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『穢れの真価 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)
「美しいわね。この国の識者は“佗寂”をいう言葉でそれを表したそうだけれど――素直にうなずくよりないわ」
 プレジデントデスクの中央に置かれた木製の箱に目をやり、シリューナ・リュクテイアは甘やかな息をついた。
 魔法薬屋の女主人であり、絶大な魔力量とそれを編む熟達の業(わざ)を備える魔法使いである彼女は、異世界からこちらへやってきた竜である。
 しかし、人を遙かに超える寿命と知性を持つ彼女ですら、人がその短い生の内で魅せる感受性と表現に酔わされることがあるのだ。だからこそ人はおもしろく、人の世が愛しい。
 銀のトレイにアフアヌーンティーセットを乗せ、シリューナの書斎に入ってきたのは、魔法薬屋の店員であり、シリューナの弟子であり、さらには彼女の大切な妹分であるファルス・ティレイラだ。
「お茶ですー。あ、お知り合いの美術館の館長さんから、魔法具の展示会のお誘いが届いてましたよー」
「ありがとう。ちょうどその会に出してみようかと思っていた魔法具を見ていたところよ」
 シリューナにダイレクトメールを手渡したティレイラは、白磁のカップにセカンドフラッシュ(夏ごろに摘まれたダージリンの茶葉。春先に摘むファーストフラッシュよりもボディが強く、味が濃い)をそそぐ。
 その目がふと、デスク上の箱へ向けられた。
「……お姉様、展示会用の魔法具って、その箱です?」
 シリューナは手紙に落としていた目線を上げて。
「そう。簡単に言ってしまえば冷蔵庫。内へ収めたものの魔力で機動して、分子運動を低下させることで冷やすの」
「魔法で冷やすより早いんですか?」
「概ね8時間といったところかしら」
「遅くないです、それ!?」
 ティレイラはえーっと高い声をあげた。
 水分に直接働きかける水魔法、超重力で分子すらも絡め取る土魔法、熱を操作する火魔法、電子を乱す雷魔法……どのジャンルの魔法であれ「物の温度を下げる」ことに1分はかからないだろう。それをわざわざ8時間! 魔法使いとしてはナンセンスとしか言い様がない。
「物自体が持つ魔力だけで作動するのがすばらしいのよ。それにこの造形美も見事だし、あえて時間をかけるという贅沢も味わえる。好事家にはたまらない逸品ね」
 100年の昔、人間の魔法使いが夏の盛りに冷たいビールが飲みたい一心で造ったという作品――これを手に入れるためにずいぶんな手間と金をつぎ込んだ。そして手に入れた次の日には、別の好事家から10倍の値段での譲渡を持ちかけられもした。
「そんな価値のあるものには見えないですけどー」
 うさんくさげな目で箱をながめるティレイラ。
 シリューナはふむとなずき、プレジデントチェアに沈めた我が身を引き起こした。
「確かにそうかもしれないわね。好事家以外に認められない美は寂しいものだわ」
 シリューナの黒き髪先が、あふれ出した魔力を吸って紫光を帯びる。
「せっかく機会があることだし、真価を問いかけてみましょうか?」
 主語がない。
 でもティレイラは、本能で察してしまった。
 だから書斎から逃げ出した。それはもう、全力で。
 シリューナと同じ、異世界の竜たる本性を顕わし、紫翼をもって空へと飛んだティレイラはあたふたと術式を編む。
「た、対抗魔法! お姉様は呪術で私の体固めてくるから火魔法で活性化して――」
 ティレイラが唯一得意とする火の系統の魔法は、火炎で敵を討つばかりでなく、自らの体機能を活性化させ、能力をいや増す強化術としても作用する。シリューナの呪いは生体細胞を別の物質へ分子変換するものだから、これである程度以上は抗えるはず。
「密度がともなっていればだけれど、ね」
 置き去りにしてきたはずのシリューナの声が、どこからか聞こえてきた。
「そんなこと言いたいだけで空間操作しなくても! お姉様じゃない誰かの見世物になるの、やですーっ!」
 本心を言えば、どうしてシリューナが自分をオブジェにしたがるのかがわからないわけだが。普通になでてくれたりすればいいだけなのに。まあ、それでは満足できないからこそ好事家ということなのだろう。いや、それはともかく。
 こういう特別感を出しておけばシリューナも思いとどまるのではないかと、そう期待しての殺し文句。
「ティレ――」
 シリューナが言葉を詰まらせる。
 効いた! やっぱりお姉様は私のこと……ちょっと感動するティレイラだったが。
「――私は見たいの。私じゃないたくさんの誰かがあなたを美しいと賞賛するところ。証明したいのよ。あなたの真実の価値を」
 それができれば、私は安心してティレの美を独占できるでしょう?
