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『 ベイリービーズ 』
ウェンディ・フローレンスaa4019)&ブラックローズaa4019hero002

 テラスに続く硝子扉に掛かるカーテン越しに射し込んでくる柔らかな陽光が好きだった。
 優しく身体を包む枕を背もたれにして、本のページを捲れば、ここではない何処かへいつでも飛び立つことが出来た。

 夜も更けた頃。あの日と同じ様に、本のページを捲る。
 物語の内容が頭に入ってこなくなり休憩時かと一息。
 ウェンディ・フローレンスは、寝台から抜け出してルームシューズに足を通すと窓際へと歩み寄った。
 寝込む事の多かったあの頃。同じ様に窓の外へと心を投じる。
 違うのは今、このまま目を閉じたら明日再び朝日を見ることが出来るのだろうかという不安から解き放たれたこと。
「今夜は、新月だったでしょうか……?」
 外は宵闇。室内の明かりで硝子は鏡のようになりウェンディの姿を映し出す。硝子の中の自分と手を重ね、過去を見るように、つっと撫でる。ひんやりとした冷たさが指先から伝わって熱を奪っていった。
 

「―― ……はぁ……は、っ……ぁ」
 調子を崩せば、熱持った身体が悲鳴をあげ焼ける様な息を吐く。口内はからからに乾き舌が上顎に張り付くと呼吸すらまともに出来ない。
 声は音にならず、苦しいのに、苦しいと告げることも出来ない。
 ウェンディにとって”生きる”とは苦行であり、この永遠に続くとも感じる辛苦から解き放たれることが”死”であるように思えた。
 死こそが、救いであり。其方側にこそ自由があるように思えた。
 深淵を覗いたとき、死神は甘く微笑み。禁忌に触れることへと誘惑する。手を伸ばしそれを取れば、この身は闇に包まれ永久の苦しみから解放される。
 歪む天井を見詰めていた視界が歪む。意識が朦朧として、僅かに動く唇は苦しみの音すら吐き出せなくなった。
 動物のように、早く短く吐き出す吐息が悍ましい。死に急いでいるハズなのに、生を主張するような鼓動が憎い。自由に動かすことすら出来ない四肢が重い。身体が……邪魔だ。
 それなのに、なぜ手放してはいけないのか。
 生と死の狭間にあるもの。
 とぎれる意識の中で、其方側は余りにも魅力的で……ぽとり……ぽとり……と甘い毒がウェンディの心に降り注ぎ、雪のように一面を染めていく。

「―― ……」
 夜明けと共に体調が落ち着けば昨夜脳裏を掠めた事は記憶の水底へと沈んでいく。テラスからは小鳥たちの歌が聞こえる。
 小さな木陰で涼を求め羽を休める愛らしい姿にウェンディの頬は緩んだ。僅かに窓を開けば、羽音を立て小鳥たちは飛び立つ。名残惜しいが、日の光に溶けていく彼らは自由で美しい。
「明日も、来て下されば良いのですけれど」
 生の煌めきに触れてもウェンディは柳眉を寄せる。
 自分は何て馬鹿げたことを考えたのだろう。死した先に何があるというのか……。
 生を求めるのが生きる者の性だというのに――
 健康でさえあればきっとこんな気持ちは消えてしまうだろう。自分の足で自由に動き回ることが出来れば愚かしい事だと笑うことが出来るだろう。
 頬に落ちる陽光が心地良く双眸を伏せる。暖かい日差しに温められた空気が淀んだ内側を清浄とさせる。
 日の下を歩むことこそが……きっと……正しい。
 そう……思っていた。

 それなのに……何故――


 ウェンディの願いと共鳴した一人目の英雄との出会い。太陽の下を歩き何処へでも行くことが出来る。湖面に落ちる陽光のように煌めく日々。充実していると言って違いないのは重々承知している。理解している。だというのに……人は、どこまで欲張りになれるのだろうか――
 ざわつく胸中を抑えつけるように重ねた両手で押さえつけ深く息を吸い込む。
 生を謳歌する今、何故自分に満たされない影が落ちるのか分からない。

 目を閉じれは明日が来る。きっと迎えたその日も笑みの溢れたものになるはずなのに……明けなければ良いと思う自分が居る。
 己が心中を図りかねて細く長い息を吐き自嘲的な笑みを浮かべた。

「暗澹とした淵が心地良いだなんて……きっと、間違っている。もう、眠った方が良いですわね」
 諦めにも似た独り言。誰も応える者なの居るハズもない。それなのに、

「知っているわ」

 僅かに開いた窓から吹き込む風と共にウェンディの頬を撫でるような声。いつからそこに居たのか、テラスの桟に腰かけた人影に気が付き、ウェンディは大きく二度瞬きをする。月から滴り落ちた雫の様に美しい白銀の髪。夜の闇にあって尚、彼女の瞬きに合わせて煌めく瞳。漂う凄艶さに本能的に沸き上がった恐怖。ウェンディが、じりっと軸足を後ろに引き警戒を強めたのを気にする事無く――むしろ愉快そうに見――視線の先の彼女は、夜風に煽られ流れてくる髪を気だるそうに掻き上げる吐息を漏らす。
 誰? 声に出したはずの言葉は、喉の奥へと張り付いてしまった。薄っすらと開いた唇から音は出ない。無為に開閉を繰り返す。

