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『石言葉 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)
 満たされない。
 魔法具蒐集家たる自称魔族の少女は重い息をついた。
 魔法書の内、シリューナ・リュクテイアを嵌めたつもりが嵌められて、魔法真珠と化したのが数週間前のこと。それを自力で解呪して逃げ出したはいいのだが……シリューナからの追求は一切なく、それどころか連絡ひとつありはしなかった。
 シリューナは魔法薬屋の店主にして稀代の魔法使い、そして魔法芸術――魔法具のみならず、魔法的な作用で構築された芸術品や現象を指す造語だ――をこよなく愛する好事家だ。
 それを知っているからこそ、少女はシリューナを嵌めようとした。シリューナならばたとえ真珠と化してもすぐに解呪して復活するだろう。そして自分をオブジェに変えて、辱めてくれる。そう信じていたのだ。
 しかし。結果は無残なものだった。シリューナの心は彼女の妹分にして弟子たるファルス・ティレイラにのみ向けられていて、少女のことなどまるで気にしてはいなかったのだから。
「それがゆるせない。って感じじゃ、ないんだよねぇ」
 少女は自らに問う。じゃあ、あたしはいったいどんな感じ?
 悩んで。悩んで。悩んで。思い至る。
「姐さんに全力で愛でられたい」
 結局はそういうことなのだ。
 これまで少女が愛でてきた魔法芸術品のように、今度は自分が愛でられてみたい。
 自分と同じかそれ以上の好事家である、シリューナの目と指で。


「お姉様は邪竜オブ邪竜ですうううううううううう」
 ティレイラの絶叫がシリューナの書斎を揺るがし、唐突に止まった。
「あらあらまあまあ。例の魔法書を翻訳していただけなのだけれど、まさかこんなことになるなんてー」
 見事な棒読みを終えて小首を傾げるシリューナ。
 魔法真珠の像と化したティレイラの足元には複雑な術式が書き込まれており、シリューナの魔力をもってめまぐるしく点滅していた。
「偶然というものはおそろしいわね。たまたま私が書いておいた術式の中にティレが踏み込むんですもの」
 書斎の床を覆い尽くす術式は、たとえどこを踏んでも確実に起動するよう編まれていた。つまりはシリューナに呼ばれたティレイラが書斎へ入った瞬間、こうなることは確定していたわけだ。
「偽りの夏の海で見たティレも素敵だったわ。でも、いちばん落ち着く場所で見るティレは格別ね」
 ほう。甘やかな息をつき、シリューナは術式から魔力を抜いた。見えないほど薄く術式を刻みつけた床は、誤作動の危険を犯さぬよう、総張り替えしなければならないだろうが、そんなことは後で悔やめばいいことだ。
「コンキオリン(軟体生物から分泌されるタンパク質。この物質とカルシウムが積層し、真珠を形成する)のなめらかな艶。不思議なものね。生体がこんなに綺麗な石を生むだなんて」
 陶然とティレイラの首筋へ頬を寄せるシリューナ。ほのかに香るティレイラの匂いを存分に吸い込み、シリューナは唇を――離した。
「招いたつもりはないのだけれど?」
「だから勝手に来たんだよ、姐さん」
 悪びれもせずにドアから入ってきたのは、自称魔族の少女。
「姐さんだったらもっとスマートにだまし討てるはずなのに、なんでこういうかっこで固めちゃうかなぁ」
 身悶えする形で真珠と化したティレイラへ、少女は濃茶に染めたガラス瓶の中身を振りかける。
「っぷぁ! すっぱい! すっぱい!?」
 真珠化を解かれたティレイラが、自分の体から立ちのぼる強い酸臭に咳き込んだ。
「酢酸で割った解呪薬だよ。真珠にはこれがよく効くんだ」
「って、あなたなにしに来たんですか!? また私のこと真珠に――してないです、ね」