 わざわざ言葉の中に心話を潜ませ、シリューナは告げる。
 あ、これ聞いちゃいけないやつだ。心にダメージ受けるだけじゃなくて、呪いが練り込まれた呪句だから。
 しかし、気づいたときにはもう遅い。ティレイラの内側にごとりと重いなにかが生じた。
 対抗魔法! ティレイラは自らの内に炎気をかきたて、「変換」と「停止」に立ち向かう。
「火の魔法をよく応用できるようになったわね。でも、ひとつの要素だけで編んだ魔法は“粗い”。縦糸だけでは1枚の布を織り上げられないように、ね」
 ティレイラの対抗魔法を突き抜け、シリューナの呪いが押し入ってくる。いくつもの系統の魔法を縒り合せ、織り上げたきめの細かい魔法。
 その繊細にして濃密な魔法は末端からではなくティレイラの芯を侵し、ティレイラではないものへと変じさせていく。
「錬金においてもっとも卑しいとされる金属は鉄。……素材の質じゃなく、ティレ自身の真価を問うにふさわしいものだわ」
「お、ねえ、さまは」
 邪竜です。
 空から墜ちたティレイラ――玉鋼の竜娘像を、空間を貫いて伸べた腕でやさしく受け止め、シリューナは陶然と笑んだ。
「行きましょうか、ティレ?」


 深い森の奥に建つ洋館。
 門にかけられた青銅の看板がなければ、美術館であることには誰も気づかないだろう。
 そして、そんな場所で開催された魔法具の展示会なわけだが……実に多くの客で賑わっていた。
「盛況ね」
 会場の隅で、黒のシックなドレスに身を包んだシリューナがかるく手を挙げる。
「おかげさまで。リュクテイア様が出品してくださった冷却器、多くのお客様がお目を奪われておいでですわ」
 白のドレスシャツと黒のタイトなロングスカートをまとった女主人が会釈を返した。
 彼女に促されて冷却器を見やれば、非売品と書き添えられた説明文を見、なんとも恨めしそうな顔をした好事家たちが群がっている。
「飾られているだけでなく、動いているのだものね。あの魔法機械100年の浪漫を幻(み)ない好事家はいないわ」
「あら、ではなにかお冷やしになっていらっしゃるのですか?」
「ビールをね。主に容量の問題で、180ミリリットル缶が2本しか入らないのだけれど」
 うなずくシリューナに、女主人は小首を傾げ。
「そういえば、もう一点出品していただいたもの……あれはもしかして」
 対してシリューナは、口の端をかすかに吊り上げてみせる。
「ええ。独占するばかりではつまらないから、誰かに見てもらいたくて」
「……お人が悪いですわね」
 客に対しても、見せびらかされるものに対しても。女主人が言外に含めた真意に、シリューナはなんでもない表情で。
「私、邪竜だもの」

 玉鋼とは、タタラで吹くことによって炭素を始めとする不純物を飛ばし、純度を高めた鉄を指す。
 操業一代――3日3晩をかけてタタラ吹き、生み出された粗鉄の内から選りすぐられたもののみが玉鋼の名を冠するのだが。
 一級品ゆえの美しさはあれ、通常の鉄と同じように酸化に弱く、だからこそその美は儚い。ゆえに、そんな素材で外気にさらされることが前提の彫刻を造ろうなどと考える者はいない。そう、いないはずなのだ。
「……触ると錆びるだろう」
 客のひとりがぽつり。
「置いておくだけでも錆びますね」
 その独白に、別の客が応えるともなく続く。
 この場にいる者たちは魔法具のライトユーザーだ。彼らは魔法具の造形美を愛でることはできても、機能美に魅入られるほどの熱を持ってはいない。ゆえに“ガチ勢”の好事家たちに押しやられ、ロビーに飾られた「特別展示品」の前へ集まることになったのだが。
 そんな人々の中心で、玉鋼の竜娘像は大きく翼を拡げ、佇んでいた。
 まるで実際に飛んでいるかのような臨場感を映すその姿。怯えを含みながらも抗う意志を湛えたその表情。実にかわいらしく、美しいのだが。
「芸術の真価は、眺めているだけではけして味わえないもの」
 低く抑えた女の声音が人々の目をさらう。
