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『空の底 』
ソーニャ・デグチャレフaa4829)&ラストシルバーバタリオンaa4829hero002
 ギヂリ。黒革を張ったプレジデントチェアの足が濁った悲鳴をあげて。
 ビジギギッ! 引きちぎれてペルシア絨毯のただ中へめりこんだ。
「……またやらかしてしまったか」
 ソーニャ・デグチャレフはため息をつく。
 チェアの座面を支えていた中軸は、どうやら絨毯を突き抜けて下のコンクリートに突き刺さってしまったらしい。足を失くしてなお微動だにしないチェアの上で、ソーニャはあらためてため息をついた。
「中尉」
「ここに」
 ソーニャの声に応え、マホガニーのドアをくぐって執務室へ入ってきたのは、身長――いや、全長250cmの人型戦車だった。
 ラストシルバーバタリオン。ソーニャの契約英雄であり、その装甲の内に47人の英霊を内包するという、精神集合体である。
 ソーニャは腰に手を当てて体を反らし、ほぼ2mの上空に在るラストシルバーバタリオンの頭部、その前面から伸び出した砲塔を見上げ。
「見ての通り、椅子が壊れたのである」
「まことに遺憾であります」
「小官の背丈では、どうにも足が床まで届かんのでな。つい足をぶらつかせてしまい、結果、椅子の足が引きちぎれるというわけだ」
「ご無念お察しいたします」
「そも、椅子などというものは質実であればよい。それを文官ども、亡命政府の体面がどうのと……」
「実に腹立たしいことであります」
「しかし。新たな椅子を要求するには、彼奴めらに頭を垂れねばならん」
「憤懣やるかたなしであります」
「小官はそのような屈辱を是とする卑屈を持ち合わせてはおらん」
「そうあってこそ少佐殿であります」
「そこで中尉、小官の椅子になれ」
 果たして。
 四つん這いになったラストシルバーバタリオンの肩へ跨がって座り、ソーニャはプレジデントデスクへ向かう。
「少佐殿、お手をつけられているのは、昨晩の戦闘記録でありますか?」
「うむ。経験とは個人的な蓄積のみならず、他者との共有が実施されて初めて意味を成すものであるからな」
 答えたソーニャが、宙にある両足を無意識にばたつかせる。その都度、ラストシルバーバタリオンはバランスを失いかけ、なんとかもちなおす。
 別に遊んでいるわけではないのだ。ソーニャは60cmの身の丈に400kgという、ラストシルバーバタリオンと同等の体重を有しているのだから。
「――小官は重いか?」
「お重くあります」
 ソーニャの体内を血と共に巡るライヴス。しかしそれは愚神との戦いで負ったという傷のせいで狂い、淀み、滞っている。
 それによって引き起こされたのは、体重の過大な増加のみならず、各関節への超負荷、その他多数の生命活動への影響である。
 ゆえに彼女は就寝時でさえ関節部保護を目的とした補助具に縛られ、歩行時には杖が手放せない。
「率直だな。こう見えて思春期女子であるぞ」
 くく。喉の奥で笑うソーニャ。
 ラストシルバーバタリオンは内に詰め込まれた47の喉を一斉につまらせ、頭を垂れた。
 ――お体がではありません。そのお心が、であります。

 ソーニャ、そしてラストシルバーバタリオンの祖国は今、地の底にある。
 埋められたのだ。名も知れぬレガトゥス級愚神の超重力により、全国土の80パーセントが、マントル層の直上まで。
 もちろん、そうさせまいと、国民は力を尽くして戦った。
 軍人たちは互いの命を踏み台にし、レガトゥス級へ攻めかかった。
 大人たちも武器を取り、決死で従魔群を迎え討った。
 軍人たちが、大人たちが死んで空いた穴は年かさの子どもたちが埋め、それでも空いた穴をより年下の子どもたちが埋め……まさに一丸となって戦い抜いた。
 ラストシルバーバタリオンがこの戦争の行方を知ったのは、ソーニャに第2英雄として呼び出された後だ。
 軍人だった彼らは、ソーニャが戦場に立つ以前に死んでいる。ゆえに、年端もゆかぬ少女が少佐の階級章をつけ、防衛戦の中軸を担った現実に少なからず動揺したし、国を失った実感も今ひとつ薄かった。
 ――それも無理からぬことだ。我々は、我々がどのように戦い、どのように死んだのかも思い出せないのだから。
 ひとつの体に宿った47の魂は懊悩した。
 自分たちに英雄と呼ばれていいだけの力があるのか?
 戦いの場で、無様な死に様を晒すばかりの弱兵ではないのか?
 対するソーニャの返答は。
『貴公らに不安を抱くことなどない。小官を導いた先任は皆よき兵であった。その背があればこそ小官は戦い抜くことができたのである』
 そして小さな頭を垂れ。
『ゆえに小官は貴公らに請う。……しばし眠りから覚め、今一度小官を導いてほしい。愚神どもを掃滅し、祖国を取り戻すその日まで』
 気がつけば、ラストシルバーバタリオンは敬礼を返していた。
 後のソーニャによれば、所属が知れぬほどに角度のおかしい礼であったそうだが……47人の記憶を一斉再生した結果なのだ。しかたないことではあろう。
 ともあれ。ラストシルバーバタリオンはその日から今日まで、ソーニャの傍らにある。
 エージェントとして連戦し、その戦闘経験を余さず解析、明文化してさらに検証、次の戦場へと向かい続ける、鉄の心持つ少女の。

