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『歌詞の無い歌 』
アクアレギアka0459

 レンズ。拡大。歯車。細工。ピンセット。

 アクアレギア(ka0459)は繊細な細工のオルゴールを作成していた。卓上いっぱいに金属のパーツ。レンズで拡大しての精密な作業。室内は沈黙。パーツが組み立てられてゆく音だけ。
「……ふう」
 かれこれ何時間、作業に没頭していただろう。ふとアクアレギアが一息を吐き、椅子の背もたれにもたれれば、肩と首がバキバキと鳴った。目もだいぶ疲れていることを改めて自覚しては、眉間を揉む。それから天井を仰いだ。ぼんやり、瞬きを数度。

「……――♪」

 やおら口ずさむ、旋律一つ。
 それは歌詞のない歌。覚醒時、己の内側で常に鳴り響く歌。今オルゴールで作ろうとしている楽曲。
 歌いながら――アクアレギアは思い返す。初めてその歌を聴いたときの出来事を……。







 ――よく晴れた日だった。

 厭味ったらしいほどの鮮烈な青をよく覚えている。
 まるでせせら笑うような。俯いたアクアレギアの顔を覗き込んでくるような……少年は身を隠すようなローブのフードを深く被り、細い道を独りぼっちで歩いていた。逃げるように怯えるように背中を丸め、迷子のような足取りだった。

 アクアレギアに、居場所はなかった。
 アクアレギアは、異端児だった。

 ドワーフなのに細い身体。力も弱くて、戦士としての素質もなくて。
 弱虫、泣き虫、気持ち悪い。誰もがアクアレギアに侮蔑の目。
 あらゆる挙動を、一切の存在を、許容されてはいなかった。
 嫌悪の目が、目が、残虐なナイフとなって、アクアレギアの脆い心を抉るのだ。

 ――母親が生きていた頃は、まだよかった。
 どんなに心が傷ついても、母親が「愛してるわ」と優しく抱きしめてくれた頃は、まだよかった。心に逃げ場があったから。心の傷を癒してくれる人がいたから。

 けれど。
 そんな優しい母親も、死んでしまって。
 アクアレギアは独りきり。

「……」
 とぼ、とぼ、少年は痩せた足で歩く。
 うつむいて自分の影を眺めたまま、思い返すのは「目」のことだ――母の骸の傍に転がっていたあの白い球体。幼い頃から己を突き刺してきた幾つもの視線。目。目。目……大嫌いで、そして心から欲しいモノ。
 目。目。目。目。目。目。目。目。目。目――ここのところ、ますますだ。寝ても醒めても目のことばかり。目への異常な執着、衝動、欲求。
 それを「おかしい」と、アクアレギアは自身に自身で思っていた。思っているのに。欲望が抑えきれない。いくら理性で捻じ伏せても、日を追うごとにその欲望は暴走めいて増大してゆくのだ。

 このまま――欲望が、理性を上回るほど大きくなったら、どうなってしまうんだろう?

 想像した仮定の結論は、村の者を襲う自分。振り上げたナイフで両の目玉を抉り出し、それをいつまでも眺めている自分。狂気に染まった光景――……。

 アクアレギアは、村の者達が嫌いだった。誰だって、自分を異物扱いして迫害してくる者など好きになれないだろう。けれど……殺してやりたいとか、傷つけてやりたいとか、そういう気持ちは起きなかったのだ。
 少年は、優しい子だった。誰かが傷ついてしまうぐらいなら、いっそ自分が消えれば良い。いなくなってしまえばいい。そう「思ってしまえる」、優しい子、だった。

「――そう、俺が消えてしまえばいいんだ……」

 渇いた口で呟いた。いなくなってしまえたら、きっと楽だ。心を苛む痛いのも苦しいのも、全部終わりになるんだから。それに、こんな、おかしい考えをしたおかしいドワーフモドキなんか、いない方がマシなんだ。いない方がみんな喜ぶんだ。みんなそう望んでいるんだ。だからいなくなってしまおう。消えてしまおう。消えてしまいたい。