 シリューナは視線を引き連れて像へ向かい、そして。
 ためらうことなく玉鋼の首筋に指を這わせた。
「儚いからこそ美しい。だからこそ汚して、ときに壊してまでその儚さを堪能したくなる。……私は思うの。この国で生まれた侘寂という思想は、まさにその果てにたどりつくものなんじゃないかって」
 ほころぶ百合さながら、しとやかに、艶やかに笑む。
 人々の足が自然に踏み出され、やがて像を取り囲んでいた。
「本当に手袋なしで触っても? ――磨き上げた鉄は、こんなにすべらかなのか」
「玉鋼といえばカタナ。なめらかだが、どことなく鋭い感じがするのはそういうことなのかもしれないな」
「硬いのに指へしっとりと吸いついてきますよ! なんというか、脂で汚してしまうのが申し訳ないのにやめられない。まるで犯罪を犯しているような気になりますね」
 像に触れ、質感を語りながら、人々の話題は造形美へと移りゆく。
 誰もが像に魅せられ、讃えた。
 それを少し離れた場所から見守りながら、シリューナは術式を編む。100年どころか8時間を越えることすらできないけれど……鉄を酸化させることは容易いものね。
「ああ、もう錆が!」
「あの、これは大丈夫なのですか?」
 竜娘の像にうっすらと浮かび始めた錆。
 騒ぎだす人々へ、シリューナは大丈夫だとうなずいてみせた。
 ――もっと汚して。私のいちばん大切なものを。
 人々の手が像をこすり、掴み、錆を掻く。遠慮が薄れ、自分にできる限りを尽くして像を堪能する。
 シリューナは耐えがたい悦びに突き上げられながら思う。私は邪なのではなく、狂っているだけなのかもしれない。

 かくて展示会は終了し、洋館はいつもどおりの静寂を取り戻した。
「ずいぶんとご堪能されたようですわね?」
 女主人の皮肉。
 シリューナはかすかに上気した頬を指で払い、肩をすくめてみせた。
「思ったとおりの価値がある、それを確かめられたのは幸いだったわ」
 シリューナは冷却器へ歩み寄り、蓋を開いた。
 充分な時間をかけ、酵母に含まれた魔力で冷やされた小缶をふたつ取り出す。そして1本は自分に、もう1本は女主人に。
「350ミリリットルの缶なら入ったのではありませんの?」
 シリューナは応えず、女主人を促してロビーへ向かった。脂に汚れ、錆に侵された玉鋼の像――佇むティレイラの前へ。
「こんなに錆が……でも、どうしてですかしら。なんとも言えない風情を感じますわね」
 鑑定眼にかけてはシリューナにも勝る女主人が、目をすがめてティレイラを凝視する。
 シリューナは誇らしげに息をつき、今度こそ応えた。
「そこに在ることで物は汚れ、劣化していく。その経過と結果――侘寂を楽しむことがジャパニズムの真髄よね」
 それを聞いた女主人は顔をしかめ。
「侘寂と言うより、リュクテイア様のそれは“寝取られ”と呼ばれる類いの嗜好なのではないかと思いますわ……」
 自分ではない誰かにもっとも大切なものを穢される悦び。確かに今日のシリューナはそれを堪能していた気がする。でも。
「もっと深く独占したいのね、私は。それでいて独占してしまうことが怖くて、こんなことをしてしまう。結局は愛も恐怖のバランスが取りたいだけなのかも」
 得ることと失うこと。どちらが成ってしまっても、自らの永き生は彩を失ってしまうのだろう。だから、すべてのものは物足りないくらいでちょうどいいのだ。すぐに飲み切れてしまう程度の缶ビールのように。
「乾杯。酔うには足りない酒精で、このかけがえのない時をもどかしく彩りましょう」
 シリューナは女主人と共に、物足りない量のビールで喉を湿らせた。
 あとわずかな時間で失われるティレイラの侘と寂とを讃えながら。
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2017年06月19日

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