▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『【宿縁】万有引力 』
氷鏡 六花aa4969)&アルヴィナ・ヴェラスネーシュカaa4969hero001
 チェンジリング。
 それは妖精が人間の赤ん坊を自分たちの子どもとすり替えていくという、アイルランドで語られる有名な民話。
 氷鏡 六花は物心ついたころにそのお話を聞いて思ったものだ。
 りっか、ちぇんじされたこども?
 それを口にしたときの両親の言葉を、六花は今でも憶えている。
 ノーチェンジ! 六花は本当に自分たちの、大事な大事な六花だよ!!
 大事な大事な六花。たったそれだけの言葉が――愛が――六花をどれだけ救ってくれたことか。彼女は精いっぱい、両親に伝え続けてきた。
 ……ん。りっか、パパと、ママが、だいすき。ママと、パパが、だいすき。
 でも。
 伝えきれなかった。
 六花を守るため、その目の前で異形に喰われた父に。
 六花を逃すため、その背の後ろで人ならぬ少女に凍りつかされ、砕かれた母に。
 もっともっと、伝えなければいけなかったのに。
 ずっとずっと、伝えていくつもりだったのに。
 なくなってしまったのだ。なにもかも。


 ――目を覚ましたら病院だった。
 白いベッドの上で白い天井を見つめることしかできずにいた六花に、担当医は優しく声をかけた。
「回復が早いね。たった2日で目が覚めるなんて」
「り――っ」
 六花、どうして、ここに?
 たったそれだけの言葉が最初の一音を発した瞬間、杭で撃ち抜かれたかのような頭痛で断たれた。
 両手で頭を挟み込み、それでも必死で顔を上げようとする六花を担当医はなだめ。
「落ち着いて。傷を負った上に氷点下の海を何時間も漂流していたんだ。まだ獣人形態にはなれないようだけど、それでも君がワイルドブラッドで本当に幸いだった」
 ワイルドブラッド――その言葉が、頭痛の熱に冷えた刃を突き込んだ。
 パパ……ママ……痛い、冷たい……思い出せない……六花が、人間じゃない、から……ペンギンだから……ママ、パパ……
「あ、ああ、あ」
 絶叫が喉の奥に押し詰まり、隙間風のように漏れ出していく。
 担当医はすぐに看護師へ指示し、安定剤の点滴を用意させた。
「君は生きなくちゃいけない! そのためにご両親は――とにかく、生きなくちゃいけないよ!」
 ああ。六花は乾いた唇を笑みの形に歪めた。
 ……ん。そっか。六花は、取り替えっ子だから……妖精の国に、連れ戻されちゃったんだ。
 父も母もいない妖精の国のただ中で、六花は笑う。
 六花が、取り替えっ子だから、パパにも、ママにも、ついていけなかった……の。そうだよ、ね。だって六花、ペンギンの、子ども……だもの。
 安定剤の効力で眠りの底に沈められるまで、六花はずっと繰り返した。
 行かなくちゃ……妖精の国、なんかじゃない……ママと、パパがいる、世界……。

 次の日から、児童相談所の誰かが、医師とともに彼女の元へ訪れるようになった。
 彼は低く、六花の心情を探って少しずつ語る。
 ロシアに出現し、西へ動き出したレガトゥス級愚神と配下どものこと。
 その侵攻路の端に、日本の北端部にある漁村――六花の生まれ故郷があったこと。
 六花は退院後、施設で暮らすのだということ。
 それを聞きながら、六花はただうなずくばかりだ。しょせん、すべては妖精の国の出来事。ここでなにがあろうと、彼女には関係のないことだから。
 彼女は現実と向き合おうとしない六花へ、あなたの不幸はあなたが思う以上にありふれたものだなどと諭すことはしなかった。大切なものを失くした不幸が、その人にとってありふれたものなどではありえないと知っていたからだ……自身の経験から。
 この世界には、愚神によってすべてを奪われる人間が多数いる。
 ましてやごく普通の人間の夫婦から、突発的に生まれたペンギンのワイルドブラッドである六花にとって、両親を亡くしたことはすなわち、世界を失くしたことと同義であろう。
 ――わたしには祈ることしかできない。あなたが失くしてしまった世界を埋めてくれる誰かと、いつか逢えるように。


 退院した六花は、北海道内の児童養護施設へ入所することとなった。
 ワイルドブラッドはこの時代、特異な存在でこそなかったが絶対数は少ない。両親があのような寒村に居を構えたのも、娘を必要以上に目立たせたくなかったからだろう。それを考慮し、街中ではなく田舎の施設が選ばれた。

