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『花舞 』
芳乃・綺花8870
 鈴が鳴る。
 人の耳では――いや、たとえ獣であろうとも捕らえることのできない、音。
 芳乃・綺花は半ばまでノートに書き写していた板書から目を離し、窓の外に広がる空を見やった。
 鈴の音は、耳を始めとする五感ならず、綺花がその奥に潜めた六感へと届けられるエマージェンシーコールだ。
「先生。申し訳ありません、今日はこれで早退させていただきます」
 高校生離れした肢体のあでやかさが、彼女のまとう紺のセーラー服を押し退け、匂い立つ。
 肌も、長く伸ばした黒髪も、完璧に整えられたコンディションを映して艶めいていたが、それでも。
「……わかりました。気をつけて」
 教師はなにを問うことなくうなずいてみせた。
 この高校に着任した教師が最初に言い含められる注意事項、その筆頭は「芳乃・綺花を阻むな」だ。第二の注意事項は「芳乃・綺花に理由を問うな」である。そしてその注意事項を守る限り、謎の手当が非課税で、給料へと加算される。
「失礼します」
 一礼を残し、綺花は通学用の手提げ鞄を取って歩き出した。
 古風なバックラインを刻む黒いストッキングに包まれた脚が前へ送り出される度、丈の短いプリーツスカートの裾からランガードが垣間見える。
 が。誰ひとり、綺花の脚を見る者はなかった。
 教師にとっては腫れ物である彼女は、この学校の生徒にとって不可侵の聖女だったから。
 押し詰められた沈黙を置き去り、綺花は無人の廊下へ踏み出した。


「どーもどーも。お待ちしてましたよー」
 綺花が校門を抜けた直後、国産のダークスーツを“きちんと着崩した”小太りの男が横から声をかけてきた。
「状況は?」
 短く返し、歩き続ける綺花を小走りで追いながら、男が応える。
「よくある魔法陣の暴走ですねー。ただ、寂れた地下とか廃工場とかって場所じゃなくて、ショピングモールの中でして」
 この世界にはそこそこ以上の数の悪魔崇拝者が存在し、それ以上の数、崇拝もしていない悪魔を召喚しようと企む輩がいる。
 どちらの仕業かは知らないが、魔法陣は繊細なものだ。
 完成までにごくわずかなイレギュラー要素が混入しただけで陣は損なわれ、それまでつぎ込んできた魔力も素材も失われる。ゆえに、悪魔召喚はけして人目につかない場所を選んで行われるものなのだが……
「常識がないのか、覚悟があるのか。どちらにしても話の通じる相手ではないということですね」
 うそぶいた綺花に男は大きくうなずいて。
「多分、非常識のほうなんじゃないですかねー。で、モールからけっこうな数、半魔があふれ出してます。それで警察からウチに依頼が来たわけで」
 男は民間の退魔会社である【弥代】の職員であり、主に警察や省庁といった公からの依頼を捌く立場にある。
“マネージャー”の通称で呼ばれるこの男の本名、【弥代】の退魔士たる綺花は知らないが、特に問題を感じたことはなかった。どうせ呪いの防止策として偽名を名乗っているだろうから。
「一応、出てきちゃったみなさんはウチのほうで駐車場に誘導してます。あ、半魔なんで、殺しちゃうのはNGでお願いしまーす」
 先回りして防弾耐爆仕様のセダンの後部ドアを開けながら、マネージャーがにこやかに言った。
 半魔は文字どおり、邪気に取り憑かれることで半ば魔物化した人間だ。邪気を剥がすことさえできれば人間に戻る。
「……尽力しましょう」
 綺花は後部座席へ乗り込み、そこに横たえられていた退魔刀を手に取り、鯉口の固さを確かめた。
 いそがしい一日になりそうですね。綺花は豊かな胸の狭間をシートベルトで割り開き、静かに息をついた。呼吸が乱れれば剣筋が乱れ、法力が乱れる。心は平らかに、たぎらせるのは肉だけでいい。


