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『宵の浜辺 』
千影・ー3689


 深夜の浜辺と言うのは、どことなく恐ろしい。
 真っ黒な海から聞こえるさざ波が、まるで自分を飲み込んでいくようだとも思えた。
『グルルル……』
 自分の傍で、唸る声が聞こえた。
「なんだよ、お前がいる限り俺はどうにもならねぇだろ」
 砂浜に立っていた男が、浅く笑いながらそう言った。
 それは、先程の唸り声に答える響きであった。
「ナギちゃん!」
 暫くその閑静が続くのかと思っていたところで、聞き慣れた可憐な声が背中に飛んできた。
 ナギと呼ばれた男が振り向く前に、ふわりとした温もりが首と肩口に触れる。
「こんばんは〜ナギちゃん!」
「ん、こんばんは。……良くこんな暗がりの中、見つけられたな」
「ナギちゃんの髪がね、お月さまの光に反射してキラキラするのよ」
 可憐な声の主が、得意気にそう言う。
 彼女は元々、感覚の鋭い獣だ。月の光があろうとなかろうと、ナギを見つけることは容易かったのだろう。
 普段は漆黒の毛並みを誇る獅子、今は可愛い少女の姿の千影である。
「ワンちゃんも、こんばんはなんだよ〜!」
『…………』
 身の丈ほどもある黒い影が、ナギの隣に佇んでいた。普段は彼の体の中に棲みつく影狼である。真っ黒な姿のために黒狼などと呼ばれてもいるが、その実の正体には謎が多かった。
 ナギに飼い慣らされているわけではなく、強い意志は常に感じられる。
 いつでも喰えるぞと言わんばかりのオーラであったが、千影にはいつもそれが通用しなかった。
 影狼にもそれが分かっているのが、チラリと視線を動かしただけで唸ることもしない。
「あのね、今日はワンちゃんにお土産があるんだよ」
「おい、千影……」
 千影はいつもの感覚で一歩を狼に進めようとする。
 それを腕一本で制したのはナギであった。だがそれでも、千影は首を傾げるだけで物怖じすらしていない。
「ナギちゃん」
「解ってるだろ、こいつがただの狼じゃねぇってことくらい」
「うん、でも……チカはワンちゃんとお友達になりたいの」
 千影はナギの腕にそっと手を置き、ふわりと微笑んでみせた。
 ある程度のことを解っていての行動。それはやはり千影の本来の強さから来るものなのか。それはナギにも分からなかったが、こうなると彼女の説得は難しいということだけは理解しているので、それ以上は何も言わなかった。
「……千影に手ェ出すなよ」
 ナギが狼に向かってそう言う。
 すると狼はフンと鼻で笑った後、ふい、と顔を背けつつその場に座り込んだ。
 それは千影に好きにすると良いと告げているかのようであった。
「えへへ、ワンちゃんありがとう。あのね、これ、ワンちゃん用のブラシだよ」
 千影は嬉しそうに懐から桐箱を取り出し、それを開けてみせた。中にはブラシが入ってる。
 どうやら、狼のブラッシングを行う気のようだ。
「ふふふ、これね、豊川の荼吉尼ちゃんオススメのブラシなんだよ〜。チカもこれでね、毎日主様にブラッシングしてもらってるの」
 彼女はそう言いながらブラシを片手に、狼の毛並みを整え始めた。
 豊川の荼枳尼といえば、稲荷信仰の寺院を指す。本院は愛知だが、東京にも別院が存在するのをナギも知っている。鎮守として祀られているのが荼枳尼天であり、それをちゃん付けで呼んでいる辺り、千影の『お友達』の一人なのだろうと思った。
 それ以前に、狼が大人しく彼女の行為を受け入れている事自体が、驚きの光景であった。
 おそらく、自分以外で此処までこの存在に近づけるのは千影だけだろうとも思う。
 見た目だけの狼ではない。彼は所謂バケモノと同類にあたる。
 だがそれは、自分自身にも、そして千影にも当てはまるものでもあった。
「……ワンちゃんは、偉いんだねぇ。ちゃんと自分のコントロール、出来てるもんね」
 千影がブラシを動かしつつ、そんな事を言い出した。
 狼はそれに片耳を動かしたが、相変わらず顔を背けたままであった。
「あのね、チカはたまにね、この世界を壊したくなっちゃう時があるの」
 千影の次の言葉は、衝撃的なものであった。
 思わず、狼もナギも、瞠目する。
「……主様がね、傷つけられちゃうと、ココロが真っ黒になっちゃうの。それで、自分が抑えられなくなっちゃって、この街ごと、この世界ごと全部、壊れちゃえって思っちゃうの」
 千影はゆっくり、言葉を繋げた。
 ブラッシングする手は、きちんと動かしたままだ。
 千影の獣である本能という部分。それを曝け出され、狼は少しだけ戸惑っているようであった。
 一方のナギは、僅かに俯き、銀の前髪で表情を隠してしまう。
 ソウルイーターである千影には、おそらく抱えられないほどの感情もあるのだろう。数え切れないほどの魂を喰らい、浄化してきた。その間、彼女は決して平気ではなかったはずなのだ。そんな彼女をある意味『生かして』いるのは主である少年で、少年と千影の絆の深さは一言では語りきれないものであった。
 ザァ、と、足元で波が音を立てる。
『……クゥ』
 狼が顔を上げて、千影を見た。
 すると彼女は、にこりと微笑んでくれる。
 異形であるはずの存在に、ここまで歩み寄ってくれるモノなど、今までいなかった。
 だが彼女は、自分と似ている。――そんな風に、思ったのかもしれない。
