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『   脆くて強い青年のお話 』
紀伊 龍華aa5198

 夏も盛りだというのに、紀伊龍華はいつもと変わらない黒いフード付きのコートを羽織っていた。
 ただでさえ暑苦しいはずのそれをフードすら被った彼を、道行く人々は表立って指摘することはないまでも視線をやり、中には聞こえないようにひそひそと言葉を交わす者すらいた。
 その冷え切った視線が彼をこうさせた原因だった。せっかくなので、彼はその経緯を順を追って思い出すことにした。



「お前さー、なんでそんな女みたいな声してんだよ」
「体もちっせえし、ひょっとして女なんじゃねえの?」
「うわっ、こっちに顔向けんなよ。女が伝染るだろ」
 中学生の終わりまで、彼の生活はこうした声と共にあった。
 男と呼ぶにも女と呼ぶにも躊躇させられる中性的な顔と声は、閉鎖的な学舎では格好の攻撃対象となった。
 周りは何もしなかった。教師からもクラスメイトからも、彼といじめっ子たちはまるで側溝に群がる羽虫の様に捨て置かれた。
 紀伊は対抗することもなく、頭を抱え込み、耳をふさいでただ呪文のように懺悔を呟くだけだった。
「ごめん、なさい……こんな、顔と、声で……ごめんなさい……っ」
「喋ってんじゃねえよ男女!」
 脇腹に思いきりつま先を差し込まれ紀伊が埃っぽい床に転がされる。せき込んだ彼をいじめっ子たちは決まって下卑た表情で見下ろして嗤うのだ。
 ――いじめとは往々にして、加害者の正義感によって始まるのだという。その通りだ。周りの彼らは何も悪くない。加害者である彼らも悪くない。すべては自分の女々しい顔と声が悪いのだ。
 だから彼は手を伸ばすこともなく、手を伸ばした先の恐怖を恐れて耐え続けた。

 このままではいけない、と考えたのは高校生になってからだった。自分が変わらなければこの状況を改善することは叶わない。
 ならどうするか? 顔と声を直す事が出来ないのなら、答えは一つだ。
「……ねえ、あの人……」
「……しっ、聞かれるよ……」
 そこには、屋内だというのにコートについたフードを目深にかぶる少年の姿があった。
 彼はこの方策で真っ先にクラスから孤立した。「屋内でフードを被る変な奴」としてアイデンティティを確立した彼は、周囲からの不信を引き換えに平穏を獲得した。
 誰よりも男らしく在ろうとして一人称も変えた彼は、皮肉にもどこまでも女々しい形で自我を獲得したのだった。
「顔を見て、殴られ、罵られるのなら。見ないで不審がられる方が、よっぽど怖くない……」
 いつの間にか中学生の時の恐怖とは別の何かが、同じぐらい心の内を占めるようになっていた。

