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『チョコレート・カウントダウン 』
大炊御門 菫ja0436


 大炊御門 菫、22歳。
 自分の感情に戸惑う2月。
 だって、初めてなのだ。
 バレンタインデーに、誰かへチョコレートを贈りたいと思うなんて。




 そもそもイベントの主旨に興味が無かった。
 『菓子業界の陰謀だろう』くらいに考え、それでも友人からの好意は美味しく頂く。その程度。
 ――去年までは。


「苦手だ苦手だと言って、逃げ回るわけにはいかない。努力で、その壁を越えるんだ。……今まで、どんな敵にもそうしてきたじゃないか」
 臆して逃げるなど、自分らしくない。
 スイートチョコレートが横たわるまな板を前に、出刃包丁を逆手に握り、エプロン姿の菫は自分へ言い聞かせた。
 料理が苦手だという自覚はある。
 得意としている友人は、たくさんいる。
(でも、あの人には、誰にも頼らず自分の手で作り上げたものを食べてほしいんだ)
 美味しいと、喜ぶ顔が見たかった。
 受け取った相手の、驚いた顔。少し困ったような砕けた笑顔。ありがとう、と優しい声。
 思い浮かべて、心に勇気を呼び戻す。
(上手く行く。……必ずだ)




 かくして『溶かして固めるだけじゃないか』と遠巻きに眺めるだけだったイベントの当事者に、ついぞ菫もなったのだ。
 失敗したチョコレートの総量、およそ―― いや、思い返すのは止めておこう。

(どうしてチョコレートなんだろう)

 待ち合わせの場所へ向かいながら、菫は今更ながら疑問を浮かべる。
 菫は料理が苦手なのだ、チョコレート以外の贈り物でも良かったはずだ。
 しかし『以外でも良い』という表現には妥協が込められている気がして、意地になったのかもしれない。
(苦手、だからだろうか)
 逃げないで、向きあいたかった。
 それは『料理』に対してもそうであるし、あの人に対しても。
 逃げないで……逃げ…………
「こ、ここまできて」
「お客さん? 乗らないなら発車しますよ」
「い、いや、乗る。乗るんだ」
 繁華街まで、バスで20分ほど。乗って、降りたら待ち合わせ場所は目と鼻の先。逃げられない。
 チョコレートは、上手くできたんだ。
 2月14日の、18時。約束だって交わした。
 ここで躊躇する理由なんてないはずなのに、菫の胸が押しつぶされそうに痛む。キュウキュウと音をたてそうなほどに。
 なんとか乗車して、空いている席に座りこむ。
(緊張なんて……らしくもない)
 すっかり、夜になっている。車窓の景色は街灯の残像と共に流れてゆく。
(日頃の感謝。それで充分じゃないか)
 菫の想いを込めた、チョコレートは。
 『いつも世話になっている、ありがとう』
 そう渡せば、充分なはず。
 他に、どんな気持ちを込めているかは……今は、まだ……
(他!? 他の気持ちとは何だ!!? 私は、ただ)
 抱き締めた勢いでラッピングを潰しそうになり、慌てて体を離すと菫は大きく首を振る。

「好きだったのに……」

 そんな、見知らぬ少女の声で菫は我に返る。
 後部席で、中学生くらいの少女がグスグスと泣いていた。隣の友人らしき少女が背をさすり慰めている。

「せめて、受け取ってくれても良かったのに……」
「しかたないよ、他に好きな人がいるって言われたら。誠実な人だったじゃん。アンタはがんばった、がんばったよ!」
「うううううううう。今日は朝までチョコレートパーティーなんだからぁああああ」
「任せろ、付き合うわ!!」

 ――ザクザクザク。
 赤の他人の会話が、どうしてか菫の胸に突き刺さる。
(受け取ってもらえない!? そんなことが……、そうか、それもあるのか)
 他に。好きな人が。
(しまった……その可能性を考えていなかった)
 戦場ではいつだって、あらゆる可能性を考慮するというのに。
(あの人は、どうなんだろう……。い、いや、そういうつもりじゃないなら)
 いわゆる『義理』という名目ならば、受け取ってもらえるだろう…… ……『義理』。
 日頃の感謝という理由は、義理に含まれる。
 ――『義理』を、わざわざ呼び出して?
 時間をかけて、練習して?
 こんなに、緊張して?
(……ちがう)
 ちがう。このチョコレートは、義理なんかじゃない。
 膝の上でこぶしを握り、菫は唇をキュッと噛んだ。

