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『深淵の縁 』
石井 菊次郎aa0866)&テミスaa0866hero001
 管理者を失い、時の悪意と蟲の欲とに侵蝕されるがまま朽ちゆかんとしている書庫。
 そのところどころに据え付けられたランタンへ今、数十年ぶりに火が灯された。
「趣味というものはせめて、近しい誰かにくらいは公表しておくべきですね。それができていなかったことで、これほど貴重な資料の数々が失われてしまうのですから」
 火が点いたままのロウマッチを床に落として踵で踏みにじり、石井 菊次郎は小さくため息をついた。
「その程度の理性は残っていたということだ。知られればすぐに異端審問官が駆けつけてくるのだからな」
 肩をすくめてみせたのは、彼の契約英雄テミスである。
「我らとて同じだ。すでに踏み入ってしまった以上は」
 この書庫の主だった男は、世界的宗派の敬虔な信徒でありながら異端の神の探求にのめり込んだ異端者。彼が私財を投げ打って集めた書物や手記はすべてが“神”を記したものであり、その内には実際に彼自身が相まみえた異形――愚神の記録も含まれているという。
 たったそれだけの情報を得るために、半年以上の時間を費やした。そしてこの、世界と異世界の狭間に押し込められた書庫への道を拓くために1年かかった。さらに。
「たとえなにを敵に回したとしても、あきらめるわけにはいきません。……見殺しにしてきたのですからね、彼らを」
 異端審問官の手にかかり、情報屋が死んだ。
 菊次郎と同じようにこの書庫を探していた異界の神との会合で、探求者が死んだ。
 書庫への道を塞いでいた愚神との戦いで、菊次郎が雇っていたライヴスリンカーたちもまた死んだ。
 それらの死を置き去り、彼はここにいる。後戻りなどできようはずがないのだ。

「手記を探してください。どうやら年代順や種別で並んでいるわけではないようですから」
 菊次郎の頼みに、テミスはなにも言わずうなずいた。
 それを見送った菊次郎は、埃がべたりとこびりついた文机の上に何冊かの書物を積み上げる。革で装丁されたそれは、書庫の管理者たる男が書き綴った日記だ。
 ページを繰るごとに、男のたどった異界の神――愚神へ迫る足跡が明かされていく。ここに記されたものは、菊次郎が探しているあの愚神の記録ではなかったが。
「神に迫るため、古い魔術にまで手を出している。――世界には多数の愚神による事件が起こっていて、俺たちは日々愚神と対しているというのに。なんとも皮肉なものです」
 ライヴスリンカーの素養がなかったからなのだろうが、男は愚神と会うために多大な金と時間を費やし、秘術にまでものめり込んできた。それでも彼は幸いだったのだろう。彼自身がコレクションしてきた神のすべてはその姿を地上に顕わすことなく、ただ語られ、綴られるばかりの存在だ。しかし愚神は確かに在り、出逢うことができる。
「最後には自らの命を対価に支払ったわけだがな」
 テミスが抱えてきた数冊の手記を机に置き、言った。
「さて。貴公はその望みを叶えるため、なにを支払う?」
 菊次郎はテミスの積んだ手記をめくり、投げ出して立ち上がった。
「すでに支払いはすませましたよ。自分よりも大切だったはずの人の命でね。この上でまだ支払いを求められるなら……喜んでこの命を差し出しましょう」
 サングラスをずらし、その両眼を露わす。
 金で縁取られた紫の瞳、その中心を十字に裂く瞳孔が、灯を受けて細くすぼまった。
 恋人を殺し、この眼を己に植えつけた愚神を探す。そのためにこそ彼は生きている。
「残るはあなたへの支払いということになりますが、テミスさん。俺はなにを差し上げれば?」
 テミスは目をすがめて鼻をひとつ鳴らし。
「すべてが終わった後、苛烈に取り立てるとしよう」
 愚神との決着をつけ、生き延びた菊次郎から取り立てる――意を含めたテミスの言に菊次郎は気づかぬふりで肩をそびやかし、歩き出した。
「これまで確かめたところ、書庫の主は神を象徴する“色”をタイトルに映しているようです。金と紫の文字で装丁された手記を探しましょう」


