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『装いの理 』
松本・太一8504
 違和感がある。
 なにがちがうわけでもなく、どこがおかしいわけでもない。しかし。
 この松本・太一という存在そのものから、違和感が抜けきらないのだ。まるでそう、本来あるべき場所にあるべき形で収まっていない……ちがう形の穴に無理矢理詰められているかのような、そんな感じ。
 ふと、太一は我に返った。せっかく男の体に戻れたのに、違和感なんて感じている場合じゃないのだ。
 しかし。会社で働いているときも。アパートの自室に寝転び、ぼんやり天井を見上げているときも。電車に揺られて会社へ向かうときも。自室の風呂の鏡を偶然のぞきこんだときも。なぜか自分がここにこうしていることに違和感があって、もどかしい。
 く。太一の内に在る“悪魔”が笑う。なにを語ることもなく、ただ笑うばかり。
「いいかげん、言いたいことがあるなら言ってくれないか?」
 くく。はてさて、はてさて……言の葉の欠片が欲しくば己で語るがよい。
 直後、太一の頭の隅でなにかが小さく弾けた。
 ――私は自分の少女化を解呪してもらうために草間さんを頼った。私はあの人を知っているから。でも、会ったときにはそれを忘れていた。草間さんもまるで私と初めて会ったみたいな顔をして、男に戻った私を見てもそれは変わらなかった。
 どういう、ことだ?
 太一と草間興信所の所長、草間・武彦は顔見知りだ。それが互いに互いを忘れ果て、初対面のように振る舞って、別れた。
 ――草間さんは私の変身を「都市伝説」だと言っていた。だとしたら、この違和感と辻褄の合わない状況は。
 太一はまず、この場の自分を確認した。
 ここは会社で、私は自分の部署にいる。なにひとつ、おかしなところはない。
 次に彼は同僚にトイレだと断りを入れ、オフィスから踏み出す。
 ――この廊下もエレベーターも階段も、私は意識下にその有り様を刷り込むくらい見知っているんだ。だとしたら。
 階段を駆け上がり、普段まるで接点のない部署をのぞき込んだ。
 よく知らない場所に詰め込まれた、よく知らない顔。なのにまるでよく知っているかのようにしっくりとくる風景。
 おかしい。
 これほどに馴染むわけがないのだ。自分や自分と縁のある人が作り出している空気の中に、異分子である自分が。
 ――もし、ここが私のいた世界じゃなく、私が勝手に思い描いている景色を写しただけの閉鎖空間なんだとしたら。登場人物のすべてが私の記憶を乱雑に引き出して再構成されただけの人形なんだとしたら。
「私はまだ、都市伝説の手の内にいるんじゃないのか?」
 誰ひとり、太一の言葉に振り向く者はなかった。


 思いついたはいいが、為す術もなく数日を過ごした後、太一は短期出張を言いつかった。
 これが都市伝説の誘いなのであれば乗る以外にない。
 ――もしくは私がおかしくなっているだけなんだとしても、業務命令には従わないといけないしね。
 ため息をついて新幹線に乗り込む。出張先はよく知っているところだし、訪れる機会も多いから、この景色が自分の記憶の再構成なのか本物の景色なのかは判断できない。
 それにしても。今も太一が都市伝説の内に捕らわれているのだとしたら、都市伝説の意図はなんだ?
 彼の内の“悪魔”は、なんらかの悪意をもって彼を放置しているのだろう。が、その悪意の奥に好奇があることも確かだ。そうでなければ彼の記憶をごく一部とはいえ蘇らせたりしないはず。
 ――その上で力を貸さないってことは、自力でどうにかしてみせろってことだよな。
 会社員の松本・太一ではなく。
 魔女たる“夜宵”として。
 ――って、結局女性化、避けられないんじゃないか!
 魔女として力を振るうためには女性化が必須だ。あの日に武彦が言っていたとおり、ウィッチ・マジックとは女という性に根ざした術だから。
 ――それでもやるしかない。少なくとも、確かめてみないと。おかしいのはこの世界なのか私なのか。それがわかったら……対決だ。

