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『閉幕 』
紫園路 一輝ja3602
 古都を行くワンマン電車の一席に浅く腰を下ろし、見るともなく窓枠の向こうを流れゆく名勝をながめやる少年がいた。
 左眼を覆う革の眼帯、その表面に打ちつけられた銀骸骨が、日ざしを受けて白く閃いた。
 ――あれから、五年。
 この京都を舞台に展開した大規模作戦があった。
 その中で少年は失った。なにを失ったのかを数えるつもりはない。それは置き去ってきたものだから……前を向いて行くために、捨て去ってきたものだから。しかし。

 天界での最終決戦を終えた今、彼はここに戻ってきた。
 最初は墓参りのためだった。五年前の戦いの中で死んだ少年の墓へ訪れ、「全部終わったよ」と報告した、そのとき。
 ――来い。
 忘れられようはずもない黒い波動が彼を誘ったのだ。
 ああ、そうか。
 置き去ってなどいなかった。
 忘れ去ってなどいなかった。
 全部終わってなどいなかった。
 俺は、置き去ったものを取り戻して、忘れ去ったものを葬って、今度こそ全部終わらせるために、来たんだ。

 時折、窓の外を横切って落ち行く“黒”が少年へ語りかける。
 もうすぐ逢えるよ。もうすぐ、死に合える。早く来い。早く、僕のところへ。あのときの続きを。
 頭の奥へ忍び込んでくるノイズを、頭を振って追い出し、少年は残された右眼を静かに閉ざす。
 天界から還ろうとしたとき、あの子に訊かれたっけ。今見る景色はどう? って。
 そのときははっきり答えられなかったけど、それでよかった。なにをどう答えたって嘘になってただろうから。
「……俺がこれから見る景色は、地獄だよ」
 そして眼を開き。
「俺にとってはリベンジだけど、そっちにとってはなにになるのかな……まあいいいや。今度こそ最後までやろう。どっちかの最期になるまで、さ」
 少年――紫園路 一輝は席を立った。
 左に佩いた抜刀・凍呀の鯉口はすでに切った。
 いつでも始められる。いや、もう始めている。だから。


 黒に導かれ、“あの場所”へ至った一輝は、言葉をかけることなく踏み出し、間合を詰めた。
 五年前、ここで彼の左眼を抉った悪魔――黒い羽の者は、細面に笑みを湛えて抜刀・凍呀を抜き撃ち、アウルの凍刃を一輝へ飛ばす。
 主たる得物は両者とも同じ。ただし、一輝のそれは刃を半ばから折り返して打ちなおしているため、間合では大きく劣る。
 でも!
 一輝は凍刃を刀の腹で受け、払った。
 刀身の長さで倍劣る分、厚みは元の凍呀の倍勝る。だからこそこんなことができるし――地に突き立てておいて前へ跳び、引き抜く力を利して“抜刀”を為すこともできる。
 鞘に戻していないため、当然凍刃は撃てない。が、それでいい。あいつに「凍刃が来る」と、一瞬でも思い込ませられれば。
 悪魔が薄青の鞘と白刃とを交差させ、受けの体勢をとった。
 かかった! 一輝は凍呀の峰をそこへ叩きつけて手がかりとし、悪魔の頭上を飛び越えた。
 そうして腰の後ろに寝かせてくくりつけていた小太刀二刀・闇月のひと振りを抜き打つ――と。
 悪魔と眼が合った。
 完全に不意を突いたつもりだったのに、読まれていた。
 悪魔が笑む。なにひとつ似てなどいないはずなのに、なぜか引き歪められた自分の笑顔を見ているようで、気持ちが悪い。
「っ!」
 なで斬りにかかった一輝の視界が黒き翼に遮られた。
 平衡感覚を奪われ、体勢を崩す一輝。惑わされるな! 奴は羽の向こうにいる!
 羽へ闇月を突き立て、右手に残していた凍呀を打ちつける。
 破れた羽の向こうに見える、悪魔のぎらつく眼。
 ちりっ。失くした左眼が短く疼いた。うざいんだよ、その眼!
 一輝は崩れかけた姿勢をそのままに悪魔の眼前へ左のつま先を伸べた。そして。
 ジェットレガースの踵に仕込まれた噴出管から一気にアウルを噴射、急加速させた蹴りを悪魔の眼へ突き込んだ。
 ぐじりと湿った感触がつま先を浸し、一輝はそのまま地へ墜ちた。最低限の受け身を取り、悪魔から離れるように転がって立ち上がる。
 右眼を潰された悪魔は……なお笑んでいた。
 その笑みを見て一輝は気づく。
 俺が潰したんじゃない。
 あいつに潰させられた。
 思った途端、憎悪の底から熱いものが迫り上がってくる。……俺は、あいつに感動してるんだ。眼を潰させてまで尋常の勝負をしようとしてる、あいつに。
 構えを整えることもせず、一輝は悪魔へ跳んだ。
 身長は悪魔のほうが一輝よりも頭ひとつ分は高いか。
 面と同様に体も細いが、ただ痩せているだけじゃないことは立ち姿ひとつからでも見て取れる。絞り込んだ肉が現わす無駄のない挙動と気。
 そういえば、こうして相対するのは初めてかもしれない。いつもは討伐組【紫】の仲間がいて、敵たる天魔も一体ではなかったから。
 ふと、残してきた【紫】の面々を思い出した。ここへ来るまでに呼び寄せることもできた。みな急いで駆けつけてくれただろうし、そうしていれば悪魔を退治ることも容易かっただろう。
 しかし一輝はそれをしなかった。
 置き去りにしたのも忘れ去ったのも、自分だ。激情も言葉も、すべてを腹の底へ飲み下し、自分ひとりで仕末をつける。
 なにより、私事に多勢を巻き込み、仇敵へ多勢で打ちかかる無粋はしたくなかった。

