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『迷い道 』
イアル・ミラール7523
 鏡幻龍、そしてホムンクルスの“フェアリー”の導きにより、ビスク・ドールと化したイアル・ミラールを錬金術師の巣窟から運び出した茂枝・萌。
 彼女は今、IO2が都内に用意しているアジトのひとつである河近くの低層マンションにいた。
「本部と連絡がついた。18時の水上バスで王女を空港まで輸送、そこから小型機で本部へ送ることになったよ。研究チームが解呪の準備をして待ってるって」
 複数の対盗聴機能を備えた電話機に受話器を置き、萌は姿見へ言う。
『そう。今の私の力だけじゃこのビスク化は解除できないから、しかたないわね』
 姿見に映るイアル――その姿を借りた鏡幻龍が気乗りしない顔でうなずいた。
 魂の抜けたイアルの本体は、保護するため陶器化されている。そして現在イアルの魂が収められているフェアリーでは、キャパシティが小さすぎて鏡幻龍を内に留めておくことができない。それゆえに鏡幻龍はフェアリーの体を取り巻くようにして存在していて、だからこそこのような芸当ができるというわけだ。
「いくらかの研究はさせてもらうことになるけど、魔女や錬金術師みたいに拘束はしない……と思う。でも、確約はできない。フェアリーと王女じゃ、そもそも優先度がちがうから」
 IO2が正義の味方などではないことを、エージェントである萌は十二分に承知している。末端ゆえに組織がなぜ王女の身柄を求めているのかは知らされていないが、どう考えてみても、王女を救い、守るためでないことは明白だ。
『わたしとイアルにとって最悪の事態になったら戦うしかないわね。たとえあなたが相手でも』
 鏡幻龍の言うことはわかる。萌がIO2のエージェントである以上、組織の決定は絶対だから。しかし。それでも。
「……今、私がどうするか言うわけにいかない。敵になるかもしれないあなたには」
 鏡幻龍はなにも言わず、うつむけられた萌の顔を見やる。
 萌はイアルに特別な感情を抱いている。それがエージェントとしての冷酷さにいくらかの葛藤を与えているのだ。そうでなければ「かもしれない」などと迷うものか。
 この子は精いっぱい誠実に答えてくれた。最後にどうするかは、この子に任せるしかないわね。
 鏡幻龍は小さく息をつき、話題を変えた。
『本部に持って行くなら洗ったほうがいいわね。ずいぶん臭うみたいだから』
 ビスク化した“男”は、苛烈な搾取の中で放置されていたがゆえの汚れがこびりついており、ひどく臭っていた。一定の刺激を受けると自動的に感覚を遮断するよう訓練されている萌は気づかなかったが、研究職へ引き渡すまでにできる限り拭き取っておくべきだろう。
「おふろ!? おふろおふろ!」
 萌の肩にとまり、おとなしく話を聞いていたフェアリーがはしゃぐ。
 そういえばフェアリーもまだ少し臭う。ついでに洗っておこうか。
「羽が破れないように注意しないとね」
 萌はビスク・ドールの端をぶつけないよう気を払いつつ、浴室へ向かった。

「めがしみるー」
 シャンプーの泡が目に入ったらしく、じたばたと暴れるフェアリー。その頭を流してやってから、萌は湯を張った浴槽に漬けられたビスク・ドールへ向きなおった。
「スポンジで洗えばいいのかな……?」
 ビスクは素焼きの粘土だ。鏡幻龍の魔力でコーティングしてあるため、水に溶けるようなことはないし、多少こすったくらいで傷がつくこともないはずなのだが。
「念には念を、だよね」
 すでにまわりの湯を薄黒く汚しているドールの“男”を見下ろし、萌は自分の掌へ薬用石鹸液をつけて泡立てた。
 そして“男”には触れぬよう、丹念にドールの全身を洗っていく。
 あの日心を奪われた素足の王女が、この手の中に在る。その感慨が萌の胸を甘く締めつけ、息を弾ませた。
「ここ、きれいじゃないよ?」
 フェアリーが“男”を指して小首を傾げてみせた。
 ドールの体からまっすぐと立ち上がる“男”。萌は見入りかけた自分の目を無理矢理引き剥がすようにかぶりを振って。
「そこは――最後」
“男”にたっぷりと湯をかけて汚れを浮かせたうえで、湯を張り替える。
 掌に石鹸液をつけなおし、大きく息を吸って心のざわめきを押さえ込んで、萌はその手をドールの“男”へ伸べた。
 心を殺すことには慣れている。
 無心のまま、ただ為すべきを全うすればいい。
 そう念じ続けていなければ、あっさり理性が吹き飛んでしまいそうだった。
「はぁっ」
 萌は荒い息を吐き、手を早める。
 そして。
 気がつけば、“男”に引き寄せられていた。
 昂ぶるままに体を寄せ、ドールの“男”へ覆い被さった、そのとき。
「――ごしゅじんさま、そういうことしたいんだ」
 フェアリーが無邪気に声をあげ。
「だったら、わたしがしてあげる」
 萌はフェアリーを振り返る。
 つい先頃までの無邪気はかき消えていた。小さな顔に浮かぶ笑みはあからさまなまでに妖艶で、萌は目を離すことができない。
 フェアリーが萌のつま先をなぜ、踝をさぜ、ふくらはぎをなぜ、腿をなぜる。
 抗うことは、できなかった。


