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『ふたつの先 』
イアル・ミラール7523
 IO2本部の地下深くには、コンクリートと鉛、そしてチョバム・アーマーとで厳重に封をされた研究施設がある。
 ここで扱うのは最低でも極秘(一般公開されると国家間の安全に深刻な損害を与えるとIO2シンクタンク陣に判断されたもの)の機密レベルをつけられたものであり、末端のエージェントに詳細が知らされることはまずありえない――のだが。
『それでは“診察”を始めます』
 防護服を着込んだ女性研究者たちが手術台に固定されたそれへ向かうのを、耐衝撃仕様の粘性アクリルガラス越しに見やる茂枝・萌の姿があった。
『なんだか空気がイオン臭いわね』
 萌の腰に下げられたコンパクトミラーから、イアル・ミラールの姿を借りた鏡幻龍の声音が漏れ出した。
「くさいーさむいー」
 こちらは萌の肩にとまった“フェアリー”。鼻をつまんでみせる様はなんとも言えずかわいらしかったが、同時にイアルの体を生き映したその肢体からは、無邪気さを裏切る妖艶さが香り立つ。
 いや、生き写しなばかりではない。この、錬金術によって生み出されたホムンクルスの内には今、イアルの魂が在る。器としての未熟さから、イアルそのものを顕現させることこそできないとのことだが、この小妖精はまぎれもなくイアルなのだ。
 そのフェアリーの保護役であり、実際イアルと接触した経験者であることから、萌はこの場へいることをゆるされていた。
「電気分解した酸素を16度まで冷やして流してるから」
 萌は視線をそれに据えたまま、淡々と答えた。
 もちろん、彼女自身ここへ入るのは初めてのことだから、又聞きをそのまま語っているに過ぎないわけだが。
『スキャン開始。映像、出します』
 ガラスの向こうの手術室のモニターと連動し、こちら側のモニターにも同じ映像が映し出された。それ――ビスク・ドールと化したイアル。その体内組成のスキャニング図が。
『オーマイ! 細胞ひとつひとつまで陶器化している……こんなことが現実にあるなんて』
 驚愕する研究者たち。男女の別なく、ここにいる研究者は常軌を逸した知識の求道者だ。皮肉なことにこのあたり、敵であるはずの魔女や錬金術師とよく似ている。
『もともと王女のものではない“男”は? 分離して研究を』
『難しいわね。ホムンクルスって話だけど、王女の神経系に深く根を張ってる。おそらくは魔術的な融合も。手術での切除は、少なくとも現状では無理ね』
『接触時間をカウントしろ! 王女の“におい”には魔法的な効力があるようだ。防護服程度では抑えきれない危険性が高い』
 研究者たちは口々に言い合いながら、イアルに融合された“男”へさまざまな検査機器をあてがい、さらには自らの手で触診を行う。
 萌は思わず目線を逸らした。
 訓練された彼女は自身の感情を高いレベルでコントロールできる。それなのに、どこから迫り上がってくる黒い不快感が萌の胸を突き上げ、鎮めたはずの心を騒がせるのだ。
『あなたじゃないあなたの気配を感じる。あるのかもしれないわね、輪廻のどこかに、あなたとわたしたちとの縁が』
 鏡幻龍の言葉にふと顔を上げる萌。
 縁? あの夜に初めて出逢ったはずの王女と私に?
「ごしゅじんさま、こわいかおしてる?」
「なんでもないから」
 フェアリーの言葉で我を取り戻した萌は、あわてて目線をイアルへと戻した。
『!? 王女の魔力値が上昇! “におい”の濃度が――』
『診察は一時中断! 退避!』
 萌からの情報を言い含められていた研究者たちがあわてて室内から汚染除去用のシャワー室へ駆け込んでいった。
『呪いは自動的に発動するからね。私でも制御ができない』
 ため息をつく鏡幻龍に萌が訊いた。
「どうすれば?」
 鏡幻龍は低く唸り、ためらいがちに言葉を継いだ。
『結局はドールにイアルの魂を戻さないと、って話になるのよね』
 そのためには、イアルと一時的に融合できるほど波長の合う依り代が必要だ。鏡幻龍の言葉を思い出せば、それは特定の条件を満たす人間ということになるのだろう。
「ごしゅじんさまとわたしみたいになかよしだったらいいのかな」
 ぽつり。フェアリーがつぶやいた言葉。
 フェアリー=イアルが「仲がいい」という、萌。
 いつかあったのかもしれない、王女と萌との、縁。
「私なら、できるかもしれない」


「夢を見る?」
 自室へ戻った萌は簡素なベッドに腰をかけ、姿見に映る鏡幻龍の言葉へ首を傾げていた。
『あなたの過去を幻(み)て“縁”を探る。魂に刻まれた前世の記憶をたどるの。あなたにとってそれは愉快なことじゃないと思うけど』
「やるよ。なにをどうすればいいのか、ずっと考えてた。だから、私にできることがあるなら」
 即答した萌に鏡幻龍はうなずきかけて。
『じゃあ始めましょう。横になって力を抜いて……わたしがあなたの内に行く。フェアリーは萌のことを見ていて。なにかあったらあなたが萌を呼び戻すのよ』

 いくつもの光の欠片が、萌のそばを行き過ぎていく。
 あれは萌が萌ではなかったころの前世の記憶の断片なのだと、なぜか知れた。
 涙があふれた。憤怒に叫んだ。笑みがこぼれ落ちた。しかし。万感は欠片とともに消え失せて、いつしか萌は黒のただ中に取り残される。
 私は、誰? 私はどこに行く? 私は、私は、私は――
 ふと。
 世界が拓けて。
 萌はその中で“わたくし”を取り戻す。

