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『【宿縁】Heart Shot 』
八朔 カゲリaa0098
「各科から問題なしとの連絡を受けています。もちろん、脳神経外科医としての私の判断も同じです。こうなると退院の手続きを、しなくちゃいけないんですけどね」
 診療室に置かれた患者用の丸椅子へ腰かけた八朔影俐は、言い終えた主治医のいかにも人のよさそうな丸顔を見た。
 初めて会ったころに比べて、少し痩せた。それだけ気にしてくれているのだ、自分と妹を。優しい人だ。医者をやるには過ぎるほど。
「八朔君は退院した後、H.O.P.E.東京海上支部の預かりになるんでしたね。緊急連絡先はその支部にしておいて大丈夫ですか?」
 影俐はうなずき、頭を上げぬまま言った。
「妹を、お願いします」
「できるかぎりのことをします。もっとも、見守る以外にできることはないですけど」
 ここで顔を上げれば、泣き笑いの形に歪められた丸顔が見えるんだろう。
 だから、上げられなかった。
 見てしまえば決意が揺らぐから。
 心配してくれる誰かの情に侵されてしまえば――捨てると決めた自分が惜しくなるから。
 影俐は椅子を回転させて主治医に背を向け、立ち上がった。
 顔を見ないように。
 顔を見られないように。


 H.O.P.E.からの保護の申し出を断わり、自宅へと戻った影俐は少なからず驚いた。
 破損箇所が修復され、汚れがクリーニングされていたからだ。
 ここまで送ってもらう中で説明は受けていた。対愚神用の強化素材に交換した上で、できる限り元の姿を再現したと。
 だが。完璧に再現されていたからこそ、思い知る。
 この新しい壁は、床は、天井は……“あのとき”を覆い隠しただけの書き割りのようなものなのだと。
 父母、そして妹のにおいがしない家の中を歩き渡り、影俐は自室のドアをくぐった。そこには見慣れた光景が待ち受けていて、そして嗅ぎ慣れないにおいがした。
 再びの愚神襲来を想定した、せめてもの備え。この改修に多額の税金と他者の善意が投入されているのはわかる。でも。
「ここはもう、俺の家じゃないんだな」
 影俐はスマホと財布を持っていることを確認し、家を出た。
 本当はもう少しなにか持って出るつもりだったのだが、自分の家のような顔をした別のものの内に、これ以上留まっていたくなかった。

 あてもなく歩きながら、影俐は不快を振り払って思考する。
 父と母は殺された。
 妹は未だ眠り続けている。
 それはもう運命で、そうしたものなのだと受け入れた。
 ただ。
 重ねた是の底にたったひとつの否が残されていて、彼の胸を突き上げるのだ。
 俺は俺を受け入れない。あのとき、家族といっしょに死ななかった俺を。妹をあのときに置き去ったまま生きてる俺を。
 ――俺は俺の全部を賭けて取り返すよ。おまえがおまえでいられる世界を、きっと。
 影俐は青い空を仰ぎ見た。
 この空の下のどこかに、“家”を壊した愚神がいる。
 誰の手も借りない。自分の目と手で、探し出す。


 その日から影俐は、薄暗い街の片隅へ足を運ぶようになった。
 イメージでしかなかったが、愚神やそれに連なる情報は光の下ではなく、その影にあるものと思ったからだ。
 おかげでさまざまなトラブルに見舞われた。大半は金がらみだったが、中には彼の翳りを帯びた中性的な美貌が招いたものもあった。
 彼は押し寄せる悪意と暴力のただ中、自らを守る術を覚えていった。そして。
「俺は愚神を探してる。――って、どんな奴かも知らないんだけどな。なんでもいいから、情報があれば教えてくれないか?」
 淡々と言いながら、30センチほどで断ち切られた鉄骨の先で古式ゆかしいヤンキーの脇腹を押し上げる。
 骨の間から内臓を突かれたヤンキーは、脂汗を流しながら激しくかぶりを振ってみせた。
「そうか。じゃあ、女みたいな顔をしたガキが愚神を探してるって、広めといてくれ」
 鉄骨でヤンキーの鎖骨を叩いて悶絶させておいて、影俐はビル影へすべり込む。長居はしない。留まれば、より多数の暴力を引き寄せる危険があるから。
 こんなことが、すでに日常となっていた。
 しかし。目ざすものがたどってきた道の途中になかった以上、なにが降り落ちてこようと払いのけ、前へ進むしかないのだ。