「――どうした? まさか、本当に小官の重みに耐えきれなくなったか?」
「は。いえ。祖国のことを思い出しておりました」
 ソーニャは万年筆を持つ手を止め、窓の外へ目線を投げた。
 祖国の空とは高さのちがう空。
 祖国の緑とは種類のちがう緑。
 祖国の人とは色味のちがう人。
 ここは滅んだ祖国とはちがう、生に満ちた国。
 だが。
「……人はもろいが、存外にしぶといものである。小官ばかりでなく、口やかましい文官も、わずかではあれ本来守られるべき国民も生き残ったのだから」
 生き残ったすべての同胞が、この日本に仮初の住処を得ている。それだけの数しか残らなかったのだ。しかし、それだけの数が残ってくれたのだ。
 そのおかげでソーニャは、元大使館に国旗を掲げただけの亡命政府に一室を得、観戦士官としてHOPEへの出向を許された。
 今、ソーニャが踏みしめるのは、国のために死んだ同胞が礎となり、歯を食いしばって生き延びてくれた同胞が整えてくれた、あの愚神へと続く道。
 ――小官は行かねばならん。ソーニャ・デグチャレフの名を掲げ、ソーニャ・デグチャレフの顔を上向けて。
 喉から転がり出そうになった言葉を奥歯で噛み殺し、ソーニャはあらためて声音を紡いだ。
「同胞に報いるためにも止まっているわけにはいかん。迅速と的確、この両立をもって来たるべき日へ邁進するぞ」
 今まで以上の速さで万年筆をはしらせるソーニャ。
 その決意の固さと重さとを肩に感じながら、ラストシルバーバタリオンのひとりがふと思う。
 霞の底で見る掌さながらに不明瞭な記憶。
 そこには幼きソーニャの姿があって。
 無邪気で、賢しくて、爛漫で……どこにでもいる、それでいてどれほど人に紛れたとてふと眼を奪われるような、生命の芳香あふれる少女だった。
 少なくとも、きっと、多分、ああではなかったはずだ。鉛と硝煙の香をまとい、眼帯に塞がれておらぬ左眼に鉄の炎を灯してなどいなかった。
 そう、あの少女がああであるはずはないのだ。なぜなら、ああであったのは――
 誰だ?
 思考の端をすりぬけては消えていく答。どうしても思い出すことができない。
 ラストシルバーバタリオンのひとりは他の46人に気づかれぬよう、個としての意識をかき散らした。


 ようやく戦闘記録と自身の見解をまとめあげたソーニャが、椅子たるラストシルバーバタリオンへ声をかけた。
「仮眠を取る。中尉――」
 降ろせ。そう言いかけたソーニャの体が床から遠ざかる。
「杖をご用意しておりませんでしたので。失礼ながら、我々が杖の代わりを」
 肩車されたまま、ソーニャは執務室のソファへ。
「10分で起きる。それまでに貴公は記録と小官の見解に目を通し、意見をまとめておけ」
 言い終えた瞬間。ソーニャは装具をつけたままソファにぐったりと沈み込んだ。
 このソファは彼女の仮眠用として特注した品だ。彼女が何度寝返りをうち、その重量と装具をこすりつけたとて壊れる代物ではないが。
 ――少佐殿が仮眠ならぬ睡眠をとられるところを、我々はこれまでに見たことがない。
 ブランケットを上官の小さな体にかけながら、ラストシルバーバタリオンは心の内で独り言ちた。
 実は一度だけ、理由を問うたことがある。なぜ充分な睡眠を取らず、日に数度の仮眠のみでしのぐのかと。
『小官には惰眠を貪る時間がない。それに』
 ソーニャは口の端を歪め。
『追いつかれるのが怖いのだ。“あのとき”に、な』
 それ以上は聞けなかった。聞いてはいけない……そう察せざるをえないなにかが、その平らかな声音にはあったから。
 彼らはソーニャが自らに許した10分を穢さぬよう足音を潜め、命じられた任へと向かう。