「いなくなっちゃえば……いいんだ……」

 虚無。いくら未来を考えても明るさの兆しすらなく。どうにかしたくてもどうにもならなくて。だから、だから、もう。疲れた。もう嫌だ。もうプツッと終わりにしよう。そうしよう。
 ぼうっとした目を上げれば、今はもう使われていない坑道の入り口で――真っ黒い影が、ポッカリとアクアレギアを迎えていた。少年は虚ろな目をしたまま、這いずるような足取りで暗がりに向かう。立ち入り禁止の柵の合間を潜り抜け、雑草まみれの道を掻き分け。
 ごう――坑道から冷たい風。前髪がひるがえり、アクアレギアのフードが落ちる。影になっていた目に太陽がここぞと飛び込んできて、少年は顔をしかめた。追われるように、灯りも持たずに、暗闇を進む。青空は湿った土に遮られ、一歩のごとにアクアレギアは黒い色に包まれる。
 ぺた、ぺた。寂しい足音が一つだけ。
 もう辺りは何も見えないぐらい真っ暗闇。
 黒――全てが溶けて消えていくような心地。
 少しだけ、気が楽になって。嗚呼、このままなら、もう、いいや。しゃがみこんだ。膝を抱えた。目を閉じた。もう真っ暗闇だ……。


 ――……。


 ――…………。


 そんな、時だった。
 なにか、聞こえた。

(歌……?)

 顔を上げる。聞き間違い、ではない。確かに聞こえたのだ、歌が。
 少年はふらつきながら立ち上がる。危険も顧みず、半ば自暴自棄のまま、歌の方へ――暗闇の奥へ進み始める。何も考えないまま。幽霊のように。
 歌が聞こえる――歌詞のない歌。どこから……? 不愉快ではなく、美しく、妙に惹かれる。それを探す。真っ暗闇の中、手を伸ばす。
 指先に何かが触れたのは、まもなくだった。小さな、つるりとした感触。小さい。手で掴んでみる。暗闇に慣れてきた目を細め、掴んだそれを間近で見てみた。
(これ、は……護り石の……?)
 アクアレギアには見覚えがあった。ドワーフの集落にて、護りの願いを込めて作られるアクセサリー。それに使われる石だった。少年はそれを、じっと見つめる……。
 気付くと、歌は止んでいた。暗闇の中、不思議な石と少年が二つきり。

 幻聴、だったのだろうか。本格的に気が触れただけなのだろうか。
 ごう――風が吹く。暗闇の奥から。まるでアクアレギアを押すように。光の方へ歩いて行けと言うように。

 アクアレギアは振り返る。坑道の出口へ。光の方へ――。

 これもきっと、何かの縁。
 アクアレギアは小さな石を握りしめ、ゆっくりと歩き出す。
 もう故郷には戻らない。
 行く先は、街。ハンターになるための、場所。

(街なら、もし衝動に負けても……きっと誰かが殺してくれるだろうし)

 絶望に満ちた希望的観測。それでもアクアレギアの心は、不思議となんだか軽かったのだ。
 あの歌を口ずさみ、少年は青空の下を歩く。ここじゃない、どこかへ。どこか、違う場所へ。

 そして彼は儀式を受け――あの歌と、再会する。







 ふっと目を覚ます。いつの間にか眠っていたらしい。
 椅子に座ったまま寝ていたものだから、ちょっと首が寝違えた。「あー……」と息を漏らしつつ、アクアレギアは伸びをする。
 そして、目の前のオルゴールに視線が止まった。作りかけのオルゴール。あの歌を脳裏に思い浮かべる。あの歌を口ずさむ。

 歌詞の無い歌。
 アクアレギアにだけ聞こえる歌。
 幻聴か。妄想か。狂気の産物か。


 ──その歌は、狂気と共に今も彼の傍にある。



『了』




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アクアレギア(ka0459)/男/18歳/機導師
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2017年06月23日

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