 ある夜のH.O.P.E.東京海上支部医務室。
 影俐は女性バトルメディックの手当を受けていた。
「ケンカ?」
「ああ」
「ケアレイと親和性高いんだね。君、才能あるかも」
「才能?」
「うん。エージェントの」
 エージェントの、か。
 影俐は思わずこぼれ落ちかけた皮肉を押しとどめた。
 ライヴスリンカーではなく、エージェント。H.O.P.E.という組織に所属しているリンカーが口にしたのだから、特に他意はないのだろうが。
 ――それであのときに戻れるなら、俺は迷わずエージェントになるよ。間に合わなかったあんたらじゃなく、俺があのときの“家”を守れるなら。
 影俐の無言をどうとったものか、バトルメディックはおずおずと切り出した。
「隠し事とか苦手だから言っちゃうんだけどね。中学卒業まででいいからH.O.P.E.の寮に来ない? ……って誘うように言われたんだ。君の家を襲った愚神はまだ見つかってないけど、いつどこに出るかわかんないからって」
 彼女の言葉を、内から契約英雄が継いだ。
『あなたのご家族を守れなかった我々を信じてくださいとは言えません。でも、我々は――』
 言葉を制するために伸べた手を下ろし、影俐は立ち上がった。
「……ありがとう。これで家に帰らずにすむ」
「だったら! ここにいりゃいいじゃん! うちらがどんだけ――ああもう言っちゃうよ!」
 英雄の制止を振り切って、バトルメディックが高い声をあげた。
「うちらがいちばん先に君ん家に突っ込んだ! でももう愚神なんかいなくて、あんたのママ、半分しか残ってない顔向けてうちに言ったんだよ! あの子たちをお願いしますって!! 体はもう死んでてケアレイも届かないのに、気合だけでさぁ! だからっ!!」
 影俐の胸ぐらを掴んだバトルメディックの手から、力が抜けていく。
「守らせてよ。自己満だってわかってるよ。でもさ、せめて君たちは生きてよ、お願いだから――」
 崩れ落ちた彼女を見下ろし、影俐は静かに言葉を紡いだ。
「俺はあんたらに囲まれて座ってるわけにいかないから……行くよ」
 そして影俐は夜の街を歩き続け、幾度もの今日を渡り――ついに追いつかれた。