『……次のニュースです。先日都内で発生した能力者の犯罪集団に対してH.O.P.E.が摘発を行い、構成員十名を拘束しました。この際負傷者は六人に上ったと発表されており……』
 大学の食堂に備え付けられたニュースを眺めていた紀伊は、高校と変わらずにフードを被ったまま白飯を口に運んだ。
 銀行強盗を中心に犯罪を重ね、被害者は数十人ほど出したヴィランがようやくエージェントによって摘発されたらしい。
 容疑者を護送車に連行するエージェントたちは生傷が痛々しく、中にはまだ血を流している人さえもいた。年も性別もバラバラだったけれど、みな例外なく傷を負っていた。
「……よくやるよね、エージェントの人たちは。俺だったら絶対にやりたくないよ」
 怖すぎて。そんな言葉はなおさら周囲に聞こえないようにつぶやいた。
 ヴィランの被害は『創造の二十年』から後を絶たないし、それと戦うエージェントの傷も然り。ヴィランに対抗できるエージェントへの羨望もまた大きいのだが、紀伊はその光景に恐怖しか覚えなかった。
 ヴィランは怖い。そんな彼らに立ち向かい捕縛できるエージェントという連中は、どうして自らを省みずに立ち向かえる?
 理解できない。理解できないものは、怖い。
 食器を片付け、大学を出ると紀伊は足早に帰路を急いだ。
 だが、交差点で信号が赤に変わるのを待っていた時に『それ』は唐突に現れた。
「愚神だあああああああっ!!」
「……っ!?」
 愚神。
 声のした方向に目を向けると、そこには確かに異様な圧を放つ存在が立っていた。中世騎士のような漆黒の甲冑と両手剣を携えるそれは、この場においてあまりにも異質すぎた。
 背筋が泡立つ。血管が沸騰し、拍動がいつになく速まる。熱に浮かされた頭で考えたのは、逃げなきゃ、というありふれた考えだった。
 愚神は剣を振り回し、道路を滅茶苦茶に破壊しながら向かってくる。紀伊は周りに合わせてそれと反対方向に逃げおおせようとした。
「たすけてえっ!!」
 悲鳴が、した。
 黒い騎士の前に、小学生ぐらいの少女がへたり込んでいた。
 腰が抜けて動けないのか、その少女は泣きじゃくりながら必死に叫んでいた。
 甲冑がそれを見下ろし、銀白色に光る刃をゆっくりと持ち上げる。
 ……どうして、誰も助けない?
 エージェントなどいない中で、紀伊はただの人間にもかかわらず立ち止まった。前から逃げてきた男性とぶつかり忌まわしげな視線を受けるが、そんなことはもう気にしていなかった。
 誰もあの少女に視線を向けていない。誰も彼も自分のことを……予想外の恐怖に押し潰されそうな自分の心を心配そうに見つめるだけだったのだ。ただ紀伊龍華一人だけが、少女に気づけるだけの心の隙間があった。
「う、あ」
 気が付けば、彼は走り出していた。
「ああああああああああああああっ!!」
 ひょっとしたらあの時点で逃げていてもよかったのかもしれない。けれど逃げて一時の自分の安寧に浴するよりは、その後無限に訪れる少女の無念を、断末魔を妄想して恐怖に苛まれることのほうが、ずっとずっと怖かった。
 命は惜しい。正義感なんてない。ただ、恐怖することだけが嫌だった。
 視界の端に長い金髪が揺れる。協力してくれ、と言葉もなく叫ぶ。刹那に彼の体に別の力が入り込み、彼の存在そのものが書き換わっていく。
『――――、』
「ぐううっ……」
 少女と甲冑の間に割り込み、紀伊はその大剣をいつの間にか手にしていた盾で防いだ。目の前で火花が散り、無骨な圧力が彼の細腕にのしかかる。歯を食いしばってその一撃を耐えると、すぐさま二撃目が飛んでくる。耐える。押し殺す。
 何としても倒れるわけにはいかない――!
「おねえ、ちゃん……?」
「こんなこと、今更かもしれないけど」
 少女の表情も、自分が今どんな顔をしているのかも見えない。けれどはっきりと、少女に届くように口を開く。
「今、きみだけは、俺が助ける……!」

「はあ……」
 結論から言うと、二人とも無事だった。しばらくして現れたH.O.P.E.のエージェントによって紀伊たちは助けられ、ほどなくして愚神も倒された。今さっき少女とエージェント双方から感謝され、こうして帰路についているところだ。
 あの黒い甲冑……愚神に正対している間ずっと恐怖しか感じなかった。それと戦うなんて、やはりエージェントというのは人間離れしている。
 ……。
 実際に戦ってしまったことで、これからはニュースキャスターが読み上げる『負傷者』という文言をあの少女と重ねてしまうことだろう。想像するだけで恐怖がこみ上げてくる。自分がいれば助けられたかもしれない彼らの声を聴いた錯覚に陥った。
 傲慢な話だ。だけどそんな後悔をしないのであればエージェントという生き方も、あるいは悪くないのかもしれない。それに戦いの恐怖に身を置いていれば、人々の視線に怯えることなど馬鹿げたものになりそうだ。
 紀伊は方向を変え、最も身近なH.O.P.E.の支部に足を向けた。この情けない恐怖で自分も他の誰かも守れるのなら、楽なものだろう。

 これは、一人の青年の物語。
 恐怖に塗れながらなおも怯える誰かに手を差し伸べた、脆くも強い青年の話だ。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【aa5198/紀伊 龍華/男性/18】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 発注していただきありがとうございます。山川山名です。
 今回紀伊龍華さんの話を執筆するにあたって、どんな過去があれば彼は今の性格になるのかな、と自分でも考えてみました。
 最初に絵を拝見させてもらった時に「おっ、女の人か」と思ったことをよく覚えています。実際のところ真逆で「あっ……」となりました。ごめんなさい紀伊さん。
 過去は変えられず、未来は変えられます。しかし過去の中で積み重ねた意識によって未来も決定するので、結局のところ未来もある程度過去によって定まってきてしまうのかな、というのが私の考え方です。
 紀伊さんはぜひ、それを裏切っていただきたいです。怯えながらでも伸ばした手は、きっと過去に助けた誰かが掴んでくれるでしょう。
 その道程に幸福があらんことを。この度は、発注いただきましてありがとうございました。
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2017年08月18日

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