「――ここへは近づかぬよう、協定で定められておりましょうが」
 怜悧な半眼を向け、彼女は自らがまとうメイド服のスカートに指をかけた。
「“墓守”の月番は俺だ。墓に大事ないかを確かめるも立派な公務であろうが」
 華美な衣装でその巨躯を包んだ男が尊大に言い放つ。
 ひとりの王によって乱れたこの国は、近年十六侯による合議制統治へとその姿を変え、「侯国」と呼ばれるに至っていた。
 王を斃した十六侯爵は乱の原因となったものを元王城の奥に据えて隠し、ひと月ごとに“墓守”を担ってそれを隠蔽し続けているのだった。
「わたくしがこうして侯のお相手をしております以上、大事などあろうはずがありません。そのままお館へお戻りください」
「おまえが墓を荒らしておらぬ保証がどこにある? アレは同じ女をたぶらかすそうではないか。おまえが役目をいいことにアレを思うまま弄んでいるとすれば……それは俺の責になろうよ」
 十六侯のひとりである男が顎をしゃくると、後ろに控えていた騎士たちが進み出た。
 彼女は内心で舌を打つ。あの男は十六侯の内でも特に“あれ”へ執心している。この機に欲を果たそうというのだろう。すべての咎を彼女に押しつけて。
 ならば。
 彼女がスカートをはねあげる。両の腿にくくりつけられた刃を引き抜きながら駆け、抜剣しようとした先頭の騎士の首を左右から斬りつけ、落とした。
「戦が終わり、騎士様方は甲冑をお捨てになられた。ゆえに――どこからでも容易く斬れる」
 敵に足がかりを与えぬよう絨毯を剥いだ大理石の床を蹴り、彼女は跳んだ。
 足がすべり、腰を定めることのできぬ騎士たちは抵抗する間もなく突き抜かれ、斬り払われ、蹴り砕かれ、沈黙した。
「ま、待て――俺は――」
「協定にて定められております。この墓を侵す者は、たとえ十六侯であれ命を支払うと」
 洗剤を含ませた布で刃の脂を拭き取り、彼女は男へ迫る。
「今宵より、この国が戴くは十五侯となりましょう」
「やめ」

 骸を城外広場の端に串刺して飾った彼女は城内へと戻り、入念に床を磨きあげる。真なる墓守たる彼女のもうひとつの仕事は、彼女と“あれ”のみが存在をゆるされた城を美しく保つことだから。
 すべてを終えた彼女は王の間へ向かう。
 マホガニーの大扉を押し開け、歩み入った彼女は玉座があった場所を前に跪き。
「わたくしの命ある限りあなたの眠りを穢させはいたしません、王女」
 金の額に収められた“あれ”――石に封印された憂い顔の姫君へ、陶然と潤む目を向けた。
 元は王の子飼いの暗殺者であった彼女は、主の元へ運び込まれてきたこのレリーフをひと目見たとき心を奪われた。
 誰かの手をただ行き交うばかりの姫君。その憂い顔を、自分が守りたいと願ってしまった。
 止めようのないその欲はやがて王を殺し、十六侯をこの城へと引き込んだあげく、協定という形で彼女のみが姫君のそばにあることを認めさせるに至るのだ。
 ――いつか封印が解けたとき、他の誰でもないわたくしがおそばに。
 レリーフへにじり寄った彼女は、姫君の素足の先へ恭しく唇をつけ、笑んだ。
 その唇に浮かぶは、狂気と喜悦と、歪められた恋情であった。
「おやすみなさいませ、王女。またすぐに参ります」
 彼女は伏したまま後じさり、立ち上がって踵を返す。
『素足の王女』は憂いたまま、今宵も静寂の内に立ち尽くすのだ。


『すいぶん激しい過去の縁があったみたいね』
 夢から覚めた萌へため息まじりに語りかける鏡幻龍。
 未だ焦点の定まらぬ目を巡らせ、萌は素足の王女を探す。愛しい我が君。今、わたくしが参ります。
『あなたの主はそこで寝てるわ。待ちくたびれたのね』
 ようやく正気を帯びてきた目に、ベッドの端で眠るフェアリーの姿が映る。うつ伏せなのは、意識が途切れるまで萌の顔をのぞき込んでくれていたからなのだろう。愛しさに胸が締めつけられた。
『これだけの縁があれば、依り代になってもらうのは問題ないでしょう。ただ』
 鏡幻龍は幾度も言いかけては言葉を止め、そしてようやく切り出した。
『イアルの魂が移動すれば、無理矢理広げられたフェアリーの器を満たしていたものはなくなる』
「フェアリーはどうなるの?」
 噛みつくように姿見へ詰め寄った萌に、鏡幻龍は青ざめた顔で告げた。
『命を失くした骸になるか、呪いの残滓で石になるか。正直なところ、そのときにならないとわからないけど』
「待って。私には選べない――だって」
 突きつけられた選択に、萌は懊悩することしかできなかった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7523 /イアル・ミラール / 女性 / 20歳 / 素足の王女】
【NPCA019 / 茂枝・萌 / 女性 / 14歳 / IO2エージェント NINJA】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 愛しき者の奪回か、小妖精との離別か。ヴィルトカッツェは揺れるばかりなり。
  
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年09月12日

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