 かくて探し当てた書物は数十ほどに留まった。
 この中に目当てのものが含まれているかどうかは、男の運に委ねるよりない。

 いくらかは古き神についての探索記と考察であったため、すぐに除外できた。問題は数冊の、切れ切れに書きつけられた手記だ。
「これらは探索記ではないのだな。かといって、考察や伝聞でもありえない」
 テミスが開かれたページを見比べて首を傾げる。それらに書かれた情報は、男が町で出逢った友人とのやりとりであったり、朝食の献立表であったり、数字の羅列であったり……他愛のないものだった。少なくとも、この書庫に残すべきようなものではありえない。だからこそ、悩ましい。
「おかしいことはわかるのですが、なにがおかしいのかがわからない。おかしいのが内容ではないのだろうことは感じられるのですが」
 時系列に沿うと思しき順に、手記を並べてみた。朝起きてワインとパンで朝食を取り、町へ出かけて友人と話し、ご婦人とダンスをひとしきり踊って夜を明かし、最後は部屋の中央へ戻って夢を見る。おそらくはなんでもない1日を綴っただけの記録。
「細切れに書かなければならない内容とはとても思えん。余った日記に別の日の出来事を書き殴っただけのものではないのか?」
「この手記はつい最近書かれたものです。湿気にもカビにも侵されていませんし、なによりインクの色が鮮やかですからね。死を遂げる直前に、なんらかの理由をもってこのような形で書き残したのでしょう」
 問うテミスへ、数字が羅列されただけの手記を見やりながら菊次郎が応える。
 男はごく最近になって不審死を遂げるまで、この書庫の秘密を守り通した。彼だけに知れる法則なり暗号なりを仕込んでいたとしてもおかしくないのだが。
 思い悩む菊次郎の背後で、テミスがふと。
「どの手記にも神のことが綴られているのに、これらには神のことがなにひとつ記されていないのだな」
「管理者が集めてきた禁書には魔術書などもありますからね。すべてが神についてのものというわけでは」
 菊次郎の脳裏に紫電がはしる。
 魔術。
 そうだ。男は神と会うため、触れることを禁じられた古い魔術に手を染めていた。
 その術には神と会う――神を呼び出すための知識が――大がかりな魔法陣を形成し、起動させる儀式についてのものも含まれるはず。
「テミスさん、この手記があった位置を憶えていますか?」
「いや、憶えてはいないが、またなにかを探すとき二度手間にならぬよう、印はつけておいた」
「その場所をたどりましょう。おそらくはこの数字の羅列が、場所と引き合う鍵になっています!」

 細切れの手記が収められていた場所を数字に当てはめていく。場所の高さ、場所同士の高さ、場所の深さ等々、実に詳細なデータが記されていたことに気づかされた。
「しかし。これで魔法陣を描いたところで、愚神が呼べるのでしょうか?」
「それを呼び出しの手続きと定めているならば。まあ、実際に書きつける必要はあるまい。明確にイメージができるなら」
「だとすれば、儀式を試すだけの価値はありますね」
 菊次郎は自らの腕に歯を突き立て、血肉を噛みちぎった。敬虔な信徒だった男が記したワインとパンは、すなわち血と肉。どちらも儀式の際に使われる代用品だ。
 ぞくり。最初のくだりが書かれた手記のあった場所に血肉が捧げられた瞬間、空気が冷えた。
「次の手記があった場所で、語らいを」
 傷ついた腕をそのままに、菊次郎が歩き出す。
 ――きっとこの書庫の管理人も、貴公と同じ顔をしていたのだろうよ。
 テミスは胸中でうそぶき、菊次郎の後を追った。

