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『Sugar Sugar Pain 』
八朔 カゲリaa0098
 戻るべき道を覆い隠す、雨。
 あの日の虚無を幻(み)せる、青空。
 願いのない自分には祈る資格のない、星。
 思い出を連れて降り積もり、脚を絡め取る、雪。
 耳元へ彼の罪状をささやきかけていく、風。

 時は過ぎ、季節は巡る。
 そのただ中、八朔影俐――H.O.P.E.東京海上支部所属のエージェントとなったカゲリは、まっすぐ前だけを向き、1秒の先へと歩き続ける。
 急いているわけではない。しかしその歩みはけして止まらない。合同訓練、依頼、自主訓練、依頼……いつ眠っているのか? エージェントたちは小銭を賭けて真相を確かめようとしたが、カゲリの答えは『眠れるときに』、ただそれだけ。
 当初は使える新人として重宝された。なにを命じられても諾と従い、どれほどの傷を負っても任を完遂する彼は、威力偵察役として都合がよかった。
 しかし、3ヶ月でその需要は消えた。他人ばかりか愚神の有り様までも是とし、前へ進む――それだけを貫くカゲリは「いかれた奴」にしか見えなかったし、その熟練度は彼を便利使いした先輩たちをすぐに抜き去ったからだ。
 そうなってさえ、カゲリは歩みを止めなかった。
 依頼の内容も見ず、行き先が戦場であれば闇雲に引き受けた。それが尽きれば熟達のエージェントですら請け負うことをためらう“必死”の依頼へ我が身をねじ込んだ。
 命を削り落とされ、地へ転がった。自らの血で赤く染まった汚泥を這い、従魔の骸を手がかりに立ち上がった。愚神に裂かせ、穿たせ、啜らせながら、その核に魔導銃50AEのライヴス弾を撃ち込んだ。
 協調はすれどもけして共闘せず、まっすぐ突っ込んで倒れ伏し、戦場を這うカゲリはいつしか「ドッグレッグス(欠損者を揶揄するスラング)」と呼ばれ、多くのエージェントに忌避されるようになる。


「君さ、なんでそんな死にたいわけ?」
 パンキッシュな革の衣装でその身を鎧った女性バトルメディックがカゲリに問う。
「……前に進むって決めた。それだけだ」
 半ばちぎれ落ちかけていた左腕がケアレイで繋がり、再び血を巡らせ始めた。まだかなりの痛みはあるが、動く。
「繋がっただけなんだからね! コレデ銃ガ撃テルノゼとか考えてんじゃないよ! バカ安静だよバカ!」
 バカでサンドされた安静の宣告にカゲリはうなずき、H.O.P.E.東京海上支部の医務室を後にしようとして、襟首をつかまれて引き戻された。
「安静ったらここで寝てろってことだよ! ポケットから手ぇ出せ! クソ銃から手ぇ離せっつってんだよクソ!」
 女性とはいえ、相手は数多の修羅場をくぐり抜けてきた生命適性――先陣を切って戦場へ突っ込み、体を張って戦線を支える“タンク役”。いくら新進気鋭のカゲリとはいえ、筋力でも技でも勝てるはずがない。
 見事に体軸を崩され、ベッドへ叩き落とされたカゲリは、内に在る英雄へ打開策を求めた。もっとも、返事は『休むもまた修行だよ』のひと言だったのだが。
「うちがお上品に言ってやってるうちにおとなしくねんねしなよ、少年?」
 ああ。カゲリは息をつく。かわいそうなガキだった俺は置いてきたつもりだけど、まだ大人に心配されなきゃならないガキの歳なんだな。
「なにあんた笑ってんの、やば。年上好きか? まさか自分、甘えた(甘えん坊)なんか!?」
「自分の歳を思い出しただけだ。自分では一端になってるつもりだったから」
「なんやつまらん。もっとうちに興味持とーや」
 女は苦笑し、肩をすくめてみせる。口調が関西のそれになっていることには、どうやら気づいていないようだ。
「ってぇか自分、憶えてへんの? ――あー、うちがアホやったわアホ。憶えてへんよね。あんたはそーゆー子ぉやんな。うん。屁ぇこいて寝ーや」

