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『花弔 』
芳乃・綺花8870
 芳乃・綺花が、邪に侵されしショッピングモールの最上階、3階へ到達した。
 腰に佩く刀は、無垢なる鋼を法力の焔で打ち、清浄なる原初の水にて冷まし固めた退魔の刃。
 その鯉口が今、小刻みに震えて鳴りだした。
 チリチリチリチリ。骨を伝う鋼の武者震いに、綺花は黒瞳をすがめ、先を透かし見た。
 普通の人間であれば感じられまいが。法力を持つ綺花の眼は、この階を覆う蜜のように濃密な邪気に塞がれ、霞んでいる。
 なのに、錬金の番人も半魔も、魔そのものも、不在。
 ここへ来るまでの騒ぎを考えれば、まさに異常と言うよりなかったが……綺花は胸中にわだかまる疑問を振り捨てた。
 いつ、なにが、どこから襲い来ようと、そのときはただ斬ればいい。

 綺花は一時目線を彼方から外し、階段脇の見取り図へ向けた。
 この階にあるテナントは大半が、男子や女子向けの服屋。対象外の年齢層が上がってこなくてもいい構成になっている。
 ブランド名を確かめた綺花はひとつ息をつき。
「私では着れませんね……」
 年齢こそ女子ながら、その完成された美はすでに女子の域から大きく抜け出してしまっている。そもそもが下着ひとつとってみても、オーダーメイドでなければ正しくその肢体を支えられないのだから。
 ――ともかく。先手だけは打っておくべきでしょう。
 朱塗りの鞘を床に横たえ、綺花は刃を大上段に振りかざした。
 腹の底にある丹田へ吸気を落とし込み、法力を重ねて血肉へ、そして刃へと巡らせる。
「ふっ」
 充分に法力を吸わせた切っ先が、ゆるやかに振り下ろされて鞘を打つ。
 ィン。神々しいまでに澄んだ高音が邪気満ちる空気を揺らし、打ち祓った。
 法力を込めた退魔の刃を同じコンセプトで造られた鞘で打ち鳴らし、破邪を成す。1階でガーゴイルと半魔相手に見せた反響、その基本となる技である。
 ――視界は確保できましたが。
 このショッピングモールで魔法陣を展開し、この世界へ邪を呼び寄せた“主”はどう出るか?
 祓われた邪気の奥、蠢く気配があった。
 パタリ、パタリパタリパタリ、パタリ。音が止んだ次の瞬間、以前と同じ濃さの邪気が沸き出し、浄化された空間へなだれ込む。
「自動修復?」
 この場には綺花のほか誰もいない。
 それなのに、減らされた邪気はすぐに補充された。まるで計算式でも発動したかのように。
「ホムンクルスかゴーレムかと思っていましたが……」
 綺花は先ほどまでの戦いの中、ひとつの仮説を得ていた。
 この騒ぎを引き起こした“主”は錬金術師ならず、その命を受けたホムンクルスかゴーレムなのではないかと。
 人造の使者は定められたとおりに動く。研究と改良とが日進月歩で押し進む錬金の徒が、明確な弱点となる“規則”を頑なに守る理由はそれしかあるまい。そう考えていたのだ。
「もっと大きな規則性――計算?」
 と。最近主流となった、首のないマネキンどもが邪気の奥より這い出で、綺花の思考を断ち切った。
 ――私は入り込んだ雑菌といったところでしょうか?
 白血球さながらに群がってくるマネキンへ苦い笑みを投げ、綺花は退魔刀を構えなおした。
 いくら濃密な邪気を動源としているとはいえ、相手はたかがマネキンだ。ぎこちないその攻撃をすり抜け、蹴り退け、斬り払い、綺花は駆ける。足場は転倒防止のための絨毯。少しばかり無理をしても体勢を崩す恐れはない。
 パタリパタリパタリ、パタリ。どれだけ斬られ、壊されても、次々と偽りの命を吹き込まれて動き出すマネキン。このままでは切りがない。
“反響”で一気にマネキンを弾き飛ばし、綺花は半眼を巡らせた。
 邪を貫き、魔を露わとする眼をもってしてもやはり、“主”の姿は捉えられない。
 どこから見ている? どこからこの状況をコントロールしている?
 パタリ、パタリ、パタリ。斬られたはずのマネキンと新たなマネキンとが、綺花を包囲して迫る。
 とにかく、魔法陣を探さなくては。
 艶やかな曲線を描く腿に力を込めて、綺花はマネキンを振り切り駆け出した。
 どれほど巧妙に隠しているのだとしても、陣が魔界と繋がっている以上は空間が歪む。見つけ出すのはたやすい。