 ……最終戦争が終わったことで、人ばかりでなく、天魔もまたその有り様を大きく変えていくこととなった。それを是とできぬ者は、時流に取り残されて忘れ去られ、消えゆくことになるのだろう。
 黒い羽の者然り、そして“あのとき”に捕らわれたままここへ来た一輝も然り。
 だからこそ。
 ただひとつ残った眼を互いに据えて、言葉ならぬ刃を交わそう。これからの世界ってやつに取り残された者同士、互いの最期を獲り合おう。
 ただひとつ懸念があるとすればそう。
 ――俺たちは全部終わらせるために戦う。でも、生き残ってしまったら……終われなかったら、いったいどうすればいい?

 鞘に収めた凍呀が低く唸り、一輝へ振り込まれた。
 それを同じく鞘に収めた凍呀で打ち落とし、悪魔へ回し蹴りを叩き込む。
 悪魔は蹴りを肘でブロックし、構えた拳を突き込んで――こない。
 すでに防御姿勢に入っていた一輝の強ばった横腹へ、今度こそ悪魔の左拳がすべり込んだ。
 ふぅっ! 息が押し出され、詰まる。これ以上横隔膜を痺れさせられたら、息を吸い込めなくなる。
 こちらが脚技使いなら悪魔は手技使い。リーチは互角にせよ、汎用性ではこちらが劣る。しかも悪魔には羽があり、それをフェイントに組み合わせてくるのだ。今も羽をわずかに羽ばたかせて起こした風を使い、拳を突くと見せかけた。
 持ってるものはなんでも、全力で使う。そうだよね。認めるよ。それができるから強いんだって。でも俺は弱いから……
 よろめき退がった一輝に、アウルの凍刃が放たれた。
 かわせない。一輝の左肩と腹から血がしぶき、その体を赤く染めた。
 力なくうなだれた一輝に悪魔が迫る。鋭く、それでいて名残惜しげな刃が、一輝の傷を斬り広げようと――
 さすがにここまで来たらフェイントはないよね。
 一輝の左掌が、悪魔の刃を押しとどめ。
「炎に眠る化け物よ、今この瞬間だけ姿を見せ敵を喰らえ」
 竜を成すアウルの炎を顕現させ、悪魔へ喰らいつかせた。
 一輝の手で改良を加えたスキル、“炎帝”。これを受けた者はダメージに加え、四メートルの後退を強いられる。つまり、斬り込む間合が開くということだ。
 一輝が左足を踏み出し、地に強く打ちつけた。踏み止められた前進力は反動と成り、反動は鞘に収めた刃を抜き打つ前進力と成る。
 ……その弱さを使わせてもらったよ。
 一輝の体には過去の激戦で受けたいくつもの傷痕が刻まれている。その痕は今なお完治してはおらず、こうして一閃されればすぐに開くのだ。
 傷を囮にし、悪魔の油断ととどめを誘う。それこそが一輝の選んだ全力だった。
 鞘の内をなぞって加速した刃が抜き打たれ、零距離からアウルの凍刃を悪魔へ叩き込んだ。
 肌を裂かれ、肉をちぎられ、骨を凍らされた悪魔が、体をくの字に折る。人のものならぬ血が氷の欠片となって地に転がった。
 一輝へかぶさるように落ちてきた悪魔の顔が、彼の耳元でささやく。
 大丈夫。置いていったりしないよ。
 直後。
 一輝の胸に、「冷たい」が潜り込んだ。
 それは瞬く間に「熱い」へ変わり、「冷たい」に戻る。
 貫かれたのだと悟るまで、数瞬かかった。
 貫かれたのだと悟って、安堵を覚えた。これで、この世界に取り残されずにすみそうだと。
 安堵はやがて寂寥に塗り潰された。自分と関わってくれた誰かを、この世界に残していかなければならないのだと。
 死にゆく黒き羽に押し包まれ、一輝は崩れ落ちる。
「俺は――」
 続く言葉はなかった。
 残された静寂に音を刻むは、古都を吹き過ぎる風ばかりであった。


 後に駆けつけた【紫】の面々は死闘の跡に見る。
 血に汚れた眼帯と裂けたコート、そしてちぎれた腕章を。
 それらの主の姿が見つかることは、ついになかった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【紫園路 一輝(ja3602) / 男性 / 17歳 / 『三界』討伐紫】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 討ったものか討たれたものか。残したものか残されたものか。結末を語る者はなし。
 
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2017年08月21日

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