『なにがあったかはあえて聞かないし、見たことも言わないけど……研究者って人たちは大丈夫なの?』
 姿見の中で肩をすくめる鏡幻龍に、萌はばつの悪い顔で「大丈夫だと思う」と答えた。
「においのことは報告してあるから、対策はしてるはず」
『あなたも光学迷彩みたいになにかアイテムをもらっておくべきね』
「……」
 かくてIO2のエージェントたちの工作によって無人を保っていた水上バスへ乗り込んだ萌は、ビスク・ドールを収めた長期旅行用キャリーバッグを自らの両脚で挟んで固定し、空港までの水路を見やる。
 彼女の膝上には、丸まって眠りにつくフェアリーがいる。小さな体をいっぱいに使い続けて、疲れたのだろう。
「素足の王女ってどんな人だったの?」
 ぽつり。フェアリーに取り憑く形で存在する鏡幻龍へ問う。
『少なくとも幸せな子じゃないわね。翻弄されるまま流されて、ようやくたどりついたこの世界で生きようとし始めて、また流されて。誰かにすがりつこうとするのは、もう流されたくないからなのかもしれない』
「流されたくないから、か」
 萌は喉元へ迫り上がってくる苦い思いを噛み殺し、飲み下した。
 自分がなにを思おうと、心のままに行動することなどできはしない。王女が運命に流されるよりないように、自分もまた命令に従うよりないのだから。


 本部へ降り立った萌はキャリーバッグを係員の手に委ね、上司への報告に向かった。
 幸い、確保優先度の低いフェアリーは萌の監視下へ置くことを許され、代わりに萌は本部に留め置かれることとなる。ようは軟禁だ。
『まずはイアルを元に戻せるかどうかね。状況は?』
 一応は監視カメラや盗聴器のしかけられていない部屋をあてがわれた萌に、鏡の中から鏡幻龍が語りかけた。現状、鏡幻龍もイアルの魂とともにビスク・ドールから分離しているため、本体の状態を確かめる術がないようだ。
「王女と融合してるホムンクルスの解析はほとんど終わってる。神経接続型で、かなり深いところまで王女とリンクしてることも。ただ、くわしい状態を調べるにはやっぱり生身に戻さないと」
 データベースにアクセスした端末を鏡に向けて見せ、萌はため息をついた。
「あなたの力で解呪はできないんだよね? でも、キスで石化が解けるんだったら、ビスク化もなにかで解けたりしないの?」
『それこそ魂を吹き込むのがいちばん早いんだけど。問題はイアルと一時的に融合できるくらい波長の合う依り代……魂の通り道を用意できるかどうかね。ひとりだけそれができる人がいるんだけど』
 鏡幻龍は言葉を切り、かぶりを振った。
 誰のことを指しているのかは知れないが、少なくともここへ連れてくることのできない存在なのだろう。
 薄い嫉妬を感じながら、萌は自分の膝の上に転がっているフェアリーへと視線を落とした。イアルが復活したら、この子はどうなるんだろう? 抜け殻のようになってしまうんだろうか?
 あんなことになったからというばかりでなく、フェアリーに情を感じている。できうるとなら、このままいっしょにいたい。
 私はどうすればいい?
 私はなにをするべき?
 萌は葛藤の内に迷うばかりであった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7523 /イアル・ミラール / 女性 / 20歳 / 素足の王女】
【NPCA019 / 茂枝・萌 / 女性 / 14歳 / IO2エージェント NINJA】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 花の香は少女をさらなる混迷へと誘うばかり。
 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年08月31日

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