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『 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)
「魔法具の鑑定?」
 書斎のプレジデントチェアに体を預け、古風な電話機の受話器を耳へあてがったシリューナ・リュクテイアが眉根をひそめた。
『そうそう。ぜひ、ともっ! シリューナ姐さんにお願いしたいなーって』
 電話の相手は魔族を自称する少女。本当に魔族かどうかは知れないが、彼女には魔族を名乗るだけの魔力と魔術がある。だから――
「鑑定ならあなたでもできるでしょう? わざわざ私に頼む理由はなに?」
 言わずもがな、シリューナは異界の竜にして強大な魔法使いである。魔族の手に余る代物であれ、彼女ならどうにでもできるだろう。
 が。魔法具とはそこに込められた魔力の多寡のみならず、美術品としての完成度が問われるものでもあるのだ。それを好事家と名高いシリューナに、同じ嗜好を持つ少女がおいそれと見せたがるものか。少女の意図がわからない。
『あははー。いろんな理由考えたんだけど、ウソはすぐばれるよねー。ってことで正直に言っちゃうけどさ』
 少女はにひひと笑みを漏らし、そして。
『鑑定だけじゃすまない謎があるんだなぁ』
 シリューナはひそめた眉根を跳ねさせた。一旦受話器を自分から遠ざけて気持ちと声音とを整え、努めて低い声で。
「そう言われたら見てみたくなるわね。いいわ。持ってきて」


「本、ですか?」
 シリューナと客のため、アフタヌーンティーセットを運んできたファルス・ティレイラがコゼーをかけたティーポットと砂時計とを手に小首を傾げた。
「ええ、魔法書でできているのはまちがいないわね」
 プレジデントデスクの真ん中に置かれたそれは、革の装丁がかけられた“貝”だった。
 表面にはていねいに皺が寄せられ、端の部分には棘が幾重にも突き出している。
「真珠が取れるので有名なアコヤ貝だね。いや、びっくりしたよ! だって魔法書だーって思ってたのが、いきなり貝になってるんだからさ!」
 白一色のゴシックロリータファッションに身を包んだ少女は「にひひ」。表紙と裏表紙が変じた貝殻を上下に開いた。
「真珠、ありませんけど」
 横からのぞきこんだティレイラが唇を尖らせる。
 貝の内は空洞で、貝殻の裏側にびっしりと細かな文字が書きつけられているばかりである。
「ここから読める内容からじゃ、書が貝になった理由はわからないわね」
 ティレイラの傾いた手からティーポットを救い出しつつ、シリューナが言った。
「うん。あたしもまだ中身読む前だったからねぇ。失敗したよ」
 シリューナの淹れたオレンジペコをひとすすりしてカップを置き、少女はソファから立ち上がった。
「でね。中に入ってみてもらえないかなって思うんだ。この書がなんなのか確認したいんだけど、僕はちょっと冒険向きじゃないからさ」
 魔族だからというわけではなかろうが、少女は呪術特化型で、魔法を発動させるまでに時間がかかる。突発的な危険などに即応するのは難しいだろう。
「書の知識は共有させてもらうわよ? あと、私はいざとなったとき書よりも自分の安全を優先する。それでかまわないかしら?」
「もちろん。僕も外からなにかサポートできないか試してみるよ」


「うわー! お姉様、海岸ですよ海岸! 文字だらけですけど」
 さんさんと照りつける日ざしをかいくぐるようにティレイラは文字の砂を踏み越え、波を手にすくう。それもまた海水ならず、文字だ。
「あ、でもしょっぱい!」
 文字をなめてみたティレイラがそれをばらりとこぼし落とした。
「少しいやな予感はしていたのよね……」
 古めかしい魔法言語で「強い夏の日ざし」とかきつけられた日ざしを掌で遮り、シリューナがため息をつく。
「? どういうことです?」
「書の中に入る前、ティレも貝殻の裏の文章を読んだでしょう?」
 ティレイラはうぐぅと言葉を詰め、上目づかい。
「私、ちょっとまだ魔法語の勉強、できてなくて……実は読むの後まわしにしてたり」
 一応、ティレイラは魔法使いたるシリューナの弟子である。とはいえ弟子の不出来を嘆いていては切りがないこと、シリューナはすでに思い知っていて……だから責めることはせず、ただ「試験が必要かしらね」とつぶやいた。
「し、試験、ですか? それ、落ちちゃったら私、お姉様の弟子、クビになっちゃったり……?」
「それは後で考えるわ」
「生殺しですかっ!?」
「そんなことより。さっき言った文章のことだけれど、あれ、夏の海のすばらしさを説くだけの内容だったのよ」
「そんなことじゃないんですけど……って、この貝、魔法書なんですよね?」
 ティレイラがあらためて波をすくいあげた。
「えっと。さ、サファ、イアぶるーの、あ、おい、う、う、うみ。なめら、かな、シルクを、おも、思わせ、る、ナミ」
 必死で読み解いてみせるティレイラを生暖かい目で見やっていたシリューナは、ふと歩き出した。
「お姉様!? 今私、結構ちゃんと読めてましたよね!」
「試験、受かるといいわね。――そんなことより解読よ。この書が著者の“夏の一幕”を再現するだけのものには思えないのよ。それにしては大がかりすぎるもの」
「そんなことじゃないんですけどー!? お姉様、待っ」

