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『わだかまる闇の中で 』
ベネトナシュaa4612hero001)&エクトルaa4625hero001)&ガラードaa4847hero001

 古い敷物に横たわる老人。
 枯れ木のような指が震えながら床から離れ、しばらく宙を彷徨った。
 やがてそれは、明確な意思を持ってベネトナシュに向かって伸びてくる。
 ベネトナシュはその指が、自分を捉えようとしているのだと思った。
 だが足を動かすことすらできないまま、荒い息を何度も吐き出す。

 その息が、迫る指を追い返すと信じるかのように。



 もういつからなのかすら、思い出せないほどの長い時間。
 ベネトナシュの心は暗い闇の中にあった。
 月もなく星もなく、どこまでも漆黒が支配する夜の闇。
 目に映るものの形も定かではなく、ただ陽炎のように彼の周りを漂うだけ。
 瞼を閉じれば、胸の中にも闇はわだかまる。
 どんどん重くどんどん冷たくなる闇は、胸から全身へと広がり、今となっては皮膚を食い破って外にあふれ出ようとしているかのように、彼の中に満ち満ちていた。

 暗い。
 寒い。
 苦しい。

 喘ぐことしかできないベネトナシュに、父は厳しかった。
 父はベネトナシュにいつも何かを求めてくるが、彼が差しだすものに満足することはない。
 そしてベネトナシュが望むものを与えてくれることは、決してなかった。

 それでも皆がそうであれば、ベネトナシュは闇しか知らずに済んだだろう。
 だが父は違ったのだ。
 父は老いたエクター卿に義理の子としてとはいえ、深く愛されていた。
 ベネトナシュが望むものを与えることなく、自らはそれを享受している父。
 暗闇の中では、ほんの小さな明かりですらまばゆく輝く。
 ベネトナシュは欲しても自分には与えられないものを、ずっと見せつけられて生きてきたのだ。

 ――ならば父も、それを失うがいい。

 ベネトナシュの望みは、父に自らと同じ苦しみを思い知らせることとなった。
 ただ闇の中にあることの苦しみではなく、光を知って尚、それを得られぬ苦しみを。
 そしていつしか、父に与えられる光そのものを憎むようになっていった。



 不思議な夜だった。
 エクターは立ちあがって窓を開け、闇を見渡す。
 星も見えず、月も見えず、まるで黒い帳で世界を覆い尽くしたような夜だ。
 立ち並ぶ木々も音を立てることなく、己の息遣いが耳に届くほどに静まり返っている。
 エクターはまるで音を欲したかのように、掠れた声を漏らした。
「……静かすぎるな」
 それは歴戦の老騎士ゆえの勘だったろうか。
 嵐の気配もなくただ深くわだかまる闇に、何かがやって来るように感じたのだ。
 不吉な予感を孕んでいるのに、エクター自身は長い間それを待っていたようにすら思える。
 だが耳をすましても目を凝らしても、無音の暗闇が広がるばかりだった。

 エクターは目を伏せ、何かを追いだすように強く頭を振ると、窓を閉じた。
 書き物机に手をついて、どっしりとしたつくりの椅子に身体を預ける。
 枯れ木のような指が、机に置かれた古い書物に触れた。
 老人はさっきまで読んでいた頁に視線を戻す。
 そこには、どこかたどたどしく見える文字がびっしりと綴られている。
 老人はゆっくりと指を滑らせ、その筆跡をいとおしむようになぞっていった。
「久々にこれを開く気になったのも、今宵の奇妙な気配のせいかもしれんな」
 椅子にもたれた老人の目は、遠い過去を見つめるように宙に投げられる。
「それともガラードよ。お前は何かを伝えようとしているのか?」
 エクターは既に常世の国へ旅立った若者が、目の前にいるように語りかけた。


 どれほどそうしていただろう。
 エクターは身じろぎしてドアを振り返る。
 ――何かがやってきた。
 予感のようなものが彼の心をざわつかせたが、不思議なことに椅子に縛り付けられたかのようで、立つこともできない。
 深く皺を刻んだ顔を照らす蝋燭の明かりが不気味に揺れ、静かにドアが開いた。
 エクターはそこに立つ人影に目を見張り、思わず名を呼んだ。
「ベネトナシュ……」
 それはエクターが、幼いころから良く知っている『孫』だった。
 血の繋がりこそないが、ずっと見守ってきた。
 少なくとも姿形は、間違いようもなくそのベネトナシュだった。
 だが血の通った人間とは思えない、まるで闇そのものが彼の姿を取ったような表情をしている。その中で見慣れた緑の瞳だけが、爛々と燐光のように妖しく輝いていた。

 ベネトナシュは無言のまま部屋に踏み込み、あっという間もなく老人の首に両手をかけた。
 そのとき、エクターは全てを悟った。
 夜の全てが告げていたではないか。
 ――今日が運命の日だったのだ。
 エクターはほとんど抵抗しなかった。
 どのみち若者の力には抵抗できなかったかもしれないが、そもそも抵抗する意思がなかった。

