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『綺麗の逆転 』
松本・太一8504
 あれほどの豪雨がぴたりと止んでいた。
 それどころか、あの鳳眼の女も、無数の手も、店までもが、どこかへ失せてしまっている。あるのはずいぶんと昔に閉店し、シャッターが降ろされた商店街の連なりだけ。
 夢でも見てたのかな。
 松本・太一は思わず頬をつねってみる。その行為自体は、実にこう、48歳めいたものではあったのだが。
 頬に触れた指先へ伝わる、つるりと冷たい肌感。あまりの違和感にびくりと跳ねたその指もまた、見慣れたそれならず、関節部までなめらかに細い――これではまるで――
「女の子じゃないか」
漏れ出した声はメゾソプラノ。あわてて喉を探ってみたが、ない。いつもの場所に、喉仏が。
 太一は覚悟を決めて自分の姿を見下ろした。果たしてそこにあったものは。
 ゴシックロリータ調の黒いドレスをまとった、少女の体であった。
 最悪だ。あれは夢じゃなかった。
 太一はあの女や店の痕跡を探して店々のシャッターの隙間をのぞきこんだが、埃臭い暗がり以外、なにひとつ見つけることはできなかった。
「あ! 仕事、どうしよう」
 今、太一は完全に手ぶらである。
 着ていた服はともかく、あの封筒だけはないと困るのだが……と、バニエで膨らんだスカートのポケットからカサリと乾いた音が。
 取り出してみれば、それは1枚のカードだった。印刷したかのように綺麗な字で、『あなたがあなたであった頃のものはすべて、あるべきところへお送りしてあります』と書きつけられていた。
 少し安心したが、それ以上に困った。たとえ封筒が会社に届いているのだとしても、どうやらゴスロリ少女に変えられてしまった今の自分ではどうすることもできない。
「解呪――」
 自身の内にカウンターマジック――異世界より彼の内に落ちてきた“悪魔”のせいで、彼は“魔女”となっている――を巡らせ、少女化の解呪を試みる太一。だが、この体を侵す魔術ないし呪術の構造が読み解けず、その“結び目”すら見つけられない。
「物があれば、たどれるかな」
 カードとそこに文言を書きつけた者とは“縁”で繋がっている。それをたどるのは容易いことではないが……やるしかない。
「手を」
 貸してくれよ。言いかけた言葉を切って、太一は代わりにため息を漏らした。
 彼の内に居座り続ける“悪魔”は今も無言。確かな存在感がある以上、彼女は自らの意志で押し黙っているのだということになる。だとすれば、こちらがなにを言ったところで手も口も出してはくれないだろう。
 太一は意識を集中させ、カードから伸びる縁の糸をたぐる。糸が細い。しかも多数の空間の縁でぶつぶつと途切れていて、どこに繋がっているのかが読み解けない。
 5分ほどあがいた末、あきらめた。
 考えてみれば、魔女たる太一の魔術的防御を無視して少女化させられる相手なのだ。ひとりでどうにかできる相手であろうはずがなかった。
「と、したら」
 応援を頼むよりないだろう。魔術とは別の力で怪異にアプローチできる力を持つ誰かに。


 取引先の会社の新人を装って自社へ電話をし、封筒が届けられていることを確認した太一は、低い声を無理矢理ひねり出した代償として激しく咳き込みながら、自室のベッドへ突っ伏した。
 その脇には、綺麗にアイロンがかけられて折りたたまれたスラックスとワイシャツ、男物の下着がある。誰がどこから入ってきて置いていったのか知れないが、ともあれ気づかいには感謝しておこう。万が一これを会社に届けられていたら大変なことになっていた。
「ついでに着替えられたらいいんだけど……」
 今着せられているドレスにはボタンもチャックも紐すらなく、不思議なことに服とは繋がっていないはずのドロワーズすら脚から引き下ろせなかった。「着ている」感覚があるだけに、なんとも気味が悪い。
 ただ、着替えるといっても年相応の男物しか持っていないわけで、この体にまとえばそれはそれで激しい違和感を醸し出すことはまちがいないが。
 とりあえず着替えるのはあきらめて、古式ゆかしい革表紙の手帖をめくる。細かなメモ書きをかきわけていくと、あった。いくつかの電話番号を書き込んだ【緊急連絡用】のページ。
「草間興信所は、と」