 そのはずだった。

 ――これはいったいどういうこと、でしょうか?
 隅々まで探ってみても、在るはずの魔法陣が、ない。
 パタリ、パタリパタリ、パタリ。カードをめくるような音を合図に動き出すマネキン。
 見落とすはずはない。しかし、ないはずもない。だとすれば、なにかを誤っているのだ。見るべき場所か、発想か、あるいは他のなにかか。
 刀の峰を唇で挟み、鋼に浄化された空気を吸い込みながら、綺花は半眼を閉ざした。誤っているのなら、危険を恐れずすべてを一度リセットするべきだ。
 輝くような肌へ貼りつき、潜り込んでこようとする邪気をそのままに、彼女は空気を聴き、嗅ぎ、触り、舐めとった。
 パタリパタリパタリパタリ、パタリ。
 またあの音がして、なにかが動き出す足音が絨毯に覆われた床を揺らす。
 ――揺らす?
 綺花は気づく。ショッピングモールの造りは堅牢だ。マネキン程度の足踏みで揺れるなどありえない。
 パタリパタリ、パタリ。綺花の足裏に届く揺れは軽い。これは、踏みしめられた重さではありえない。
 ――むしろ開き、めくる音。
 それが知れれば、この邪気の濃度にも納得できる。
 ようするに隠したいのだ。目には見えない魔法陣の気配を。
 綺花の両眼が見開かれ、その肌から放たれた法力の衝撃波が邪気を消し飛ばした。
「見つけましたよ、魔法陣を!」
 抜き打たれた退魔刀の斬撃が絨毯を斬り裂き、その下にあるはずのコンクリートを露わにした。
 パタリパタリパタリパタリ。
 コンクリートなどではなかった。
 おそらくは錬金の業で生成された貴金属――腐食や酸化に強く、電気伝導率の高い銀のパネル。ひとつひとつに数字が刻まれたそれらはひっきりなしに裏返り、別の数字を表わしていく。
 今は一部しか見えていないが、このパネル群は3階の床を覆い尽くしているのだろう。
「魔法陣ならぬ、魔方陣ですか」
 魔方陣とは、縦、横、対角線のすべての数列が等しい合計値を成すよう数字を配置した、正方形の陣を指す。算数の問題などでも取り上げられているので、知る者も多いはずだ。
 ――決められた数値を描くだけなら、数値を入れ替える必要はない。
 この魔方陣は、魔法陣の最大効率を保つ最適数を割り出すための「問題」なのだろう。そして正方形ならぬフロアすべてをひとつの陣として近接させ、連動させるためには――
「バシュー方式」
 ダイヤ型に並べたパネルの縁をなぞって数字を配し、内に収まるパネルの数字を求めるバシュー方式にはひとつの規則がある。
「対応する同じ数字が存在する、ですね」
 綺花は足元の「4」を視界に収めたまま目線を飛ばす。――見つけた。この「4」に対応する「4」を。
 綺花の踵が「4」をにじり、裏返ることを封じる。
「方陣の内に存在できる数はふたつ。それを覆すことは規則違反。……でしょう?」
 切っ先で銀を割り、さらに斬撃を飛ばしてあちらの「4」を割った。
 たった2枚のパネルを損なったことで魔方陣は壊れ、繊細な魔法陣の連動が崩れた。
 急速に薄れていく邪気。
 清らかな空気を胸いっぱいに吸い込み、綺花は通話器へ語りかけた。
「保護された方々の中に、床の補修を担当している業者の方はいらっしゃいますか?」
 すぐに彼女が所属する【弥代】のエージェントたる“マネージャー”からの返答が届く。
『どーも芳乃さん。ご無事でなによりですー。で、該当する方なんですが、お一方いらっしゃいますねー』
「その方を3階へ。多分、気にしているでしょうから」
『わかりましたー』
 口調こそ軽いが、彼もまた人外を相手どる退魔社の一員だ。余計な質問を重ねることなく応じ、通話を切った。


