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『花の奪回 』
イアル・ミラール7523
「あっ!」
 IO2が用意したアパートの寝室。爆ぜるように背を反らした茂枝・萌はそのままベッドへ倒れ込み、肉に残る甘やかな余韻にぶるりと震えた。
 もう、どれほどこうしているのだろう。
 萌が霞む目を自らの足元にむける。そこに転がっているのは、彼女の体液にまみれた30センチほどの石像だ。
 組織と自ら、ふたつの思惑から、錬金術師の巣窟より奪取した“フェアリー”の像。背からは二対の薄羽が伸びだし、そしてその顔は、“素足の王女”たるイアル・ミラールそのものである。
 と。石像が小刻みに震え、激しい悪臭があふれ出す。
 鼻はおろか目までもを刺す臭いを、萌は涙を流しながら深々と吸い込み、むせた。むせながら石像へたまらない手を伸ばし、抱きしめた。
 理性では理解している。この石像から発せられる、悪臭の裏に潜められたなにかが自分を惹き寄せているのだと。抗わねば溺れるまま、戻ってこられなくなるだろうと。
 しかし。あの港でイアルの石像を初めて見たときから抱えてきた思い――執念が、萌をより深みへと跳び込ませ、高みへと突き上げるのだ。
 流れ出す先なくただ奥底に溜め続けるよりなかった熱が、“フェアリー”という「先」を得て迸る。それを止める術を萌は知らず、ゆえに今なお溺れるがまま溺れ続けている。
 かくて膝を立てる力までもを失くすまで愉しみ尽くし、陶然と荒い息を吐きながら横たわった萌。その耳に……
『参ったわね、こんなに私の力と相性がいい人がいるなんて。もしかしたらあなたもイアルと前世の縁があるのかしら?』
 不可思議な声音が届き、精魂尽き果てたはずの萌はがばと跳ね起きた。
「誰?」
『あなたにお愉しみいただいた石像の“心臓”よ。ああ、声はあなたたちが言う“王女”を借りてるんだけどね』
 瞬時にエージェントとしての顔を取り戻した萌は声の出どころを探る。確かに石像から流れ出してくるようだが、実際に聞こえるのは耳というよりも頭の中だ。異能力者たちが使う念話というものかもしれない。
「王女じゃないなら、なに? ただの心臓がしゃべるわけないし」
 顔は平静を保ちながらも、胸中は穏やかならぬ萌。この声は確かに、錬金術師の巣窟で聞いた王女のそれだ。
『どこの諜報員か知らないけど、魔法やら錬金やらと関わりがあるなら資料にあるでしょう? 鏡幻龍の名前』
 萌は脳の内に記憶として収めた資料を繰り、探り当てた。
 鏡幻龍。中世に滅んだ欧州の小国の守護龍であり、巫女たる王女の魂に宿ってその存在を護るもの。ただし、すべては伝承に過ぎず、確たる存在証明は成されていない。……今、ある程度の証明はできたみたいだけど。
『まあ、正しく言えば、今しゃべってるのは鏡幻龍本体じゃなくて、心臓になってるわたしの魔力を依り代にした分身ってことになるんだけどね』
 この声が本当に鏡幻龍のものかは置いておいて。まずは情報を引き出さなけば。そう思いながら、萌が口にした言葉は。
「もしかして、見てた?」
『気にしないでいいわよ。わたしは今、イアルを護るためにその体を石化させることしかできない。解除する鍵として、女を引き寄せるにおいを出してね。で、ときどきいるのよ。このにおいと相性よすぎて理性飛ばしちゃう人が』
「うう」
 萌はベッドに赤らんだ顔を埋めてうめいた。任務の中で痴態を演じることはためらわないが、だからといって素で痴態を晒すのは……。
『あなただってイアルの有様を見てるでしょう? お互い様でいいじゃない』
「そういう問題じゃ、ない」
『じゃああやまるわ。ごめんなさい』
「だから、そういう問題じゃない」
『んー、こうなったらもう一回慰める? 今度は見ないふりしておくから』
「もっとそういう問題じゃないっ!」

 いくらか不毛なやりとりを繰り返した後、萌はようやく落ち着いた。
「いきなり話しかけてきた理由はなに?」
『腕を借りたいのよ。錬金術師に対抗できる能力と装備があるあなたの』
 においを避けるために石像から距離を取って座した萌は、少し考え込んで。
「私はエージェントだから勝手に動けない」
『この小妖精の石像、ほんとはすぐ組織に引き渡さなきゃいけないんじゃないの? それをひとりじめしてお愉しみって、大問題よね』
「う」
 思わず言葉を失くす萌に鏡幻龍が畳みかける。
『そこは目をつぶるし、用が終わればこの体もちゃんと引き渡すわ。組織に言い訳できるようちゃんと配慮してね。たとえば石像化を解くためには錬金術師の持つ鍵が必要だった、とか』
 萌はその言葉に含まれた意図を感じ取り、顔を上げた。
「錬金術師の巣に行かせたい理由がある、ってこと?」
『プロ相手に下手な駆け引きしても意味がないわね。――イアルを取り戻したいの。できるかぎり早く』
 話としてはわかる。イアルは今も鏡幻龍の魔力を吸われ続けている。少しでも早くそれを止め、多くの力を残した状態で拘束を逃れられなければ、その後どうするにせよ支障をきたすだろうから。
「あとどれくらい保つの?」
『吸い出されたわたしの魔力は微量だけどね。問題は“男”を植え付けられたイアルの心のほう。だいぶ“抜け”ちゃってるのよ』
 人の精神構造は複雑だ。あらぬものを加えられたことで、その結び目がちぎれ、虚ろになりつつある。そう説明を加え、鏡幻龍はさらに言葉を続けた。
『ただ、心が空になってるおかげで、擬似的に無垢な状態にもなってるから……もう一段階強い守護力が発現できる』