 街はいつもどおりの賑わいを見せていた。
 いつもどおりじゃないのは太一だけ。
 だが、それに気づく者はいない。日常の内にあっては奇異なゴスロリドレスに目を引かれ、好奇の視線を送ってくるばかりだ。
 目立つのヤバくない? 補導とかされたら困るんですけど!
 太一は不自然に見えないよう、焦る脚をゆっくり動かし、なんでもない体を装う。目ざす草間興信所まであと5分。なんとかやり過ごさないと。
 外国人観光客に手を振られ、びくりとひきつった笑みを返しつつ、太一は努めて内股をキープした。

「……で、48歳のおっさんが女の子に、ですか」
 草間興信所の所長、草間・武彦は眼鏡を自らが吐き出した紫煙で塗り潰し、なんとも冴えない声で言った。
「私だって人から聞いたらそう思いますけど……」
 武彦はコーヒーを太一にすすめ、自分もマグカップをあおって眉根をしかめ。
「俺は別に詳しいってほどじゃありませんが、変身ってやつは俺ですら知ってるほどメジャーな都市伝説です。でも、そいつに巻き込まれた人間は大概それまでの自分ってのを忘れちまう。魂魄が、変わっちまった体に合わせて上書きされちまうんですよ。でも」
 視線を太一の目にねじり込み、武彦は言葉を続けた。
「松本さん? あんたは変身前の記憶があるんですよね。そりゃいったいどういうことです?」
「え? 私は……その……ある事件のせいで、魔女になっていて……」
「魔女」
 武彦はうなずき。
「魔女はその名称どおりに女だ。ときどき魔女の男もいるらしいが……根本的にウィッチ・マジックってのは女の“性”に力の根元がある」
 今更とも言える魔女の定義。
 武彦の意図は明白だ。太一が最初から女性なのではないかと疑っている。いや、元々女性である太一が、都市伝説によって「本当の自分は男だ」と上書きされたのではないかと。
 ちょっと待って、なにその悪い冗談? だって私の名前、太一だし。――って、それも上書きされた名前なんじゃないかって思われるだけ? ちょっと待ってよ。だってそんなの、ありえないでしょ。
 実際、太一が魔女の力を振るうためには女性化する必要がある。それでも太一は一度たりとも太一でなくなったことはない。そんなの当然。わたしはいつだって松本・太一なんだもの。
 唇を尖らせる太一に、武彦は小さく肩をすくめてみせ。
「とにかく急いだほうがよさそうだが、その前に。あんたが松本・太一さんだってなら、そいつをしっかり刻んどいてください。どうも今の姿に心が喰われ始めてるみたいなんでね」
 え?
 太一は気づく。
 自分の思考が、いつの間にか年相応の少女のそれに近づいていたことを。

「あの、現場に行ったりしなくていいんですか?」
 ソファに腰を埋めたまま煙草を吹かす武彦に、おずおずと太一が問うた。言葉づかい、思考、所作、その他もろもろ、自分は男だと念じながら紡いでいく。
「怪異にはずいぶん詳しくなりましたがね、俺には霊感だの魔力だのがまったくないんですよ。それにね」
 今まで吸っていた煙草の火を次の煙草の先へ移し、武彦は口の端を吊り上げた。
「変身自体はさっきも言ったとおり、メジャーな都市伝説だ。江戸時代にもう女が男になった話があるくらいでね。でも、大事なのは場所じゃないんですよ。いや、場所は大事なんですが、そいつは現場じゃないってことです」
 ここで武彦が、煙草の煙を追いかけるように立ち上がった。そして太一に手を伸べて。
「大事なのは“再現”と“逆説”。動きやすい格好――ってその服脱げないんでしたね。じゃ、気構えだけでもしといてください。結構ハデに法律を破りますんでね」