 エクターは自分の身体の中に響く、嫌な音を聞いたような気がした。
 だが自分を持ちあげていた手が離れ、床に倒れ伏してなお、彼の眼には怒りも憎しみも浮かばなかった。
 エクターはこの世でおそらく最後に見るものであろう、憎しみに燃える緑の瞳が哀れでならなかった。
 遠ざかる意識の中で彼は知っていたのだ。
 ベネトナシュを取り巻く闇が、永遠に彼を苦しめることに。
 それを知ってか知らずか、無表情だった若者の顔が、僅かに歪んだように見えた。
 ――泣かずともよい。
 少なくとも、自分のために。
 けれどもし泣くのなら、せめて今、涙をぬぐってやりたい。
 お前の涙をぬぐう手があることを知ってほしい。

 だが枯れ木のような指は力尽き、相手の頬に届くことなく床に落ちた。



 床に倒れた老人は、そのまま動かなくなった。
 ベネトナシュはようやく息を鎮め、エクターの死を確認する。
 心から望んでいたことを成し遂げたのに、彼の胸に達成感はなかった。
 相変わらず闇は闇のまま、彼を包み込んでいる。
 だがこれでいい。
 弱い心は老人と共に死んだ。
 今夜からベネトナシュは、強い心でなすべきことをなしていくのだから。

 ベネトナシュは部屋を出る前に、老人の部屋を見渡す。
 彼の固いはずの心が、湧き上がる懐かしさに軋む。
(まだこんな感情が残っていたのか)
 ベネトナシュは薄く笑ったが、ふと机の上にある書物に目を止めて再び唇を引き締める。
 古びた紙に綴られた文字に、抗いようのない力を感じたのだ。
 よろめくように近づき、書物を手に取る。
 間違いない。幼い頃のガラード卿の文字だった。
 ベネトナシュは呼吸することも忘れ、書物の頁を繰って行く。


 ――今日はイータと遠乗りにでかけました。
 イータはもう随分上手に馬を操ります。
 でも馬を好きに走らせ過ぎて、ときどき放り出されます。
 だけどイータは絶対に泣かないんです。
 草まみれでも起き上がるイータは、とても強い子だと思います。

 ――今日は大きなウサギを見つけました。
 イータとはさみうちにしようとしたのですが、ウサギは横っ跳びに逃げてしまいました。
 イータはお爺様に頼んで弓を持ってくればよかったと、とても悔しがっていました。


 それは少年達の楽しい日々の記録だった。
 イータはベネトナシュの子供の頃の呼び名だったが、この名を呼ぶのは二人しかいなかった。
 今、目の前に倒れている老騎士エクター卿と、少年の頃の親友・ガラード卿である。
「ガラ君……」
 思わず子供の頃の呼び名を呟く。
 あの頃に少し大人びて見えたガラードも、こうしてみれば可愛い少年だった。
 そしてベネトナシュは思いだす。
 ガラードがいた頃は、確かに自分にも光があったのだ。
 頭の中が痺れたように感じながら、更に頁を繰る。
 その手が震え出す。


 ――本当のことを言うと、死ぬのは怖い。
 でもイータが幸せになるなら、僕がそこに居なくても、それでいいと思うんです――

 
 ベネトナシュは膝の力が抜けたように感じて、床に座り込む。
 ガラードとエクターが自分を見守ってくれていたことを、ようやく思い出したのだ。
 だが彼の闇は、親友が運命に殉じた日から始まった。
 ベネトナシュは幸せにならなかった。
 では何のためにガラードは命を散らしたのだ?
 そして……

 ベネトナシュはもう動かないエクター卿を見つめる。
 自分が命を奪った人。
 光はもしかしたら自分にも注いだのかもしれない。
 微かな可能性を、ベネトナシュは自分の手で摘み取ったのだ。
 何かが喉をこみあげてくる。
 天を仰ぐ瞳は目玉が跳び出さんばかりに見開かれた。
 嘆きの声は音にならず、頬を暖かく濡らしてくれるはずの涙も出ない。
 闇を身の内に飼うベネトナシュには、本当に何も残っていなかったのだ。


 しばらくの後、ベネトナシュはゆっくりと立ち上がる。
 緑の瞳は再び妖しく輝き、闇は貪欲に全てを呑みこもうと胸にわだかまる。
 ――これ以上失うものなどない。
 既に何も見えないほどに暗い闇が、これ以上深くなることもない。
 ならば、何を怖れることがあるだろう。
 失われたものが戻らないのなら、別のところから奪い取るまで。
 これからは胸の欠けた場所に宿った闇で、全てを食らいつくしてやるのだ。


 ベネトナシュは二度と振り返ることなく、部屋を出た。
 老人の部屋のドアは、優しい記憶の全てを封印するかのように閉じて行った。


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【aa4612hero001 / ベネトナシュ(イータ) / 男性 / ドレッドノート】
【aa4625hero001 / エクトル(エクター) / 男性 / ドレッドノート】
【aa4847hero001 / ガラード / 男性 / バトルメディック】

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2017年08月31日

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