 錬金術師の巣窟は今、大騒ぎとなっていた。
「“王女”の体が!」
「これはちがう、石化ではありません!」
 部下どもがわめきたてる中、長たる女はイアルの体組織を器具で測定し終えた。
「落ち着きなさい。石ではなく、陶質化しただけです」
 イアルを固定していたベルトを慎重にゆるめて調整し、女はしかんだ眉根を元の位置へ戻した。
 五分前、突如としてイアルの体は焼き固められた土塊と化した。どのような機能の働きか、関節はきしみながらも動く。が、そのせいで非常にバランスを崩しやすく、もし床へ落としてしまえば割れ砕けてしまうかもしれない。
「そのものではありませんが、まるでビスク・ドールですね」
 そしてまた、イアルへ据え付けられたホムンクルスの“男”もまた、屹立したままビスクと化している。魔力の吸い上げをこのまま試すことは可能だが、もろいだけに思わぬ事故を引き起こしかねなかった。
「魔力、感知できません。抜け殻のようです」
 部下の言葉にうなずき、女は指示を返した。
「とりあえず王女はこのまま安置。実験はこれまでに採取した魔力で進めましょう」
 女はイアルの虚ろな陶面を見下ろし、口の端を噛む。
 この陶質化、おそらくは鏡幻龍の力なのだろう。しかしこちらには時間という最大のアドバンテージがある。かならず龍の守護を解除し、その力のすべてを手中に収めてみせる。


『石化はイアル自身を封じるものだから解除も容易い。でも人形化はイアルを分離させたものだから、そもそも解除しようがないのよ。これでわたしたちがイアルを取り戻すまでの間、錬金術師に手出しはできない』
 そう語る鏡幻龍に萌が問うた。
「分離させたって、王女はどこにいるの?」
『ここに。魂を引き剥がして持ってきただけだから、長い時間そのままにしとくと結局死んじゃうんだけどね』
 どくり。妖精の石像が震える。今までのものとはちがう、強い生気が押し込まれたかのように大きな鼓動。
『乙女の唇で石化を解いて。あ、できればそのままじゃなくて、なにか触媒になるようなものを挟んでね。あなたがまたおかしくならないように』
 萌は頬を赤らめつつ、IO2から支給されている聖水で唇を湿し、さらに口に含んだ状態で、石像へ口づけた。


「こっちだよ、ごしゅじんさま!」
 二対の羽をはためかせ、宙を飛ぶフェアリー。鏡幻龍曰くイアルの魂を押し込めたイアルその人であるとのことなのだが……やけに舌足らずで、言動も幼い。その体が成熟し、妖艶であればこそ、そのギャップはよりいや増して見えた。
『魂は器の大小に左右されるから。未熟な器で再現できるイアルには限度があるってことよ、ご主人様』
 肩をすくめるように鏡幻龍がコメントを添えた。
「あなたまでふざけないで。それよりフェアリーはどうして私のことご主人様って呼ぶの?」
『人の手で造られたホムンクルスの性が、イアルに干渉してるってところかしら。ホムンクルスは助けてくれたのがあなただってわかってるのね』
 なんともいえない愛しさを感じながら、萌は前を飛ぶフェアリーの体を指先で絡め取り、小さな唇を塞ぐ。
「静かに。見つかると困るからね」

 幸い巣窟の錬金術師どもは実験にいそがしいらしく、萌の侵入は容易く果たされた。
『そこ、トラップよ。えっと、錬金だとこの方角が鉛だから、解除の手順は』
 フェアリーの内に在る鏡幻龍が、その魔力をもって萌を助ける。
「誰もいないよ」
 フェアリーもまた、萌の役に立とうとけなげに斥候を務めて駆け回った。
 ふたりの錬金術師を無力化し、監視カメラをIO2謹製の光学迷彩で塞ぎながら萌は進み。ついにイアルの元へとたどりついた。
「――素足の王女」
 あのとき見た船首像とは趣こそちがえど、同じく“物”と化したイアルの姿に、心が跳ねることを抑えられなかった。
『お願い。あの“殻”を運び出して。壊れやすいから慎重に、でも急いでね』
 我に返った萌は人形に手早く緩衝スプレーを吹きかけ、ワイヤーで巻いて背へ負った。
「撤収する。フェアリーは私の肩にしがみついて。迷彩を発生させるから」
 侵入経路を駆け抜け、萌は外へ抜け出した。
 作戦開始より7分余り。予定より時間はかかったが、反省会は後にしよう。今は安全な場所へ人形を運び込むことが最優先だ。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7523 /イアル・ミラール / 女性 / 20歳 / 素足の王女】
【NPCA019 / 茂枝・萌 / 女性 / 14歳 / IO2エージェント NINJA】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 捕らわれし王女、龍宿す妖精の導きを得た少女の手で奪回されり。果たしてこの先、いかなるや?
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年08月31日

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