 恐れも抱かず、吠えても唸ってもビクともしない。そんな存在など、どこにも居るはずもないのに。
「きゃっ」
 千影がそんな小さな声を上げた。
 それに驚き顔を上げたナギが見たものは、またもや予想にもしない光景であった。
 狼が千影の頬を舐めたのだ。
「ワンちゃん……」
 千影も一瞬、きょとん、としていた。
 だが直後にそれが満面の笑顔に変わり、彼女は嬉しそうに狼に抱きついた。
『グルルル……ッ』
 狼はそこで一度唸ってみせた。だがそれは、本気の唸りではないような気がして、見ていたナギも口は出さなかった。
『…………』
 狼は千影が怖がらないのを確認して、小さなため息を吐いた後、自らナギの体の中に戻っていった。その後はいつもどおりで、ナギの右頬から首にかけて、トライバル柄の痣が浮かび上がる。
「ワンちゃん、怒っちゃったのかな?」
「……んー、あれは照れ隠しってヤツだな。千影、お前やっぱりすげぇよ」
「そうなの?」
 ナギの言葉に、千影は首を傾げるばかりだ。
 どこまでも自然体で物事にあたる彼女の姿勢は、長年を知ってるナギですらも感心させられる。
 影狼とナギは決して良い関係を持っているわけでもない。
 狼はナギを喰らうために存在しているし、ナギはそれに抗いつつも共生を続けている最中だ。
「……ナギちゃん」
「ん?」
「ナギちゃんとワンちゃんは、ずっとこのままなの?」
「あー……」
 核心を突く質問に、ナギは苦笑した。
 だがしかし、黙ったままでいるわけにもいかない。それは彼にも分かっているのだ。
「……もう、何年経ったかな。俺と『アイツ』が追ってる事件があった。潜入調査まで行った先が、罠だった。そこに仕掛けられてたのがこの影狼で、最初に喰われたのがアイツだったんだ」
「え……」
 ナギの言う『アイツ』は、千影もよく知る人物であった。
 語学留学の為に海外にいる、と言っていたのはナギであったはずだ。
「ナギちゃん……」
「あ、いや。アイツは本当に今は海外にいるぜ? ……まぁ、留学ってのは嘘だけどな」
「どういうこと?」
「上司の実家に匿ってもらってんだ。意識も無ぇままだしな。――つまりは、俺が、アイツの代わりになった」
 千影の顔色が変わった。
 ナギはそれを見て、また苦笑する。
「……お前は動揺するだろうなって思ってた。だから話すタイミングを探ってるうちに……言い出せなくなってた。分かるだろ? アイツはただの人間で、俺は獣のバケモノだ。まぁそれが幸いして、上半身喰われたところで、コイツが俺の不味さに気がついた。だから、共生してる」
 ナギの口から語られる真実を、千影はどのような気持ちで受け止めているのだろうか。
 同じ獣同士、分かり合えるとは思っている。だがそれでも、全ての理解は難しいのでは無いかとナギは思った。
「ナギちゃん、どこにも行かないよね?」
「約束したろ」
「じゃあ、チカがナギちゃんを助けてあげる」
「千影……」
 ペリドットのような瞳が、ルビーの瞳を捉えてそう言った。強い眼力は、元の姿から来るものなのかは解らない。だがナギは、いつもこの瞳に惹きつけられていた。
「……じゃあちょいと頼っちまおうかなぁ。でも、今日はもうオシマイな? コイツ寝てるしさ」
「そうなの?」
「だから、二人だけの散歩しようぜ」
「……うん!」
 ナギが千影の手を握ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。それを見て、ナギは少しだけ安堵した。
 誤魔化してしまった、という意識はある。だが、千影にも主という存在があり、それは絶対的である。彼女の助力を得るということは、主の協力も同様に得なくてはならないのだ。
 だがそれは、今のところは保留という形にするしか無い。
 ナギの抱えた問題は、今すぐどうこう出来るものでもないからだ。
 そしてそれは、千影もよく理解していた。
「夜の海って、吸い込まれちゃいそうだよね」
「そうだなぁ」
 砂浜をゆっくりと歩き始め、二人はそんな会話をする。
 しっかり互いの手のひらを重ねて、温もりを確かめ合いながら。
 今日はまだ、今はまだ、と心で小さく呟きつつ、二人はその先も暫く砂浜を歩き続けていた。




━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3689 : 千影 : 女性 : 14歳 : Zodiac Beast】
【NPC5484 : ナギ : 男性 : 300歳 : サイバー課特捜員/何でも屋】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 いつもありがとうございます。そろそろ頃合いかなと思い、今回少しだけナギの過去を明かしてみました。
 それ故に少しだけ暗い展開になってしまいましたが、千影さんの存在にナギはいつでも助けられています。
 少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
 またよろしくお願いいたします。
東京怪談ノベル(シングル) -
涼月青 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年08月04日

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