 海岸はそれほどの広さではなく、5分も歩けば端から端まで歩き渡れる程度。
 どこまでも続く、雲ひとつない青い空――そう書かれたとおりに空は広い(ことになっている)のだが。
「他愛のない閉鎖空間ね。ますます著者の意図がわからない」
 日ざしは強いが肌を焼くことなく、海は塩辛いが体を濡らすことなく、砂もさらさらと足に心地よかったが、それだけのこと。そしてなにより。
「カニさんもお魚さんもいないです……」
 そう。生物がいない。
 著者が生物を嫌っているか、単純に再現を怠った可能性もあるのだが、ここまで夏の景色を作り込む気力の持ち主だ。少なくとも登場くらいはさせるはずだろう。
「生き物がいない意味があるのだと思う。その理由が書かれたページもあるはずなのだけれど……」
 と。
 シリューナの長い黒髪を風が梳いた。
「きゃー」
 ティレイラが風に吹き上げられそうになったスカートの裾を押さえ、両脚をぱたぱた騒がせる。
 この風に文字は含まれていない。しかも、限りなく続いていることになっている閉鎖世界にいや増す、この閉塞感は――
「書が閉じる!?」
 シリューナは外へ繋げてある通話線に魔力を流し、外で待っている少女へ問うた。
「なにかあったの?」

「いやー、なんにもないよ。書っていうか、貝が閉じるだけ。あ、僕のせいじゃないよ。元からそういうふうにできてるんだ」
 少女は通話線を断ち斬り、静かに閉じていく書の表紙をながめてほくそ笑んだ。
 ウソはばれる。でも、ウソのまわりをいくつもの真実で固めれば、ばれにくくすることはできるのだ。
「鑑定だけじゃわからない謎があるのはほんと。僕が冒険向きじゃないのもほんと。この書がなんなのか確認してほしかったのもほんと。僕はこの書を読んでない、それだけがウソさ」
 この魔法書は、貝殻の内に著者が忘れがたい夏の情景を再現するものだ。その情景は、彼が妻に初めて指輪を贈ったそのときを切り取ったもの。そして彼が、妻へ毎年ひとつずつ思い出を贈るために書いたもの。

「ティレ、急いで外へ! あの子、この書がなにかを知っているわ。その上で私たちをここへ閉じ込めようとしている――どうしようもない目的のために」
「あ、は、はい!」
 シリューナ同様、ティレイラも異界の竜である。
 その本性を解放し、ティレイラは背から竜翼を拡げた。
「お姉様は!?」
「本が閉じるのを遅らせられるかを試すわ。初めて見る術式だからどこまで対抗できるかわからないけれど……あなたが外へ出られればどうにでもなる」
 複雑な術式を編んでは迫り来る空へ放つシリューナから視線をもぎ離し、ティレイラは飛んだ。
 途端に翼へ重い潮風がまとわりつく。いや、潮風ではない。魔法書に込められた魔力だ。
「こんなもの――っ!」
 翼に炎をまとわせて魔力の潮を焼き払い、ティレイラは速度を上げた。
 どこまでも続いている。そう書かれているだけのはずの青空はまさに果てしなく、ティレイラが目ざす出口を地平の彼方へ押しやってしまう。
 ――お姉様が支えてくれてる間になんとか外へ出なくちゃ!
 しかし。
 翼の炎が、さらさらと下へこぼれ落ちていく。
 書の魔力に侵蝕され、塩に変えられているのだ。
「お姉様に任せられたんだから! 応えなきゃ、いけないんだからーっ!!」
 体を押し包む魔力を振り落としたくて、大きく翼をはためかせる。
 その翼が、たまらなく重い。
 知らぬうちに取り付かれていたのだ。飛ぶことに必死で確認を怠っていたことを後悔するが、まさに後の祭り。
 ――でもまだ飛べる! 絶対出口まで、たどりつく!
 羽ばたく。羽ばたく。羽ばたく。でも、羽ばたくごとに重さは増していき……ティレイラは自分の翼の先が白く彩づいていることに気づいた。七色の光沢を帯びたこの白は。
「真珠?」
 あれほど高く、遠く飛んだはずなのに、先ほど後にしたはずの白い海岸がどんどん迫ってきて。
「お姉様」
 ざくり。つま先を砂に埋めたティレイラは、羽ばたきを映した真珠像と化した。