 ティレイラがうーむむ、唸る。
 少女は大げさに肩をすくめてみせ。
「真珠じゃないものにはする気だけどね。ついでに姐さんのこともさ!」
 少女の手からなにかが放たれた。
「ティレ、離れて!」
「え!? え!?」
 シリューナのデスクの前に落ちたそれは霧を吹き、瞬く間にシリューナの前に壁を形成した。
「結界――せっかくの古魔法具なのに」
 その魔法具は中世の魔法使いが考案した、悪魔と安全に対するための結界を張るものである。中身の結界霧は現存しない物質で作られているため、使ってしまえば魔法具としての価値はゼロになる。
「まだいくつかストックあるし。ま、しばらくそれと遊んでてよ」
 少女はティレイラへ向きなおり、腰に下げていたものを投げつけた。
 ぱしゃん。ティレイラの胸に当たって容易く爆ぜたそれは水風船のようなもので、中身は甘い匂いのする粘度の高い液体だ。
「蜂蜜だよ。前に閉じ込められたことあるんでしょ? でも、壁の中に埋まっちゃったら趣がないからね」
「そんな――これ、動くんですけど!?」
 ぐにぐにとやわらかい蜂蜜が、スライムさながらティレイラへまとわりつき、押し包んでいく。
「あーもう! 邪(よこしま)さんはお姉様だけでまにあってますーっ!」
 ティレイラの体から炎が噴き上がる。
 蜂蜜は水分を蒸発させ、その厚みを一気に損ない……固まった。
「え、どうして!?」
「熱入れると固まるよーって、遅かったかぁ」
 確信犯の笑みで告げた少女はちらとシリューナを返り見た。
「その量なら、熱し続ければいずれ溶けて落ちるわ」
 結界の霧に背をもたれかけさせて事の成り行きを見守っていたシリューナが、おもしろくない顔で言う。
「結界解いてないじゃないか」
 少女の不満そうな声にシリューナはあくまで淡々と。
「悪魔封じの結界だってわかっていれば対処も簡単でしょう。魔力に反応する結界なんだから、魔力を封じて通り抜ければいい」
「お姉様ぁ」
 固まった蜂蜜の内でじたばたもがくティレイラ。その情けない声に満悦の薄笑みを返し、シリューナは少女へ迫る。
「この前の意趣返しに来たならお門違いよ。そもそも嵌められたのは私たちだし、それを不問にしたのも私たち。そうでしょう?」
「あたしがしたいのは意趣返しじゃないよ」
「? じゃあ、なに?」
「意趣返されだよ!」
 少女の足元に術式が浮き上がった。シリューナが床に刻んだ魔法真珠化の魔法だ。それを今、少女がシリューナとティレイラに対して起動した。
「ちょ、え、あ」
 迫り上がる魔法がティレイラのつま先から体内へ忍び込み、速やかに真珠化させていく。レジストしようとすれば火の魔法が止まり、蜂蜜がまた凝固してしまう。
 どうしていいかわからず焦るティレイラへ尖った視線を向け、少女が吐き捨てた。
「やっぱりこの術式、ファルちゃんに最適化してるんだなぁ。ムカつく」
「それは当然のことよ。もともとティレで遊ぶために翻訳したのだもの」
 自らに這い寄る魔法を解呪しながら、シリューナは新たな術式を編む。その手の迅さと複雑さは、どのような魔法を構築しているのかを他者に読ませはしないが、けしてティレイラを救うためのものではないことは確実だ。
「お姉様は邪竜ですぅぅぅぅっ!!」
 胸元まで真珠化されたティレイラが叫ぶ。さすがいつも遊ばれているだけあって、シリューナのことをよく知っていた……不幸にも。
「手間とか惜しまないよね。姐さんはファルちゃんのことばっかりだ」
「ええ。私はいつだってティレのことばかりよ」
 少女の放った魔法薬へ解呪をぶつけて空中で分解、無効化したシリューナがうなずいた。
「だったら助けてくださいってばー!」
「蜂蜜は後で落としてあげるから。真珠化のほうは私の実験がすんでからね」
「実験って!?」
 シリューナは半ば目を閉ざし。
「いろいろよ」