 半ば棒読みで会話し、さらに場所を移して慣れないステップを踏んだ。
 そして魔法陣が示す中心部へ立った菊次郎が背中越し、テミスへ声音を投げた。
「書庫の中央が魔法陣の中央になっています。ここで夢を見る……目を閉じて愚神を呼べば、再会できる」
 テミスが指を伸べ、菊次郎の肩を捕らえて自らのほうへ振り向かせ。
「……主よ、儀式が呼ぶ神はあの愚神とは限らぬのだぞ? そもそも貴公は件の愚神と対し、なにができると思っているのだ?」
 彼女はさらに菊次郎へ迫り。
「貴公は確かに深淵を垣間見た。ただしそれは深淵の奥底ならぬ、縁に過ぎぬよ」
 無機質な金瞳が菊次郎の異形なる紫瞳を見る。
「“存在”など儚きものだ。在るか無きかなど、しょせんは表裏に過ぎぬ。貴公には確信があるのか? 深淵に墜とされてなお、自らを裏返らせずに表で在り続けさせられると」
 人ならぬ彼女が語る死とは消滅ではない。消滅すらゆるされず、墜ち続けるばかりのものに成り果てる永劫を指していた。
 彼女は知っているのだ。人が神と相対することは、すなわち魂の有り様を問うことに他ならないことを。
「それでも支払ってもらうぞ、我に贖いを。主が愚神を呼ぶように、我もまた主に呼ばれ来たのだから」
 先ほどの話を蒸し返すようなテミスの言葉。それは菊次郎の愚行を諫めるものであったのだろうが。
「独りで墜ちていかずにすむなら、永劫もそれほど退屈しなくてすみそうですね」
 テミスの肩がかすかに跳ね、静かに落ちた。
「……少なくとも種が尽きるまでは文句をつけ続けてやる」

 今や冬のただ中へ放り出されたかのような冷気に侵された書庫の中心で、菊次郎は目を閉ざす。傍らにテミスがいなければ、身も心も凍えていたことだろう。
 ――俺はここにいます。あなたを見つけるために充分な代償を支払ってきましたし、できる限りの上乗せもしましょう。だから、逢いに来てくれますよね。
 ……。
 ……。
 ……。
「主、これを」
 テミスが菊次郎の胸になにかを置いた。
 目を開けて、それを確かめる。
 数字が羅列されていた手記の最後のページに、男のものとはちがう筆跡で文字が書きつけられていた。
「たった今、浮かび上がってきたものだ」

 おめでとうぎざいます! あなたは見事に謎を解き、このゲームの第一章をクリアしました。引き続き第二章への挑戦をお待ちしています。

「第一章、ですか」
 人の命をいくつも奪ったこの一件は、あの愚神にとってゲームのギミックに過ぎなかったということだ。
 息をついた菊次郎にテミスが声音を投げる。
「奴がゲームをしているつもりなら、そこには確たる法則があるはずだ。我らは学ばねばならぬ。法則と必勝法を」
 菊次郎は苦い顔で立ち上がった。
「ゆるされる限りのトライアンドエラーを繰り返すしかないですね。次を試しに行きましょう、テミスさん」
 テミスは「貴公」ならぬ「我ら」と語り、菊次郎は「試しに行きます」ならず「試しに行きましょう」と告げた。
 共に同じ道を行き、あるいは共に深淵へ飲まれることは決定事項。
 菊次郎とテミスは並び立ち、朽ちゆく書庫を後にした。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【石井 菊次郎(aa0866) / 男性 / 25歳 / 死者と生者をつなぐ】
【テミス(aa0866hero001) / 女性 / 18歳 / 知者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 縁は人を縛り、深淵へと引き寄せしもの。しかしながら其を止め、引き戻せしものもまた縁なれば。
 
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2017年07月31日

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