎秒同じ技を繰り返して精度を高め、戦場というイレギュラーな場でその技を試し続けて練度を高め、生き延びてはまた傷ついた体を鍛錬へ向かわせ……影としての技を鍛え上げ、磨き抜いてきたのだ……一芸を仕込まれた犬のように。
 ――自分は自分を狼だなどと呼べない。が。犬には犬の矜持がある。
 前から突っ込むと見せておいて、横へ跳ぶ。
 横からしかけると見せておいて、後へ回る。
 背から斬り裂くと見せておいて、毛針で縫い止めた男の膝裏につま先をかけて上へ。斬りかからずにそのまま下へ落ち、溜めをつくってタイミングをずらしておきながら、男の脚にさらなる毛針を撃ち込んで跳びすさった。
「やべぇな。左脚、完璧に動かねぇわ」
 言いながら、男は右ストレートを打ち込んできた。
 左のリードパンチを使わないのは、踏み込みを成す左足が使えないからだ。そして左脚に重心を預けられない以上、バランスを保つために右を使うよりない。
 鴇は前転して男の左へ転がり、男の首へ跳んでその右脚を蔦のごとく絡めた。
 ここからなら、届く。
 今ここでなら、殺せる。
 逆手に持った短刀の切っ先を振りかぶらずに男の喉へあてがい、一気に引き斬る――
「跳ぶのはてめぇだけじゃねぇよ」
 刃と毛皮の間に差し込まれた男の右手が、再び鴇の刃を握り止め、そのまま彼の体ごと前へ引き落とす。
 一瞬、曇天が見えた。いつ雪が降り始めてもおかしくない、暗い空。
 しかしそれは次の瞬間に黒く塞がれた。
 男の手がいつしか鴇の手首を掴んでいる。それを支点にし、右脚1本で跳んだ男の体が彼の上にかぶさっていて――鴇は受け身も取れぬままアスファルトで固められた地に背から落ちた。
「!!」
 肺から押し出された空気が塞がれた口の内で爆ぜ、喉の毛細血管を引き裂いた。
 あふれ出す血に呼吸を奪われ、噛みつくことすらできない。それでも鴇は黒いばかりの視界の外で、自分の身になにが起きているのかを探る。
「これからオレぁてめぇの右肩を折る」
 静かな声音とともに、右腕がねじられた。こらえようにも相手の膂力はこちらよりはるかに高く、さらには両手を使われている。なにもできないまま、鴇の右腕は畳まれた肘を上へ向けられ。
 レバーのようにして腕を引かれ、肩関節を破壊された。
 鴇は知らない。その技が、プロレスリングにおいてV1アームロックと呼ばれ、さらにはプロレスの原型たるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンではトップリストロックと称される関節技であることを。
 そして男が見せたのが、この凍土の国で考案された軍隊格闘術特有の、跳びつき関節技であることも。
「――!」
 悲鳴はあげなかった。それだけがせめてもの矜持だったから。
「てめぇらの国の北部兵装開発局が作った秘密兵器っての、取り返しに来たんだろ?」
 激痛に硬直した鴇の体の上でポジションを変えながら、男が語る。
「そいつはオレらが持ってるぜ。ま、ガワだけだけどな」
 ガワ――外側だけだと!? それはいったいどういうことだ!
「犬にゃ縁のねぇハナシだろうけどよ、てめぇの国じゃ、今月中に戦争は終わるって宣伝してんだぜ。そのアテってのが“天球の玻璃”……中身カラッポの新型爆弾さ」
 中身が、空? そんなはずはない。これだけの規模の作戦を決行し、少なからぬ犠牲を出して――
「フシギだよなぁ。でもよ。そいつを盗られました。取り返したら戦争に勝てます。逆に使われちまったら戦争は負けです。って言われたらどうだ?」
 戦争に疲れた国民は自分の生活を犠牲にしてでも軍部を戦争に駆り立て、兵士は命を投げ出して戦いに向かうだろう。敵に使われる恐れのない爆弾ひとつで、国は一丸となって戦争を続けることができる。
「ある場所がわかってんのに大勢で攻め込まねぇワケさ。取り返しちまったらてめぇらが困るんだからよ」
 抗う力を失くした首に、男の腕が巻きついた。
「ま。犬は犬らしく、転がって死ね」
 ああ。また空が見えた――


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【都呂々 鴇(aa4954hero001) / 男性 / 16歳 / エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 犬として生きた狼は犬として死す。
 誰に顧みられることなく、誰に弔われることなく、朽ちることすらゆるされずに凍雪の奥底に囚われるのみ。
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2017年03月10日

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