「あ、完成したみたいだね」
 書の貝が口を開けていくのを見やり、少女は口の端を吊り上げた。
 この魔法書は、内に取り込んだものを魔法真珠と化す力を有している。押し花を作る要領で生み出される魔法真珠は、著者が妻へ贈るあの日の思い出と新たな宝石だ。問題は真珠の粒をそのまま精製することができず、生物の生命力を必要とすること。そして精製した真珠は書の内に取りに行かなければならないこと。
「だからって夏の海を作っちゃうんだもん。男はほんと、ロマンティストだねぇ」
 内に生物がいないのは、真珠を見つけやすくするためだ。著者は後書きでそのことをとても悔いていたが、少女にとってはどうでもいいことでしかない。
「姐さん、元に戻ったら怒るだろうなぁ。おしおきされちゃうかな? されちゃうだろうねぇ。僕が真珠にされちゃう? それとももっとこう、価値のない鉛像にされちゃったりして!」
 どうしよう、わくわくが止まらない。
 少女は自他ともに認める好事家だ。数多くの魔法具や美術品を手元に集め、愛でてきた。
 しかし。ただひとつだけ、経験していないことがある。
 それは自らが美術品となり、好事家に愛でられること。
 ――姐さんなら、僕をすさまじくいたぶって、どこまでも辱めて、たまらなく愛でてくれる。僕はどんなオブジェにされるんだろうね?
 ただひとつ残念なのは、自分が愛でられる様を鑑賞できないことだが。
「ま、それは姐さんとファルちゃんを愛でてからゆっくり悔やめばいいさ」
 大きく口を開きいた貝の内に、少女が勢いよくダイブした。


「って、なんで姐さん無事なのかな?」
 豊かな胸を押し上げるように腕を組んで仁王立つシリューナに、少女はもっともな質問を投げかけた。
「貝の口を押さえるより、私自身の安全を優先するほうが現実的だったからよ」
「まさか最初っからファルちゃん逃す気、なかった?」
 シリューナは答えず、薄笑みを返した。
 あのときティレイラにかけたシリューナの言葉――本が閉じるのを遅らせられるか試すと言ったのはウソ。初めて見る術式にどこまで対抗できるかわからないと言ったのもウソ。ティレイラが外へ出られればどうにでもなると言ったのも、ウソ。
「全部ウソだったのに、なんで僕は気づかなかったのかなぁ」
「簡単なことよ」
 シリューナの魔法が少女を侵す。書の術式を彼女に扱いやすいようアレンジしたそれは、速やかに少女を魔法真珠に変えていく。
「ティレのことを誰よりも大切に思っているから。あの子を守るためなら、私はいくらでも本気で嘘をつける。それだけのことよ」
 ああ。
 これは僕がどんなに高価なオブジェになったところで、意味ないね。
 少女の苦笑はなめらかな白で覆い尽くされ、固められた。

 偽りの太陽の下、シリューナは偽りの砂に立つティレイラの真珠像の前に立つ。
 この、すべてが偽りの世界の中で、ティレイラの輝きだけが真の美しさを映していた。
「冷たいだけの石とは手触りがちがう……」
 触れた指に、ティレイラがしっとりと吸いつく。
 真珠は貝の殻を織り成す分泌物を素とする。貝殻の内で精製される貝殻なのだ。
 耳を寄せると、ティレイラを通じてこの世界に込められた音が聞こえた。限りない愛と慈しみを封じ込めた一瞬が、終わることなく寄せては返し、返しては寄せて。
「著者は愛していたのね。このときを共に過ごした誰かのことを」
 お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅぅぅ!!
 と、ティレイラの怒声が聞こえてきたのは気のせいだろうか?
「どちらでもいいわね。もうしばらく、この情景を楽しみましょう。ふたりでいっしょに」
 シリューナは艶やかに笑み、ティレイラの耳へそっと口づけた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【シリューナ・リュクテイア(3785) / 女性 / 212歳 / 魔法薬屋】
【ファルス・ティレイラ(3733) / 女性 / 15歳 / 配達屋さん(なんでも屋さん)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 貝がひと粒の真珠を抱くがごとく、紫竜は偽りの内に唯一の愛を抱く。
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東京怪談
2017年08月07日

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