 目を閉ざし、耳を塞ぎ、息を殺し、六花はただただ日々を過ごした。
 その中でふと幻(み)せられるあの日の記憶。形になる寸前に引き裂かれ、すり潰され、吹き散らされたが……形を失くした恐怖と絶望の残滓は別のなにかに成り仰せ、彼女の心を焼くのだ。
 冬の凍雪に覆われた世界の狭間で、六花は自分の肩を抱き締め、耐え続けた。
 目が、覚めるまで……妖精の国から、帰れるまで、がんばらなきゃ……。
 独りぼっちの彼女は知らない。彼女をこれほどまでに苛むなにかが、恐怖や絶望という、誰かから与えられたものではないことを。

 時を選ばず、襲い来るフラッシュバック。
 記憶が映像を成す前に中断され、結局はなにを想い出すこともできないまま、激しい頭痛に苛まれるばかり。
 もどかしい。怖い。痛い。痛い痛い痛い痛い――六花は幾度となく、小さな拳を自分の頭に叩きつける。正体の知れない頭痛を、単純な痛みで上書きしたかった。
 壊れちゃえば、いい。
 そしたら……六花。もう、なんにも……
 普段はなにも語らず、誰かと交わることもなくいろと言われた場所にいるだけの六花。
 スイッチが入ったかのような唐突さで自傷を繰り返す六花。
 彼女のそばからひとりふたりと子どもたちが遠ざかり、所員もまた、過干渉を避けるという理由を掲げて彼女を放置した。

 ほどなくして六花は、施設から少し離れた雪原で過ごすようになる。
 今はこうして雪が降り積もっているが、長い冬が終わればここは花畑になるらしい。地平の果てまで覆い尽くす紫色の花。見たこと、ない……村に、お花畑、なかったから。
 じくり。頭の芯に灯った痛みをあわてて振り払い、六花は雪へ跳び込んだ。
 雪は冷たい。でも、あたたかい。もっともっと冷たければいいのに。自分を凍りつかせるくらい。そして誰にも見られないように、その奥へ――
 六花はゆっくりと体を起こした。
 雪にどれだけ体をさらそうと、彼女の体が凍りつくことはないから。北海道どころか南極へ行ったところでそれは変わらないだろう。
 でも。雪に身を沈めていると少しだけ、痛みを忘れていることができる。雪の中までは誰の声も届かず、静かだから。