 あの人の、笑顔を見たい理由。
 あの人だけに、自分の手作りを渡したいと思った理由。
 
(伝え、ないと)

 一生分の、勇気を込めて。




 バスを降りた菫を、イルミネーションに彩られた街が出迎えた。
 大小さまざまなハートが踊っている。
「うっ」
 幸せそうな恋人たちの姿が多く、思わずたじろぐ。……が、負けてはいられない。
 一歩一歩、想いを振り返るように菫は歩きだす。
 足を踏み出すごとに、あの人との思い出が胸をよぎる。
 出会い。
 交わした言葉。
 軽く触れた指先。
 ささやかな表情の変化。
 どれもが小さな小さな積み重ねで、いつの間にか菫の心の中で大きな存在となっていた。

 ――待ち合わせの、30分前。あの人は、居ない。
(早く着きすぎたか)
 街路灯に背を預け、菫は胸に詰まった息を大きく吐き出した。
(髪は……跳ねていないだろうか)
 ふと気になって、向かい側のウィンドウに映る自分の姿を確認する。
 誰かと会うために私服をどうのだなんて考えることも初めてで、先週の休みに一人でコッソリ買い物に行き、決めた組み合わせだ。
 ワンピースというにはスカートの丈が短いが、下は鉄板のスパッツだから怖くない。
 アイテム一つ決めるにもしどろもどろの菫へ、『いつも通りを混ぜると良いですよ』とアドバイスしてくれた女性店員には御の字しか浮かばない。
 髪はサイドをヘアピンで留めつつ、ワンピースと色を合わせたベレー帽。
 オフホワイトのマフラーと、おそろいの鞄で全体のバランスを纏めている。
(おかしくはない、な)
 試着の時も、出がけの時も、何度も確認した。
 菫らしさを残しながら、『特別』感も出ている。はず。


 ――10分前。あの人は、まだ来ない。
 念入りに服装の確認を済ませた菫は時計を見る。
 遅刻をするような人ではないし、する場合だって連絡はあるだろう。
(そろそろだろうか)
 人の波も増え始める。
 デート、ショッピング、食事、……色々なイベントを楽しむ姿が通り過ぎていく。
(デート……、デート……!?)
 会って渡してさようなら、というわけでもないだろう。
 特に約束はしていないけれど、時間を考えれば夕食を一緒にするくらいは自然だ。
(デートになるのか……? デートをするのか……?)
 私と、あの人が?




 ――18時から、20分が過ぎた。
「おそい」
 ついぞ、菫は声に出した。
 緊張を通り越して、苛立ちが混じり始める。
 まさか、無視ではないだろう。
 もしかして事故に遭っていたら。
 それにしても。
 それにしたって!




 18時30分。
 待ち合わせ場所へ菫が到着して、一時間経過。
 人混みの中から、あの人の腕がヒョイと覗く。
 精いっぱい、急いできたことがそこから伝わった。
 ここへたどり着くまでに、彼も彼で色々な事情があったのだろう。
 連絡をできなかった理由も、聞いたなら納得する内容のはずだ。
 むぅっと頬を膨らませる菫の表情は、怒りと心配と緊張でいっぱいいっぱい。
 ずっと後ろ手の姿勢でラッピングを持っていたから、さすがに腕も痺れ始めている。
 イベントに対する憧れなんてものは無かったけれど、なんて『浪漫』からかけ離れたことか!

「おそい!!」

 果たして向き合って、開口一番に菫は叫んだのだった。
 その瞬間、グシャリと手の中で嫌な感触がした。










 ドン、

 大きな衝撃と共に菫は目を覚ます。
「…………ゆめ」
 全身が汗でびっしょりしている。
 額に貼りついた前髪を払い、ゆっくりと体を起こす。
「夢、だったのか……。夢だな」
 普段は鳴る前に起きる目覚まし時計が、なんの拍子か棚から落ちて菫の腹筋の上でけたたましい音をたてている。
 ベルを止めながら、深々と溜息を。


「……初恋なんて、まだなんだから」


 それとも本当に、こんな日が来るのだろうか?
 カウントダウンは、始まっているのだろうか。

 


【チョコレート・カウントダウン 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0436/ 大炊御門 菫 / 女 / 22歳 / ディバインナイト 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
遅れてやってきたバレンタイン初恋ノベル、お届けいたします。
どちゃくそ甘く……なっているのかどうか!!
指定なしモブ登場は加減が難しいので、菫さん視点のみとなりました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2017年06月14日

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