 カゲリが彼女のことを思い出したのは、それから5日後のこと。
 腹に風穴を開けてかつぎこまれた医務室で再会し、さんざん罵倒される中でのことだった。
「……あんた、俺がエージェントになる前に」
「遅っ! こんななっがいボケよー見んわボケ!」


「健康管理担当医務官として申し渡すよ。ドクターストップ」
 標準語で彼女は言い、掌でカゲリの言葉を遮った。
「ライヴスは万能物質じゃないんだよ。垂れ流してれば減る。回復するまでに時間がかかる。あんたの体は今、ライヴスが枯れかけてる。いつリンクレートが0になったっておかしくない状態なんだよ」
 幾度となく横たわってきたせいでやけに体になじむようになったベッドの上、カゲリはかざされた彼女の掌を押し退ける。
「俺は」
「前へ進む、やろ。そら別にええよ。でも自分、前も後ろもガバガバやん。撃ちゃええっちゅうもんやないで。いっしょに行ってる連れとちゃんと連携とかせな」
 愚神は独りで狩れる獲物ではない。それは最初からわかっている。魔導銃をくれた“ママ”に叩き込まれた教訓を忘れたことなどないから。でも。
 他のエージェントとカゲリとでは、歩く速さがちがいすぎる。
 気がつけばいつも独りで、血まみれの指で引き金を引いていた。突っ込み過ぎだ、独りで行くな、合わせろ――誰もが彼の背にそう言うが。
 行くべき先が見えたなら迷わず進む。刹那の機を逃せば、すべてを失くしてしまうのだから。
 しかし彼は語らず、ただひと言。
「俺はドッグレッグスだから」
 これはそう言った誰かへではない、自分へ向けた皮肉。でも、俺はそうしたものなんだろうから。全部背負ってどん底を這う――
 ガン。やわらかい枕に頭がめりこんだ。額を彼女に殴られたのだ。
「アホ言うなアホ! 犬は群れで狩るもんやアホ! ぼっち気取るんやったら狼やろアホ! って、アホが自分オオカミですんでーとか笑けるわアホ!」
 彼女は鼻息を噴き、カゲリの胸ぐらをつかみあげた。
「犬なんやったら犬でええ。むしろ犬がええわ。うちがきっちり首輪はめて注射したるやんな」


 そしてカゲリは戦場に立つ。
「行くよペロちゃん!!」
 標準語で言い放つとともにカゲリの背を叩く彼女。
 ちなみに「ペロちゃん」とは彼女が勝手につけたカゲリの呼称だ。実に昭和臭いネーミングだったが、「うっさいわ! ドッグレッグスより犬っぽいやんけ!」で押し切られた。
 ともあれ、50組のエージェントが群れと化し、愚神群へと駆ける。その先陣を切るのが彼女とカゲリだ。
「もっと速く走れーっ! うちらが止まったとこが最前線になるんだよ! 1ミリでも前に押し込めたら、それだけ後衛の射角が広がる! 前衛がスキル使う時間が稼げる!」
 従魔の先頭を槍で串刺して横へ投げ捨て、彼女はその体をもって悪意の奔流を受け止めた。
「後ろに漏らしたらおしまいだよ! 死んでも下がんな! ペロちゃんステイ!」
 カゲリは彼女の脇でシールドを構え、従魔を受け止める。その横を別のバトルメディックが、ブレイブナイトが固め、一列を成した。
 従魔に打たれながら、一列はただひたすらに耐え続け。
「押し返せーっ!!」
 彼女の号令一下、前へ。カゲリもまた同じく前へと踏み出した。なにを考える暇もない。だからこそ彼の足は他者の足と歩をそろえ、一列の一角として機能する。
 かくて五歩で従魔の先陣が崩れた。そこへジャックポットとソフィスビショップの紫苑攻撃を受けたドレッドノート陣が満を持して突入。
 矢弾が、魔法が、剣刃が、従魔を塵へと変えていく中、彼女がカゲリを促した。
「ゴー! ペロちゃん、ゴー!」
 どこまでも犬扱いか。盾の裏から魔導銃を抜き出したカゲリは命じられたとおりに走り出し、前を塞ぐ従魔を撃ち散らす。
 と。
 従魔の後ろにいた愚神がその体に備えた砲口から魔法弾を撃ち出した。
 回避――横へ転がったが、従魔を巻き込んで炸裂した魔炎が彼の脚を焼き焦がす。
「立って走れ! 寝っ転がってたらそのまんま焼死体のできあがりや!」
 炭にされた脚が感覚と力とを取り戻し、カゲリを再び立ち上がらせた。彼女のケアレイが追いついたのだ。
 俺とあんたで四本足――ドッグレッグスだな。いや、狼ならウルフレッグスか。
「急げ急げ急げーっ! かならず死ぬで必死んなれ! 自分好きやろ、死ぬとかやぁ! 死んでまえ! 今日が死ぬにはいい日やでぇ!!」
 戦場を揺るがす轟音を彼女の声音が蹴散らし、カゲリを急かす。
 どうせ死なせてくれる気もないだろうに。カゲリは振り返ることなく駆け、撃ち、道を拓き、そして愚神の眼前へと至った。
 あとはもう、引き金を引き続けるだけだ。