「昨日はウチのもんと遊んでくれたんだってなぁ。ありがとよっ!」
 今時こんなセリフを吐く奴がいるのか。思わず笑いかけた影俐は腹を膝で突き上げられ、息を詰めた。
 手の内に握り込んでいた鉄骨はぐしゃぐしゃにねじ曲がり、使い物にならなくなっていた。――いや、使い物にならなくさせられたのだ。バンテージのようなものを巻いたそいつの手でねじ曲げられて。
「あいつらもかわいそうによぉ、てめぇのせいで心療内科行きだぜ? 治療費も100万じゃ終わんねぇだろなぁ」
 尖ったブーツの先で影俐の顎を押し上げる。そいつはまるで力など入れていないのに、抗う影俐の顔はあっさりと上向いた。
「これから手足全部へし折って売ってやんよ。そんでてめぇにご執心のブタに売る。慰謝料込み込みのお値段でな」
 影俐は血の混じった咳を吐きながら、そいつの痩せこけた顔を見上げた。
 筋肉などまるでない、ただ細いばかりの体。それなのに、どれほど叩こうと突こうと、かすり傷ひとつ負わせることができない超常の体。
 これが、ヴィラン。
 異世界から来たという“英雄”と契約して得た超常の力を犯罪に使う、邪道のライヴスリンカー。
「なに見てんだよカマ野郎」
 つま先が影俐の脇腹をかるく蹴り上げる。
 たったそれだけのことで、影俐の肋骨が湿った音をたてて割れた。
 顔を蹴られないのは、自分が奴の売り物だからだ。おかげで意識を手放さずにいられるのはありがたいが、この状況を切り抜ける術がない。
 いや、ひとつだけある。
 彼のスマホには、妹がいる病院とH.O.P.E.東京海上支部、ふたつの番号が入っている。どちらかに連絡できれば。
 が。影俐はポケットへ伸べかけた手を止めた。
「……俺は、売り物に、なんか、なってやらない、さ」
 亜世界の強者ではなく、弱者から金をゆすり取るのがせいぜいの三下ヴィランに負けるわけにはいかない。
 そしてなにより、誰かに助けられてしまえばもう、二度と自分の足で立てなくなる。かわいそうな被害者に、成り下がる。
 俺はこんなところで死なない。こんなところで殺されない。あの愚神に喰らいつくまで、絶対に――
「アンタ、助けてもらえるアテがあんでしょ? なんで電話しねーわけ?」
 アスファルトにすりつけられた影俐の頭の脇から、やけにくねった男の声が降ってきた。
 血が流れ込んだ目は赤く霞み、声の主の顔をはっきり捕らえることができない。
「相手はリンカーよー? 普通の坊やがどーにかできるわけねーじゃねーでしょ」
 声が上へ遠ざかる。
 声の主が立ち上がったのだ。
「んだてめぇ!? カマ野郎が勝手に増えてんじゃねぇよ!」
 三下が安い威嚇を吐き。
「イキってんじゃねーわよガキ。アタシに食われてーんだったら、整形して筋肉つけてきな」
 声の主がせせら笑い。
 影俐の赤い視界の内で、ふたつの影が交錯し。
 宙に浮き上がった三下の体が、轟音をぶつけられて吹き飛んだ。
 よく見えないながらも、三下が撃たれたのだということはかろうじてわかる。が、“ママ”がどこに銃を隠していたのか、どうやって抜き撃ったのか、まるでわからなかった。
「帰ったら訊いてみなさい。情報屋の“ママ”のこと」
 倒れたまま動かない三下へ言い捨てた“ママ”は、こちらも倒れたままだった影俐へ鼻息を吹いてみせ。
「ガキ、アンタも家帰って寝な。アタシはアンタのママじゃねーんだから、お手々握ってたっちしてーなんて言ってやんねーのよ」
 はっ。影俐は苦笑い、思わず伸ばしかけていた手を体ごとアスファルトへ投げ出した。
 あのとき以来、初めてだった。
 悪意も憐憫もなく、正しくガキ扱いされて置き去られたのは。
 ――そうだ。俺は、なにもできないガキだ。でも。

 影俐は夜の街へと舞い戻った。
 唱える呪文を「愚神を探してる」から「情報屋の“ママ”を探してる」へ変えて。
 暴力は相変わらず彼につきまとったが……彼の眼に映る意志の光が、わずかずつながら彼に歩む道を拓いていった。
 かくして妹の眠る病院と街を往復する日々が続き、そしてついに、彼は路地裏のショットバーへ足を踏み入れる。