「知っているの。私は、あなたの渇きの原因を」
「あ、……なた……」
 ようやっと紡ぎだせた音は問いなのか、それとも。

 ガタガタッと風が窓を鳴らす。まるで笑う様に……呼び声の様に……――バンッ! 突然の煽るような強風に扉は開け放たれ、ウェンディは刹那両目を固く閉じた。

「ブラックローズ」
「―― ……ぇ」
「ブラックローズ。名を、聞いたでしょう? あなたは」
「わたくし、は……ウェンディ……」
 夜の香りがウェンディの身体を包む。彼女は月のない夜、闇そのものを纏って現れた使者の様に思えた。白くしなやかな腕がウェンディに向かって伸ばされ手招きする。従うべきではないと理性が警鐘を鳴らす。しかし、抗い難い闇がウェンディの身体に纏わりつくように絡まり、引いたはずの足はブラックローズと名乗った彼女へと向かうようにテラスへと一歩、また一歩と、踏み出していた。
「あなたが、呼んだのよ」
「わたくし、が、何……ですの?」
「あなたの心が、聖獣界の私に呼びかけてくるの」
 こつりとヒールの音を響かせて桟から足を下しブラックローズはウェンディの正面で笑みを深めた。
 爪の先まで美しく整えられた指先が、俯いたウェンディの頬を撫で下り顎の先で止まると、そっと持ち上げる。流麗な所作に促されるまま顔を上げたウェンディは、目の前に居る彼女に息を呑んだ。飲み下した吸気に喉が鳴り、真っすぐに見つめてくる瞳に捕らわれる。
「わたくしは……」
「ええ……分かっているわ。だって、私はあなたが覗き込んだ淵の底に住まうもの。愛すもの」
 ウェンディの顎の先を擽るように撫でブラックローズの指先が離れる。
「ぁ……っ」
 そこに名残惜し気に引く糸でもあるかのように、ウェンディはその指先を追いかけ思わず零した声に、ブラックローズは瞳を細め「なぁに……?」と蠱惑的に微笑む。
 暗く翳って見えた瞳は窓から漏れてくる室内灯に照らされて青く煌めく。

「内なる灯が深淵へと堕ちる時の間訪れる胸の高鳴り……四肢の先まで甘く痺れ酔いしれる」
「何を、仰っているのか分かりません……わ……」
 耳に心地良く届くブラックローズの声は、甘く魅惑的。彼女の唇が音を発する度、ウィンディの心は強く熱く脈打つ。彼女の言葉を、聞くべきではない。
「怖がらなくて良いのよ。あなたが正しいと……いえ、違うわね。あなたがやりたいと思ったことを行えば良い。私が手を貸す――」
「それは」
「誓約を……ここに……」
 ブラックローズの艶やかな唇が妖艶に弧を描く。こつりと今一歩距離が詰まる。拒絶すべきだとウェンディの内なる声が囁き、また、その一方で魅する魔力でも有るかのような彼女に惹かれる。
「死と禁忌を犯すこと……その甘露たるや……」
 彼女の瞳の奥に見る闇。そこに映る自分の姿を見たウェンディは無意識化で感じる得体の知れない恐怖にぞくりと身体を震わせた。
「私を受け入れなさい……ウェンディ……」
 震えたウェンディの腰をブラックローズの腕がするりと撫で「さぁ……」と引き寄せ抱きとめる。甘い吐息が掛かる距離で
「甘き死と禁忌に身と心を浸し――死後、永遠の忠誠を」
 ――拒絶。
 それをしなくてはいけない。頭では分かっていたはずだ。ハ ズ ナ ノ ニ……――

「ぁ……」
 柔らかな感触が唇に触れ全身にどろりと甘露が満ちる。陽の光を紡いだようなウェンディを侵食する陰。煌めく金の瞳は見上げた青の瞳の奥にある宵闇色に染まり、指の先、爪先まで甘く痺れる。
「―― ……」
 ややして離れた唇に、ウェンディの喉が切な気に鳴る。
「私が、あなたを解放するわ」
 ワタクシ ハ シバラレナイ
「苦痛の生、無意味な倫理・道徳……その、全てから……」
 ブラックローズにしなだれかかる様に身体を預けるウェンディを片腕で抱き空いた手で、そっと外耳を撫でる。その甘い愛撫にもにた所作に、ウェンディはじんっと熱持つ身体を覚ますように甘い息を吐きブラックローズを見詰めた。
「誓います、わ……あなたとの誓約…受け入れます…」
 ウェンディの明言、見上げてくる瞳に満足気に瞳を細め、美しい爪の先で柔らかな耳朶を撫でて唇を寄せ
「――証を」
 言葉と同時に微かな金属音。耳に残る感触に手を伸ばし、触れた耳飾りにウェンディは瞳を瞬かせる。
「良く似合っている。そして、これも……私たちを繋ぐもの……」
 流れる様にウェンディの手を取り、するりと撫でるとその指には指輪がきらり……。ウェンディが問う間もなくブラックローズは指を絡める様に繋ぎ引き寄せ再びその腕に抱く。伝わる体温が心地良く自ら思考することを遮ようだ。互いの零なる距離。腕の中から見上げるウェンディの唇は物言いたげに薄く開く。
「ここに……誓約は成された――」
 ウェンディの上に落ちる影は、柔らかい口づけと共に帳の如くウェンディの世界を覆う。
「っ……はぁ」
 新月の晩。
 重なる濃密なる口づけは甘く深い。誓約の証をその魂に刻むように交わる吐息は熱を孕みウェンディの精神を魅了した。



 【ベイリービーズ:了】



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 aa4019 / ウェンディ・フローレンス / 女 / 20歳 】
【 aa4019hero002 / ブラックローズ / 女 / 24歳 】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご依頼ありがとうございます。汐井サラサです。
 思い描いて貰っているだろうシーンを上手く表現できていると嬉しいです。
 
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2017年06月29日

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