「弄ばれるっ!?」
「もうほんっと、見せつけてくれるよねぇー!」
 割って入った少女が憎々しげにシリューナをにらみつけ、術式を編む。編み目こそ粗いが、練り込む魔力は魔族の名にふさわしい強さを持ち、たとえ解析されたとしても並以上の魔法使いですら破ることは困難であろう、青銅化魔法を。
「どうせかけてくれるなら、卑金属より貴金属にしてほしいところね」
 並以上どころか格など超越した高みにあるシリューナはすぐに対抗魔法を編み上げ、放たれてもいない少女の魔法を解呪した。
「あなたもわかっているのでしょう? このまま魔法戦を続けてもどうにもできないって」
 少女が密かに高速詠唱していた鉛化魔法を声音に乗せた魔力で打ち壊し、シリューナが続ける。
「もう帰りなさい。意趣返しも意趣返されも、私にはどうでもいいことよ」
 少女は身構えた体をぐうと縮めた。
「そしたらファルちゃんとふたりっきりだもんね? だったら帰れないなぁ。お客さんなんだから、ちゃんとおもてなししてもらわなきゃ!」
 跳躍した少女の手から魔法薬の瓶が飛ぶ。
 魔法の気配がしない。これはフェイクだ。即座に判断を終えたシリューナは瓶を無視して少女の爪を重力で鎧った右手で払い、そのまま空中に縫い止めた。
「これ以上騒ぐようならあなたも侵すわよ。たとえばそうね、朱(硫化水銀)で塗り固めて水分を全部抜き取って」
「千年飾ってくれる!?」
 え? 熱っぽく潤んだ少女の声音に、シリューナが思わず彼女の顔を見た。
「やっとあたしのこと見た。ねぇ、その目であたしのこと、見つめてくれる? 損なわないように大事にして、触って、話しかけて……愛でてくれる?」
 少女は本気だ。本気で自分を魔法美術品にしてほしいと懇願している。
 同じ好事家としてシリューナは思い至る。
 好事家は愛のすべてを静止した物にそそぐ。生命が魅せる一瞬こそが至高の美と知りながら、その一瞬を永遠にと望む。
 求めるばかりだからこそ、求められたくなるのだ。自分が愛するのと同じだけの愛を返してほしくて――しかし物がそれを返してくれるはずもなくて。だからこそ、同じ愛を持つ者に愛でられることを夢見ずにいられない。
 私もティレに。胸の奥からにじみ出す思いを意志の力で押さえ込み、シリューナは今度こそまっすぐと少女へその赤瞳を向けた。
「逃げるティレを追いかけるのも楽しいのだけれど、飛び込んでくるあなたを迎え入れるのもまた一興かしらね」
 未だ宙にある少女を術式が取り巻いた。それは床に書きつけられていたのとは別の、真珠化の魔法。
「あなただけのために編んだ術式よ。せいぜい抵抗してみることね」
 少女は喜悦の笑みを浮かべて抵抗を試みて、敵わず、笑んだまま真珠像と化して床へ落ちた。

 ふたつの真珠像を並べ、シリューナは見入る。
 その表情で悲哀を語るティレイラ。
 その表情で歓喜を語る少女。
「まさに両極ね。存分に、味わわせてもらうわよ」
 黒衣を脱ぎ落としたシリューナは、けして自らが味わうことかなわぬ愛玩の指を伸べた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【シリューナ・リュクテイア(3785) / 女性 / 212歳 / 魔法薬屋】
【ファルス・ティレイラ(3733) / 女性 / 15歳 / 配達屋さん(なんでも屋さん)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 真珠の石言葉、其は「素直」。
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東京怪談
2017年09月05日

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