 出張先でいつもどおりに仕事を済ませた太一は、馴染みのビジネスホテルへ向かった。まわりの景色や人々には気を払わない。どうせ細かな記憶はないのだ。現実との差異があってもわからないし、違和感を感じてもそれが正しいとは限らない。
 フロントで、以前泊まったことのない部屋を指定。部屋の造りなどは全室いっしょだろうから無意味かもしれないが、まあ、都市伝説に対するちょっとした抵抗と気分転換だ。
 そして部屋に入り、ベッドの上にジャケットとネクタイを投げた。
「見立てと逆説、だったよな。この場合は見立てだけでいいんだから」
 あの日のことを思い出しながら太一はバスルームへ。
「まずは雨」
 水のままのシャワーを、クールビズに見立てたワイシャツとスラックス姿のまま浴びた。体の前側だけを濡らしてあの日を再現し、一旦水を止める。
「次は、シャワー」
 そこから服を脱ぎ、今度は湯を浴びた。その中で太一は自らの内に潜む魔力を高めていく。でも、まだだ。ここで女性化してしまっては見立てが崩れてしまうから、慎重にイメージを定めて。
 太一はあの日の光景を強く脳裏に描きながら体を拭き、余計な情報を遮断すべく目を閉じて、バスタオルを巻いただけの体を一歩、バスルームから踏み出させた――

「またお越しいただいて光栄ですわ」
 目を開くと薄暗い空間にいて、鳳眼の女が薄笑みを浮かべてそこにいた。
「……おかしいのは私ですか? それとも世界?」
 喉からすべりだした声はメゾアルト。
 変えられた少女の体ではない、自らが変じた女の体が綴る、“夜宵”の音。
「ご心配はいりませんわ。お気づきのとおり、おかしなのは世界のほうです」
 女が艶然とうなずいた。
「それにしても、お気づきになられるとは思いませんでした。忠実に再現させていただいたつもりでしたのに」
「知らないはずのものにまで違和感を感じなかった。その違和感が第一でした。それからあの夜の草間さんの態度……結局、完全に再現できるわけではないんですよね? だからこそ私の違和感をごまかす必要があった」
 言の葉に重ねた魔力が“否定”の刃となり、偽りの世界に傷をつける。
 その傷口を何事も無かったかのように塞いでみせ、女はなおも笑む。
「そうですわね。それこそがわたくしに与えられた力であり、有り様ですもの。あなたがたがあなたがたの理に縛られるように、わたくしもまたわたくしの理に縛られている」
 太一の“否定”を“肯定”逸らして、“意味づけ”。太一がそれに納得してしまえば、世界の理が固定される。ゆえに彼はさらに“否定”を重ね。
「理を定義づけるのは個ではありませんよ。世界に存在する数多の命です」
 女は両手を広げ、太一の“否定”を“受容”。そして。
「この世界に在るものはあなた様とわたくしだけ。ですから互いが納得できさえすれば、それすなわち理となりましょう」
 釣られてはいけない。これは“取引”に見せかけた“説得”だ。女は条件付けを狭めながら場の流れを持って行こうというわけか。
「そも、理などというものは、場により、時により、ことごとくその形を変えるものですわ。あなた様が男子と女子との間でその性を行き来させるように」
 女が“実例”を突きつけた。
 だめだ。これを“否定”することはできない。せめてもっと高い魔力があれば、強引にでも女の論を突き崩すことができるのに……
 太一の張った論の魔力が、女の魔力に塗り潰されていく。このままでは都市伝説に飲まれ、それを構成する魔力源の一部として取り込まれる。
 太一は覚悟を決めた。
 未熟な魔女があの都市伝説たる女に対するには、もっと強固な見立てが必要だ。
「……女がブティックに来る理由は、店主と言い合いをするためじゃありませんよね」
 都市伝説の浸蝕を防ぐための“否定”に次いで、“問い”を投げる。ブティックの店主という理を着込んだ都市伝説はもちろんこう答えるよりないはずだ。
「装うため、ですわよね?」
 太一は笑みを作って“肯定”。女の立場を“固定”する。
「見繕っていただけますか? 魔女にふさわしい装いを」