「なんやんなぁ。自分、言うことよー聞くねんけどなぁ。なーんか、主体性っちゅーか、主張がないねやんな」
 戦場でカゲリを引きずり回すうち、ついに標準語を捨てた彼女は首を傾げて唸った。
 カゲリとしては為すべきを成している。これ以上、なにを求める?
「ペロちゃんなぁ、チームっちゅうんはなんとなーくわかってきたんかなって感じやけど、見てるとこが狭いねや」
「前へ進めてるなら俺はそれでいい」
 すでに自室のそれよりも体に馴染んだ医務室のベッドへ横たわったまま応える。
「そんなん言うたら犬やなーて馬やんけ」
 犬の次は馬か。いちおう自分では、彼女が前に言っていた狼でありたいところなのだが……たとえ同じ四本脚だとしてもだ。
「うちなぁ、ペロちゃんが勝手に死なんよーにって思ってつきまとってんねやんか」
 だろうな。そうでなければ、医務室づきのバトルメディックがああも頻繁に戦場へ出なければならない理由はない。
「初めて会ったとき自分、今夜死んできますーみたいな顔しとってんやんか。うちらが間に合ってたら、そんな顔させんでよかったんにって、ずっと思ってたんよ」
 まだ気にしているのか。カゲリの両親を愚神から救えなかったことを。カゲリを保護し、守れなかったことを。
 カゲリの胸の奥に沸き出す靄。はっきりとした形を持たぬがゆえに正体の知れない、しかしはっきりとマイナス感情であることだけは感じ取れるなにかが。
「――あんたは関係ない」
 靄に侵された声音が尖る。ちがう、そうじゃない。俺が言いたいのは、あんたが気にしなくちゃいけないことじゃない。それだけなんだ。
 思いながらも、喉の奥に詰まって音にならなかった。理由がわからなくて、カゲリはとまどう。
「やー。肚決めて生きてんねやろうし、死ぬ気ぃとかないんやろうけど、目ー離したらぽっくり死んでまいそなんよな」
 カゲリの葛藤には気づかず、彼女は苦い表情で言葉を継いだ。
「仲間ってな、まわり中にいるんよ。みんなに預けて、みんなに預けられて、そんでみんなで立つ。ペロちゃんはそういうの勉強せなあかん」
 靄が濃さを増す。そうか。俺は今、苛立ってるんだ。
「俺はあんたの前脚をやるので精いっぱいなんだよ。脚は四本でいい」
 早口で言い放ち、カゲリは呆然とした。
 俺は今、なにを……!? 彼女はきっと俺を茶化す。おどけて、笑いものにして、ガキ扱いして――
 しかし。彼女は寂しげに笑み。
「アホやな自分。ほんまつまらんオトコやで。脚しか見ーへんからそんなアホやねんなアホ」
 見下ろすような目。自分だけがわかっているような顔で、歳下の子どもに謎かけか。
 女ってのはなぜかそうしたものなんだろう。いつもならそう受け入れていたはずなのに、今日は、今日だけはそうと思い切れず。
 カゲリは薄笑み。
「そっちのほうが無理矢理の標準語よりかわいいな」
「は!? あんたなんやねん!? ちょ待てや! あんたなんなんやねーんっ!!」
 最後まで聞かず、カゲリは医務室から抜け出した。

