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『挽歌 』
骸香ka6223
 クリムゾンウェストの片隅にある小さな村。
 住民のすべてが鬼であるこの村は、他人種には思い描けないであろうほど穏やかな日々を営んでいた。
 ただひとつの代償――“贄”の献身によって。

 最初は他愛のない言いがかりだった。
「許しを得ることなく山へ立ち入ったな?」
 唐突に問われた骸香は、眉根を跳ね上げてかぶりを振った。
 歌いたくなったときは誰もいない場所を探してうろつくこともあるが、一度たりとも村の禁を犯したことはない。
 そもそもの気質ではあるのだが、骸香は他人に興味が持てないところがあった。逆に、これと見込んだものには過ぎるほどの愛着を抱いてしまうところもだ。が、人との距離は遠すぎても近すぎてもうまく行かないのだということを、彼女は思い知ってきた。ゆえに礼儀と掟だけは注意して守っている。
 問うた男は鼻をひとつ鳴らし、立ち去った。
 なんだろ、あれ。
 このときの骸香は首を傾げ、その背を見送るよりなかったのだ。
 それは、なにが始まったのかさえ知れていれば……今でもそう思わずにいられない、「あのとき」の始まりであった。

 夜な夜な村を抜け出している。
 山の害獣を手なずけている。
 懐に村への呪いを綴った札を隠したのを見た。
 村のそこここでささやかれる、骸香への中傷。
 いったい誰が、なぜこんな根も葉もない噂を広めているのか? しかし骸香にそれを確かめる術はない。気づけば村の者たちはすべて彼女の噂をささやく側に立っていたからだ。
 孤立。しかし骸香は気にすることなく、肩をすくめて彼らから遠ざかる。疎まれているなら離れればいい。気を遣わずに済むのは、こちらとしても好都合だ。
 村を抜けて、いつもの場所へ腰を落ち着ける。踏み入ることを禁じられた山に近いこともあり、ここならば誰にも見られる心配はない。
 今年は気候が悪く、食料が足りていない。本当なら骸香も獣を狩るなりして村に貢献するべきなのだろうが……下手に獣など持ち帰ればまた山に入ったと責められる。代わりに負担とならぬよう食を減らしているせいで、最近は肋が浮いてきた。
 これ以上痩せたら声が出なくなるかな。
 音の響きは体格に大きく左右される。肉を潤す水気が減れば、それだけ歌から艶を減じることとなるのだ。
 せめて、うちの声がうちの思うように出せる間くらいは――
 骸香は歌う。
 村を忘れ、中傷を忘れ、時を忘れ、高く、低く、思うがまま音を紡ぐ。
 そして。
 押し寄せた村の者たちに捕らわれ、縄を打たれて長の前に突き出されたのだ。


「おまえの呪歌により、家畜が3匹死んだ。申し開きはあるか?」
「うちは――そんな」
「ずいぶんと痩せたな。強力な呪いは使えば命を削られるは道理。村のため、これ以上おまえにやらせてはおけぬよ」
 長は細めた眼で膝をつかされた骸香を見下ろし、顎をしゃくった。
「広場にくくれ。村の者の眼と手がいつでも届くように」
 うちは呪いなんか――言葉を発する前に、骸香の口は轡で塞がれた。
 さすがに気づいた。長もまわりの誰も、骸香の申し開きなど聞く気はないのだと。
 村の中央の広場へ引きずり出された骸香は木に縛りつけられ、そして村の者たちに迎えられた。
 男らが、手にした石を骸香に投げつける。
 子らがすりこぎや杖を握って骸香へ向かう。
 さんざんに撃たれ、打たれた骸香へ、女らは尖った爪先を突き立てて肌を裂き、くつくつ嗤った。
 悲鳴が轡に押しとどめられて骸香の息を奪う。
 胃の中が空だったのは、この場合幸いだったのかどうか。意識を失うことすらできぬまま骸香は音なき声をあげ、ついには声をあげる力すらも失くしてうなだれた。
「今日はこれくらいにしておけ。殺してしまっては“終わる”からな」
 いったいなにが終わる?
 問いの答えを得られぬまま、骸香は意識を失った。
 暗転。