 短い眠りの内、彼女は“あのとき”に追いつかれていた。
 どれほどの技を尽くし、力を振り絞っても払い退けることのかなわない、レガトゥス級愚神の顎。
 多くの同胞を屠り、その死を穢してきた牙が、ついに彼女へ喰らいつく。
 これが愚神! 国を、同胞を、この身を喰らい尽くすもの……!!
 自らの血肉が魂ごと噛み裂かれる凄絶な痛みの中でなお、彼女は抗い続けた。
『まだ! まだ、終わるわけにはいかない!』
 彼女の必死を愚神が嘲笑った瞬間、彼女は牙の隙間からこぼれ落ち。
 同時に、ごぐん。愚神の放った超重力が大地を押し潰し、陥没させた。
 彼女は“祖国”と共に落ちていく。
 ああ――愛するものが――守るべきものが――
 彼女は恐怖と絶望の中、その心を砕け散らせた。
 後に残されたものは、空(から)の心。
 その空のただ中に、ひとつの声音が穿たれた。
『祖国を殺した愚神』
 悲哀が声音を絶叫へ変えた。
『同胞を殺た愚神!』
 憤怒が絶叫を咆吼と化した。
『この心を殺した愚神!!』
 残された左眼をいっぱいに開いてすべてをその橙瞳に刻みつけ、彼女はこの瞬間に生じたばかりの心のありったけを叩きつけた。
『このときに敵わずとも――亡者と成り果てようと――小官はかならず還る――』

「取り戻すために」
 強く見開いた左眼に映ったものは、執務室の天井だった。
「少佐殿、10分にはまだいくらかの時間があります」
 起き上がろうともがく彼女に手を伸べたラストシルバーバタリオン。
 彼女はその腕を掴み、自らの体を引き起こした。
「かまわん。二度寝したせいでまた追いつかれるのは、さすがに避けたいところであるからな」
 ソファに座ったまま、彼女は跪く彼らを見やる。
「中尉。貴公の眼に、小官はどう映っている?」
 とっさに答えることができなかった。彼女の質問の意図が掴めない。47人がかりで考えてみても、求められている正解がまるで見えない。
 押し詰まる沈黙の中、彼女はふと口の端を吊り上げ。
「見えているか、ソーニャ・デグチャレフが。それとも、ソーニャ・デグチャレフならぬものが」
 彼女は言の葉を紡ぎながら、まっすぐに彼らを見た。
 ラストシルバーバタリオンのひとりは、その視線の中に茫漠とした記憶の欠片を見る。
 この方はやはり、あの少女では――そうだ。この方は、あの少女が――気に入りの――演じさせていた――
 しかし。
「少佐殿――我々は少佐殿の見定めたものへ向かい、砲弾をもって少佐殿の歩む先を示すばかりであります」
 ひとりは――彼らと共に覚悟を決めていた。
 ソーニャ・デグチャレフこそを自らの眼とし、その向かう先へ共に進むのだと。それこそが、1なる47たるバタリオンの総意。
「そうか。ならば、ソーニャ・デグチャレフが命じる」
 ソーニャの名を自らに刻みつけた少女は静かに告げた。
「貴様に94の眼があるとしても。今は閉ざしておけ。小官と同じく、な」
 そして。
「互いになにも見えぬまま戦場を行くのだとしても問題はない。小官らの行き先など、地獄のどこかに決まっているのだからな」
 鉄の意志を映した橙瞳を前へ向け、立ち上がった。
「それでも。万が一地獄を歩き抜けることができたなら、取り戻せるだろう。いや、取り戻すために、地獄を抜けて行くのだ」
 なにを取り戻せるのか、ソーニャは語らない。
 しかしおそらく、祖国だけではないのだろう。ラストシルバーバタリオンはそれを悟りながら、ただうなずいた。

 かくて彼女は新たな戦場へと踏み出していく。
 祖国を取り戻すため。
 同胞に報いるため。
 かつてソーニャ・デグチャレフと呼ばれた少女へ贖うため。
 彼女は止まらずに歩き続ける。
 すべての栄光は「ソーニャ・デグチャレフ」に。
 すべての苦難は「小官」に。
「行くぞ、中尉」
「了解であります、少佐殿」


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ソーニャ・デグチャレフ(aa4829) / 女性 / 13歳 / 卓越する戦略眼】
【ラストシルバーバタリオン(aa4829hero002) / ? / 27歳 / エージェント】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 己が何物なりや? 何物たらんとする者なりや? 答はただ、“ソーニャ・デグチャレフ”の胸中に在り。
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2017年06月05日

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