「お招きいただきましたようで。魔法陣の修復にかからせていただいてよろしいでしょうか?」
 慇懃に頭を下げたのは、細身の初老男性だった。
「軽傷を負われた方、邪気にあてられて体調を崩された方はいらっしゃるようですけれど、この騒ぎでお亡くなりになった方はいらっしゃらなかったようですよ」
 綺花の言葉に顔色ひとつ変えることなく、男は小首を傾げて。
「そうですか」
「……目的をお聞きしても?」
「ご主人様が私に残してくださった唯一の使命でした。方陣による法陣の形成とその実用性を検証せよと」
 男の返答を聞いた綺花はため息を漏らす。
 どこかで死んだ錬金術師の遺志を継ぎ、実験と実践を試みた人形。それこそがこの男なのだ。
「未だ魔法陣によって召喚した魔を錬金と縒り合わせる実験が残っております。わたしはそれを実施しなければなりません」
 息継ぎのない言葉。これはホムンクルスではない。ゴーレムだ。規則にこだわり、ゴーレムにこだわった彼の主人はきっと、懐古趣味で原理主義だったのだろう。
「これ以上、世界を侵させはしませんよ」
「命令は絶対に果たされなければなりません」
 男の皮膚が破れ、内から血肉にまみれた棒人形が現われた。人の体に骨を騙って潜み、臭いをごまかしていたらしい。
 針金を縒って仕上げたような棒人形の腕が解け、幾筋もの切っ先と化して綺花を襲う。
 鋭い刺突を紙一重で見切り、身をかわす綺花。
 プリーツスカートが翻り、ストッキングに包まれたしなやかな脚が複雑なステップを踏んで閃く。
「早く仕事にかからなければなりません」
 空に赤黒い粉をこぼしながら棒人形がつぶやいた。
 粉は錆だ。人の血肉に浸ったことで酸化し、劣化した鉄が変じた、骸。
「あなたの体は鉄なのですね。人を被るには不適切な卑金属」
 綺花は哀れみを込めて返した。
 鉄は、錬金における基本の7つの金属の最下層にある。その程度の器しか与えられなかった棒人形が、主人の寵愛を受けていたはずがない。
 それでも。
 創造主にすがるしかなかったのだ。自我を模した思考回路を与えられたまま置き去られた人形は主人の遺志に。そしてその行為を否定するだろう主人はすでに亡い。
「せめてこの手で送りましょう。あなたの主人がいる地獄へ」
 綺花が退魔刀の切っ先を巡らせ、錆びた鉄線を絡め取り、へし折った。
 体を泳がせる棒人形。
 その頭部へまっすぐと突き立った刃が、ぞぐり。まっすぐ、下まで斬り下ろされ。
「ああ」
 ため息を残して、ふたつに断ち割られた棒人形はカシャリと崩れ落ちた。


「人形が着てた人なんですけどね、あれが人形の主人の錬金術師だったそうですー」
 帰りの車中、ハンドルを握るマネージャーが後部座席の綺花へ声をかけた。
「主人の代わりじゃなくて、主人の手で事を成したかったってとこですかね」
 綺花は応えず、ただ薄笑んだ。
 あの棒人形は幸せだったのだ。最期を迎える直前まで、主人と共に在ったのだから。
「……錬金術師の遺体はどうなるのですか?」
「はい? あー、これから燃やされますねー。塵も残しちゃいけないのが決まりですから」
「でしたら、あのゴーレムも共に燃やしてあげてください。主人と同じ地獄へ送ると約束しましたので」
「……連絡しときます。で、次の仕事とかもあるんですけど、どうします? 他の人に回し」
 綺花を気づかおうとしたマネージャーだったが。
 後部座席から伸ばされた退魔刀の柄頭に遮られた。
「すぐに向かってください。幸い、体はまだ冷えていませんから」
 綺花が成すものは遺志の成就ではない。これから紡がれるだろう人々の意志を護り、それを阻む邪を斬ることだ。
 護るべきものがあり、斬るべき邪がある。
 綺花は自らの内にあふれる充足感に、その豊かな双丘を大きく膨らませた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年04月25日

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