 あれから幾日が過ぎたものか。
 轡の隙間から強引に、骸香の口へとねじこまれる管。胃の内に直接流し込まれる粥は少量にとどめられていて、吐き出すことすらもかなわなかった。
 少しでも長く骸香は生かされなければならないのだ。不作で苛立つ村の者の鬱積を晴らす“贄”として。
 苦境の中で団結を生むもっとも容易い方法は、共通の敵を見いだすことだ。が、今はそれなりに世情が安定しており、外敵と呼べるものはない。だから作ったのだ――村の内に敵を。失われても惜しまれることない、骸香という贄を。
 それを悟ってなお、骸香は抵抗を続けた。
 いわれのない罪で殺されるならせめて、村の和のためにこそ死ねと強いられたかった。どれほど浮いていたのだとしても、骸香はこの村のひとりであったと、そう思うから。
「すべての罪を認め、頭を垂れさえすれば……楽に終えられるやもしれんぞ?」
 骸香は轡に絞り上げられた唇を歪めて嗤う。
 うちが認めたって殺さないくせに。はけ口がなくなって困るのはそっちなんだから。
 しかし。
 骸香の呪いを封じたはずの村の食料事情はさらに深刻化し。
 村の者たちは長へと詰め寄った。あの咎者に断罪を……!
 長は息をつき、うなずいた。
 眼前に迫った問題に今こそ立ち向かわなければ。そのためにひとつ、区切りをつけておかなければなるまい。


 磔にされた骸香は、足元に積み上げられていく薪を無感情に見下ろした。
 手早く済ませたいのか、薪はすべて細く割られ、獣脂がまぶされている。厄払いにしても、これだけの手間と資源を浪費していただけるとはなんとも光栄なことだ。
「骸香よ、なにか言い残しておくことはないか?」
 轡を噛ませるどころか口の中に布まで詰めておいてよく訊ける。
 結局、あらぬ咎を抱えて逝くことになった。
 なのに。不思議なほど恨む気持ちは沸いてこなかった。とはいえ慈愛に目覚めたわけではない。心が枯れているからだ。
「この者の呪と咎とを浄化する。さすれば少しずつ事態もよい方へ転じよう。皆の力をひとつに合わせ、これからを乗り切ってゆくのだ」
 言い終えた長が火のついた薪を高く掲げた。
 そして。
 ためらうことも迷うこともなく、その薪を、骸香の足元へ放った――
「ぇっ?」
 熱っぽい眼で骸香の最期を見届けようとしていた村の男のひとりが、短い息を吹いた。胸から、鬼の爪先を突き出させて。
 まさかこの村に、骸香を助けようとする裏切者が!?
「それはちがう!」
 そうだ、ちがう。鬼の――同族の爪などではない。鈍銀を映すその爪は鋼。すなわち。
「歪虚だ!!」
 骸香は足元へ迫る炎に炙られながら見た。
 釉薬を塗り重ね、焼き固めた陶器さながらの体を持つ歪虚どもが、村の者どもへ襲いかかっては引き裂いていく様を。
「なぜこんなところ」
 最後まで疑問を唱えることすらできず、長が喉を掻き斬られて倒れ伏した。
 殺されながら、村の者たちは骸香を見上げる。
 呪いで歪虚を呼んだのか――許さない、赦さない、ゆるさない!
 叩きつけられる怒りと恨みの思念の渦中、骸香は無機質な眼でただ下界を見下ろすばかり。
 あはぁ。
 歪虚の一体が、まだ息のある者たちへ見せつけるように骸香の縄を切り、球体関節をきしらせながら丁重に地へと降り立たせる。
 そして放心した彼女の耳元で。
 遊びはまだまだこれからよぉ?
 ささやいて、消えた。

 ――最後の声が途絶えた。背後で燃え立つ炎が薪を焦がす音ばかりが響く場の中心で、骸香は乾いた視線を巡らせた。
 どこを向いても、死した眼。死した眼。死した眼。すべての眼が骸香への憤怒と怨嗟を映したまま、動かない。
 ああ、そういうことか。
 立ち尽くす骸香、その空っぽの心に浮かんだものは、納得。
 歪虚の内には「遊び」に執心するものがいるという。
 どこで見初められたものかは知れないが、骸香は選ばれたのだ。歪虚の遊び道具として。
「は」
 口をついて出た音を、繋ぐ。
「はは、は、っははははは」
 それはかすれた哄笑だった。
 骸香は笑いながら顔を仰向けた。
 両の眼からあふれた涙が目尻から下へ。血を吸った土へ落ちてかすかに汚れを薄めていく。
 笑うのは、楽しいからじゃない。失くしたのだ。今このときまで抱えてきた心も思いも全部。
 涙が出るのは、哀しいからじゃない。捨てたのだ。遠い昔、彼らと共に過ごした無垢なる時間を全部。
 もう、なにもない。なくなってしまった。
 骸香は笑い、泣き続ける。
 その狂態を見やるものは、死せる者の濁った瞳ばかりであった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【骸香(ka6223) / 女性 / 21歳 / 簪美女】

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 かくて鬼は、狂える挽歌を紡ぐばかりなり。
 
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2017年08月16日

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