 夜まで時間を潰しといてください。
 そう言われて街へ向かった太一だったが、どこに行くあてもなく、この姿では酒でも飲んで落ち着こうというわけにもいかず……結局は喫茶店に入るくらいが精々だった。
 いつもであれば薄暗い純喫茶を好むところが、なぜかいかにも女子が好きそうな真っ白いカフェへ吸い込まれ、アイスコーヒーならぬアイスティーを注文。グラスを持つ小指が立ってしまわないよう、全力を振り絞るはめに陥った。
 私は男。48歳のおじさん。ケーキ食べたいかも――おじさんだけど、チーズケーキとかだったら変じゃないよね? わたし……いや、私はでも、ケーキなんか食べてる場合じゃない。でもでも疲れたし、なんかだるいし……って、ガムシロップ追加しちゃダメだから! 松本・太一は48歳のおじさん、魔女だけど男……
「お客様、お呼びでしょうか?」
「ストロベリータルト追加でお願いします! あと、アイスティーあんまり甘くなくて、もうちょっと甘くしてもらえたりってお願いできますか?」
 ……結局、我慢はできなかったようだ。


 深夜。
 太一はデパートの4階、紳士服売り場にいた。もちろん忍び込んだのだ。武彦の神技的なピッキング技術と対防犯カメラ術に導かれて。
「小さい声でしたら出してもらって大丈夫ですよ」
 武彦に促され、太一は絞った声音で。
「紳士服売り場が私の少女化に対する“逆説”なのはわかるんですけど、ここでどうやって“再現”するんですか?」
 武彦の顔に人の悪い笑みが浮かんだ。あ、これ、まずいこと考えてる顔だ。そういう男子っぽい顔されると、思わずドキっとする。って、私! 男だからおじさんだから!
「松本さん、しっかり自分を保っといてくださいよ。変身が完了したらもう戻れなくなりますからね。……じゃ、“再現”始めますか」
 武彦はおもむろに煙草へ火を点し、太一に止める間も与えぬまま、それを火災報知器へ投げつけた。
 けたたましく鳴り出す警報――いや、音は出ない。ここへ来るまでに、太一がその機能を潰してしまったからだ。
 音のない売り場でスプリンクラーが起動、水を振りまき始める。まるでそう、雨のように。
「雨、店、変身。さぁて、これで“再現”は済んだ。あとは松本さん、あんたの出番です」
 鳳眼の女の“逆説”たる「店の男」を演じ、武彦が太一を促した。
 あのとき私はなにをした? シャワーだ。シャワーを浴びた。服を脱いで、1枚ずつ。
 太一はワイシャツに見立てたドレスを脱ぎ、スラックスに見立てたスカートを脱ぎ、コルセットをはずし、ドロワーズから脚を引き抜いて――今までまるで脱ぐことのできなかった衣装が、あっさりと太一の体から剥がれ落ちていく。
 シャワーに見立てたスプリンクラーの水を浴びながら、太一が武彦を見た。
「じゃ、次に行きましょうか。松本さんの服じゃなくて申し訳ないんですが、見立てでとにかくつけてください。再現するとなると……俺が着せなきゃダメか。すいません、失礼しますよ」
 武彦がもどかしい手で太一に下着をつけさせ、スラックスとワイシャツをまとわせる。冷静に考えるとなかなかにシュールな光景だったが、気にしている場合じゃない。
 そして。

「なるほど。あんたが松本・太一さんってわけですか。初めまして」
 男の体を取り戻した太一は力のない笑みを返し、その場へへたりこんだ。


 武彦と共にデパートを脱出した太一は夜空を仰いだ。
 いつもどおりの景色と、いつもどおりの体。後始末などできようはずもないので現場を放置してきたことは申し訳ないが、とにかく今は安堵のほうが勝った。
「じゃ、俺はここで。報酬は今週中に振り込んでください。バイトに金も払ってやらないといけないんで」
 言い残した武彦の背に目礼し、太一は息をついた。
 私はまだまだ半人前ってことだなぁ。
 一人前の魔女なら、独力でどうにかできたはずだ。他人の、しかも魔力などない一般人に救ってもらわなければならないなど恥……
 いや、魔女として一人前になるって、結局は女性化するってことじゃないか!
 あーもう! わけのわからない葛藤に突き上げられるまま髪をぐしゃぐしゃかき回す太一であった。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年07月06日

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