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『 ひとかけらの意志 』
満月 美華jb6831


 仰向けになると見えるのは、いつになっても表情を変えない部屋の天井だけだ。
 満月 美華がベッドの上に横たえた身体を仰向けから横向きに動かしたのは、その天井を見ていたくなかったからだけではない。
 昔は一度力を入れるだけででくるんと向きを変えられたのに、今や少しずつ、少しずつ何度も力を入れて身体を動かしていかないと、寝方を変えるのさえままならない。
 そう、それは美華の巨大な腹が原因。常軌を逸した大きな胸に大きなお腹、それが美華の行動を阻害するようになってから久しい。仰向けから横向きに体勢を変えたのも、そのほうが楽だからだ。大きな抱きまくらを脚に挟んで胸に抱けば、上になった方の腕が胸を圧迫しないので更に楽。
「はぁ……」
 しかし彼女がついた息は、ため息。楽な体勢になった安堵の息ではない。
 安堵など、できるはずがあろうか。自らの身体が、日に日に肥大化しているというのに。
 今、彼女の身体を蝕んでいるのは、非常に強力な呪いだ。先祖が天魔から受けた『豊穣の呪い』は、子孫である美華をじわじわと苦しめてきた。
 生来の美しさと相反するような現在の肉体は、美華の動きを大幅に制限し、そして自由を奪っている。それでもなお、美華は少し前まで模擬戦闘に積極的に参加し、リハビリを続けていた。撃退士としての勘を失わぬよう、そして呪いに抗ってみせるという心を失わずに生きていたのである。
 だが。
 巨大に膨れ上がった腹では剣を握ることも叶わず、『引退』の二文字が美華の心を襲うようになっていた。


 そして、今。


「……もう、……」
 美華の身体は更に肥大化し、もちろん腹も膨らみ続け、部屋でほぼ寝たきりの生活を送らざるを得なくなっていた。
 時間はかかるが何とか寝返りをうつことや起き上がることはできる――ただしそうとう体力を要する上にベッドが悲鳴を上げるが。
 彼女は呟いた言葉の続きを紡げずにいた。その先を紡いでしまっては、本当にすべてを手放してしまうことになると思ったから。
 今の美華にとっては動くことは、非常に多くの時間と体力を消耗し、身体に負荷をかけること。非常に難儀なこと。
 起き上がるだけでぜーぜーはーはーと浅い呼吸を繰り返し、苦しくて苦しくてすべてを諦めそうになる。
 数歩歩くだけで負担がかかり、身体――特に足腰が悲鳴を上げる。

 けれど、けれども。どうしても。

「んっ……」
 体中に力を入れて、手をベッドについて突っ張るようにしてなんとか上半身を起こす。文字にしてしまえばすぐ済むこの行動に、美華はかなりの時間と体力を掛けなければならない。普通の人には想像すらできないだろう。起き上がるだけでこんなにも疲労困憊するなんて。
 乱れた息を何とか整えて、今度は下半身を動かす。ベッドサイドに腰をかける状態にするまでに、これまた時間と体力を消費した。ベッドはギシリギシリと、まるで美華を責め立てるように鳴く。

 それでも、それでも。

「はぁ……はぁ……」
 大きなお腹を抱えるようにしながら、ベッド近くの壁に手をついてゆっくりと立ち上がる。
(苦しい……苦しい……でも、どうしても、私は……)
 一歩足を踏み出しても、たいして進まない。けれども数を重ねれば、目的の場所へとたどり着くことができた。
(……戦い、た……)
 正面の壁に向かい、手を伸ばす。そこにかけてあるのは、苦楽をともにしてきた愛刀。身体の一部のように馴染んでいたそれをもう一度手にしたい――しかし、肥大化した腹が邪魔で手が届かない。
「ん、んっ……!!」
 どうしても、もう一度手にしたい――けれども。
 美華の手は愛刀へと届かなかった。

 ガシャンッ……。

「あっ……」

 その腹で倒してしまった愛刀を、なんとか拾おうと前かがみになろうとする。だが、それだけでとたんに息苦しくなり、腹を圧迫する体勢だからだと気づく。以前なら、こんな事簡単にできたはずなのに。否、以前なら、愛刀を倒すことすらなかっただろう。
「はあっ……っ……届か、……」
 しゃがんで拾おうと膝を折る。けれどもその体勢を維持するのにもかなりの負荷がかかる――足と腰が痛く、ふらつく。
「あと、少……」
 自らを鼓舞しようと、あと少しだと言葉にしてみる。けれども手は、届かない。それはまるで、美華の望むものすべてに手が届かなくなる――そんな未来を暗示しているようで。
「あっ……!?」

 どすんっ!

 ぷるぷると震えていた足が耐えきれなくなり、美華はその場に尻餅をついた。その勢いで仰向けに倒れ込む。
 ぜー……はー……ぜー……はー……。
 呼吸は乱れ、苦しい苦しいと酸素を求めて喉が動く。暫くの間浅い呼吸を繰り返し、苦しさから逃れようとするのに精一杯だった。
 もの思う余地ができたのは、数分後、ようやく呼吸が落ち着いてからである。
(情けない……)
 まず浮かんできたのは、自分に対する情けない思いだった。かつては握りしめて戦っていた愛刀を、手にとることすらできないなんて。
(この、お腹のせいでっ……!)
 ぽんっ! お腹へと拳を振り下ろす。痛みはあまりない。鈍い衝撃のみが美華に伝わった。
「……、……」
(なんだろう、この思いは……この、行くところのない思い……)
 腹が肥大化したのは美華のせいではない。己のせいであれば、こうなる原因を作ったかつての自分に怒りをぶつけられるのに。
 満月家の血脈であるから、呪いも受け継がれてしまった――とすれば、恨みをぶつける相手は、呪いを受けた先祖?
(先祖って言ったって、顔も人柄も何も知らない――)
 そんな相手に怒りをぶつけても、手応えを感じられるはずもなく。なにもないところにボールを投げ続けるようなものだ。
(……そんなの、虚しいだけ……)
 つ……仰向けになったままの美華の目尻から、雫が流れ落ちる。なにもないところに振り下ろした拳の虚しさが美華の心を埋め尽くそうとしている。
 涙が、はらはら、はらはらとめどなく流れ落ちる。『今の自分』の無力さが、その涙を色づけていた。
(でも、でもっ……)
 こんなにも虚しいのに、それでも一筋だけ、美華の心にあって、決して打ち消されないのは。
(――諦めたくないっ!)
 その思いだけは、どうしてもなくすことはできないでいた。
 虚しさに大部分を覆われてしまうことはあっても、消滅することはなかった。
 だから、美華は強く強く己の拳を握る。
「克服して、みせる……!」
 呟かれた言葉は、小さいけれど語気強く、彼女の決意をの強さを感じさせるものだった。
 そして彼女は、ゆっくりと身体を動かす。
 時間がかかってもいい、自分の力で起き上がってみせよう、と。



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【jb6831/満月 美華/女性/20歳/ルインズブレイド】

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エリュシオン
2017年07月19日

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