「アンタ、かわいい顔してねちっこいわねー」
 あのとき確かに聞いた“ママ”の声が、あきれて裏返った。
「愚神の情報が欲しい」
 安っぽいバーカウンターの上に、銀行から引き出してきた一万円札を284枚積み、影俐は背の高いチェアに腰かける。
「300万用意してきた。でも、街の入口からここまでの安全を確保するのに16万かかった。その分はディスカウントしてくれないか?」
「それ、アンタが稼いだ金じゃねーでしょ?」
「親が残してくれた金だ。妹を守るために」
 赤いタンクトップからゴリゴリの体をはみ出させたママの厳つい顔を、影俐はまっすぐに見据え。
「ますます気に入んねーわね。アンタのためにも残してくれた金じゃねーの。なんでてめーはぶいちまうわけ?」
 ママの怒気をはらんだ眼へ、カゲリは表情のない眼を返した。あんたの言ってることの意味がわからない。
「……学校で教わってきたよ。ライヴスリンカーをKOできるのはライヴスリンカーだけだって。あとは街であんたのことも聞いた。“ママ”が愚神専門の情報屋で、この街最高のガンナーだってこと」
 いろいろ予習してきたわけだ。やり口にかわいげがない。ったく、ガキが一端の顔で歌ってくれてんじゃねーわよ。
「ガンナーじゃねーわ、ジャックポットよ。で、アンタ八朔影俐よね。パパとママの仇討ちしてーのはわかるんだけどさ。愚神はライヴスリンカーじゃなきゃ殺せない。それも何人かがかりでようやくね。独りじゃどうにもできゃしねーわよ?」
 対して影俐は、引きずり出された過去にひるむことなく、強い声音を返した。
「そうしたものなんだとしても。俺は行くよ」
 影俐の目を見据えたママのすがめられた三白眼が、ふと。黒々と深い銃口へすり替わる。
「コレは魔導銃っていう、ライヴスの弾ーはじきだす鉄砲よ。従魔は死ぬかもだけど、リンカーだったら多分死なねーし、愚神はまー死なねーわ。でも普通の人間は1発で死ぬ」
 銃口を影俐の眉間にあてがったまま、ママは眉根をしかめた。
「わかる? アタシとアンタの差ってね、素人とか玄人とかいうもんじゃねーのよ。もちろん覚悟とか決意とかでもねーわ」
 眉間から狙いを外した魔導銃で影俐の肩口をぶち抜き。
「撃たれたら死ぬアンタと」
 衝撃で床に転がる影俐を見やり。
「撃たれても死なねーアタシのちがい」
 自分の肩を同じように撃ち抜いた。
「っ」
 肩を押さえて立ち上がろうとする影俐だが、たった1発のライヴス弾が体を痺れさせ、血と共に気力を流出させ、阻む。
 それを少し青ざめただけの顔で見下ろしながら、ママはため息をついた。
「そんなアタシだって、愚神になんて敵わない。愚神のことなんか忘れちまいな。どーせ勝てっ」
「う……て、くれ」
「は?」
「魔導銃は、ライヴスリンカーに、ライヴスを装填、してもらえば、俺でも、撃てる……だろう?」
 何度も足をすべらせ、倒れ込みながら。それでも影俐は立ち上がった。
「売って、くれ。銃と、撃ちかたの、マニュアルを。あと、300、出せる。足りなきゃ俺を、あんたに売る、よ」
「なんでそんなアタシにこだわんのよ? アンタ、ノンケよね? キモチ悪くねーわけ?」
 影俐は撃たれたショックに歯をガチガチ打ち鳴らしながら……笑んだ。
「あんたがあんたなら、それでいい。それにあんただけは、俺を、かわいそうなガキだって、甘やかさない、から――」
 影俐の意識がぶつりと途切れ、再び床へ倒れ込んだ。
「たったそんだけのことで……アンタここまで来たっての」
 影俐の体を軽々と抱え上げ、彼――いや彼女は自分と同じ野良リンカーである「医者」の元へ向かう。
「ま、いいわ。こんなのでよけりゃ、せーぜーカッコよさそな大人でいてあげるわよ」
 あんたがあんたなら、それでいい……あんなハートショットぶち込まれちゃったらね。
 ママはくすぐったそうに笑み、肩にかついだ影俐へ向けて。
「甘やかさねーわよ。1秒でもアンタが長生きできるように、全部叩き込んだげる」

 影俐――カゲリは今もふと思い出す。
 苦しくて悲しくて切なくて、しかしかけがえのない、ママと過ごしたひと月を。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【八朔 カゲリ(aa0098) / 男性 / 17歳 / 絶対の肯定者】

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 少年が得たは、八朔影俐たる「餓鬼」を演じさせてくれた「大人」との時。
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2017年06月05日

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