 事件現場などでよく見る、黄色と黒の警戒色をつけられたバリケードテープ。ただし通常のものとはちがい、強力な封印の術式がかけられている。当然店で売っているようなものではないが、値をつけるとすればメートルあたり100万は下らないだろう。
「ショッピングモール全体を囲んでいるのですか?」
「まさか! ところどころちまちまと。あとは警察のみなさんが人海戦術です」
 マネージャーはあっさり言い切ったが、術を修めていない一般人が半魔を押し返そうとすれば圧倒的な火力で依り代ごと引きちぎるしかない。
 急ぎ大元である“主”を斬り、半魔の進軍と増殖を止めなければ。
「――推して参ります」
 ふわり。重力の軛を感じさせないかろやかさでテープを跳び越えた綺花が、結界の内にそのつま先をつけた。
 と、同時に。退魔刀を鞘から抜き打ち、空を裂く。
 玉鋼の放つ清冽な匂いが邪気の臭いを払い、祓う。
 空間の薄皮の裏に潜み、忍び寄っていた半魔が、その一閃でかき消され。依り代たる男性がその場に崩れ落ちた。
「人と溶け合った魔だけを斬りますかー。芳乃さんもなかなかに人外ですねー」
 テープの外側からへらへらと言う男へ苦笑を含めた横目を飛ばし、綺花は赤い唇を開く。
「制圧が済んだ区域から順に、取り憑かれていた人を搬送してください」
 言い置いて、綺花はさらに歩を踏み出した。
 カバーしなければならない範囲が狭まれば、バリケードテープだけでショッピングモールを封印することができる。
 そうなれば、取り憑かれた人々も警察官も、誰ひとり死なずにすむ。


 邪気には特有の臭いがある。
 とはいっても、不快なにおいではない。なんとも甘く、かぐわしい。そしてその香りで人を誘い、からめとり、堕とすのだ。
 綺花はかすかに口の端を歪め、このにおいの発生源となっている者のことを思った。
 ――自分から堕ちたのか惑わされたのか。どのみち巣窟に踏み込めば知れますね。
 その間にも、半人半妖の形となった人々が襲いかかってくる。
 通常の3倍以上も膨れ上がり、硬質化した拳を叩きつけてきた。
 綺花はその腕を坂を登るように駆け上がり、肩を蹴って宙に舞った。
 ここでようやく拳がアスファルトへ届き、穴を空ける。
 虫さながらの外骨格をまとった半魔が、それでも両手の鎌を振り上げて綺花を引きずり落とそうとした。
「足元がふらついていますよ?」
 拳が起こした振動により、虫半魔は体勢を崩している。
 宙で体を返した綺花は鎌の先端を切っ先で弾き、さらに虫半魔をよろめかせておきながら、彼女の着地を待ち受けていた犬半魔の眉間へ踵を突き立て、地に縫い止めた。
「動けなければ、私を捕まえることも逃げることもできませんね」
 踵をにじり、駆け込んできた拳半魔へ強烈な横蹴りを突き込んで押し止め、法力を流し込んだ刃で犬半魔の邪気を斬り祓った綺花が、体を横回転させた弾みで再び宙へ。
 引き寄せられるようにその後を追った2体の半魔だったが。
 回転に乗せて伸べた刃を、綺花が引いた。
 研ぎ澄まされた刃が描く、限りなく細い線。それが引かれることで埒外な摩擦を生み。
 質の異なる2体の硬い外皮をまとめて斬りひらき、清浄なる法力を邪気へ浸透させた。
 倒れ伏す人々に目礼を残した綺花が「次」、アスファルトを蹴ってさらに奥へ進む。
 ――術者の手がかけられていない結界、それを踏み越えられない程度の半魔は怖くありませんけれど。
「“主”がこの状況を見ているなら、そろそろ手を打ってくるころでしょうね」
 半魔を袈裟斬り、なで斬り、突き抜きながら、綺花は魔法陣を成した主の次なる「手」を探す。
 そしてそれは、程なくして現われた。