 いつしか六花は雪を転がし始めた。
 それは無意識の行動ではあったが、思えばずっと小さなころから、彼女は雪が大好きだった。ペンギンを宿す娘のため、父も母もよく雪遊びをさせてくれたし、いっしょに楽しんでもくれた。
 パウダースノウは転がしてもなかなか大きくならなかったが、なんとか固めながら大きく育てていく。
 やがて抱えきれないほど大きくなった雪玉は、そう。陽気で強かった父のように見えた。
 彼女はそのとなりにもうひとつの雪玉を並べた。やさしくて綺麗だった母を思って。
 そこからまた苦労しながら頭をふたつ作り、先の雪玉へ押し上げて乗せる。何度も失敗した。その都度やりなおした。何時間もかけ、夢中で雪だるまを作り続けて、ついに。
「……ん。できた」
 父と母が、そこにいた。
 いや、そうじゃないことはわかっている。誰よりもずっと。けれど。
 痛みの向こうに垣間見えるあの日の記憶――自分を守ってくれた父と、自分を逃してくれた母が、雪の中から語りかけてくる気がしてならなくて。
 六花はもっとその声が聞きたくて、すがった。
「パ、パ――ママ――」
 ふたつの雪だるまにしがみつく六花の小さな胸を、激情が突き上げる。
 今、自分がいるこの世界が妖精の国なんかじゃないことはわかっていた。でも、そう思わなければ耐えられなかった。
 そんな彼女の激情を押し割り、ひとつの疑問が鎌首をもたげる。
 ――がまんしなきゃ、いけないの?
 父母がどこにいるかなんて、決まっている。
 ここが妖精の国じゃなくて、帰るべき場所があの村じゃないなら……
 と。
『雪は、好き?』
 六花は驚き、顔をあげた。
 雪だるまが――しゃべった!?
「……ん。好き」
 魅入られたようにこくこくとうなずく六花。
 その目の前で、ふたつの雪だるまがひとつに重なり、そして。
「気が合うわね、私と」
 雪が白い髪と肌とを成し、同じ雪白の瞳に光を灯す。
 六花は何度も目をしばたたいた。
 何度目をしばたたいても、雪だるまはもうどこにもなくて、コートさながら吹雪をまとう美しい人が……いや、雪の体を持つこの女性が、人であろうはずがない。
「……雪の、女神さま」
 思わずつぶやいた六花へ、女性は静かに青眼を向けて。
「そうね。多分、だけれど。……私は呼ばれて来ただけだから。きっとあなたにね」
 呼ばれてきた? 誰に? いや、この場にいるのは六花だけで、父母への想いを託した雪だるまを現し身にして女神が現われた。だとすれば――
「……ん。お願いが、あるの」
 女神は小首を傾げ、六花の言葉を待つ。
 彼女を押し包む雪が、彼女自身の発する凍気に触れて凍りつき、澄んだ結晶へと姿を変えていく。
 雪雲を透かして降り落ちる淡い日ざしにきらめく結晶。まるで後光のようだ。
「……ママとパパが、いるところに、連れて行って……ください」
 跪き、願う。
 うつむいた六花には見えなかったが……女神は目を大きく開いていた。驚き、とまどって。
 霧がかかったようにぼやけた記憶の奥に、彼女は自身が多くの人間に疎まれていた記憶を見いだしていた。
 人々が求めるは芽生えの春。大地を凍りつかせ、木々を塞ぎ、生ける者を葬る冬――その化身たる彼女から、誰もが目を逸らし、あたたかな家に閉じこもってやり過ごした。
 誰に見つけられることなく、ただ在るばかりだった私が今、願われている。
「どうして、そんなことを願うの?」
「ここには……もう、誰も、いないから……」
 ああ。女神は声音を漏らした。
「そう、あなたはこの世界で、独りぼっちなのね」
「……」
 六花の顔が上向き、彼女を見る。
「私はあなたを連れていけない。どこへ連れていけばいいのかもわからない」
 それでも。
 六花は彼女を見つめ続けた。
 吹きすさぶ吹雪の中で、大きく開いたままの目をまっすぐに向けて。
 その目に吸い込まれるかのように、彼女は問うた。
「ねぇ、あなた――寒いのは、きらい?」
 六花はかぶりを振って。
「ううん。涼しくて……気持ちいいの。雪も……吹雪も、好き」
 好き。彼女は胸の内で噛み締める。
「そう」
 音に紛れた熱のないぬくもりが彼女を包み、その凍雪を溶かしていく。
 凍雪の髪はみずみずしい銀へと変じ、肌は澄白のやわらかさをまとう。
 寒さを拒まず、好きだと言われた。
 ただそれだけのことで、自分はこれほどまでに救われてしまうのか。すべてを凍りつかせるその身を溶かし、柔肌へと変じてしまうほどに。
 女は青く彩づいた瞳を六花へ向け、その前にかがみこみ。
「でも。あなたといっしょに探すことはできる。行くべき場所を」
 差し出された、彼女の手。
 願いが込められた、手。
 六花は女神であるはずの女の手を見て思う。
 ……上からじゃ、ない、手。
 たくさんの大人たちが六花に手を伸べてくれた。彼女の目を見ないように、救う救うと言いながら、上から。
 なのに女神は、救うとも言わず、上から伸ばすのでもなく、前から差し出してくれた。
 たったそれだけのことが、六花の押し殺していた心に染み入って。だから。
「……ん」
 そっと、女神の手を取った。
「アルヴィナ・ヴェラスネーシュカ。それが私の名前」
 名乗った女神に六花もまた。
「……六花。氷鏡 六花」
 女神――アルヴィナは六花の手を取ったまま静かに立ち上がり。
「私の手をとった六花に約束するわ。雪と氷の加護をもって、私が六花と共にある。だから約束して。私と共にあるために――寒さを厭わぬこと。雪を愛でること」
「……ん。約束する。誓う」
 その瞬間。

 六花とアルヴィナが響き合った。
 六花はアルヴィナに、アルヴィナは六花に、互いの体が溶け合い、心が重なり、ひとりとなる。
 今、六花はアルヴィナの孤独を抱きしめる。
 今、アルヴィナは六花の孤独を抱きしめる。
 ただ独りで世界に在るばかりだったふたりは、ここに互いを見いだした。
『六花の敵を討つ。その日のために、行きましょう』
「パパとママの、仇を討つ。そのときまで、生きる……!」
 顕現させた雪の妖精さながらの姿をライヴスの凍気で包み、雪白を映す長い髪をたなびかせて雪原に立つ六花は、雪の中に身を隠すばかりの“独りぼっち”ではない。

 かくて独りぼっちの六花は独りぼっちのアルヴィナと出逢い、ふたりとなった。
 そしてふたりはひとりとなり、一本の道を歩み始めたのである。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【氷鏡 六花(aa4969) / 女性 / 10歳 / 氷華の魔法使い】
【アルヴィナ・ヴェラスネーシュカ(aa4969hero001) / 女性 / 18歳 / 蒼の凛花】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
 孤独な者は孤独を知る。そして孤独を癒やすも孤独な者なり。孤独の茫洋をさまよいし二者が引き合い、巡り逢うはまさに宿縁であった。
WTツインノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
リンクブレイブ
2017年06月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.