 特記すべきことなどなにひとつない任務のはずだった。街の一角で威勢を上げる新進のヴィランを捕縛する、ただそれだけの依頼。
 4組という最小単位でのぞんだ戦いは終始エージェントが主導権を握り、攻めたてていった。
 その攻勢が崩れたのは、ボス格の男がリンクバーストし、バーストクラッシュして邪英へと変じたことからだった。
 邪英はやすやすとチームメンバーだったジャックポットとドレッドノートを屠り、そして残る彼女とカゲリへ迫った。
「うちが押さえとく!! ペロちゃん、支部に緊急連絡や!」
 ライヴス通信機は今、邪英のジャミングを受けている。連絡するためには、彼女を置いてこの鉄火場を抜け出なければならない。
「役割が逆だ! 跳びかかる前脚は俺だろう!?」
 彼女は邪英に向き合ったまま、後ろ蹴りでカゲリの腹を蹴り飛ばし、背中越しに笑みを投げる。
「どっちが長持ちするかって問題や。頼られたーやったらもっと修行してこいアホ!」
 笑みに隠された意志と覚悟。それを見せつけられたカゲリに、それ以上抗う術はなかった。
 カゲリを送り出した彼女は邪英へ意識を集中させる。
「ま、死ぬにはいい日やんな。あんたにとっても、うちにとってもや」


 襲い来るヴィランを蹴散らし、駆け戻ったカゲリが見たものは。
 邪英状態から引き剥がされ、意識を飛ばされたボスとその英雄。そして――腹を裂かれて倒れ伏す彼女だった。
「なんだよ」
 震える手で彼女に触れる。防具越しにも感じられるほど、冷たかった。
 それでもカゲリは手持ちのヒールアンプルをすべて彼女へ撃ち込み、そっと仰向ける。
「あんた、バトルメディックだろう? リジェレネーションは……ケアレイを……」
「アホ――バトルメディックは、自分じゃない誰か、助けんのが仕事やろがい、アホ」
 かすかな声音がカゲリに届く。彼女は死んでいなかった――あたりまえだ。彼女はエージェントの中でも最高位の生命力を誇る、生命適性のバトルメディックなんだから。
「これだけ、言っとくで。一匹狼なんてなぁ、つまらんよ。脚なんか何本でもええねや。あんたは、あんたの群れと仲間、見つけぇや――カゲリ」
 カゲリの負った傷が消えていく。彼女の言葉、瞳の彩に連れられて。
 こんなことを言うためだけに、彼女は命を繋いで待っていたのか。
 名前を呼ぶためだけに、生を振り絞って言葉を紡いだのか。
 俺は、なにを返せばいい? あんたの命に、思いに、なにを返せるっていうんだ?


 捕縛されたヴィランが収容施設へ送られていく。
 カゲリは押し黙ったままそれを見送り、踵を返した。
 激情に突き上げられるままヴィランを殺し尽くすこともできた。しかし。
 彼女は最期まで誰かの命を救い続けたバトルメディックだから、死を積み上げることが弔いになるとは思えなくて。
 ――前を向いていたカゲリの顔が、ふと上向けられた。
 見えたのは、果てなく広がる空の青。そこにはきっと風が吹き、やがて星をきらめかせ、いずれは雨を降らせるのだろう。

 俺は忘れない。今日って日も。あんたって女も。全部抱えて行くよ。

 後脚を失くした狼は頼りない足取りで、それでも前へと一歩を踏み出した。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【八朔 カゲリ(aa0098) / 男性 / 17歳 / 絶対の肯定者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 母たる者は少年に牙を与え、後脚たる女は少年に心を灯した。しかし少年は未だ独り、闇底をさまようばかりなり。
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2017年06月19日

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