「これは……わかりやすいですね」
 結界線を目ざして前進してきたのは、半魔を数十体もより合わせて造ったゴーレムだ。
 体表の継ぎ目はアスファルトを分解して精製したと思しきタールと砂利とで塞がれ、強化されている。
 1体では越えられない結界を、多数を繋いだ暴力で押し通る。単純だが確実な手だ。
「魔法使いかと思いましたが、錬金の徒ですか」
 ならば。
 綺花はゴーレムの体へつま先をかけ、一息に額まで駆け上がって刃を閃かせたが。
 額に刻まれているはずの「emeth(真理)」の字は、厚く塗り重ねられたタールで隠されており、さらには術で硬化された砂利で鎧われていた。
「っ!」
 刃を弾かれ、さらにはゴーレムの声なき咆吼によって吹き飛ばされる綺花。
 それを追い、ゴーレムの掌打が上から振り落ちてくる。
 ――腰を据えなければ、あの護りを裂くことはできない。
 ならば。
 綺花は打ち据えられる直前、その太い指へ脚をからめ、体を巡らせながら起こした。
 ゴーレムの手の甲に乗る形で着地した彼女は、衝撃から逃れるために一度飛び退き、アスファルトの上へすらりと立つ。
 ――鎮める。
 体の内に残る古い吸気を吐ききり、新たに吸い込んだ新鮮な空気を内に巡らせた綺花は、自らのあらゆる筋肉から返ってくる反応を確かめた。
 気にとめなければならないような疲労は蓄積していない。いつなりと、思うがままの軌跡を描いて踏み込み、刃を振り抜ける。
 行きましょう。
 ひゅう。血に酸素を吹き込んだ後の、空薬莢さながらの呼気を吹き抜きながら、綺花が駆ける。
 ゴーレムはこれを迎撃すべく拳を振り回した。超重量に押し割られ、低い悲鳴をあげる空気。
 逆巻く風を、すべるように受け流した綺花はそのままゴーレムの裏をとった。
「まずは、ひとつ」
 ゴーレムの左脚が半ばからずるりとずれ落ち、バランスを失って膝をついた。
 綺花が斬ったのはゴーレムの軸脚だ。重量のすべてを支えるその脚は、いわば地に突き立てられた巻き藁と同様の状態にある。ゆえにたやすく斬り落とされることとなったのだが、しかし。
 痛みを感じることのないゴーレムはその膝を支点に体を巡らせ、綺花へ拳を振り込んだ。
 ――遅い。
 鼻先が触れるほどの距離だけを開けて拳を見送った綺花が、その肘を内から斬り飛ばした。
「動かなければならない箇所だけに、やわらかいものでしたね」
 膝立ちのまま、残る片腕を振り回すゴーレム。
 それをミリ単位で見切って間合を保ち、綺花はさらに退魔刀を振るう。
 ゴーレムの両脚が飛び、残る腕も損なわれた。さらには胴が少しずつ斬り削られて……ついには胸像さながらの、胸と頭だけが残された。
 オオオオオ! 為す術をすべて断たれたゴーレムが音にならない悲鳴をあげる。
 その眼前に立った綺花は両脚を広げて腰を据え、鞘に収めた退魔刀へあらためて手をかけた。
「邪なる術士の手が世界を犯し、孕ませし胎児。私があなたを、あるべき奈落へと還しましょう」
 ふ。息を切って綺花が刃を抜き打ち。
 砂利ごとゴーレムの額のタールを斬り祓った。
 果たして露わとなるemethの字。
「おやすみなさい」
 退魔刀の柄頭がemethの語頭に置かれたeを突き崩し。
 meth(死)を命じられたゴーレムは、すべての力を失くして崩れさった。

 後に残された倒れ伏す人々の体へ目線を巡らせ、綺花は誰ひとり傷ついていないことを確かめた。ゴーレムを構成していた半魔の組み合わさりかたを読みながら斬ったつもりだったが、万が一ということもありえるからだ。
 ――後は会社に任せてしまっていいようですね。
 綺花はひとつ息をつき、“主”の巣窟たるショッピングモールの内へ踏み入った。

 簡単に会ってもらえはしないだろう。
 なにが彼女を待ち受け、阻むものかもわからない。
「楽しませてもらいますよ」
 綺花は切れ上がった目尻をふとゆるめ、艶然と笑んだ。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年04月24日

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