「魔女たるにふさわしいもの――黒」
 女の語りに合わせ、暗がりから無数の手が伸び出してきた。
“拒絶”したがる心を抑え込み、手に身を任せる。バスタオルを外された肌にあてがわれたのは、黒シルクのやわらかなコルセット。すでになまめかしいラインを描く女性体となった太一――いや、夜宵に矯正は不要ということだろう。締めつけるのではなく、ボディラインを際立たせるための装いだ。
「少女ならぬ女を飾る黒は、形もまた女のためにあるべきですわ」
 ガーターベルトを備えた黒のストッキングが、なめらかな夜宵の両脚を包む。レースの中に編み込まれた薔薇が白い肌の上、艶やかに咲いた。
「そのしとやかな腕にも守りの薔薇を」
 ストッキングと同じ黒レースの長手袋が両腕につけられ、さらにはその目元を隠すヴェールが巻きつけられた。
「目は口ほどに物を言うと申します。なればこそ、真意はお隠しになられるべきでしょう」
 数多の手は夜宵を姿見の前へ導いた。
 下着は夜宵の美しさをこの上もなく引き立てていて、彼女は思わず自分の姿から目を逸らしてしまう。そこに浮かんでいるだろう恥じらいはヴェールに隠され、見えはしなかったのだが。
「あなた様を引き立たせているのは下着ではありませんわ。あなた様の内にある男性がより強く女性を意識することで、艶やかさの対極にあるはずの清純を両立させている……このシンメトリーを崩すアシンメトリーをもって、男性にして魔女たるあなた様を表現させていただきましょうか」
 黒シルク地にアシンメトリーとなるよう黒レースを散らし、垂らし、織り込んだロングドレスが与えられた。それが魔女のワンピースをイメージしたものであることは容易に知れる。
 果たして。
「魔女たるにふさわしき装いを整えさせていただきました」
 手が暗がりの奥に消え、女が恭しく頭を垂れた。
 姿見に映るのは、ゴシックに飾られた“魔女”の姿。都市伝説たる女が定めし、夜宵を魔女たらしめる“見立て”。
「ありがとうございます。これで私は“魔女”としてあなたと戦える」
 夜宵が女に指先を突きつけた。
 言の葉の一音一音に魔力があふれ、輝きを放っている。
「女性化することであなたの“変身”は封じました。そしてあなたの“見立て”をもらうことで、魔女としての未熟は埋められた」
“説明”を重ねて論を強化する。正直はったりもいいところなのだが……こちらの思惑はヴェールに隠れて女には見えていない。
「今度こそ戻らせていただきます。私がいた世界に」
 この“宣言”は最後通告だ。今の私なら、都市伝説ごときに惑わされたりしない。この世界を力尽くで壊すこともできる。
「……今日はわたくしの敗北にございますわね。理に縛られし我が身を儚むばかりですわ」
 女は姿見を示して笑んだ。
「鏡に映るが偽りなれば、その向こうにこそ誠がありましょう。どうぞ、お行きくださいませ。そして願わくばまたのお越しをお待ちしておりますわ」
 夜宵は魔力を姿見に叩きつけ、割り砕いた。


 気がつけば、そこは先ほどまでいたホテルの一室だった。
「出張はほんとにあったんだ」
 と、体はまだ元に戻っていないらしい。夜宵はここが都市伝説の世界ではないことを確認し、女に与えられた衣装をひとつひとつ外していった。
「一応、私の力だけで乗り切ったけど……“悪魔”はこれで満足かい?」
 太一の問いに、彼の内の“悪魔”は。
 まずはそれでよかろうよ。魔女としての形を得た、そればかりはな。
 人の悪い笑顔で応えた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8504 / 松本・太一 / 男性 / 48歳 / 会社員/魔女】
【NPCA001 / 草間・武彦 / 男性 / 30歳 / 草間興信所所長、探偵】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 装いは虚にして実。魔女たる一歩を踏み出せしは、彼にとっての幸いなりや?
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年07月18日

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